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#024 結婚と納品

「け、結婚って? 樋口さん、まだ17,8歳でしょ?」


 自分の完全な勝利を信じて疑わなかった僕が、実は勝利どころか勝負の場にも立てていなかったことへのショックは殊更ことさら大きかった。

 メンタル強化機能の発動はどうなっているのか。どうしてこんなに喉が渇くのか。いや、声が震えてる。震えてるぞ僕!


「早い、って言いたいの?」


 そう言った樋口さんの目は悲しそうな色をしていた。


「え……うん。まあ、今の日本の平均的な婚姻年齢の倍近くは早いような気がする」


 付き合ってた彼氏が早いとこ囲い込んでしまおうとしたのだろうか。なにせこの可愛さだ。違う学校とかに通うことになったらすぐ悪い虫がつくだろうしな。


 その悪い虫って、今この場では完全に僕のことじゃないか。くそっ。


「その……旦那さんとは大恋愛の末、将来を誓い合ったとか?」


 いったい何を聞いてるんだ僕は。ヘラヘラして樋口さんと会話を続けていたら「ウソだよ~ん」とか言ってもらえるとでも思っているのか? 彼女の発言の中に矛盾でも見つけて、実は別の理由で僕を遠ざけようとしてるとかそういうふうに持っていきたいのか?


 うん……たぶんそうだ。僕は彼女に、何かしら「既婚」以外の理由でデートを断ってほしいんだ。


「いえ……旦那ダンナは40をとうに過ぎたおっさんよ。恋愛感情は無いわ」


「もしかして、何かの理由で無理やり結婚させられたのか?」


「無理やりかあ……そう、言えなくもないわね」


 よし、少なくとも愛し合って結婚したわけではなさそうだ。もし、彼女が望まぬ結婚を誰かに強いられているのだとしたら、それを解消するために動くのは彼女のためになるし、僕のためにもなる。たぶんそう。きっとそうだ。


「聞かせてくれないか。君がその、40過ぎた人と結婚に至った理由ってやつを」


 僕は、この一年で一番真面目な顔をした。しかし、樋口さんにとって僕は自分の職場の周りをコソコソ歩き回って声をかけてもらえるのを待っている卑屈な野良犬みたいな存在だ。

 そんな僕に事情を話したところで何が出来るというのかとでも言いたそうに、樋口さんの顔はさっきにもまして冷ややかになり、諦めと、侮蔑の色までもが浮かんできたように見えた。


「大地君、私の事情を話すことで私に何か良いことがあるの?」


「カネや、多少の揉め事あたりのことならなんとかなるかもしれない」


 もし、親の借金の肩代わりに無理やり結婚させられたとかそんな理由なら、僕は彼女をどうにかしてやれるかもしれない。全く根拠も手立てもないけれど、こんな時だけは異様に頼もしい実父や実母がいる。カネならしのぶに頼めば借りれないこともないだろうし。


 樋口さんは僕の返答を聞いて「おや?」という顔をした。まあ、そうだろう。うちのクラスの誰一人として「カネや多少の揉め事ならなんとかなる」なんて真顔でファーストネームも知らない他人に言うやつは居ない。


「お金持ちなんだ?」


「僕じゃなくて親がね。県知事をやっているから、違法な犯罪に巻き込まれているなら持って行き方次第でなんとかなるかもしれない」


 もちろん、カネも権力も養父母に頼る気は全く無いのだが、この場限定で名前くらいは使っても良いだろう。


「私が抱えているトラブルはどっちかというとお金じゃないわね。もっと闇が深いものよ」


「偶然だね。僕もこの夏休みの前半に、その闇に片足を突っ込んできたところなんだよ」


 樋口さんはしょうがないな、という顔をした。何を言っても一歩も引かない僕を相手にこれ以上はぐらかしても仕事の邪魔にしかならないと思ったのだろうか。


「判った。話すわ。その代わりちゃんと私の力になってね?」


「うん」


 彼女は一度、首をすくめて「お手上げ」のポーズをしたあと、真剣な顔で話し始めた。


「今のダンナとの結婚は、私が生まれた時から決まっていたのよ」

 

「生まれた時から? 何か、親同士が決めた許嫁いいなずけとかそういうやつ?」


「さすがに21世紀も真ん中にさしかかろうかって時にそれは無いわ」


「じゃ、どういうこと?」


「ここからが闇本番だけど、聞く気ある?」


 僕は反射的に首を縦に振った。知ってる。多分、後で思い返してもう少し他の選択肢はなかったのかと悩むケースだ。しかし、ここは「聞く」の一手だろう。せっかく相手が話す気になってるんだしな。


「私、樋口真由美は、その旦那の注文で17年前に作られたクローン人間……らしいのよ」


「クローン?」


 ようやく落ち着きを取り戻した僕の精神はまた激しく揺さぶられることになったが、例のメンタル強化のおかげで今はさほどでもない。うん。よく考えたらようやくファーストネーム教えてもらえたような気がする。


「順序立てて話すわね。まずは旦那のこと。

 旦那は世間的にはかなり成功している非上場企業のオーナー一族の三男坊でね。そこそこの学歴はあるけどその知能を全部趣味に投入してる趣味人なの。家業を継ぐこともせず、安定した不労所得を雪だるま式に増やして、それを趣味に投じてるわ」


 む。うらやましい……って、そんな場合じゃないか。


「その、趣味ってのが闇の源泉?」


「源泉といえば源泉かもね……。よくあることよ。行き過ぎた趣味は時に法律の枠を飛び越えるの。金持ちならより顕著にね。その結果が私ってわけ」


 つまりこういうことらしい。真由美さんの旦那って人は重度のアイドルオタクなんだそうだ。ある日その旦那はアイドルのクローンを作ってくれるという怪しげなサービスに手を出し、そのサービスによって作成されたのが真由美さんだった。

 真由美さんにとって法的に結婚が許される16歳になればその旦那のところに「納品」されるのは規定事項で、そこは小さい頃からの教育や刷り込みもあり、メディアの振りまく薄っぺらい恋愛至上主義の考え方を聞いたくらいではどうにもならなかったということだ。


 ちなみに彼女の戸籍は、このサービス事業者に雇われている養父母が、とても人に言えないような手段で取得したらしい。


「となるとオリジナルは久川ゆき……か?」


「! 知っているの?」


 うっかり口から出た名前に、真由美さんは機敏に反応した。


「偶然だよ。親戚の子が古書街で買った昔の雑誌に、樋口さんそっくりの写真があったってだけだ」


「もう隠すこともないから言うけど、私もその人が私のオリジナルだと思う。中学に上がった頃から近所のお年寄りからさんざん言われたもの。図書室で動画検索もしてみたけど、間違いないと思うわ」


「それにしても、17年前のトップアイドルのクローンを作らなかったのはなんでだろうね?」


「あまりにも有名な人のクローンを作ると、いろいろと面倒なんでしょうね 」


 「納品」された後の生活について僕はあまり聞かなかった。彼女も話そうとはしなかったが、相当にエグい毎日が続いたのは間違いないだろう。

 それでも彼女の目にはまだ光が宿っているし、彼女には厳然としたプライドがあるのは僕にも解る。彼女はクローンなのかもしれないが、それ以上にれっきとした()()だ。


「それでね、私のようなクローンは長くは生きられないみたいなの。実際、あちこちが急に悪くなってきてるのよ。ご存知のように、毎週の病院通いは欠かせないくらいにね」


 生命科学の限界か、それとも意図的なものか。真由美さんを作り出した犯罪組織にとっては真由美さんが長く生きればそれだけリスクが高まるのは確かだろう。

 もしかすると、真由美さんの身体には時限爆弾のようなものが埋め込まれていて、今まさに、次々とそれらが爆発している状態なのではあるまいか。


―― このままだと、真由美さん、死んじゃうんじゃないか?


「自分がクローンだって確信したのは?」


「うん。私も見た目ほど馬鹿じゃないからね。お医者様の言うことを聞いて、先生の説明を聞いた後に調べ物をするくらいのことはするのよ。いくら旦那が情報端末を私に渡さなくても、私が仕事帰りに電気屋に行くことは止められないでしょ? 電気屋に何度か行くだけで結構確信が持てたわ」


 確かに、アイドルがいくらバカっぽく見える事があったとしてもそれは芸能活動のために学科教育方面の知識のインプットが少ないだけであって、知能そのものは相当高いのではないか。というか、そうでないとあの業界では生き残れないだろう。

 渡された台本を数日で覚え、振り付けを短期間で覚え、自分の声帯と身体を制御する傍ら、他人の顔を覚え、能力を覚え、序列を覚えて生きていくのだ。わずか1,2度の相手の自己紹介だけを根拠に。


 うん。根性だけで乗り切れるフィールドじゃないな。


 実際、自分のことを話し始めた彼女は恐ろしく理知的に見える。これまでの、話すだけで心が浮き立つような17歳の女の子の話し方はすっかり鳴りを潜め、ウチの学年上位の女子でもとても敵わないような論理立った話し方になっているのだ。

 

「ところで樋口さん、パソコン苦手って言ってなかったっけ?」


「そう言っておいたほうが便利なケースがほとんどなのよ。私の知る限り、芸能人で『パソコン得意です』って言ってる人があまりいないのはきっとそういう理由わけなんだと思うわ」


 その後、真由美さんは堰を切ったように色々なことを僕に話してくれた。


 その中には興味深い話もあった。真由美さんと似たような境遇の人がネット上で寄り集まって、いつしか根拠のない噂話にすがるようになっていったことなんかは聞いていて隠れキリシタンの話に似ているなと思ったりもした。


「この世のどこかに、全然老いない人たちが居るんだって。そんな人達なら、私達でも長く生きられるようにしてくれるのかな」


 ……心当たりがある我が身がちょっと恨めしい。


「大地君、あなた、こんな突拍子もない話信じてくれるって言うの? 私、てっきりドン引きされて危ない女認定されると思ってたのに」


「どうして? 疑う理由がないよ。クローンみたいな特殊な事情がなければ、他の特殊な状況の説明がつかないじゃないか。16歳で結婚することもそうだけど、それを『納品』って言わないだろ、普通」


 そんな特殊な境遇にあっても人間を辞めていない真由美さんに、僕は心の底からの敬意を抱かずにはいられない。


 さて……この話はどこにどうやって持っていけば良いのだろう。大見得を切った手前、何もしないわけにはいかないしな。

 何より、僕自身がこの状況をなんとかしたいと思ってやまないのだ。



★★★★★


「いようお疲れさん、疲れてるとこ悪いんだがちょっとミーティングルームの方まで来てくれ。部屋は110Bを取ってある。着替えてからでいいからさ」


 福山から帰ってきたCT撮影・自動診断車両を駐車場まで出てきて出迎えた松下と早川は、降りてきた樋口真由美にねぎらいの声をかけた。


「どうしたんだろう松下さん、いつもと様子が違うな?」


 真由美は胡散臭いなと感じたが、松下の言うことを無視するわけにも行かない。

 取り合えずは言われたように着替えて松下の言う待つミーティングルームに向かうしかないだろう。

 部屋に入ると、松下と早川は既に着席しており、テーブルの上には大地の顔写真がプリントアウトされて置かれていた。


「真由美ちゃん、この男の子知ってる? 最近巡回してもらってる附属高の生徒みたいなんだけどさ」


 知っているも何も、今日もさんざんグダ話をしてきた相手だ。だが、松下達が何を意図しているのかが判らない。真由美は咄嗟に腹をくくった。ここはとりあえず、大地のことはどこにでも居る受診者という体で話した方が良いだろう。


「ええ、2週間近く前に撮影した方だと思います。どうしましたか?」


「この子、検診当日の診断と打って変わって脳に重篤な腫瘍があるみたいなんだ。早いうちに本人に知らせてやらないと命を落とす危険性がある。なんとかして連絡を取りたいんだよ。彼について何か覚えてること無い?」


「え……?」


 松下の唐突な話に真由美は混乱した。以前大地をCT撮影した時に渡した診断結果は「胃に軽いびらん性の炎症を認む。ストレスマネジメントを要する」だった筈だ。

 

「AIが診断結果を出すには症例が少な過ぎたんだよ。今日、大学の方に問い合わせていた結果がやっと帰って来たと思ったら結構大変な症状みたいでさ」


 もちろんこれは松下の大嘘だ。この写真の主をひっ捕まえてプルヴィーラの担当者の前でもう一度CTに放り込めば莫大な報酬が手に入る、ただそれだけだが関係者は少なければ少ないほど良い。

 これに関しては知った方も危険なのだ。事実、立石は既にこの世から強制退場を食らっているのだから。

 立石がどこまで喋らされて殺されたのか、松下にも早川にも判らない。誰が立石を殺したのかもまだ判らないままだ。

 そんな危険な渦中にバイトの真由美を叩き込むわけにはいかない。何より、バイトとはいえ上客から預かっている大事な人間だ。用意された死の瞬間までは大事に扱わなければならない。


 そんな思惑を知らない真由美は、松下の嘘に完璧に騙されていた。


 このままだと大地が死んでしまう。多少、憎からず思うほどには心を通わせた相手でもあり、初めて出来た年頃の男性の友人が。自分を救えるかもと精一杯虚勢を張ったチワワのような彼の真っ直ぐな目が永遠に閉じる日が来る――?


 嫌だ。それは嫌だ。


 真由美の中での長い長い逡巡は実際は数秒にもならない間の出来事だった。


「名前は確か、市川大地さん。家は確か岡山で、実家は県知事をしていると聞きました」


 彼女にとって、松下も早川も、大地を救うべく本人を探そうとしているお節介でお人好しの連中なのだ。ならば、隠すことなど何もない。早く彼に連絡してもらって、そして彼には適切な治療を受けてもらいたい。真由美は疑いなくそう思っていた。


 悲しいかな、人間どれだけ知能が高くても、入ってくる情報がおかしければ最適解はまず出てこない。これはその一例に過ぎないが。


「ナイスだ真由美ちゃん! えらく詳しく聞いてたんだな! さっそくご実家に連絡を取ってみよう」


「たまたまです。たまたま。こちらから受診をお願いした時にいろいろと、ね。後ろもつかえてませんでしたので」


 ナイスと言われて照れる真由美。だがそのはにかんだ笑顔も次の早川の一言でかき消えた。


「あれ、県知事の市川ってあの、『老いない市川』の実家とちゃいますのん?」


「あの財界美魔女三羽烏の市川亜希の縁者ってことか?」


 この時代の日本で、ベンチャーを興して投資家からの投資を募った事のある人間にとって影山物産は一度は出資交渉を持ちかけられてみたいVC※だ。彼等が亜希の名前や評判を知っていた事には何の不思議もない。


「ええ、あれの甥っ子かなんかとちゃいますかね。ちゅうことは、この大地君とやらも歳とらへんのかいな?」


 この情報で松下と早川の脳内で、細胞片サンプルの満たすべき条件「大成功を収めたもの」のチェックボックスに✔が記された。

 一方、真由美は降って湧いたような状況に思考が激しく加速し、困惑が止まらない。


「大地君が……?」

・※VC ベンチャーキャピタルのこと。ベンチャー企業に投資をして、上場してからがっぽり稼ぐ業種。ハイリスクハイリターン。基本的に技術と経営の両面が判っていればローリスクだが先端技術分野ではそもそも最先端をキャッチアップすることは無理と諦めてギャンブルに走るVCは多い

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