#022 這い寄る混沌
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米国・ニューオーリンズ。ミシシッピ川沿いの古風なホテルのスイートルームで影山はアントニオと会っていた。
言語や国籍が違っても妙にウマの合う人間というのはいるものだ。影山にとってアントニオはまさにそういう存在だった。
「わざわざ来てもらって悪かった。電話じゃなかなか話せない話なんでな……しかし、本当にお前さんは歳を取らないんだな……それもタカコの力の為せる技ってことなのか?」
アントニオは、オスロでの体験を経てなお、影山達の周りに起こる不思議なことは全て貴子に起因していると思っている。面倒なので影山はそれをずっと訂正してこなかった。それで誰も困ることがない以上、これからもそうするつもりだ。
「まあ、たまには要塞みたいなオフィスを出てくるのもやぶさかじゃない。何よりエシュロンやPRISMに量子コンピュータがサブシステムとして導入されてからというもの、電気的な通信手段は全部盗聴されていると考えないといけないからな」
「違いない。うちの通信担当もこぼしてたぞ。暗号通信がほとんど意味をなさないってな」
この時代、米国を経由する通信は暗号化されていようがいまいが全て傍受解読され、ある程度自動的に分類までされてしまう有様だ。そして解読が困難な暗号方式は米国政府が政治的な介入をして、国家安全の名の下に規格や実装をなかったことにしてしまう。
数年前、最も安全な通信手段は狼煙と手旗信号で、次が伝書鳩だとIEEEが抗議的に声明を出したのは記憶に新しいところだ。
「そのうち何かこなれた通信手段を考えるさ。ところで、俺を呼び出したのはやはりアレ絡みか?」
「お察しのとおりだ。クロンダイクだがな……どうやら連中はお前さんを相当警戒してるらしい。掘り返すにしても自分達で重機を持ち出したり土木業者を雇ったり、そういう分かりやすい手段をとっていないようだぞ」
「おいおい。じゃ、どうやって掘り返してるんだ?」
アントニオはワイングラスを取り出し、影山の鼻先に差し出してみたが影山は右手を軽く上げて首を振った。
「オーパス・ワンの25年だぞ。これを断るのはお前さんくらいだ」
「すまん、酒はな。察してくれ」
アントニオは「ああそうか」という顔をした後、年代物のワインをつまらなそうに一人であおり、ふーっと息をついた。
「連中、西海岸の小規模なシェールガス採掘業者を焚きつけたようだな。試掘という形でドリルでほじくり返して、途中出てきたものをうまくかっさらってるらしい。試掘の連中にとっちゃ、遺構から出てくるアレコレはゴミでしかないからな」
「ゴミの回収を装って埋まってた物を持ち去っているわけか……。かなり知恵が回る奴が居るんだな」
「まあ、研究者とかいう人種にしては良くやっている方だ。必要なら情報を回すが」
「よろしく頼む。すまんな。大組織の首領に探偵の真似事をさせてしまって」
「そいつぁいいっこなしだ。ああ、それからこれはサービスなんだが、どうも最近、北欧のあたりがきな臭いぞ」
アントニオの顔に真剣味が増した。サービスという割にはこちらが本命らしい。
「北欧? なんだ?」
「例の保管庫の連中がな、世界中のバイオ系アングラ組織へ大々的に細胞サンプルの採取を呼びかけてるんだ。『ここ1世紀ばかりの世界各地の独裁者、虐殺者、成功者本人または子孫のうち、小脳に異常のあった者』というの変わり種の条件でな。高額の懸賞金までつけてやがる」
「あいつらか……しかしまた恐ろしく狭い条件だな。それで動く奴がいるのか?」
「カネがかかりゃあ何だってする奴は一定数いるさ。それに今回は保管庫の連中、かなり本気らしい。懸賞金だけでなく、相当気合を入れてあちこちの組織のケツを蹴っ飛ばして回ってるようだ」
「細胞サンプル……というとアレだが要するに遺伝子が目的なわけだよな」
羊飼いの知恵袋とは別口なのか、それとも火元は同じなのか? 遺伝子を巡る新たなプレイヤーの登場は影山を少なからず不安にさせた。
複数の組織がそれぞれの思惑で動き、そして大本の事情など知りもしない末端組織がはっちゃけたらと思うと……考えただけでも恐ろしい。
「なにせ賞金が賞金だ。北米でも目の色を変えて探し回ってる連中がいる。うかつに街を歩くと簀巻きにされてCTに突っ込まれるかもしれんから気をつけろよ。お前さんも一代で大成功した一人なんだからな」
自分や貴子の細胞サンプルが名指しでターゲットにされているわけではない。その事実だけでも影山の緊張は少し緩んだ。
失脚した独裁者やその縁者が米国を頼って亡命するというのはよくあるシナリオだ。北米で条件に該当する人間を探すのは方針としておそらく正しい。影山としては、非合法のバイオ屋達が自分より先に亡命筋を嗅ぎつけてほしいと願うばかりだ。
「それを言うならシプリアーノ直系のお前が一番ヤバいんじゃないのか? 小脳云々がお前の爺さんが持っていた不思議な力の源だとでも思われてるんならお前もかなり危険だろ?」
「なに、俺にはタカコや爺さんみたいな不思議な力はないからな。ホテルでも遠慮なく風呂に入るしクソだってしてるさ。なんなら連中の目の前でCTに頭を突っ込んでやってもいいぞ。ハハハ」
酒が回っているのかいないのか、アントニオは深刻な顔をした影山と対照的に必要以上と思えるくらいに陽気に振る舞っている。彼なりの気遣いなのだろう。もしかしたら彼は既に、影山もまた能力者であることに気づいているのかも知れない。
「わかった。貴子さんにも気を付けるように言っておくよ。アントニオ、お前も身辺には気をつけろよ」
影山はアントニオの酒の肴のサラミとチーズをぽいと口に放り込むと、ドア脇に立っているチータに軽く挨拶をして部屋を出ていった。
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「ん? 誰か来てるのか?」
ニューオーリンズから戻った影山は、自室の応接ソファに誰かが座っているのを見つけた。この部屋に許可なく入れる人間は限られているから警戒する必要はない。
大抵の場合、警戒すべきは誰が入ってきたかよりも、どんな事案を持って来たかの方だ。
そして今日、その事案を持ってきたのはしのぶだった。
「あ、父さん」
「一人か。今日は学校休んだのか?」
「いや、今は休み時間だよ。ちょっと抜けてきた」
「抜けてきたってお前……?」
影山が訝しんだのは当然だ。しのぶにテレポート能力は無いといって差し支えない。GWの合宿中1,2度なら成功したことがあったが、空間情報エディタのインストール後は何をどうやってもテレポートは発動しなかったのだ。なのに、平然と学校の休み時間に東京に来ているというのは一体どういうことなのか。
「これだよ」
しのぶが手にしていたのはアケビだった。
「おお、何か判ったのか!?」
影山は驚愕した。自分がアケビを何年持ち続けていても便利な翻訳機にしかならなかったのに、高校2年生に手渡すとわずか数ヶ月で効果的な使い方を見つけたというのだから、驚かない方がおかしい。
「父さん、これはね、プログラムなんだよ。回路とか素子とかバッテリーとか、そういうものでは出来てないんだ」
「何だって?」
「ゲームの世界で、誰が造ったかも判らない伝説の剣が最強なのは剣の構成素材や鍛冶屋の腕が良いからじゃないよね? そうプログラムされたアイテムだからだよ。アケビも同じ。ここにこうして存在するアケビは、シミュレーションシステムに最初から組み込まれているクラスのインスタンスなんだ」
しのぶの言葉の端々に田辺の知見が見え隠れしているのを影山は見逃さなかった。
「つまり、アケビは物理シミュレーション上で動くオブジェクトではなく、ただシステム上で動く別の存在というわけか。だが、それがお前のテレポートとどう関係するんだ?」
「翻訳機能を使う上で、アケビは利用者の知識量や真意を推し量って動作するよね?」
なるほど。確かにアケビには利用者の意図を先回りして取得する機能があった。言ってみれば忖度機能だ。しのぶはアケビが持ち主の意図をどこまで忖度するのか試してみたというわけか。
影山はしのぶのその、柔軟な発想にただひたすら感心していた。
「なので、身体知とは行かないまでも自分で座標を意識してディゾルブをコールしたいと思うと後はアケビが良いように動いてくれたわけ。全くの偶然だけど、再現性はあるよ」
「そんな方法が……全く目から鱗だな。で、アケビのプログラムコード自体は取り出せそうなのか?」
「おそらくは。多分アケビには何らか、正しい接触の手順があると思う。それが判明すれば出来ると思うよ。どうやっていいか今は全く想像つかないけど」
「22番に ssh で入れってのか?」
「あはは、少なくとも二段階認証くらいのセキュリティは必要じゃないかなあ……
父さんの望みは、例えばロボットによる24時間監視みたいに人間やその脳を介在しなくてもコンピュータなんかがアケビを通して世界システムへアクセスできたらってことなんでしょう?」
「ま、そういうことだな」
多方面への影響を考えると、たとえ動作原理が判明したとしてもアケビを量産するわけにはいかない。しかしアケビの、世界へのアクセス方法がなんらかの自動化手段と連動できればかなり便利になる筈だ。
「む。コードの実行環境の多様化と多層化が世界の情報層を分厚くし、その不可視分野が次元を構成して……?」
知的好奇心と論理的思考を双方刺激する新情報がこれほど大量に出てきたのは影山にとっても久しぶりの出来事だった。
「あ、ひらめいた。よし、しのぶ。お前もうしばらくアケビ使ってデータ取ってろ。俺はまたちょっと開発の方に行ってくる」
影山の現在の主担当業務は企業経営の他に、上位存在から託された新たな世界シミュレータの構築がある。一刻も早く世界シミュレータを完成させるのが自身の現在の至上命題だと影山本人は思っていた。
そのため、世界シミュレータ構築のための僅かなヒントでも見つかれば、開発室に何日も籠もり徹底的に議論と検証をするような生活がずっと続いている。それが影山の日常であり、一旦そのモードに入るとなかなか帰って来れないのは彼自身も自覚していた。
影山は開発室へ続く廊下を足早に歩き、しのぶはその後を追う。すでに新しい発想に半分心を奪われながらも影山はしのぶに声をかけた。
「で、大地の方はどうだ。いくらかは能力を取り戻したのか?」
「いやあ……全然みたい。大河はどうなの?」
「あいつはもともと、能力に興味は無いみたいだな。そんなこともあったかなーくらいの感じで飄々としているぞ」
「同じ兄弟でもここまで違うもんかねえ」
「おい、一応お前だって姉弟なんだぞ?」
「あ、そうか。そういえば父さん、きょうだいって言えばさ……」
しのぶは何かを言いかけたが、影山の心がもうここに無いことを悟り、それ以上何か言うのを止めた。
「おっと、昼休みが終わっちゃう」
しのぶは女子トイレに駆け込み、アケビを取り出した。アケビはいつもと変わらず鈍く光っている。
「コール・ディゾルブ」
次の瞬間、声だけを残してしのぶの姿は個室からかき消えた。
◇◇◇◇◇
「結局、胸のプレートにあった名字がわかっただけか。ヘタレめ」
「うるさい。それは僕が一番良く解ってるんだよ」
「ウジウジするのは大概にしておけよ。毎日検査を受けもしないのに車の周りでウロウロしてるとそのうち通報されるぞ」
例の彼女をやっと見つけたというのに、その後の僕は彼女に話しかけることすらまだ出来ていなかった。僕に出来ることと言えば移動検診車の近くを毎日ウロウロすることくらいだ。
それを知ったコンピュータ部の連中はこぞって僕をヘタレとこき下ろした。
「うう……言い返せない自分が辛い」
それにしても、最近の内海の僕への忠告は「ストーカーになるなよ」と言うものばかりだ。僕はそんなにストーカー気質に見えるのだろうか。
「で、今日も行くのか? 彼女を遠くから見るためだけに」
「分からん」
「行かない、とスッパリ言わないところを見ると、行くんだな」
「お前らについて来いとは言わないから安心しろ」
「お前に言われなくても行かん。俺達には何の利もないからな」
そう、彼等は来ない。最初の数日こそ謝礼やアイス目当てに列を成した我が校の欠食児童達だったが、2個めのアイスは半年あけないと貰えないらしいのだ。
実際2週間もしないうちに、移動検診車の周りで列をなす浅ましい学生達の姿はなくなっていた。
実のところ僕は毎日このたこ焼き屋の駐車場に通っている。検診を受けると母に何を言われるか分からないから踏みとどまってはいるが、なんとかして彼女と話の一つもしてみたいのだ。
だが自他共に認めるヘタレの僕にそんな勇気がある筈もない。
ガタコン!
僕は今日もたこ焼き屋の駐車場に置かれた自販機に、何枚かの硬貨をお賽銭として献上した。ジュースを買って飲み干すまでの僅かな時間、遠目に彼女を見るのが僕の今の楽しみなのだ。
「あの~最近、毎日お見掛けしますけど、もしかして健康に不安がおありですか?」
「わっ!」
自販機の影でジュースをちびちび飲む僕の背後から、彼女がいきなり声をかけてきた。今日は姿が見えないと思っていたら、どこかでトイレでも借りていたらしい。
「先月、市民病院へのバスを案内してくれた方ですよね? この学校だってことは聞いてましたし、また会えるかなとは思ってたんですが、まさか毎日ここに来てるなんて……」
う。我ながらキモかったかな。
「はは。ここ、学校から帰る通り道なんで。今、話をしてていいの?」
もちろん嘘八百だ。
「もう、だいぶ検査希望者も減ったみたいで、今は休憩中なんです」
彼女も自販機からミネラルウォーターを買って口をつけていた。落ち着け僕。これは千載一遇のチャンスだ。内海達も居ない。今こそヘタレの称号を返上する時が来たのだ。
わずか30秒ほど、無言の時間が僕と彼女の間に流れると、僕は不思議と落ち着きを取り戻していた。ビバ!メンタル強化。
「便利ですよね。検診希望者の来る頻度をAIが予測して効率的に休息を取れるんですよ。次に希望者が来るのは12分後、だそうです」
「あの検診車で働いてるの?」
「ええ、ご存知なんでしょ?」
彼女が検診車に目をやると、受付に座っている女性型ロボットが軽く会釈した。ビッディ・ペッソン社の人型汎用二足歩行ロボット、マーガレットIIだ。単純作業や接客が得意で、義父の選挙事務所にも2体ほどあるらしい。
「あそこにいるの、ロボットだろ。君みたいな病人がこんな炎天下に頑張らなくても、ロボットだけでなんとかなんないのかな?」
「医療業務に限って言えば、そういうわけにはいきませんよ。ロボットに『お大事に』って言われてもなあって思いません? そこは私みたいなポンコツでも人間じゃなくちゃダメなんです」
医療系業務の対人間インターフェースがロボットでも人は安心して治療を受けられるか、という命題は昭和に大人気を博した無免許医が活躍する漫画でも取り扱ってたな。あの話ってどうなったんだっけ。
「ポンコツって……そういえば市民病院に行ったんだよね。言ってた先生には診てもらえたの?」
「ええ、紹介状持っていったらちゃんと診てもらえたわ」
「そうか。良くなると良いね」
それを聞いた彼女はふっと寂し気な表情を顔に浮かべたが、すぐに作り笑顔に戻ってしまった。僕に気づかれたくなかったと考えるのはやや飛ばし過ぎか。
話題にしてはいけないと解ってはいるが彼女の病気が気になってしまう。しかし、そこは踏み込んでもお互い暗くなるだけだ。話を変えねば。
「ふうん。樋口さんって言うんだ」
「え? あ、これ、ネームプレートですね。そうです。樋口っていいます」
フルネームはまだ教えてくれないか……。
「僕は市川大地。春に岡山に引っ越してきたばかりなんだ」
「ああ、それでこっちの言葉じゃないのね。で、その市川君はうちの検診は受けないの? お友達はみんな受診してアイスクリームを食べてたよ?
何かを警戒してるなら心配ご無用だよ。この検診、名前を書く必要すら無くて、身体に何かおかしいところがあればその場で検診結果出るからやっていかない?」
「血を抜いたりはしないの? 僕は痛いの駄目なんだけど」
「ううん。CTを撮るだけよ。一応、何度も検診に来る人を判別するために顔写真だけ記録させてもらうけど」
「そうか。それならいいかな……」
母に避けろと言われたのは血液検査や検便などだ。CTを取られるくらいならいいんじゃないだろうか。
「マーガレット、検査の用意をお願い」
「わかりました」
マーガレットIIはCTの台に真新しいシーツをてきぱきとセットして僕を迎えた。検診希望者の不快感を減らす工夫なのだろうか。実際、こんな暑い日なんか、前の検診希望者の汗が台にべっとりついていたら嫌だものな。
「うん。ぴったり12分だわ。さあ市川君、ここに寝て頂戴! 」
いや樋口さん、それは予測って言うよりノルマなんじゃ?
「大丈夫! 天井のシミを数えている間に全部終わるから!」
アイドルのような人懐っこい顔で迫られた僕は、嫌も応もなくそのままCT検査機の中に送り込まれて行った。
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マーガレットIIは業務マニュアルに沿ってCT台の上のシーツをたたみ、大地の見えないところでそのシーツにタグを付けて、静かに棚の上に置いた。
このシーツからは汗や髪の毛、微小な細胞片が採取されることになっている。それは随行の樋口も知らない事だった。




