#016 器官・機関・期間
「大地と大河、本当に一卵性双生児なの?」
シャーロットの唐突な疑問にその場の全員が凍りついた。
シャーロットが大地と大河の誕生について医学的なところが解っていなくてもしようがない。彼女はしのぶを出産した後しばらく育児にかかりきりになり、亜希の具体的な状況を産科の先生と一緒に診るようなことは出来なかったからだ。
しかし、シャーロットは二人を産まれて間もない頃から見ていた筈なので、今さら彼女からそんな疑問が出てくるのは可怪しい。
「唐突に何を言い出すんだ。亜希と俺が病院から二人を抱いて出てきたのをお前だって見てたじゃないか」
ちょっとした剣幕でつっかかる影山に、シャーロットは慌てて弁明をした。
「いや、別に大地と大河のどっちかがコピペの賜物だなんて言ってないよ。その逆。もし二卵性の双子だったらコピペ疑惑がそもそもなくならないかって言ってるのよ。今なら大地も大河もそれくらい理解できるだけの知識はあるでしょ?」
意外なことに、二卵性双生児であっても外見がかなり似るということは結構あることなのだ。双子で似ているからすなわち一卵性であるとは限らない。シャーロットはそのことを言っていた。
大地と大河のどちらかがコピペされたものであれば遺伝子情報は完全に一致する筈だ。であれば一致するかどうかをまずは確認すれば良い。二卵性であれば遺伝子情報が異なるのでこのような誤解は二度と起こらないだろう。まず確認するべきは大地と大河が一卵性双生児なのか二卵性双生児なのかということだ。
「あ、なるほど。二卵性双生児が外見的にそっくりという事はあるからな。解った。それは後で調べておこう。遺伝子プラグインで差分を取れば一発で出来るからな」
「そんなことしなくても当時の超音波画像見せてくれれば一発だよ。残ってたらの話だけど」
「それは……わからんな。亜希ならどこかに取っておいてあるかもしれないが。それに、箪笥の中を引っ掻き回すより俺のプラグインの方がたぶん早く結果が出るぞ」
「は、便利なもんね。とは言え最近では私達も遺伝子操作はマウスでカチカチッとやるだけなんだけどさ」
2020年前後から急速に発達した遺伝子の改変ツールはその後も長足の進歩を見せ、近年では大学の工学部や薬学部、医学部の中級の実験課題に使われるほどにコモディティ化されている。
あまりにも簡単に遺伝子が改変出来るようになったため、常にバイオテロと背中合わせの状況が続いているのが目下の政府の悩みの種だ。
そんな状況なので影山も最近ではわざわざレグエディットの遺伝子プラグインを使うことはほとんどなかった。
「それな。そのカチカチってお手軽さが今、俺の方で問題になってるんだ」
「どゆこと?」
シャーロットが眉をひそめた。
影山が何か「問題だ」と口にする場合、大問題になることが多い。ここにいる全員を総動員するような状況をペロッと口に出すのが影山の良いところであり悪いところでもある。
良く言えば楽観主義者、悪く言えばただのバカ。長い付き合いながらシャーロットは影山の本質がどちらなのかについて、未だ測りかねている有様だ。
「クロンダイクの話?」
貴子が尋ねた。影山が現時点で問題にしている事と言ったらアントニオから電話がかかってきたあの件しかないと考えたのだ。
「は? クロンダイク?」
「この間アントニオから連絡があってな……羊飼いの北米の拠点の一つだったクロンダイクシェルターの跡地を堀り返している連中がいるようなんだ。その連中ってのは、どうも羊飼いに『担当者』の小脳についての知見を吹き込んだ奴等らしい。以前、俺とベルンハルトが汐留で会った時に、歴代『担当者』の小脳がどうとかって話があっただろう」
「随分昔の話ね。それに、あまり愉快な話じゃないわ」
シャーロットの顔が少し歪む。自分はその場にいたわけではなかったが、その後何が起こったかを思い出すと忌々しくでしょうがないのだ。
「あの時羊飼いの連中は、おおよその正解まで辿り着こうとしていた。俺達の小脳がどこぞと通信しているというようなことまでな」
「だけど、羊飼いというのは基本的にそんな研究機関を持たない集団だったわよね?」
「それがこの話の性質の悪いところだ。羊飼いからその件に関しての研究を委託された連中というのが今は独立した研究機関で、羊飼いへの報告が済んだ後もどういうわけだかその研究を続けていたらしいんだよ。極めて無邪気にね」
「羊飼いの研究機関だった連中が、上が潰れて独立したのかしら……。で、それとクロンダイクがどう関わってくるの?」
会長室から戻ってきた亜希が尋ねた。その顔色は冴えない。
「戻ったのか。大地の様子はどうだ?」
「なんとか落ち着いて今は眠ってるわ」
「そうか……じゃ、続けよう。内紛を続けた羊飼いはその数を減らして解散したような状態になっているが、別に死滅したわけじゃない。人口を無理に増やすのをやめただけで元構成員ってのはまだ残ってるんだ。当然、連中の手元には研究機関からの各種レポートも残っているし、検体サンプルだってあっただろう」
「お父様の脳腫瘍の生検サンプルも……」
「そうだ」
貴子は唇をぎゅっと噛んだ。
「ちょっと行って来て、プチっと潰してやろうかしら……」
小さな声で貴子がそう呟いたのを両隣にいた相田とシャーロットはちゃんと聞いていたが、二人ともあえて聞こえないふりをした。そこで合いの手を入れても反対意見を言っても結局貴子が暴走するのは目に見えていたからだ。
「はーん。で、その無邪気な科学者さん達が『ちょっと前のレポートで使たあの検体サンプルは興味深いからもう一度調べさせて』って羊飼いの生き残りに言いに行ったら『それはクロンダイクの地下深くにある筈やから、やれるもんならやってみぃ』って位置情報付きで言われたんやな」
「で、影山さんがブッ潰したクロンダイクのシェルター跡を掘り返した、と。やれやれですねえ」
今度は瞳が肩をすくめた。影山がクロンダイクを攻撃したのはデンバーで瞳と影山が爆弾テロを受けた報復が主な目的だ。彼女にとってもクロンダイクは愉快な地名では無い。
「そういうことだ。連中が何をどれほど掘り出せたかはわからんが、北緯60度超えの亜北極の地下深くだからな。保存状態さえ許せば何かしら得るものもあるだろう」
「でも、亜北極圏の地面を深くまで掘り起こすなんて、相当なお金がかかるんじゃないの?」
「元羊飼いならその話から漏れてくるカネの匂いが解らん筈はないだろう。アントニオの組織や壬生グループ並の富の源泉が手に入るかも知れないんだ。博打だとでも思っていくらかは出すだろうよ」
「話は解ったけど、それの何が問題なの? その研究員達が歴代担当者の小脳のサンプルを手に入れたところでシステムへのアクセス権を手に入れることにはならないでしょう?」
質問を投げかけたのはしのぶだった。しのぶはこの恐ろしげな会話に加わることにしたのだ。
羊飼いとの経緯について、しのぶは一族の教養として能力のインストール後にある程度聞かされていたが、細部の情報にしのぶが触れたのはこれが初めてだった。
その圧倒的なリアリティにしのぶは目を丸くするしかなかったが、そのままではいつまで経っても蚊帳の外になってしまう。それはしのぶが最も避けたい状況だった。
「40年前ならそう言えたな」
「しのぶ、あんたうちのトイレがどうしてあんなに厳重に排水を処理してるか気にしたこと無いの?」
シャーロットが少し、残念な子供を見るような目でしのぶを見た。
倉敷のシャーロットの家では家庭排水が下水道に直接流れこまないように特殊な浄化装置が設置されており、そこでは彼女らの遺伝子情報が修復不可能になるまで破壊されるような処理が施されている。 しのぶがそれを知らないわけがない。
「え?余所の家もあんなもんじゃないの?」
「うちは、私達のクローンを作ろうとする人間への防衛線をかなり厳重に敷いてるのよ。私達の場合は能力者バレしてないから、どっちかというと変態避けなんだけどね」
余談だが ”C&V twins.” ニューヨーク店で熱心なシャーロットのファンが清掃夫に化け、そういう行動に出たことが実際にあったのだ。
「えと、つまり……?」
「せやからな、しのぶちゃん。今の時代、法律や倫理さえ気にせんかったらあんたのクローンなんか簡単に作れるし、下手したら私らの小脳の奇形部分だけをうまいこと抽出して誰かの遺伝子にノックインすることも出来るんや。まあ、さすがに脳の器官やし出来たら受精卵の段階でノックインした方がええとは思うけどな。知らんけど」
「とまあ、そういうことだ。連中がマウスをカチカチっとやると俺達と同じ小脳に突起を持った人間が出来上がる。そこが問題なんだ」
しのぶは驚愕した。自分の考えの浅さを恥じもしたが、何よりこの場の人間の中で自分が一番話についていけていないという状況は彼女にとって初めての体験なのだ。
「でも、インストールがなければ能力の発現は限定的に……」
「無理だろう。貴子さんや大地、大河のケースを見ても生まれながらに小脳に俺たちと同様の器官がある場合は何らかの能力を持ってしまうことは明らかだ」
「能力者同士の全面対決になるってこと?」
研究者達が今後量産するかも知れない能力者と自分達との間で因縁の戦いが始まるのではないか、それはしのぶが思い描いた最悪のシナリオだった。
「それはないでしょうね」
亜希がそのシナリオをさも当然のように一蹴した。
「どうして?」
「連中も俺達とコトを構えるような無謀な事はしない筈だ。そんな無駄な事をするより、得た能力でせっせとカネを稼いだ方が奴等にとっても有益だからな。誰にどんなふうに能力を植え付けるか知らんが、成功の暁にはその能力者は研究所か、もしくはスポンサーのどちらかの強力な現金ジェネレータになるだろうさ」
元羊飼いの連中にしても研究者の連中にしても、影山物産に対して全面戦争をしかけて来るほどの恨みを持った人間はさほど残っていない。
まともな指導者、経営者なら得体の知れない影山物産の能力者集団を相手にして貴重な能力者を消耗するよりは、より有益な使い方をして自陣営の発展に資するべきだと考えるだろう。
当たり前だがしのぶにはそのあたりのバランス感覚がまだ無い。敵か味方か、マルかバツか、それくらいの双極的な価値判断しか出来ないのは現代教育の敗北と言えなくもないが、若者の特権でもある。
「でも、そういう匿名性のある強力無比な力って、可能なら独占したくなるものなんじゃないの? 独占したいなら私達は相当な邪魔者よ?」
いいとこナシのしのぶに亜希が助け舟を出すように割って入った。
「ふむ……亜希がそう言うんなら、ここは慎重になっておいた方が良いかもな」
影山のこの言葉を境に、この場に居たしのぶ以外の全員の顔が一気に戦闘モードへと変わった。不敵な笑顔、怒り、苛つき、その表情は様々だが明らかに日常生活から逸脱した何かを感じさせる。
「しのぶ、お前にこれを預ける」
影山がポケットからアケビのようなナスビのような物体を取り出し、机の上に置いた。LEDのようなランプがいくつか表面で光っており、しのぶは一見してそれが電子デバイスだと判断した。
「これは?」
「世界シミュレータのシステムにアクセスできるデバイスだ。『アケビ』と俺は呼んでいる。
普段は翻訳機として使っているが、他にも色々出来るらしい。こいつには俺達の小脳のような器官が搭載されていて、そいつはそいつ自身の判断でシステムにアクセスしているようなんだ」
「ほええ……いいの? そんな大事なもの」
「俺にはそいつの原理がまったく解っていない。世界シミュレータの開発に時間を取られてそっちに割く時間がなかったからな」
実際、影山にはそれ以外の行動は取れない状況にある。自分が世界シミュレータの完成を遅らせたら最悪この世界は無くなってしまうのだ。開発すればするほど次の課題が出てくる地球製の世界シミュレータの開発の先行きを考えたらアケビの仕組みなど考えている暇はない。
「これを使って、私は何をしたら良いの?」
「使うというか、デバイスを使ってシステムへのアクセスをする、その基本原理を解析してくれ。それが出来れば俺達以外の誰かがシステムにアクセスしようとするのを知ることも出来るだろう」
「なるほど。不正アクセスの監視をしようってことだね」
「年単位の時間はかかると思うが、相田の力を借りてやってみてくれ。必要ならエマの助けを得られるようにしておく」
「大仕事になりそうだね。私に出来るかなぁ?」
「まあ、この部屋をぐるっと見回してみて、お前が一番優秀そうだ。それにしのぶは俺達と働きたいと言ってただろう? 俺達と来るということはこういうことだ。ああ、資金については心配するな。ちゃんと影山物産で持つから」
「領収書はちゃんと取っておくのよ」
「ううう。さよなら私のモラトリアム」
一瞬で外堀が埋められた、としのぶは感じた。影山と働きたい、確かに自分はそう言った。しかし、自分から言いだしたこととは言え完成すればノーベル賞がダースで貰えそうな課題を高校生に出すとはなんて親だ―― 。
「とりあえずアレだ。貴子さんは滅多なことでDNAのサンプルを取られないように気をつけて過ごしてくれ。連中が一番欲しいのは、クロンダイクに埋まっているサンプル群を除けば、貴子さんのDNAサンプルの筈だからな」
「しょうがありませんわね。もっとも、私が何処に居るのかを把握出来るようなら、それはそれで大したものだと思いますけど……」
「確かにな。連中にそこまでの諜報能力があるとも思えんが……。
とりあえず大地を志摩に連れて帰って今まで通り面倒を見てやってくれ。その後は任せる。一応言っておくが、まだあの車には乗せるなよ?」
「えー……」
「えーじゃない!」
貴子が失望の色を隠さないあの車とは何なのか。しのぶは少し興味を持ったが「雉も鳴かずば撃たれまいに」と言う言葉もあることを思い出し、口をつぐんだ。
「しのぶと瞳には追って指示を出すが、まずは大河への告知だ。これは一両日中にやるからな。相田は連中の資金の流れを追ってくれ。亜希は全体の統括。それからえーと、シャーロットは……」
シャーロットは謎の微笑を顔にたたえていた。
「とりあえず、大河君のためにカレー買っとく?」