#021 ビバ・平穏!
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しのぶは田辺の顔をまっすぐに見て挨拶をした後、来客用の椅子に座った。座ると同時に持ってきたノートPCを広げ、自分の作ってきた資料を会議用のモニタに映し出す。
その一連の動作の流れはまるでベテランサラリーマンのごとくだ。田辺は、先日嫁に出した自分の娘ではこうは行くまいと素直に感心した。
「田辺さんはいろんなことに詳しいと聞きました。今ちょっと考えてることがあるんですが、どうにも行き詰まってしまいまして……。で、悩んでいたところ、父に『田辺さんに相談してはどうか』と勧められたんです。お忙しい中、お時間取っていただいて本当にありがとうございます」
「はは、ご覧の通り忙しくなんか無いし、お礼は君の悩みがちゃんと解決できてからでいいよ。それにしても僕なんかで力になれるのかな。君はすごくできる子だって聞いてるし」
「あはは……学校の勉強についてはそこそこ自信はあるんですが、教科書から離れたことになるとからっきしでして」
しのぶがおだてにも乗らず、若者によくある、間違った万能感に浸って自分の実力を見誤るタイプでもないらしいと分かり、田辺は気を引き締めた。
大人を頼ってきた若者に失望されるのは大人としては是非とも避けたいところだ。
「あ、先に言っとくけど恋愛の話は専門外だからね」
「はい、そう伺っています。ご安心ください、恋愛の話ではありません。どちらかと言うとゲームとか、それに類する話です」
「そういえば以前、僕と君のお父さんは随分とゲームの話をしたなあ。それで、どんなことを聞きたいの?」
「私が、ある思考実験から抜け出せないので助けてほしいんです。えーと……そうですね。例えばここがVRMMORPGの世界だとします。私たちはそのゲームの世界で楽しく暮らすプレイヤーで、剣と魔法でモンスターを倒しながら暮らしているとしますね」
「ふむふむ。半年前にリリースされて話題になったVRゲームがあったがあんな感じかな?」
「ある日プレイヤーの私が手にしたのは、ゲームのシステムに介入できるアイテムでした。そのアイテムを使えばただの鉄の剣が伝説の勇者の剣よりも切れ味が良くなり、丈夫にもなります。それだけでなく、魔王城の最深部にあっという間に行けるし、自分の経験値も最大値まで書き換えることができます。夢のアイテムです」
ここでしのぶが例え話として登場させているアイテムはもちろん、影山から預かった「アケビ」のことだ。「アケビ」はこの世の物理法則の外で制作されたものだが、持てば硬いし落とせば下に落ちる。つまりこの世の物理法則に従う一面も持っている。
そんな「アケビ」の存在や、アケビが行っているという世界シミュレーションシステムへのアクセスの方法など何をどのように考えれば良いのかしのぶにはまるで解らない。
一人で考えてもこれ以上は無理だと悟ったしのぶは、田辺と話すことで何かしらインスピレーションを得ようとしたのだ。
「それは随分酷いチートアイテムだね。そんなのが一つあるだけでゲームの世界は完全に潰れてしまうよ」
「そういうものですか?」
「ゲームの世界が潰れるというよりは、世界観が潰れると言った方がいいね。そんなアイテムを持ったプレイヤーが一人いるだけで、周りのプレイヤーは馬鹿らしくなってゲームをやめてしまうかもしれない。とても危険なアイテムだ。もし手に入れたのなら絶対に人に見せないようにしないと」
「なるほど。その世界に居続ける理由が希薄な人や、他にいくらでも遊ぶゲームがある人はあっさりやめるかもしれませんね」
VRMMOのゲーム空間で、システムへ介入する力を持った主人公が強敵を相手に大暴れする中、周りのプレイヤーは自分たちをモブキャラであると理解して細々と主人公を盛り上げるアニメもあったな、と田辺は思い出した。
自分なら、そんな状況を是とはしないだろう。誰しも、自分が暗黒大魔王を倒し世界を救うという気概を胸にVRゴーグルを装着するのだ。モブキャラになりに仮想空間に行って何が楽しい?
田辺の足がしのぶの見えないところでいきなり空を蹴った。何かにとてつもなく腹がたったらしいのだが、田辺自身にも明確にその怒りの対象が自覚できないようだ。
更年期の怒りの暴走というやつだろうか。田辺はこっそり反省した。
「やってられない、という点では他に遊ぶゲームが無くてもやめてしまう人は出るかもだけどね。ところで、初っ端から随分な前提だけど最近遊んでるゲームにそんなアイテムでも出てきたの?」
「いえ……ただの思考実験です。そういうアイテムが存在したとして、そのアイテムはその世界ではどのような理を用いてシステムに介入できるんでしょうね?」
「どういう事?」
「鉄の剣やミスリルの鎧は、その世界では鍛冶屋や武器職人が作ってるわけじゃないですか。だけど、そのアイテムはその世界の理から飛び出してるわけです。そのアイテムはその世界での製作者もいないし稼働原理もないのにシステムに介入できてしまうんですよ」
「ふーん。まあ、それはそういうアイテムなんじゃないの? 」
「え?」
田辺が事も無げに返した答えにしのぶは困惑した。ゲームでは珍しくもない話なのだろうか?
「理屈で現実を説明できない場合は現実を優先させるしか無いよね? 設定上どんなに無理があっても、そのアイテムがゲーム空間内に存在するんだったらそういうふうにプログラムされたものを、システム側がなんらかの意図を持ってゲームに投入しているんだ。他に意味なんかないよ。
伝説の剣が強いのは、特別な材料を使ったり鍛冶の名人が打ったりしたからではなく、伝説の剣としてプログラムされているから強いんだ。それと同じ。
そういうふうに作られているからその機能がある。その世界の理に沿って創り上げられたものでなくても、プログラマーがプログラムしちゃったらそのアイテムは存在するさ」
しのぶの中で何か、思考を堰き止めていた物が弾けた。
そうか、「アケビ」はもともと、上位世界のプレイヤーが自分のアバターを造ってこちらの世界にやってきた時、NPC(私達)とコミュニケーションを取るためのプログラムなのだと聞いていたではないか。であれば、この外殻の中にはLEDもバッテリーもプロセッサも、プリント基板すら存在する必要はない。
「アケビ」は、ただ利用者の利便のために外殻を纏い、光り、少しばかりの重さがあるだけで、本来そのどれもが無くても良いものなのだ。そうに違いない。
「ありがとう田辺さん! 何か解った気がします!」
しのぶは勢いよく立ち上がり、ディスプレイケーブルのコネクタをノートPCをから引っこ抜くとノートPCをパタンと閉じた。
「え? ああ、うん。なんだか知らないけどお役に立てたようで良かったよ」
「また来ます! ありがとうございましたっ!」
礼を繰り返しながらつむじ風のように部屋を出ていくしのぶ。田辺にとっては当たり前のことしか言ってないような気もしたが、相手が納得したのなら上出来だ。何をどう理解したのか、なんてことを問いただすのは野暮というものだろう。
しのぶを見送る田辺の目はいつになく細かった。
「あ、チートアイテムの入手方法聞くの忘れた……。どのゲームだったんだろう?」
◇◇◇◇◇
「うう……まだ日中35℃もあるんだから夏休み終わらなくてもいいだろうに……」
「全くだ。気候や気温が理由で夏休みが存在するのなら、この気温での夏休みの延長は妥当な措置だよなあ」
「学生諸君の意見は元学生として先生も大いに理解できるが、もし君たちの意見が通った場合、残された短い授業時間で諸君らに詰め込み教育を行うことになってしまう。それでもいいか?」
「先生、3年分の学習項目を2年もかからずに詰め込む当校では説得力がありません」
毎年どこかで交わされる会話―― そう、夏休みが終わってしまったのだ。
当初の予定では僕は自らの超能力獲得という偉業を胸に、張り切って始業式に臨む筈だったのだが、予定に反して僕の愛しの超能力は戻っていなかった。そこは少し残念。
夏休み前半の学校行事をほとんど不参加にしたため、何かと人間関係がぎくしゃくしてしまうかと恐れていたのだが、それは杞憂だった。内海が上手くとりなしてくれたのだ。
教室でのボッチを回避できた僕に恩を着せるようなこともせず、普段どおりに振る舞う内海に僕は少なからず感心し、感謝した。
「で、市民病院の例の彼女には逢えたのか?」
「いや、何回か行ってみたが空振りだった」
あ、一応行ったんだ……と言いたげな内海の視線が辛い。いいじゃないか。僕が自分の自由時間をどう使おうが。それでお前に迷惑かけたか?
「いや、お前がストーカー容疑で捕まったりしたら同じ学校の俺達は結構迷惑だぜ? 捕まっても絶対コンピュータ部に出入りしてたとか言うなよ?」
内海の有り難い忠告に力なく頷きつつ、僕はこの日もコンピュータ部に顔を出すことにした。オリンピックに出場するわけではないが、彼等の活動には興味が持てる。
僕が家で毎日数十分ほどだがプログラムを書くようになったのは彼等の影響が大きい。
「そう言えばさ、北高あたりによく出没してた謎の検診車、最近ウチの学校の近くにも見かけるようになったらしいぞ」
「へえ」
「何処かの企業の実証実験なんだろうけどさ、実験の参加者には簡単な謝礼と、ジュースやアイスなんかもくれるらしい。部活の後で行ってみないか?」
内海以下、コンピュータ部の四年生は行く気満々のようだ。一方で僕はというと、母から「あなたの生体サンプルはごく一部の人間にはとても価値があるからたとえ相手が医療機関であっても血や便を提出しないように」と言われたばかりだ。
うん。ここは折衷案だな。
「僕は夏休みにひっくり返ってさ。その時CTも散々撮ったんで今日は遠慮しとくよ。でもどんな事をするのか興味はあるな」
「ついて来るのは構わんがアイスはやらんぞ?」
「いらんわ!」
学校はいい―― 僕は心底そう感じていた。親や親戚との会話の中に不穏な空気がどれだけ流れていても、学校に来てクラスメイトや先輩達と何かに熱中したり、バカ話をしている間は一息つくことが出来る。
呼び出された親が先生相手に恫喝したり、貴子さんが乱入してドタバタしたりしたこともあるけど、そんなのはご愛嬌だ。
何処に在るとも知れないこの世を司るシミュレーションシステムとやらに干渉するより、今はこうして同じ年頃の連中達と目の前のちっぽけなコンピュータ相手に頭を捻り、指を動かすほうが楽しい―― そう、楽しいんだ、こっちのほうが!
超能力、不老の一族、悪の組織、弟との殺し合い、記憶の封印? 知ったことか。そんな厨二病臭い設定に心踊らせていた僕は頭のネジが何本か吹っ飛んでいたに違いない。夏休みの僕よ、呪われてあれ! 俺は人間に戻るぞォォォっ!
―― そんなふうに僕は心の後足で自分に降り掛かった様々な非日常に力いっぱい砂をかけながら内海達とコーディングに勤しんだ。
いやまあ、超能力は絶対にあったほうがいいし、取り戻したいんだけどね。
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「さて、そろそろ上がって移動検診車探しに行こうぜ」
夏の日は長い。周りはそんなに暗くはないが時計は5時半を少し回っていた。
「今日はたこ焼き屋の駐車場あたりにいるらしいよ。さっき東からメッセ飛んで来てた」
「んじゃ行こうか。アイス残ってるといいな」
皆、コンピュータをシャットダウンしてそそくさと部室を出ていく。僕も彼らと同じように少しニヤつきながら、そのたこ焼き屋の駐車場を目指して早足で歩いていった。
「すいません。只今混み合っておりまして、現在7人待ちです~。次の方はこちらの待合スペースで金属部品のあるものだけ外してお待ち下さい」
現場に到着した僕達は、自分達と同じ制服を着た欠食児童達がアイスを求めて何人も並んでいるのを見て少し肩を落とした。
「なんだよ。俺達以外にもタダアイス目当てがこんなにいるのかよ……」
「なんて浅ましい奴らだ」
「で、どんな検査があるんだ? 時間がかかるようなら家に帰って晩飯を食ったほうがいいかも」
僕がひょいと首を伸ばして移動検診車の中を覗き込んだ時、偶然中にいるスタッフのお姉さんと目があった。
「あっ……」
「あら」
車の中には、僕が最近、一番会いたいと思っていた彼女がいたのだ。




