#017 母と母
「う……」
僕が目を覚ましたのは倒れてから三日後だった。どうやら三日三晩寝込んでいたらしいがそのせいか妙にスッキリした気分だ。試験の後に寝まくった後がちょうどこんな気分だな。
身体は水分をすっかり失ってるみたいでちょっとヤバい感じもするけど。
「それにしてもびっくりしたな。しのぶも……なんだありゃ」
僕は自分が倒れるまでの記憶を遡ってみた。自分と父以外は全員美人と言って差し支えない女性達。あの人達全員が不老の超能力者で、しかもそれぞれが固有の超能力を持っているというのか。
そして魔女達はカレーで狂宴をしていて、足りないカレーはチチンプイプイで増やしてしまう。2つのカレーは4つに……
「駄目だ……わけがわからない」
身内のカレー祭りは一旦置いておこう。考えてもわからないものは分からない。
「それよりも大河の事だな。ちゃんとケジメつけなきゃ」
僕は思い出してしまった。自分が幼い頃にとんでもない言いがかりをつけて大河を殺そうとしてしまったことを。あの気の良い大河をだ。
未だに僕か大河のどちらかがコピーかもしれないという問題は残るが、それは母に改めて聞けばいい。何より、大河がコピーであろうがなかろうが、僕が殺してしまって良い筈がないのだ。
「一応、大河に謝っておくか……」
僕は財布と、電池がすっかり切れた携帯電話を持って東京へとテレポートしようとした。「いやあ悪ぃ悪ぃ。あの頃はガキだったんだよ。勘弁な」と電話で謝って済む話ではない。僕が勘違いし、僕が仕掛けた殺し合いだ。ちゃんと詫びを入れておかないと今後の関係に大きく差し支えるに違いない。
「あれ……?」
おかしい。3日前に倒れるまでは確かに出来ていたテレポートが出来ないのだ。
寝ていた間にコツみたいなものを忘れたのだろうか。身体知だから3日も寝たせいで鈍ったのかも知れない。
僕は丁寧に貴子さんの指導を思い出し、東京の父のオフィスへ移動しようとしたが何度やってもテレポートは出来なかった。
「今んとこ何やろうとしても無駄よ」
「母さん?」
現れたのは母だった。こちらに来ていたらしい。僕が焦っているのを見た母は、洗面所から持って来たタオルを僕に投げてよこしながら言った。
「山中さんにお願いしてね、大地の能力は一時的に封印してあるの」
「どうして!? 父さんはもう封印は必要ないって判断したから僕をここに送ったんだろ?」
「ぎゃあぎゃあ喚かないの。あんたが目を覚ました途端トチ狂って大河を殺しに行くかも知れない、その可能性がゼロじゃないうちは能力を制限しておこうって判断なのよ。
父さんだけじゃないわ。あの日あそこにいた皆の判断なの」
「あ……」
「事実、今だって大河のところに行こうとしたんでしょうが」
「いや、これはその……」
大河を殺しに行こうとしたわけじゃない、と言おうとして気がついた。そうか、大河を殺しに行こうとしようがしまいがどっちの僕も今の状況では同じことを言う筈なのだ。
誤解だ、そんなつもりはなかった―― と。
なるほど、その言葉には何ら説得力がない。僕が母の立場ならともかく、しのぶやシャーロットさんだったらこの言葉をうかつに信じることはないだろう。なにせ僕には早合点と勘違いで兄を殺そうとした前科があるのだ。
「それに、今冷静だからと言って大河を前にして冷静でいられるかは判らないって自覚なさい。なんてのかな、今は多感なお年頃だからね。みんな心配してるのよ。あんたたちが普通の兄弟に戻れるのかどうか―― 」
「そうか…… そうなんだ」
自分の幼い頃の行動が今になって暴かれ、それが原因で周囲の信用を失い行動に制限がかけられたというのは自業自得のようでもあるけれど、本人としては非常に納得がいかない。
そんな物心ついたかどうかの時の行動を今になって論われても本人にはどうしようもないじゃないか。
「そんな顔しなさんな。それより、ほら」
「なにこれ?」
「あんた達が産まれた直後の二人の写真よ。それと、シャーロットにあんたたちがお腹の中にいた時の超音波写真診てもらったけど、あんたと大河、二卵性双生児だって言ってたわ」
僕はおくるみに包まれた二人の赤ん坊の顔と、母の言う二卵性という言葉の関連性が最初は解らなかったが、写真を見るうちにそれがどういうことなのか解ってきた。
「そうだよなあ……こんな子供をうっかりコピーしちゃうなんて、いくら母さんでもやらないよな」
「母親に向かって随分な言い方するじゃないの。自分はうっかり相方を殺しそうになってたくせに」
「はは。もう勘弁してよ……」
「そうそう。大河もあの後記憶の封印を解いたのよ。今は眠ってるわ。だから今会いに行ってもイビキを聞かされるだけよ」
「そっか……じゃ、とりあえずやること無いな。母さん、メシないかな。3日も寝てると腹減ってフラフラで死にそうだ」
僕がそう言うと、母はにこやかにどこかで買ってきた松坂牛の牛丼と伊勢茶のペットボトルを持ってきてくれた。
「ちょっとオイリーで重いかもしれないわ。胃がびっくりするかも知れないからちゃんと噛んで食べるのよ。3日も何も食べてないんだからね」
母の忠告を殆ど聞かずに牛丼を貪る僕と、それを心配そうに見ている母。ついこの間まで当たり前だったこんな光景に僕は不思議な郷愁を覚えていた。
◇◇◇◇◇
「一時的な封印か……それにしても、能力開発をしないとなると合宿もただの豪華な別荘暮らしだな。暇だよ暇。外に出ても海と砂浜しか無いし、金持ちはどうしてこう、景色が良いだけで何も無い所にばかり別荘を建てたがるんだろう」
察しはついている。金持ちの多くは実は毎日が結構忙しいのだ。
資産を守るために細かい数字を動かし、様々な人に会い、分刻みのスケジュールの中で自分と配下の人たちの生活を守る。それが金持ちの生活だ。
そんな彼らが年に何回か、神経を休めるために利用するのが別荘なのだとしたら、人が来ない所、何もない場所に建てるのこそが正しい。
「うちの家も金持ちらしいけど、別荘って言えばタホ湖の近くにある古い家だけだよな……」
僕の、金持ちの別荘に関する考察はこのへんで不完全な終わりを告げる。
そもそもそんなに金持ちに知り合いはいないし、これ以上掘り下げても意味がないからだ。
大河が目覚めたという報とともに母は東京に戻った。
能力制限中ということで貴子さんも志摩へはやって来ない。
昼間は理系の家庭教師達が濃密な講義をしてくれるがそれが終わると一気に暇になってしまう。
ネット環境もTVも無いわけではないがあまり使う気になれない。
僕は本格的にやることが無くなってきた。習慣で勉強はやってるが、勉強以外何も無いってのは問題だ。
「そうだ。いい機会だし、アレをちょっとやっとくか」
母が東京に戻るまでの間、僕は思いつくまま疑問を母に投げかけ、母はそれに真摯に答えてくれた。今の僕にとってそれらの情報の整理は重要な筈だ。大河と共有する知識のベースにもなる。
「えっと……最初は悪の組織についてだったよな」
悪の定義とは何か? 世界征服を狙う秘密結社なのか? 放っておくとどうなるのか? どうして父達がその悪と戦ってるのか?
そして貴子さんの「養殖=改造人間」論に基づくと母は改造人間だ。改造人間とは? 誰が改造をするのか? そういえばしのぶはその筋に頼んで改造人間になったと言うことだが、その筋とは十中八九父だろう。だとすると父は一体どこでそんな知識を身に着けたのか? そもそも、貴子さんの言い様だと父も改造人間の筈だ。だとしたら父を改造したのは一体誰なのか?
その質問に、母は一つ一つ答えてくれた。
説明の途中に出てきた高次元生命体には度肝を抜かれたが、あれだけの超常現象を見せられればそういったものの存在に納得しないわけにはいかない。
あまりにも突飛すぎて他の人に話せないという点では高次元生命体は結構な抑止力になるだろう。
ただ、父が高次元生命体から授かった使命については「知らない、わからない」と言われた。知らないと言うよりは聞かせたくない感じだったが、無理に聞き出そうとしても無駄だろう。いつか話してもらえる日が来るまで待つしかない。どうせ知ったところで何か出来るわけでもないし。
あとあれだ。しのぶに株の知識を授けたミズ・クラーク。僕がぶっ倒れた時あそこにいたショートボブのお姉さんのことだそうだ。相田さんと言うらしい。
ああ見えて二人の子持ちなんだとか。その子達は幸か不幸か、僕のように超能力を発動する脳の形質の遺伝はしていなかったようだ。
こうしてやってみると、情報の整理は存外楽しい。それを綺麗に並べると今まで欠けていたピースが次々埋まっていく。
それにしても、貴子さんかうちの一族の遺伝子を欲しがる敵……? これからはトイレも気をつけないといけない。
というか人間のコピーねえ……そういえば変な話をしのぶから聞いた覚えがあるようなないような。あれ、なんだっけ。
まあいいか。思い出せないということは大した話じゃなかったんだろう。
★★★★★
「ねえ、うちの病院ってもしかしたら変な人達に狙い撃ちされてるんじゃない?」
「どういうこと、しのぶ?」
いつもの夕食後、しのぶはシャーロットにいつもとは違う不穏な話を始めた。
「看護師さん達に聞いたんだけど、うちの病院、なんだか昔の芸能人に似ている患者さんが時々来るんだって?」
「あんたまた病院に顔出してるの? まさか患者さんの個人情報抜き出しに行ったりしてないでしょうね?
……てのはさておき、誰と誰が似てるとかってのはまあ、よくある話なんじゃないの?
どこの国に行ったってありがちな顔ってのはあるでしょうよ。芸能人にも似たような顔した人いっぱいいるじゃないの。昔に遡ればなおさらよ」
「そういうんじゃなくて……」
「ちゃんと言わなきゃ分かんないわよ。どういうことなのか、私にも伝わるようにちゃんと話して」
「母さんが昔の日本の芸能人をよく知らないのを良いことに、芸能人のクローンが調子悪い時にうちの病院に来てるんじゃないかって言ってるんだよ」
「え…ウソ?」
確かに日本語をネイティブのように扱い、それなりに日本の文化風習に精通しているシャーロットではあるが、日本の漫画や映画、芸能人の話になるとまだまだ知識が浅い。
当然と言えば当然だ。彼女の人生の半分以上はナイジェリアと米国にあったのだから。
そんなシャーロットだから当然、あの患者は誰それに似ていると言われても特に気にかけなかった。綺麗な子だなあとか個性的な顔だなあと思ったことはあるが、患者にそれ以上の感想を持つことは毎日膨大な数の患者を診る医師にとっては邪魔でしか無い。
ゆえに、しのぶの指摘は完全にシャーロットの死角を突いた形になっていた。
「とりあえず、警備上の理由ってことでカメラの映像借りてきて検索かけたのよね。神保町に行った時に買ってきたアイドル年鑑とか昭和・平成あたりの芸能雑誌いっぱい買ってきて学習させたモデルを使って、警備画像を認識させてみたんだ」
「どうだったの?」
シャーロットはごくりと唾を飲んだ。
「ほぼ本人が3人、たぶん本人が1人、もしかしたら本人が5人いた」
「お……多いわね」
「しかもね、だいたい年齢が12~15歳くらいの患者さんなのよね」
顔認識技術は2000年代以降順調にイノベーションを重ねてきた。そこから50年。今どきの強力な顔認識機能を使ったしのぶの言う「ほぼ本人」は本当にほぼ本人なのだと考えて差し支えない。
「なんでそんな面倒臭そうなのが私の病院に来るのよ……もう!」
それらの患者の年齢層が集中しているのもシャーロットにとっては頭が痛い問題だ。年齢層がバラけていれば他人の空似で済むかも知れないが、一定以上の年齢層に該当者が居ないとなるとそうはいかない。
ある年からちょこちょことクローンを作っては育てている連中がいるということなのだ。
「それ、資料にして私の端末に送っておいて。あとでお父さんのところに行って話してみるから」
シャーロットは、その後すぐにしのぶから送られてきた患者達の症状を病院のデータベースから引っ張り出して見て愕然とした。
「胸腺萎縮、リンパ球形成不全……それにミトコンドリア脳筋症の疑い……どれもこれも核移植をした家畜によく出る症状だわ。まさか、本当にそうなの?」
自分の病院が得体のしれない連中に利用されていたかもしれないと知り、肩を震わせるシャーロット。その顔には鬼の形相が浮かんでいた。