#027 しのぶのパーフェクト考察教室
母から聞いた父の能力の一つ、テロメア操作。それがあれば少なくとも真由美さんの寿命に関してはすべてが解決するだろう。そう思って父に真由美さんのテロメア操作を頼んだけれど、父は首を横に振った。ならば自分にその能力のインストールをと願い出たけれどそれもダメ。その理由は僕の考えの浅さ、想定の甘さにあるという。
悔しいが父の指摘は甘んじて受け、改善しなければ僕はここから先に進めない。
「しのぶ、聞きたいことがあるんだ」
僕としのぶ、その差は何か。それにきちんと向き合わなければ。
しのぶが何を知っていて僕が何を知らないか、ではない。なぜ手持ちの情報量に差がついているのか、そこが分からなければ結局この手の情報格差は増えていくばかりになることに、僕は遅まきながら気がついたのだ。
「うん? 何?」
「父さん達やしのぶには僕の知らない秘密があるよね?」
「うん」
しのぶがあっさりと認めた。てっきりはぐらかされるか否定されるかのどちらかだと思っていたのに。
秘密というのはそもそも、その存在を知られない方がいい。人間は他人の秘密の存在を知ると、時に全存在を賭けてでも暴こうとするものなのだ。
なんだろう……しのぶも相手が身内だからガードが下がっているのだろうか?
「実はさっき僕は父さんに能力のインストールをお願いしたんだ。断られたけど」
「あー……それは何というかいきなりだね。父さんもさぞや困ったことだろうねえ……」
しのぶは困ったような表情を見せた。これはあれだ。大して親しくもない友人からいきなり重い話題を振られてしまった時の僕の表情にそっくりだ。
「いきなり変な話になるけど……僕、最近仲良くしている女の子がいるんだ。
その人は自分がクローンだって言ってる。で、どうもホントらしい。
それで彼女が言うにはクローンって長く生きられないらしくて、僕はそれを何とか出来ないかと父さんに相談したんだよ」
「うちの母さんにも相談したそうね。詳細は聞いてないけど」
お、クローンとか突飛な話をして残念な子扱いされそうなリスクを覚悟してたけど、案外すんなり受け止めてもらえたかも。
「うん。それで僕にも父さんのように老いない、老いさせない力があれば彼女を含む世に数多いるクローンを救えるかもって思ったんだ。それを父さんに力説したけどダメだった。僕の考えはまだまだ、まるで足りてないって言われてここに跳ばされたんだ」
「老いない力……テロメア操作だね? それで、父さんに断られて大地はどう思った?」
「悔しくないわけじゃないけど、それ以上に情けないんだ。父さんの言うことはいちいち全部正しい。逆に僕の言うことは全部ガキの我儘だったよ」
「しょうがないよ。相手は大人だもん。大国に目をつけられながらもずっと高次元生命体からの依頼をこなして来た父さんと大地じゃ勝負にならないのは当たり前。それこそ年季が違うってやつじゃないの?」
いやいや。「年齢や経験の差があるから今の僕はダメでもしょうがない」で納得したらそこで終わりじゃないか。それに目の前にはしのぶという反例がある。キャリアの違いが思考力の決定的差ではないということは明らかだ。
「だったら父さん達に認められ、僕より遥かに父さん達の秘密に肉薄したしのぶはどうなのさ?」
「……どうって……?」
「しのぶ、僕は父さん達の秘密を教えろと言う気はないよ。そうじゃなくて、僕としのぶの間にはものの考え方にどれだけの違いがあるか、それを知りたいんだ。でなければ僕は同じ間違いを何度でも繰り返してしまうだろうからね」
それを聞いたしのぶが急に緊張が解けたような顔をした気がした。なんだろう、泣かすと怒られるから上手に持ち上げながら付き合わなければならない面倒なクソガキのお守りからようやく解かれたような……そんな顔だ。
「はあ~あ、やっとか……」
「やっと?」
「やっと自分で何かを考える気になったのかって言ってんの。あー長かった」
しのぶは両手を挙げてのびをし、そのまま後ろのクッションに倒れ込んだ。何だ? 僕ってそんなに何も考えてなくて、周りに迷惑を振りまいていた人間だったのか?
「まあ、聞かれたから答えるんだけどね……物の考え方ってのはいろいろあるけど、私の場合は『何故だろう』と『そんなことしたらどうなるか』を、細かいところまで突き詰めて考えるだけなんだよ」
しのぶは寝転んで天井を仰いだまま、面倒くさそうに話し始めた。
「僕だって、そうしてきたつもりだけど?」
「違うね。大地は何も考えてない。この考え方ではね」
一瞬で切り捨ててきた。これが素のしのぶか。
「そうかなあ……」
「じゃあちょうどいいや。クローンが長生き出来ないとか、父さん達が老いないとか言ってたよね。父さん達が老いないことについて昔から『何故だろう』とは考えなかった? 授業参観の時に亜希さんが飛び抜けて若いってことに気が付かなかったわけじゃないでしょ?」
そういえばそうだ。どうして僕はそういうことをもっと真剣に考えなかったのか。昔からそうだからこれからもそうだとしか考えていなかった。知恵がついてからは化粧がどうの、体質がどうのと知ったようなことを言って疑問をそのまま棚上げしてきたような気がする。
「それにさ、大地はテロメア操作での若返りや老いないことを幸せで良いことだと思ってない? テロメア操作なんかして『そんなことしたらどうなるんだろう』って考えなかった?」
「それは……幸せに決まってるだろ? いろんな本に書いてあるよ。若さ最高! カネなんかより若さが欲しい。30年若返るなら全財産と引き換えでもいいって金持ちもいるらしいじゃないか」
僕がそう言ってもしのぶは首を縦に振らない。むしろため息をついて僕を憐れみの目で見ている。
「あのね、本に書いてあるからそうだって言っちゃうのは思考を停止してるのと同じだよ?
それよりいい? 人間の神経細胞ってのはさ、同じ刺激に対して同じようには反応しないんだ。慣れって言えばいいのかな。何か凄いものを2度見たとして、1度目ほどびっくりしたり感動したりしないよね?」
「うん」
「いろんなことが初めてで、その度に瑞々しい感動が得られるってことが若さの特権だとしたら、ただ細胞分裂回数の限界がまだまだ先ってだけの若さに価値なんかあると思う?」
「え?」
「テロメア操作による老化防止は精神の若返りまでは保証しないわ。身体が老化しなくても、感情の動きなんかは年月の経過に比例して確実に緩慢になっちゃうのよ。ファンタジーなんかでさ、長命のエルフやドラゴンが生きるのに飽きて森の中で生きながら草木の養分になっていく話、けっこうあるよね? あれよ」
なるほど、「テロメア操作は生き地獄への入り口」ってのはそういうことか。なら父がその落とし穴に気付かない筈はない。
とすると……父とその周囲の人達はテロメア操作ではなく、別の方法で真の若返りをしているんだな。
「以上、今言ったようなことは別に父さん達から教わらなくても、自分で疑問を持って、調べて、その先はどうなるかを考えれば答えは出るよね?」
しのぶの言うとおりだ。僕は何も気付かなかったし考えてもいなかった。今の会話にしても、僕はしのぶの言うことを聞いてなるほど、と最後に相槌を打っただけだ……。
どうして僕はこうなんだろう。
「思考パターンは積極的に変えていかないと、上を向いて棚からぼた餅が落ちてくるのを待ってるだけだと何も得られないよ」
「うん……」
しのぶと向き合う、という事は僕の想像以上に自分の不甲斐なさを自覚することに他ならなかった。だが、その行為には確かに新鮮な感動と自分の可能性を押し開く何かが感じられるのも事実だ。
くそ……やってやる。いきなりしのぶ並みになれるわけはないけど、なろうとすることに意味はある筈だ。絶対に。
★★★★★
欧州3カ国、ドイツ、フランス、スイスにまたがり生命科学系の企業と研究機関が集まる地域がある。人呼んでバイオバレー。その一角、スイスはバーゼル市郊外を流れるドレン川の近くにエト・ディシット研究所は建っていた。
20年ほど前に消滅した秘密結社「パスター」のシンクタンクを源流に持つ彼らは、親団体の消滅以前に潤沢な資金を獲得し、今もその資金を運用することで生き存えている。
多くのノーベル賞受賞者が現役で働くこの土地では投資先に事欠かない。彼等は投資によって資金を雪だるま式に増やし、その資金を背景に好き勝手な研究・調査活動を繰り広げていた。
ただ一つ他の研究施設や教育機関、シンクタンクと異なっていたのは、彼らは学術的な成果にほとんど興味を示さないという点だ。
彼らは一遍の論文も発表せず、学会で講演することもない。まるでこの世の全ては誰かの箱庭で、その理を解き明かすことに意味などないと言わんばかりに。
外から見ればやや古ぼけた3階建ての低層ビルが彼らの根城だ。だがいざ中に入ればSF映画のセットでもこうは行かないだろうというくらい最先端設備が所狭しと並んでいる。
そこで働く研究員、ノアは約束もなく作業フロアにやって来た研究企画マネージャであるアレッシオの応対を強いられていた。
「やっと来たんだって?」
「アレッシオさん、何の話ですか?」
アレッシオの顔は待ちわびた恋人が来たかのような喜びをたたえている。それを見たノアは嫌な予感がしたのか、面倒な話はゴメンだとばかりつっけんどんな態度で返した。
だが今日のアレッシオは勢いがある。ノアが少しばかり冷たい態度をとったところで怯みはしない。
「例のサンプルの話さ」
「ああ、あれですか。サンプルならもう、培養に回しましたよ。採れたてホヤホヤだって言うんで培養チームも楽だって喜んでいました」
「ちょっと待て、今なんて言った?」
「いや、培養に回してるって」
あ、これは嫌な予感が的中したかな……? ノアは焦った。焦ったが、焦ったところでどうなるものでもない。彼に出来ることと言えば「雷が落ちるのは培養チームでありますように」と自らの信じる神に縋ることくらいだ。
「いや、その後だ。今、採れたてホヤホヤって言わなかったか?」
「ええ、そう言いましたよ。なんでも日本の男子高校生の細胞サンプルだとかで。政治家の息子とか言ってましたね。一応、金額がアレなんでプルヴィーラにはもう一度確認してもらってます」
「それだよ。なあ、サンプルの採取元ってまだ生きてるのか?」
「言いませんでしたか? 死体は高校に通えませんよ!」
どうやら雷は落ちなさそうだが、アレッシオを培養チームに押し付けるのは無理そうだ。そう感じたノアはアレッシオが何を言いたいのかを聞いた上でさっさとお引取り願うことにした。
仕事が増えるのは困るが、アレッシオがここに居座って絵空事を長々と語り出すのはもっと困る。どちらも困るならストレスが少ない方を選びたい、と考えるのはノアだけではない筈だ。
「だったら、培養なんかしなくてもそいつを引っ張ってくればいいじゃないか。やりたいのは小脳の機能を検証することであって、ターゲットのクローンを作ることじゃないんだからな」
「ああ、そう言われればそうですね。こいつはうっかりしてました」
「いつも死体や遺物にへばりついてた細胞ばかり相手にしてたからか、手段と目的が入れ替わってやがる。困ったもんだ」
そういうサンプルの採取方法を一番想定していたのはあんたやがな、とノアは心中でツッコんだ。「墓を暴いてでも細胞サンプルを採って来い」とプルヴィーラに注文を出したのはアレッシオなのだ。
どうやらまだ親団体が消滅していなかった時の研究ではそうやってサンプルを集めたらしい。今回も、まさか条件に適合する生きた人間がいるとは夢にも思わなかったのだろう。
いやはや、時に成功体験は人の思考を束縛するのだなあ……。
いろいろと考えを巡らせた後、ノアは目の前のアレッシオを意外に使えるかもしれない反面教師として取り扱うことにした。
「とは言っても、もうカネは払ってしまいましたが……」
「まだ確認はとれてないんだろ? だったらまだ納品完了ってわけじゃない。そのイカ臭そうな高校生をこっちに連れて来いって今からでもプルヴィーラに頼めないかな?」
「どうでしょうね。一応もう、モノは来てるんですが……」
「結構非合法なこともやってんだろ? ダメ元で言ってみたらいいじゃないか」
まあ、言うのはタダだしな……と自分を納得させて、ノアはプルヴィーラに連絡を入れた。もちろん、苦情は全部アレッシオに行くようにしてある。
そのメールを受け取ったプルヴィーラの外販部長、オーラが軽く裏返った声を廊下に響かせたのは言うまでもない。




