#026 僕のいない未来
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「やっと見つかったらしいな。それも日本だって?」
プルヴィーラの外販部長、オーラは明るい知らせに顔を緩ませていた。
実際に福山から荷物も届いたため、サンプル獲得部長のマクシミリアンの表情もいつもより明るい。
「ああ、サンプルも届いた。だが一応確認はしないとな。今、うちの若いのを日本に送って確認させている。ヤサも割れてるらしいし、そう時間はかからんだろう」
マクシミリアンはオフィスのコーヒーサーバーからコーヒーを2杯落とし、オーラと軽く乾杯をした。
数日前まではこのコーヒーを2、3口すするだけで胃に疼痛が走っていたのだ。幾分マシになった胃を、マクシミリアンは空いている手でこっそり撫でて労った。
「ところでオーラ、クライアントはどんなヤツなんだ? 」
自分をさんざん苦しめるオーダーを出したのは目的のDNAサンプルを2000万ドル出してでも手に入れたいというこれまでに無い特異な顧客だ。マクシミリアンの好奇心が首をもたげるのも当然といえば当然と言えよう。
「スイスのエト・ディシット(*)研究所だ。お前も知ってるだろう」
「ディーデリヒのところかよ! 勘弁してくれ!」
「そう言うと思って今まで言わなかったんだよ。知っての通り金払いは良いんだ。それに今回の依頼は研究現場のマネージャからで、ディーデリヒからじゃない。今、ヤツはエト・ディシットの所長だろう? 過敏になり過ぎるのは良くないな」
「現場が2000万ドルの予算をホイホイ使うのかよ……ま、それはいい。しかし、世の中にはディーデリヒ以外にも面倒くさい注文を出すヤツがいるもんなんだな」
「あそこは特殊だからな。元は裏の巨大な経済団体のシンクタンクだったところだ。経済団体そのものは空中分解したんだが、そいつらその時にしこたま現金と金儲けのネタを掠め取ったらしい。今回の注文も、それに関するものだったようだ」
「ディーデリヒが所長ってだけで俺にはマッドサイエンティストの吹き溜まりにしか思えない。現場だかマネージャだか知らないがそんな連中にあっさりサンプル渡してしまって大丈夫なのか?」
マクシミリアンは何か不穏なものを感じていた。
乱暴に言えば、プルヴィーラのビジネスは世界中の秘密を守れる助平な金持ちを顧客にして成り立っている。学術用途だとかなんだとか、サンプル購入時にいろいろ言い訳をする客もいるが、彼はそんな言い訳を毛ほども信じていない。
顧客が皆、やましいこと、とても人に言えないようなことをしているからこそこれまで秘密が守られて来たというのが彼のロジックだ。たとえそれが公然の秘密だったとしても。
そのロジックに沿わない顧客の存在が彼を不安にさせたのは無理からぬ事と言える。
「助平だろうが聖人だろうが客は客だよ、マックス。私はバチカンがポルノ女優のDNAサンプルを売ってくれと言ってきたって喜んで売買契約を結ぶさ。それで、確認作業はいつまでかかる見込みだい?」
「そうさな、手荒な真似をすればあと2、3日。温厚にやっても2週間もかからんと思う」
「なるべく早くしてくれ。一応進捗は報告してあるから今までのような矢の催促は来ないと思うが」
「じゃあ、手荒な方を選ぶ必要があるな」
そう言うとマクシミリアンは立ち上がり、大人が一人入りそうな旅行カバンを後ろ手に転がしながらオーラに片手で挨拶をした。
「おい、まさか」
「そのまさかだ。ちょっとヒロシマに行ってくる」
◇◇◇◇◇
「失せろ。その真由美とかいう女の命がどうなろうが俺の知ったことか」
「どうして駄目なんだよ! シャーロットさんも、父さんも! たった一人だよ? たった一人、救って欲しいって言ってるだけじゃないか!」
父の予想外に冷たい反応に僕は狼狽えていた。心の何処かで父が僕の頼みを聞いてくれると思っていたのかもしれない。
アテにしていた父の助力。その願いが一蹴されてしまった今、僕に何が出来るだろうか。
スゴスゴと尻尾を丸めて帰って、地元で待っている真由美さんに「やっぱり駄目でした」と説明すれば良いのか。
うん。往復の新幹線代分くらいは取り戻そう。とりあえずここはゴネるの一択だ。
僕は声を荒げて半泣きになりながら父に説明し、懇願し、同情を買おうとした。だが父の手はキーボードとマウスから1秒も離れない。
一向にゴネるのを止めない僕にさすがにうんざりして、父が手を止めてこちらを見たのは10分ほども経ってからだ。
「じゃあ聞くがな、たった一人というけれど、一人で済む保証はあるのか?」
「え……?」
「その真由美とやらの話によれば、クローンが肩を寄せ合って都市伝説まで作ってるんだろう? そこで実際に真由美の遺伝子が正常化したら、その後彼女にはどんな人生が待ってるんだ?」
父の凍るような声。そしてその口から発せられた質問は僕が考えもつかなかったものだった。
「どんな人生って……そんなの分からないよ」
「おいおい、ちゃんと考えろよ。真由美のオーナーは納品後数年で真由美が死ぬと説明を受けているんだ。もしかしたらそういう注文を出したのはそのオーナー自身かもしれないんだぞ?
その真由美が想定外に長生きした場合、真由美はどうなるんだ?」
旦那がどうするか……か。旦那が数年サイクルで新しい玩具をとっかえひっかえして楽しみたいのだとすれば当然真由美さんは邪魔になる。
真由美さんにはちゃんと戸籍もあるわけだから離婚すればいいんじゃないか? いや、そうすると自分の出自が分っている真由美さんを野に放つわけだから旦那側のリスクが増えるだけだ。ええと……。
「ま、真由美さんは離婚された後、旦那の手先か、クローンを作った非合法組織によって消される……?」
「そういうことだ。お前、その辺ちゃんと考えたのか?」
言葉もない。
「もし、旦那が真由美の快癒を喜ぶようなまともな神経の持ち主だったとしたら、真由美は旦那の庇護を受けながら普通に暮らせるだろう。
だがよく考えろ。普通にやってりゃ治らない病気を持った集団の中で、一人だけ理由もなく快癒した場合そいつはどうなる?
真由美はクローンの希望の星になるだろうよ……。彼女のもとにネットで、リアルで、救いを求める人が集まるぞ。彼女はどうすれば良いんだ?」
「そ、そんなの分からないよ」
いや、考えれば分かるかもしれない。そうだ。彼女は彼女を頼ってきた人達に何も出来ない。すでにコミュニティの一員である彼女が、自分だけ治ったからと言って一抜けすることもできないだろうし……。
考えがまとまらない僕の様子を見た父は軽く舌打ちをし、自分の考えを話し始めた。
「彼女は一旦、新興宗教の教祖のように祭り上げられ、その後、何も出来ないことが分かると酷い言葉を毎日のように浴びせられ、消耗していくだろう。最終的にはマスコミの攻撃にあいながらコミュニティから叩き出されてしまうんだ。嫉妬に狂った信者に刺されるかもしれない。
お前、真由美って女にそんな人生歩ませたいのか?」
言われてみれば……だけど、随分と酷い未来だ。人間ここまで悲観的に物事を予測出来るものなのか。
「隠遁するとか、いろんな道もあるじゃないか」
「隠遁か。難しい言葉を知ってるじゃないか。さすが文系。でだ。いろいろ彼女の未来を考えたわけだが、そこにお前、いたか?」
僕はあっと声を上げた。真由美さんの病気が治った後の彼女の生活に僕の姿が見当たらないのだ。
僕に唯一残されている道は、真由美さんが治って、その事実を彼女の旦那に気付かれる前に僕が十分な準備をし、彼女と駆け落ちすることくらいしかない。
でも、あれ? 彼女、僕と駆け落ちするような仲じゃないよな。まだ。
「あ……う……」
「理解できたか。お前がどれくらい一人で舞い上がって、困っている人に安請け合いをしたり、他の人に迷惑をかけたりしていたか」
完敗だ。ちくしょう。完全に僕の負けだ。
人間性とか先見性とか人格とか、そういう部分では僕は父に負けないと思っていた。
父は平気で二股、三股をするケダモノで、口を開けば皮肉を吐き、他人の深刻な悩みを笑い飛ばしてニヤける鼻持ちならない奴だった筈だ。少なくとも僕の中では。
だが違った。僕が何日もかけて考えたロジックは父に全く通用しないで敗れ去ったのだ。しかも、間違っているのは僕。
その時、奇跡が起こった。
僕の足元がおぼつかなくなるほどの動揺をトリガーにメンタル強化機能が起動したのだ。それは僕に考える選択肢を与えた。まだだ、まだ粘れる!
「それは……登場人物のうち、超能力を使えるのが父さんだけの場合だろ?」
「何だと?」
父は「ようやくそこに辿り着いたか」と言わんばかりの顔だ。怒っているようにも見えるが、どこかニヤけてるようにも見える。
「母さんから聞いたよ。父さんは他人に父さんみたいな能力を与えることが出来るんだってね。実際、しのぶにはインストールをしたんだろ?」
「ああ」
「僕にも、その超能力をインストールをしてよ。それで状況は変わる。真由美さんを治すことも、安全に逃がすことも出来るかもしれないだろ」
僕が崖っぷちからひねり出したワイルドカードは、自分自身が今みたいな不安定な超能力者ではなく、自在に能力を使える超能力者になることだ。
これで強力で強引な手段が取れる。暴力沙汰や組織的な陰謀とも戦えるかもしれない。
「駄目だ」
「どうして!」
「その理由では駄目だ。駄目なんだよ大地。お前は今、俺に言い負かされたのをひっくり返そうとしているだけだ。
お前に能力を与えたところで増える選択肢は真由美って女との逃避行を成功させる確率を上げたり、真由美を頼ってきた連中を治してやることくらいだろう?
俺が見る限り、お前、誰からもそうして欲しいと思われてもいないよな?」
僕はまた言葉に詰まった。今日何度目だ? 父と話している間ずっとこんなことを繰り返している気がする。サッカーやっててボールがずっと相手側にキープされてるような気分だ。
「それにな、あの能力はお前の期待するような便利機能じゃないぞ。一旦テロメアをいじり始めると、もう戻れなくなるんだ」
「父さんや、母さん、シャーロットさんみたいに?」
父の表情が曇った。何か痛いところでも突いたのだろうか。
「そうだ。俺が自分や母さんのテロメアをいじったんだ。今は違うけどな」
どういうことだ。意味がわからない。父にはまだ僕の知らない何かがあるというのか。
「テロメア操作は生き地獄への入り口だぞ。それが分っていないお前に俺が能力をインストールすることはない。しのぶでさえインストール時にその能力の獲得は避けたんだ。
お前がまともにものを考え、先を読み、お前の世界に責任を持てるまでインストールはナシだ。
というか、インストールは別に何かが出来たご褒美とかじゃないからな。そこ、勘違いするなよ」
僕は何かを言い返そうとしたが、何も出来なかった。この件については僕の持つ情報が少なすぎるのだ。
「もういいだろう。俺は忙しい。考えがまとまったらまた遊びに来い」
その一言と同時に、僕はしのぶの家の転送部屋に跳ばされてしまった。たまたま家にしのぶがいたので警備システムのお世話にならずに済んだけど、今後もこんなことがあるかと思うとちょっと怖い。
「あはは。父さんに跳ばされてきたの?」
「うん……まあ、そんなとこ」
「私もしょっちゅうだけど、初めてだとびっくりして落ち込むよね。おおよしよし、可哀想に」
しのぶがおどけて僕の頭を撫でるが、彼女が言うほど僕は落ち込んでいない。
父にやり込められた悔しさ、腹立たしさは無いわけではないが、僕は不思議にスッキリしていたのだ。僕に足りていなくて、父が僕に求めているものが分ったからかもしれない。
それはカネでも超能力でもなく、理性的に状況を分析し、先を読む思考なんだと思う。
そしてしのぶはその思考力を既に、父から合格点が貰えるレベルで身につけているということだ。
いったい、僕としのぶとの間にはどれほどの差があるのか。まずはそれを知りたい。
僕はしのぶに向きあわなくてはならない。そして聞かなければ。この怪物が、これまでどれほどの努力をして今の場所までたどり着いたのかを。
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一人になった影山は大地との会話の後、少し考え事をして、電話を手にとった。
「なんだ弟君か、電話なんて珍しいな」
「おいルーカス。弟君はやめろって言ったろ」
二十歳そこそこの外見の影山が、順当に年齢を重ねているルーカスに弟と呼ばれると周りの人間が混乱するのだ。
さすがに電話での会話で周囲を気にする必要はないが、この手の会話は二人の間でのお約束みたいなもので、本題に入る前に必ずやり合うことになっている。
「弟は弟だろ。僕の妹の伴侶なんだから。相変わらず歳とってないらしいな。で、どうしたんだい今日は」
「ああ、ちょっと話というか、頼みごとがあるんだ」
「はは。それは本当に珍しいな。君に恩を売れるチャンスなんて滅多にあるもんじゃない。いいよ、聞かせてよ」
それから小一時間、影山はルーカスと話し合った。時に笑いながら、時に真剣に。
その会話の様子が「悪魔同士が何かを企んでいる時のような顔だった」と、部屋の様子を外から見ていた亜希が述べると、影山はオフィスに備え付けてある鏡に近づき、顔の筋肉を丹念にほぐすのだった。
(*) et dicite=「告げる者」という意味




