#020 プルヴィーラ
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「湖南・上海・北京エリア、空振りです」
「コンポントム、同じく」
「ゴリ、空振りです」
「東京、同じく空振りです」
「モスクワ、報告ありません」
「ブリュッセル、いつもと同じです」
世界中、百近い団体・個人に依頼した細胞サンプルの探索採取―― そのことごとくが空振りか、報告そのものが無いという状況がもう何週間も続いている。「プルヴィーラ」の外販責任者、オーラとサンプル獲得部長のマクシミリアンは歯ぎしりをしていた。
「もっと各地のエージェントや協力者にハッパをかけろ。注文受けてから何週間経ったと思ってるんだ。草の根分けてでも探し出さないと、こっちの信用に関わるぞ」
顧客からの矢の催促に苛立つオーラの怒号。それが背中に突き刺さるマクシミリアンの焦燥。二人のストレスはそのまま彼等の部下を通じて各地のエージェントへと伝播する。
末端の人々はさぞかし迷惑していることだろう。
「やれやれ、それにしてもおかしな注文を受けたもんだ」
オーラは左耳に装着したヘッドセットのスイッチを切って、コーヒーを一口すするとため息をついた。
プルヴィーラはヒトDNAの一大標本庫だ。スキャンされたDNAの記録情報から、唾液、血液、毛髪、細胞片の実物までなんでもござれ。
だが、プルヴィーラは学術的な目的を持った公的な組織・機関ではない。
アダルト動画に過度に入れ込んだ生物系の研究者達が「いつかは自分達もこんないいオンナ達・オトコ達とアレコレしたい」と言いながら、洒落でそういった映像作品の出演者達の髪の毛や爪、体液等を集めたのがプルヴィーラの始まりだ。
もちろん、いつの時代の、どの国の倫理観に照らし合わせてみても彼等の行動は許されることではない。それ故に彼等の行動はあくまで個人の趣味として誰にも知られることなくひっそりと行われていた。
その後創始者達がバイオ業界で次々と経済的な成功を収めたため、サンプル保管の設備や管理にかける金額が増大。標本数の拡大とともに組織も拡大し、自らマネタイズ能力を獲得したのが今のプルヴィーラだ。
そして、ここ数十年のクローン技術の急速な進歩はプルヴィーラの価値を数十倍・数百倍に押し上げている。
プルヴィーラは扱う物品の性質上、おおっぴらな商売は出来ない。故に彼等はもっぱらバイオ産業の暗部を相手に商売をしている。
世界中の顧客から買い集め、あるいは売り込まれてきたというDNAサンプルは標本庫を日々拡大させており、洋の東西を問わず、有名・無名を問わず、人種を問わず数多くの人間をカバーしているという。もちろん、サンプルを取られた人物の情報とともに。
その標本庫の腕っこき外販部長としてオーラはそれなりに知られている。プルヴィーラの標本を、おそらくはヒトクローンを作るであろう怪しげな非合法組織に高額で販売してカネを稼ぐ体制を創ったのは彼だ。
探してこいと言われればターゲットの墓を暴いてでもDNAサンプルを手に入れて来るマクシミリアンとのコンビはすでに8年を経て盤石になりつつある。実際、彼等は過去の独裁者や70年前の芸能人のDNAを手に入れ、売った実績があるという。
そんな腕っこきの彼等でさえ、今回の注文には手を焼いていた。
「近代以降に大虐殺をやらかした独裁者やその子孫達のうち、小脳の形状に異常がある者のDNAって言われてもなあ……まず頭をカチ割ってみなきゃ分からんとなるとお手上げだ」
夕刻のリラックスルーム。マクシミリアンがネクタイを緩めてオーラの隣に座った。手には長い間コーヒーサーバーで加熱され、泥のように煮詰まったコーヒーが地獄のような黒さを光らせている。
「世界中の病院に残っているレントゲンにCT、MRIやらの頭部画像を当たらせてるんだがな、なかなか見つからんよ」
「マックス、独裁者だけでなく、急激に経済的な大成功を収めた経営者一族の方も忘れてもらっては困るよ」
「解ってるさ、オーラ。だがどちらが愚痴りたいかと聞かれたら答えは独裁者の方だ。違うか?」
「違わないな。ハハ。ところで探索の件だが、日本の暴力団から面白い話を聞いたぞ」
「聞かせてくれ。今はどんなヒントだってありがたい」
「彼等は独裁者云々は関係なく、とにかく小脳の形状のほうに着目して探してくれているらしい」
「虱潰しってわけだな。しかしオーラ、それは俺達も世界中の病院相手にやってるんだが」
「知ってるさ。それでな、面白いことに彼等は移動検診車を使ってるんだそうだ。自動運転車とかMaaSの実証実験なんかにかこつけて」
「なるほど。CTを車両に載せて持ち歩いているのか。しかし自動運転車なあ……それを他の国のギャングのフロント企業にやれっていうのは難しそうだぞ。ノウハウごとその暴力団って連中から譲って貰えないものかな?」
「譲ってもらえたとしても、それをギャングにやらせることなんかできるかなあ……? 連中、金払いはいいんだが勤労精神に乏しいからな。そういえば、アメリカのファストファッションの看板ババアのサンプル、あっちはまだ手に入らないのか?」
「ああ、そっちも悩みの種だよ。なかなかガードが固くてな。
客も客だ。同じ顔したロボットがいるんだし、そっちで済ませりゃいいのにと思うよ」
「違いない」
彼等の愚痴は、空がコバルトブルーに染まるまで続いた。愚痴ったところで何かが変わるわけではないが。
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木曜日の夜、シャーロットと相田は笹本医師と福山の焼き鳥店の個室で向き合っていた。
美人二人と焼きたての鳥。笹本医師は最初こそ鼻の下を伸ばしていたが、話の内容が進むに連れてそうも行かなくなった。
卓上のジョッキに注がれていたビールの泡が口をつけられることもないまま痩せていくのに誰もそれを気にしない。時折皿を下げに来る給仕が、難しい顔をして焼き鳥を睨んでいる三人を訝しげに見ていた。
「つまり影山先生……先生が私に廻したあの患者、樋口真由美さんはクローンかもしれないと仰るんですか?」
「現状で手に入る様々な情報を統合すると、疑いが否定できないレベルにあります。笹本先生はどうお考えになります? 数々の合併症、そして極端に短いテロメアがそれを示していると思うんですが」
「それは……」
笹本医師はチラリと相田の方を見て口ごもった。患者のプライバシーに関わることなので、第三者の前で医療情報を詳細に話すのはコンプライアンス上の問題があると思っているのだろう。
「彼女は本件に関して、私の調査に協力してくれている立場にあります。第三者ではありませんわ。これはこの数カ月間で私の病院にやって来た、クローンと思しき患者達のリストです。彼女は画像認識の技術を使ってこのリストを作成してくれたんです」
シャーロットは笹本医師にクローンと思しき患者のリストを見せた。本当はしのぶが作成したリストだが、この場の都合上、相田が作成したことにしてある。
「こんなに……」
笹本医師の手が震えていた。リストの大きさに驚いていたのだ。リストに書かれている患者達はそのまま近いうちに自分が担当するかもしれないのである。
笹本医師はリストの内容と客観性を慎重に判断し、景気づけに気の抜けたビールを一口あおった後、話を始めた。
「影山先生、私、樋口真由美さんはクローンではないと思いますよ」
笹本の予想外の見解に相田もシャーロットも「えっ?」と短い声を上げた。
「どうしてです?」
「影山先生から情報をいろいろ頂いていたので私はあの娘の細胞診にDNA検査をしましたけどね、違うんです。もし、樋口さんが『久川ゆき』というアイドルのクローンなら明らかにおかしい点が一つある」
「笹本先生、それは?」
「テロメアが短すぎるんですよ。アイドルの『久川ゆき』は24歳で自殺している。もし、最も新しいDNAサンプルを取得してそれを培養したのなら、そのクローンのテロメアは24歳プラス16歳で40歳相当、つまりもっと長い筈なんです(注)」
シャーロットは頷いた。なるほど、笹本医師の言うことには一理ある。樋口真由美のテロメアの短さは80歳を大きく超えた老婆のそれだと言われても信じられるほどのものだった。死亡時点で採取したサンプルを使ってクローンを作成してもテロメアがああも短くなる筈がない。
となれば、樋口真由美には何らかの先天性の遺伝子疾患があると考えるのが最も説明がつく。最悪のケースを考慮に入れなければだが。
「彼女のテロメアが意図的に切られていた、とは考えられませんか?」
相田がその最悪のケースを事も無げに引っ張り出して、笹本医師に質問した。
「意図的に寿命を削るんですか?なんのために?」
「そうですね……例えば人間のクローン個体が長生きすると、作った側のリスクが高まることが考えられますよね」
いつか社会に潜むクローンの数が暴かれ、社会問題化した挙げ句、一発でクローンを見破る薬品などが開発されてしまったら困るのは製造者だ。長生きして知恵をつけたクローンが自らの権利を主張し出すような事だってあるかもしれない。
「あまり言いたくありませんが、クローンをとっかえひっかえして遊びたい顧客にとっては短命な方がいいかもしれませんしね。欲しければ次を買って下さい、と言うわけです」
「そんな……人間を車か家電みたいに……」
シャーロットがサラッと言ったのが笹本医師にはショックだったようだ。しかし、相田とシャーロットの指摘はありえない話でもない。
笹本医師は、自らの経験をフル動員しても、樋口真由美がクローンであることを否定できなくなっていった。
「なるほど……であれば、彼女を作った連中は相当あこぎな連中なんでしょうな」
「最近ヒト遺伝子界隈で何かと噂の『プルヴィーラ』みたいな?」
「あれはサンプルの保管庫みたいなものらしいですから趣が異なりますが……そこからDNAサンプルを買って胚を作る段階でテロメアをわざわざ切る連中か……はは、酷い話だ」
笹本医師は目の前のジョッキを飲み干し、おかわりを頼んだ。シラフでいるのが辛くなったようだ。
「影山先生、もし彼等が違法なクローンだったとしても、彼等が私を頼って来たら私は彼等を治しますよ。ええ、治してみせますとも……なんたって、私ぁ医者なんだ」
この夜、笹本医師はジョッキ3杯のビールと焼酎を1杯飲んだところで机に突っ伏した。
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「さて、相田先生のお見立ては?」
笹本医師をタクシーに乗せて見送った後、相田とシャーロットは人波の途切れた駅前のロータリーで互いの意見を交換していた。
「うん、クローンやったよ、あの子。間違いないわ。ほんでどうするん? あんたか影山さんやったらテロメアを延ばすのくらいは出来るやろ? 昔、私らにやってたみたいに、あの樋口ちゅう子にもテロメアを付け足したったりするん?」
「しないわよ。私がこの能力を使って人の命を助けるのは身内だけって決めてるからね」
「……あんたは『あいつ』との約束を律儀に守ってるんやなあ」
「返せないような恩があるからね」
「まあ約束はさておき、今後どっかのアホがクローン作る度にあんたが治したるちゅうのもおかしな話やしな」
シャーロットはこくんと頷いた。
瀬戸内はそもそも反社会的組織が育ちやすい場所だ。国が指定する暴力団でも、東京、大阪、福岡を本拠地にしている団体を除けば残りはほとんどが瀬戸内を根城にしている。
そして広島から岡山にかけては多くのバイオベンチャーや大手バイオ企業の工場や研究所が立ち並ぶ土地柄だ。そこからドロップアウトして食い詰めた技術者達が反社会的組織に取り込まれてクローンを作っているのではと言われれば、それはない、と反論する方が難しい。
「それにしても、その保管庫?はええビジネスやなあ。実際にクローンを作るわけでもないのに大儲けやん」
「そうなの?」
「芸能事務所とか、アダルト動画のメーカーとか、そういう所が小遣い稼ぎにバンバン自分とこの所属タレントさんのDNAサンプルを売り込みに来るやろ? で、実際、そういう人のDNAの方が価値は高いわけやん? 保管庫の価値は小遣い銭くらいのカネでバンバン高まって行くんやで」
「まあ、そうなるわね」
相田らしいな、とシャーロットは思った。これが影山物産の財布の紐を一手に握る人間の物事の捉え方なのだ。
「売る時かて『各国の法律に従って適正に使用し、使用後は正しく破棄して下さい』とだけ言うてたら責任はとらんでええわけやしなあ」
「まるで、相田さん自身がそのビジネスをやってみたいような言い方ね」
「いやあ私には出来へんて。在庫だけで商売回るんやったらともかく『コレコレこういう人のDNAちょっと持って来てー』って言われたら対応できへんからな」
「でも、一度でも保管庫からサンプル買っちゃったところはある程度協力してくれるでしょうね。巨大な遺伝子採取の共同体みたいになっちゃうんじゃない? 」
「そやな。『あんたんとこがうちからDNAのサンプル買うて何したか知ってまっせ。ほんで、ちょっとお願いがあるんやけど』て言われたら嫌やて言えへんわな」
シャーロットはちょっとした寒気を感じた。もし、羊飼いの外部研究機関の連中がプルヴィーラのような組織に貴子のDNAをリクエストしたらどうなるのか? いや、もっと抽象的なリクエストをしたらどうなるのか? 例えば「昔の虐殺者のDNA」や「影山物産の社員のDNA」等のリクエストをだ。
ダメだ。嫌な未来しか見えてこない。
そして、シャーロットにはもう一つ、陰鬱な悩みができた。
「あー……これ、しのぶはともかく大地君には言わないほうがいいんだろうなあ」
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「やあ、来たね。私に聞きたいことがあるんだって?」
今年影山物産を退職し、新たに顧問に就任していた田辺は珍客の来訪に心を浮き立たせていた。
「はい。影山しのぶと申します。田辺さん、今日はよろしくお願いします」
「社長の娘さんだってね。私なんかで答えられる事だったら良いんだけど」
(注)実際はES細胞等を作る際にテロメアの長さは復活するそうです。24歳時点のテロメアの長さが維持されるということはありません。笹本医師は遺伝子疾患のプロですが、専門分野が異なるためES細胞周りの知識は乏しいとお考え下さい。