#002 ゲーセンにて
「市川、お前今日すごい美人とバスに乗ってなかった?」
「あれ、影山先輩だよね? 5年で超有名人の!」
「どういう関係だよ? まさか入学して一ヶ月も経たないうちに落としたのか?」
教室に着くなり僕は数名のクラスメイトに囲まれて質問攻めにあってしまった。その質問の大半は僕としのぶとの関係に関するものだ。
しのぶはこの学校では結構な有名人らしい。中学から持ちあがりの下級生なら誰でもその存在を知っている程……ってそれ、凄くないか?
故に、しのぶが誰かと仲良さそうに登校しているというのはちょっとした事件だったようだ。
確かに、その辺のアイドルなんか裸足で逃げ出すほどの美人だからなあ。しのぶの母のシャーロットさんはそれ以上……というか未だに時々ファッション雑誌に出てるし。
なんとかっていうブランドをうちの母と共同経営してるって聞いた事あるけど……。
ちなみに、シャーロットさんは日本に帰化する際に「影山」姓を名乗ることにしたらしい。うちの母にとってはそれが少し不都合だったらしく、一時期うちの母とシャーロットさんとでもめたという話を聞いたことがある。
「それよりお前、『東大行く』って公言したらしいな。すでに有名だぞ」
「なんだよ内海。東大に行きたいって言うのの何がいけないんだ?」
「東大京大を泣く泣く諦めたって人達も居るからな。そういう先輩方の嫉妬や反感ってのは意外に怖いぜ?」
「なるほど……了解。気を付けるよ」
クラスメイトの中では比較的僕と良く話す内海がうまく話題を変えて僕を質問攻めから救ってくれた。
話が切り替わったことで他の連中は不服そうにしているが、いつまでも付き合ってはいられない。こっちも今のしのぶのことをそんなに知ってるわけではないし。
周りにいた連中も諦めたのか一人、二人と席に戻って次の授業の準備をし始めた。よしよし。
「助かったよ内海。で、本当のところの用事はなんだ?」
「察しが良いな。お前、部活どうすんだ?」
「だから東大目指して勉強するって言ったろ? そういう流れだとは聞いてなかったのか?」
「いや、お前頭良さそうだしさ、うちの部どうかと思ってな。コンピュータ部なんだが……」
「うーん……僕はエロゲーや違法コピーの交換に興味はないぞ?」
「前の学校ではコンピュータ部ってのはそういうところだったのか? それはそれで羨ましいが、ウチはそういうのじゃない。ちゃんとプログラムコンテストや情報オリンピックにも出てるガチのクラブだ」
「生憎だが、そっち系は積極的にパスだ。オリンピックに出る事になったら教えてくれ。応援に行くから」
それなりに名の聞こえた上位校では本当の天才という奴を否応なく目にするものだ。教科書をさらりと読んだだけであらかた覚えるやつ。基本を学んだだけで応用問題が苦もなく解けるやつ。僕はそんなやつらを前の学校で散々見てきた。きっとこの学校にもそういう化け物の一人や二人、潜んでいるだろう。
残念ながら僕はそういう天才達と肩を並べられるほど頭の出来は良くない。たまたま親の教育熱心さが実を結んだだけの「努力の秀才」だという自覚はある。
だから僕はナントカオリンピックに出ようなんてそんな身の丈に合わない事を考えない。そういうのは天才に任せておいて、自分は地味に英単語を覚えているくらいが丁度いいのだ。
「ふん……。なんで積極的にパスなのかは知らんが今回は引っ込んでおいてやる。お、先生が来た」
悪いな内海、僕がコンピュータを嫌う理由を君に話すことはたぶん無いよ。だってカッコ悪いじゃないか。自分を手放した父がコンピュータ技術者だからだ、なんて。
◇◇◇◇◇
放課後、僕は前から目をつけていたゲーセンへと向かった。もちろんしのぶと一緒に。
ゲーセンは福山駅周辺に点在しているので一旦学生用シャトルバスで福山駅に向かい、そこから駅南口を出てしばらく歩くことになる。ちょっとしたお出かけと言っても良い距離だ。
「うーん……」
「どうしたの?」
「いや、盛り場という言葉に結構期待してたんだけど、思ったより栄えてなかったというか……」
実際に福山駅を出てしばらく歩いているとだんだん不安になってくる。人口45万人の都市の玄関口の筈が、数分も歩くと恐ろしいほどの寂れっぷりなのだ。
「そうだねえ。駅の周りも崩れるから入るなって張り紙してあるビルがちらほらあるし……線路の南側あまり来たことなかったからこんなんだとは知らなかったよ」
中学時代に地理の授業で先生が雑談ぽく言っていたのを思い出す。線路というのは地域に修復困難な境界線を引いてしまうものらしい。学区や町の境界線なんかが顕著な例だ。
多くの政令指定都市でも市役所のある側がビジネス街に、そうでない側が歓楽街になっていたりと色分けがくっきりしているのもそのせいなんだそうだ。
「でも、福山はお城と反対側に市役所があるんだよね。歓楽街側に市役所があるのよ」
「……その歓楽街ってのが見当たらないよ。あるのは塾や予備校の看板ばっかりだ」
「ほんとねえ。もっと遅くならないとお店を開けないのかしら」
僕としのぶはシャッターの閉まった商店や灯りがまだ点いていないネオンを見て、ああだこうだと言いながら東に向かって歩いた。
腕時計の中にあるナビゲーションデバイスが時折くん、と曲がるべき方向を告げてくれる。それに従っているうちになんとか目当てのゲーセンに到着出来たけど、知らない街を歩くのは少しの時間でも結構疲れるものだ。
「おおお、思っていたより規模が大きい!オールドゲームズもいっぱいある!」
辿り着いた目当てのゲーセンは下調べ通りのクオリティ。薄暗い店内には僕の疲れを吹き飛ばしてくれる光景が広がっていた。
「ふふ、客層も巣鴨や西日暮里で見たのとあんまり変わらないな」
予備校の授業開始待ちの学生と、その学生を対戦ゲームでカモろうとしている職業不詳の男達、そしてプライズゲームに群がる男女ペア……いずこも同じゲーセンの光景だ。
筐体に取り付けられた極彩色のイルミネーションと、画面から飛び出るキャラクターの動きが三半規管を撹乱してクラクラするけど、それがいい。いいんだってば。
「うぇ……っぷ」
「大丈夫? まだ来て10分も経ってないよ?」
しのぶが心配するほど僕の顔は3D酔いで真っ青になっていたらしい。全くもって情けない限りだ。
「はは……初期のマルチアングルレンチキュラー画面はきっついなあ……でも大丈夫!今日は遊ぶんだ!」
念願のゲーセンにやっと来られたんだ。泣き言を言うより先にやることは沢山ある。
交通系マネーをチャージしたばかりで軍資金はたっぷりあるし。
さて、次はどれをプレイしようか。やっぱり定番の対戦格闘ゲームからか?
この日のために家庭用の古いゲーム機を引っ張り出して家で一人黙々と技のおさらいをしたんだからな。
「あれー?しのぶじゃん。どうしたの? しのぶも予備校?」
「あ、ううん。ちょっと弟に街を案内してたとこなのよ」
「弟さん? へー。弟さんいたんだ?」
しのぶのクラスメイト達だろうか。しのぶの周りに結構な人数が集まってきたのを僕は視界の端で見ていた。
あの人達の会話に入っていくつもりはない。今はゲームだ。
「弟さんって……ああ、今日バスの中で東大受験宣言をしたって言ってた彼か」
「ぼくとうだいにいくお!ってか?」
「まだ4年生だろ。夢見てんじゃないの? 俺も附属に合格したときはどこでも行けると思ってたしな」
「だな……あの頃に戻れるものなら戻りてえよ……」
なんとなく話題の中心が僕になっているようだけれど、あまりいい話ではなさそうだ。
おっと、3連勝。一旦ゲームオーバーだ。1コインで連勝できる数に制限があるってのは興醒めだな。
「よう、お前か、トーダイ行く言うてイキってるちゅんは?」
次のゲームが始まった最悪のタイミングで僕は顔も知らない他校の生徒に話しかけられた。頭も品も、あまり良さそうな感じではない。だが、人が嫌がることを実に的確に見抜き、やってくるのもこのタイプだ。
「それがなにか?」
「なにか? は? なめとんかお前?」
僕の何かが彼の自尊心を傷つけたのか……気がつけば僕はあまり素行のよろしくなさそうな連中に囲まれていた。
「澤、どうしたんじゃ? そいつ何かしよるんか?」
「ああこいつ、エノキが言うてた小生意気な一年生じゃ」
「そりゃいかんのう……いっぺんきちんと礼儀ちゅうもんを教えたらんと」
澤という男は「殴っちゃうよ?」とばかりに拳を握って僕の顔の前に突き出してきた。周囲の連中はニヤニヤしながらそれを見ている。
――誰だよエノキって。そしてそのエノキが僕をとっちめて良いって言ったのか? いったい何の権利があってそんなことを…。
ああ、そうか。この人達は粗暴な態度で周囲を威嚇し、誰彼なくマウントして自分の存在をアピールしたいんだ。理由は何でもいいんだろう。
とりあえず、僕はなんだか絶体絶命らしい。
「おや澤君ひっさしぶり! あれ? うちの弟が何かしちゃった?」
「えっ? こいつ、しのぶさんの弟なんすか?」
足がガクガク震えていた僕のところにしのぶが素っ頓狂な声を上げてやってきた。しのぶに敬称をつけて接しているところを見ると力関係はしのぶのほうが澤よりも上らしい。
「何だか知らないけど弟には気をつけるように言っとくから今日のところは勘弁してあげてよ」
「いやいや。こっちもゲームの邪魔してしもうて……」
微妙な後味の悪さを残して澤の一味がコソコソと逃げて行く。しのぶのとりまきの同級生さん曰く、以前なにかのもめ事があった時、しのぶは澤をえらく遠くまで投げ飛ばしたことがあったらしい。何だ? しのぶは武闘派だったのか?
この一件でゲーム熱がすっかり失せてしまった僕は、しのぶに手を引かれるがまま彼女の家に向かうことにした。
道中、頑張ってしのぶに澤を投げ飛ばした時のことを聞き出そうとしたが、しのぶは頑として口を割らない。むぅ。なんだか悔しい。
「ただいまー、母さん。大地連れてきたよー」
「おじゃましまーす」
「おかえりなさい。カレーもうできてるわよ」
玄関のドアを開けると奥の台所から美味しそうなカレーの匂いに乗ってシャーロットさんの鼻唄が聞こえてきた。
「大地くん、久しぶりだね!」