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#025 こぼれ落ちる現実

「しかし、妙な事になっちまったな……」


 松下は研究室でマーガレットIIの動作ログを異常発見用のAIに叩き込みながら、どうして自分が見知らぬ男子高校生を羽交い締めにしてCTに叩き込まなければならなくなったのかを考えていた。


「しかも、権力者けんちじで金持ちのご子息(ボンボン)と来たもんだ。あああ最高に面倒くさい。誰か代わってくんねえかな。謝礼だけは俺がちゃんと貰っとくからよぅ」


「しゃあないですやん松下さん。偶然でもなんでも、本家が探してたもんを見つけてしもたん僕らですよって」


 早川の言うとおりだ。それにしても運がない―― 松下は我が身を振り返る。


 十数年前の北近畿震災で彼が内定を勝ち取った京都の会社が新卒採用を中止してしまったのがケチのつきはじめだった。就活を再開した松下がやっと内定をもらった会社はあろうことか反社のフロント企業だったのだ。多少のすったもんだはあったものの、なんだかんだで彼はそのまま会社に定着し、気がつけばはや十数年。今では彼自身が立派な反社会組織の一員だ。


 時折彼は考える。どこで道を間違ったのかと。もちろん答えは出ない。


「それにしても、クソガキの細胞サンプル一つでウン億ってのもすごい話だよなあ。いったいどんな秘密が詰まってんだ、あれには?」


 大地の髪の毛や微小片が入ったサンプル用の小袋はすでに発注側に送ってしまったが、松下もゲノム畑の人間だ。当然、その正体が気になっていた。いや、ならない方がおかしい。

 今まで松下が見たプルヴィーラのカタログの中で一番高い細胞サンプルの値段は800万ドルだった。米国ではすでに伝説となっている、セックスシンボル的女優の細胞だ。

 ところが、この市川大地とか言うどこからどう見ても無価値なクソガキの細胞片は本家ががっつりマージンを抜き取った後でさえ数百万ドルが報酬として支払われるという。

 科学者ならずともその価格の根拠に好奇心が湧くのは当然というものだろう。


「松下さん、変な気は起こさん方がええんとちゃいますか。いらんことに首突っ込んで死んでいくアホはこれ迄にもようさん見てきましたで」


「ああ、分かってる。立石のこともあるしな。あんな細胞片モノ、手元においておくだけで命が危ないってことだろ?」


「そうそう。僕らは市川家のご子息(ボンボン)の頭部CTに偶然異常を見つけてしもた善良な医療機関で、親切にもそれを本人を探し出して教えたる優しい市民なんですわ。それを聞かされてショックを受けてる坊ちゃまに、『ほな、もっかい検査しよか?』て言うてCTを撮る。そこにはたまたまプルヴィーラの人が検査技師として乗ってるっちゅうだけの話ですやん。後はいつか振り込まれる大金を楽しみに日常業務を粛々とこなしてたらそれでええんです」


「早川……お前なんか凄いな」


「あー、まあ、よう言われます」


「まあ俺も、お前の意見に賛成だ。例の依頼はサイドビジネスとしては破格なのに違いはないが、俺達にも本業ってやつがあるからな。出来ればさっさとそっちに戻りたいさ」


 松下達が備後地方を走らせている自動診断車両は、普段はDNAサンプルの採取と外見の写真を撮影することに重きをおいている。

 DNAと外見の組み合わせを教師データにすれば、今後はDNAを検査しただけで将来の外見が予測できるかもしれないし、昨今中韓で流行している人工天才デザインドの見た目だって整えられる可能性があると考えたからだ。

 そして実際、松下の勤めるバイオベンチャーは中韓そっち系VCから多く資金提供を受けていた。この技術には賛否両論はあるだろうが確実に需要はあるということだ。


 しかしそんなことを考え、実行する連中は畢竟ひっきょう、クローンを作るような連中と大差ない。そしてこの地方に限って言えば大差ないのではなくイコールで結ばれているのである。


「ほな、後はどないして市川大地ボンボンを丸め込むかですね。筋書きは今話した通りにしても、さりげない自然さとかは必要ですしねえ……」


「そういや、プルヴィーラの担当者ってのはいつここに来るんだ?」


「まだ連絡は来てませんけど……」


 松下は忌々しげにカレンダーに目をやった。まだ連絡が来ていないと言うならこの件はあと一週間くらいは片付かないだろう。その分、本業にも影響が出るのは確実だ。


「ああもう、他人のスケジュールに合わせるの苦手なんだよ俺は……」


 先程松下に「凄いな」と言われた早川だったが、早川にしてみれば松下のメンタルの方が余程凄いと思えた。立石が死んでまだ十日も経たないというのになぜこんなにも通常運転が出来ているのか。


 職場の、使われなくなった机の上に無造作に放置されている黒いネクタイを見て早川は考えるのを止めた。松下は自分が死んでもきっと同じ日々を送るだろう。


 そんな男の内面を理解しても、良いことは一つも無いに決まっているのだから。


◇◇◇◇◇


 僕は自室で一人、苦悩していた。悩みのタネは当然、真由美さんへの想いが消えない、この一点に尽きる。


 相手は人妻なのだ。若くて、可愛くて、話をすると楽しくて……でも人妻!


 16歳の僕にとって、人妻を寝取って逃避行というのは幾らなんでもハードルが高すぎる。真由美さん自身、結婚という形で納品された事に心理的な抵抗が無いわけでは無いだろうが、見たところその運命を受け入れているフシさえある。


 僕が焦って極端な行動を起こした後、実は全部僕の独り相撲だった、ということだけは避けなければならない。


「彼女にとって僕っていったい何なんだろう……」


 何度と無く考えるが、考えたって答えが出るわけじゃない。今までの会話を整理してみても、彼女が僕のことを好きで居てくれていると確信を持てるセリフは何処にもなかった。


 それとは別にはっきりしているのは、このままだと彼女は普通の人間よりは早く死んでしまうであろうことだ。彼女は僕に「力になってね」と言った。しかしそれは彼女を籠の中から連れ出せということではなく、どちらかと言うと残り寿命をなんとかしたいということなんだろう。


 おそらく父さんは例の能力ちからを使えば彼女の命を永らえさせることは出来る。というか、父さん何でも出来るんじゃないか? なんかどんどんそんな気がしてきた……。

 そしておそらくシャーロットさんもだ。同じ能力を持っていると母に聞いたことがあるような無いような。

 

「しかし……もし真由美さんが、うちの父や母の事を知ったらどうなるんだろうか?」


 目の前の救世主に涙を流して感謝するだろうか。それとも「自分一人だけ助かるのは……」なんて言い出すんだろうか?




 駄目だ。この手のことを考えるには、僕はあまりに人生経験が足りなさ過ぎる。




★★★★★


「で、母さんのところに来たってわけ?」


「そうなのよ。なんだか大地君、思いつめちゃってるみたいでさあ……あの子、大丈夫かしら? 帰る時フラフラしてたけど、車で送っていったほうが良かったかな?」


「最近は確かに、学校や電車で会っても心ここにあらずって感じよ」


「どうしたものかなあ……。とりあえず考えさせてって言って帰ってもらったけど、あの顔はこちらに相当期待してる顔だったわ。うーん困ったなあ……」


 テロメアを操作・修復する能力がシャーロットにはある。だが樋口真由美はすでに福山市民病院の笹本医師の患者だ。シャーロットが何かしらの方法で彼女に処置を加えたとして、いきなり彼女のテロメアが長くなったことの説明がきちんとつかない限り、彼女の理由なき快癒は現代の怪異として別の場所から火の手が上がる恐れすらある。


 つまるところ、シャーロットとって本件は可能な限り近寄らない方がいい案件なのだ。


 だが、真由美の治療が可能かどうか自分に聞いてきた大地の真剣な顔、その切羽詰まった表情を思い出すと放っておくのは心情的に難しい。そのまま何もせずに真由美が死ぬと、自分と大地との間には一生ものの禍根が残ることは想像に難くないからだ。


「うん。勝手に面倒事を拾ってきて勝手にテンパって、なんとかしてくれって母さんに泣きついて来て自分じゃ何もしないで期待だけしてるバカな男子高校生のために、私達が悩むのは筋違いよ」


 シャーロットが頭を抱えていると、急にしのぶが立ち上がってテーブルをぱん!と叩いた。その顔は、やや怒っているようにも見える。


「何か良いアイデアでも出たの?」


「うん」


「どんなアイデア?」


「つまり、カエサルのものはカエサルに返すのよ」


「どういうこと? 母さん全然わかんないわよ」


「子供をしつけるのは親の役目、そう思わない?」


「あ、なるほど」


 シャーロットの顔がぱあっと明るくなった。柄にもなく本当に悩んでいたらしい。


 しのぶはシャーロットのことを、全てにおいてハイスペックで何でもそつなくこなしてしまうスーパーマザーだと考えていたわけではない。しかしここまで悩む母を見たのは娘のしのぶにとっても久しぶりなのだ。


 そこまで母を悩ませた大地をしのぶが少しばかり疎ましく思うのも無理は無い。


 そもそも、しのぶは常々考えていたのだ―― 大地は自助努力というものをもう少し重視した方が良い。状況が高速で変化するとすぐにキャッチアップすることを諦めて後で優しい誰かにダイジェストで教えてもらおうとする元々の図々しい性格が、ここに来て悪化しているようにさえ見える。

 頼もしすぎる親や親類が居て、自分が序列的に最下位だとここまで他人に対する依存心が強くなってしまうものなのだろうか。いや、そんな事は無いはずだ。


 とりあえず志摩の合宿では泣き言は言ったけど逃げ出しはしなかったと言うから、大地も基本スペックは高い筈だ。であれば、一度誰からも見放され父親からド叱られても、そこから這い上がって来るくらいは出来るだろう。


 なに、あの父のことだ。なんだかんだ言って最後はそれなりの着地点を用意してくれるに違いない ――。


「どうしたの、しのぶ? なんか悪いこと考えてる顔よ、それ」


「あ、いや、なんでもないよ。そう言えば、他のクローン疑惑の患者さん、あれからどう?」


「あ、うん。しのぶの言うとおりにしたら数は減ったわ。効果てきめんよ」


 どうして自分の病院にクローンが押し寄せているのか。自分が日本の古い芸能人に疎いからか―― そう考えたシャーロットはクローン疑惑のある患者を診る際に「あの芸能人の若い頃に、お顔がそっくりですね」と言うようにしてみたのだ。

 他にも、病院の待合室にしのぶが買ってきた昔の芸能雑誌を置いてみたりといった細々とした努力を続けると、クローンと疑わしき患者の来院が日に日に減っていった。


 代わりに、診察が終わっても雑誌にかじりついて離れない年配の患者が数名増えたのはご愛嬌というところか。


「じゃ、今晩にでもお父さんのところに相談に行くから、先に寝てて」


「はーい」


◇◇◇◇◇


「どうして駄目なんだよ! シャーロットさんも、父さんも! たった一人だよ? たった一人、救って欲しいって言ってるだけじゃないか!」


 シャーロットさんに相談してから数日後。真由美さんの乗った自動診療車が僕の通う高校の近くを巡回するのはあと3日しかない。なのにシャーロットさんが動く様子が無いのを感じ取った僕は東京へ出向いた。父に相談するためだ。


 しかし、父から帰ってきたのは氷よりも冷たい言葉だった。


「失せろ。その真由美とかいう女の命がどうなろうが俺の知ったことか」

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