#013 天然と養殖
倉敷から伊勢志摩まで一瞬で移動させられた僕は、貴子さんのテレポート能力というものがどれほど自在かつ強力なものであるかを身を以て知らされた。
衝撃の一言だ。貴子さんの言うことを聞いていれば自分もああなれるのだろうか。
伊勢志摩での合宿は文字通りスパルタだった。貴子さんは仕事で忙しいらしく、その日毎の基本的なメニューを説明した後は教官に任せて仕事に戻って行く。貴子さんと顔を合わせるのは朝の30分と夜のブリーフィングの1時間だけだ。
そして朝から晩までの訓練時間、僕は教官達と過ごすことになる。
日中、教官達はこぞって僕の精神と肉体をいじめ抜く。極論すれば訓練内容はほぼそれだけ。手を替え品を替え、決して慣れることがないように考え抜かれた虐めだ。
最初に理不尽な課題が与えられ、僕がそれに誠心誠意取り組むと、罵られた挙句なけなしの成果を床にぶちまけられるような、そういう辛い体験がひたすら積み重ねられる。
これは辛い。
僕みたいにテストの点数を取るしか取り柄のない学生というのは「上手に出来たね」と言われて褒められることを心のどこかで期待しているものだ。なのに「なんでこんなもの馬鹿正直にやってるんだ」「こんな最低限のことがやっとのことで出来たくらいで何をドヤ顔してるんだ」と言われ、やったことを全否定されるような訓練が続くのだからたまったものではない。
僕にとってはまさにアイデンティティの根本に関わるような話だ。そうまでして僕に理不尽な仕打ちをすることにどんな意味があるのか。
半分泣きそうになったり実際に泣いたりして教官を恨みもしたが、そもそもがそういう訓練なのだと教官達は割り切っているようだった。恨まれることまでが最初から織り込み済みだったらしく、教官達は僕の怨嗟のこもった視線を叩きつけられても平気の平左な顔をしている。
取り付く島もないとはまさにこのことだ。
ああそうかよ。ちくしょう。
4日目の夜、昼間の扱いとは真逆の豪華なベッドの中で、僕は自分の訓練内容がどういう風に結果に結びつくのかを考えた。
忘れてはいけない。これは超能力の訓練だ。海兵隊の新兵訓練でもなければ、遠洋航海実習のための事前訓練でもない。なのにどうしてここまで僕に過剰なストレスを与え続けるのだろう?
訓練中や訓練後、僕は頻繁に血液検査や唾液の検査をされる。血中のコルチゾールやカテコールアミンなどのストレスマーカーを計測しているのだと説明されたが、要するにこの訓練プログラムでは僕のストレス値を日々をチェックしているのだ。
であれば考えられる可能性は二つしかない。
一つはこの理不尽な高ストレス環境が超能力発動のための条件である可能性。よくSFもので使われがちな設定が僕のこの現実にも当てはまっているかもしれないということだ。
潜在的超能力者のストレスが限界まで高まった時、超能力が発動するシーンは映画やアニメの山場にもよくあるじゃないか。「イヤボーンの法則」とか言うんだっけ……?
もう一つは、貴子さんがお兄さんの訓練で失敗した原因を分析した結果、あえてこういう方法をとっているという可能性。貴子さんの訓練を受け切るにはまず理不尽耐性やストレス耐性が必要で、その耐性を得るべく過酷な訓練が課されているのだということだ。
貴子さんの狙いがその二つのうちのどちらなのかは今のところ分からない。
どちらであってもこの訓練内容は納得せざるを得ない。辛いしムカつくし、止めて家に帰ろうと思ったことも一度や二度ではないが、ここは耐えなければ。
自分が超能力者になれるという可能性を捨てたくはないからだ。
今ここで岡山に帰れば僕は確実に、地方政治家の息子として決められたレールの上で一生を送らなければならない。
しかし超能力者になった暁には、別の未来が開けるかもしれないのだ。それがどんな未来かはまだ分からないが。
「悪の組織か……僕が超能力を使えるようになるまで存続してるといいなあ」
願わくば、その未来が少しでもこの哀れな男子高校生の妄想に近からんことを……。
◇◇◇◇◇
訓練が始まって10日。学校では夏休み中のいくつかのイベントが終わっている筈だ。クラスメイトのみんなはイベントを通じて良い思い出を作ったことだろう。
その彼等の思い出の中に僕の顔がないことを考えると一抹の寂しさが胸中を吹き抜ける。だが今年ばかりはそれも仕方ない。今回の訓練は僕が選んだ道なのだから。
夏休みの間に生徒の誰かが聞いたこともないような大会やコンテストで優秀な成績を収め、それを校長先生が始業式で誇らしげに皆の前で報告し、拍手が湧き上がる。
僕は毎年それを聞く度に何かに取り残されたような感覚に陥った。自分の認識外の場が世界の多くを占めており、自分は取るに足りない小さな砂場で生きているような、そんな感覚だ。
でも今年は違う。皆に拍手で祝福されることはないが、夏休みの確たる成長の証として僕には超能力が身につく筈なのだ。
だが、訓練が始まって10日経っても僕はサイコロの目一つ思い通りに出せない。さすがに僕もこの進捗具合には焦ってきた。筋肉はついてきた気はするが、期待している成果は筋肉ではない。
「超能力はとあるロジックに則って発動されるんだけど、それが実感できないうちはたぶん発動も難しいわよ」
11日目の夕食の席で、貴子さんが核心に近そうな話をし始めた。僕が少しばかり訓練プログラムの効果に疑問を投げかけたからだろう。
「そもそも僕のイメージする超能力というのは、そういった論理法則に束縛されない技能なんですけどね。結果を思い描いたらその通りになるような」
「それは超能力というより魔法かしら。私は魔法は教えられないわ」
「貴子さんの言う超能力というのはどういうものなんですか?」
「まあ、そろそろ核心に触れてもいいかもしれないわね。私の言う超能力というのは、この世を司っているシステムが管理している各オブジェクトのパラメータを脳のインターフェースを通して変更する、一連の能力のことなの」
「え……?」
唐突に難解で端的で、すごく情報量の多い答えが返ってきた気がする。
「この世を司っているシステム?」
「そうね。私のテレポートは私自身の座標を私の意思で書き換えることで発動するの」
「?」
「正しいテレポートをするには座標を書き換えるのためのメソッドをコールするんだけどね。私は天然だからそういう難しい手順を踏まずに『えい、やっ』でやってしまえる。そこが君のお父さんとの違いよ」
「???」
これはあれだ。内海が側にいてくれたら理解できる話なのかもしれない。メソッドとかコールとか、以前しのぶの部屋で覗き見た本に書いてあった気がする。そう、確かコンピュータの用語だ。
「父さんは、僕があなたと同じで天然だって言ってましたよね。天然がいるということは養殖もいるって事なんでしょうか?」
せっかく貴子さんがこちらの質問に答える気になってくれているのだから今のうちに聞きたいことは全部聞いておくことにしよう。貴子さんだって今の説明で僕が全部理解出来たなんて思ってはいない筈だ。
「あら、システムやパラメータ、メソッドコールの話はしなくていいの?」
「それは少し勉強してからにします。今聞いてもきっとわからないので」
「賢明だこと。それで、天然か養殖かっていうのは説明するのが難しいんだけど……正義の味方には二通りあるの、解るかな?」
また、男子高校生向けの説明かな?
「光の国の巨人のようにもともと大きな力を持っているパターンと、改造されたり特殊なスーツを着ることで正義の味方になったりするパターンですね」
僕も子供の頃からその手の番組や映画は見ていたのでこれぐらいはわかるぞ。
「そうね、正解。天然っていうのは光の国の巨人みたいなもので、生まれ持っての能力で空は飛べるし手から光線も出せる。養殖っていうのは改造人間にされた結果大きな力を身につけちゃった人間って考えるといいわ」
「改造人間? じゃあ父さんは改造人間なんですか?」
「そうね。あなたのお父さんもお母さんも、褐色娘とその娘も、ついでに毒……焼き鳥女もみんな改造人間ね」
「しのぶも?」
褐色娘がシャーロットさんのことだとしたら、しのぶも改造人間ということになる。
「しのぶちゃんは元は天然だったの。だけど手っ取り早く改造してくれってその筋にお願いしに行ったのよね。この世界を司るシステムの存在を嗅ぎつけちゃったのよ彼女。それで、ジュブナイルの主人公になるよりはもう少し上の次元で生きてみようって気になったらしいわ。改造はその証」
その筋ってどの筋だ? 何よりしのぶってもう超能力者だったのか? でも、改造人間になってお手軽に超能力者になっていたのならゴールデンウィーク明けに疲れた顔をして帰ってきたのはどうしてだ?
情報が多すぎて実感するところまで辿り着けない。
「じゃあ天然っていうのは、先天的に超能力の発動に必要な要因を持つ人のことなんですね。で、僕はその要因を『何かのはずみで』動作させてしまった、ということなんでしょうか?」
おそらくその要因というのはさっき貴子さんが話をしていた「脳のインターフェース」で間違いあるまい。
「実際には、発動のトリガーとして何か強い動機やストレスがあった筈なのよねえ……」
そういえば、しのぶが眞浦の車から不可解な方法で脱出した時、僕は殴られたり蹴られたり、しのぶの貞操が大ピンチだったりでかなりの高ストレス状態だった。
「なるほど、天然の能力発動にはストレスが欠かせない、だからこうして僕に毎日ストレスをかけているんですね?」
「ここで私がそうよって言えば、あなたは明日から大喜びで辛い訓練に取り組んじゃうでしょ。それじゃダメなのよ……。まあ今後は、何かしら脳の奥とか自分のいる位置とかを意識して欲しいんだけどな」
「いやいや、後で治療費や賠償金を払うからと言われても殴られるのは嫌じゃないですか。同じですよ。明日からまた半べそかきながら訓練するのに変わりはないです」
僕はそう言って、夕食に出されたオキザヨリのステーキというのを頬張った。近くの養殖所で育てているらしいが、なんとなく「すご塩」のスープに似た味がするのに上品な肉質でえらく美味い。
ほんとに、昼間の訓練以外は最高なんだよなここは。
「だったらいいけどね、あ、そうそう。あなたまだ物理は履修してないんだっけ? 物理だけはちゃんとやっておかないと後で困るわよ。あそこに私が使った本も並べてあるから読むといいわ」
貴子さんが指し示したリビングの本棚を見るとそこには科学雑誌やコンピュータ関連の書籍が多く並んでいた。しかも、えらく読み込まれている形跡がある。
ここを利用する人達の趣味嗜好かと思っていたけど、もしかしてこれらの本も全部、養殖天然に関わらず必要な知識だから置いてあるんだろうか……?
僕は一応独学で物理はやっておいたけど、僕の知識は「テストのための物理」だ。訓練の役に立つとは思えない。ここは貴子さんのアドバイスに率直に従うのがいいんだろうな。やっぱり。
その日から、僕が就寝する時間は2時間ほど遅くなった。
◇◇◇◇◇
貴子さんのレクチャーの翌日から訓練の内容は大きく変わった。これまでのストレス耐久8時間マラソンの日々は何だったのかというくらいの変化だ。
午前、午後ともに物理、数学、コンピュータについての座学と実習。合間に宿題。そして夜に貴子さんの時間が取れ次第、テレポートでビュンビュンあちこちに跳ばされるようになったのだ。
新兵の訓練担当のような教官達は島を出て行き、代わりにコンピュータを担いだ、見たまま理系科目の教官達がどやどやとやってきたところを見ると最初からそういう予定だったらしい。彼等は鬼教官とは違い夜になると島を出ていくのだけれど、それはやはり、貴子さんと僕のテレポートをうっかり見られないようにするためだろう。
そして嬉しいことに、そんな日々がわずか3日続いただけで、僕はテレポートが出来るようになった。ただし、まだまだたどたどしく不安定だけど。
最初のテレポートは無意識に、そしてだんだん意識的に出来るようになり、今は目標地点を決定して跳ぶ辺りの技術を習得しようとしているところだ。
「おう、来たか。どうだ調子は」
15日目の夕食後、貴子さんと一緒に跳んだ先は父のオフィス。母も同じ部屋で机を並べて働いている。他にもショートボブの綺麗なお姉さんが居たが、テレポートアウトしてきた僕を見ても騒ぎもしないところを見ると改造人間の一味なのだろう。
「あら、貴ちゃんやん。ほな、そっちが大地君? 遅うまで大変やな」
ショートボブのお姉さんが貴子さんに話しかけた。仲が良さそうだこの二人。
「うん。やっとモノになってきた感じ?」
「はは。大地君、お父ちゃんにもお母ちゃんにも似とんなあ。あんた将来苦労するでぇ?」
「やめてよ、相田さん」
困ったような顔をして僕とショートボブとの間に割って入ったのは母だ。久しぶりに母の声を聞いてホッとしたのか、僕は涙ぐんでしまった。
「ちょっとこっちに来なさい。大地」
僕は母に連れられて会長室と書かれた部屋に連れて行かれた。さっきの執務机が並んだ役員室とは違い、立派な応接セットがある部屋だ。
部屋に入った人が全員ソファに腰掛けると父が早速口火を切った。
「どうして俺達がお前を岡山にやったかそろそろ理解できたか?」
「うん」
人間というのは恐ろしい生き物だ。何か今まで不可能だったと考えられていたものが可能だと解ると、次々とそれを実現する者が現れてしまう。兵器であれ、工業製品であれ、身体知であってもだ。
絶対不可能だと言われていた難度の高い体操の技が実例とともに「可能」と報道されるや、次のオリンピックではそれが出来ないとメダル争いに食い込めなくなるなどというのはよくある話で、そんな例は科学技術や工業の世界にもたくさんある。
だからまともな科学技術先進国の政府は「今、うちの国ではこんなものを開発してます」などと技術開発ロードマップを発表したりしない。発表をするということは、それら技術的な課題に対して「これらのことは実現可能だ。目算もついている」というお墨付きを国が与えてしまっているに等しいのだ。
そんな情報を科学技術を競争力の礎にしようとしている新興国が放っておくはずがない。そういった新興国は自分達でも実現できそうな課題に我先に飛びつき、リソースを一極集中させて成功を掻っ攫ってしまう。そしてあわれ慎重な開発をしていた先進国はダイナミックな新興国に市場を奪われてしまうのである。
そして残念ながら日本の科学技術政策というのはあまり賢い部類ではないらしい。
超能力も今思えばそんな感じだった。貴子さんと何度も跳ぶことで心理的ハードルやブレーキによる抑えがどんどん効かなくなってきて、結局3日で体得できたのだ。
「身近に能力者が居て、それを目にする機会が多くなると僕の封印が想定よりも早く解けると思ったんだろ?」
「そうだ。超能力者になることは必ずしも人生においてプラスにはならないがな。大きな制限や、敵対関係などの負債も背負い込むことになる。目覚めないならその方が幸福に生きられるかもしれない。まあ、今回はいろんなことがあって目覚めない、というルートは残念ながら閉じてしまったわけだが」
「そうかな?自分に与えられた資質を眠らせたまま一生を送るのは幸せではないように思うんだけど……」
「否定はしない。お前の人生だからな。さて、じゃあどうして俺がお前の能力を記憶ごと封印しようとしたか、その直接の原因は思い出せたか? 実際のところ、お前の能力を封じたのはおまけみたいなものでな。記憶を封じたら能力も封じてしまったと言った方が正しいくらいのものなんだ」
僕は黙って首を横に振った。思い出せたことなど何もないからだ。それに、超能力ごと忘れさせたほうが良いと思うような酷い経験が僕の中にあるのなら、僕は正直そこをほじくり返したいとは思わない。実際に記憶を封じられたままでもテレポートは出来ているのだから。
「影山さん、それを今日、伺おうと思ってあえてここに跳んできたんですのよ。今後の育成にはその情報がないと、暴発の制御が難しいんじゃないかと思って」
貴子さんは、今後の僕の能力開発のためにはそこをほじくり返したほうが良さそうだと判断したようだ……。志摩にいるときとは随分違った真剣な表情で父に話しているところを見ると、冗談や好奇心でなくその情報は必要なのだろう。
貴子さんの言葉を受けた父は母の顔をちらりと見て、母もそれに頷いて返したがどうやらあまり良い話ではなさそうだ。
「イッチーも関係ある話なの?」
「うん……まあね」
母が、あまり僕や大河には見せたことのないような暗い顔をしている。珍しく話し始めるのをためらっていた母を見た父がポンと手をうち、口を開いた。
「この話は、同じ空間情報エディタの能力者としてしのぶにも聞かせるべきだろう。あと瞳もだ。一応当事者なんだから連れてくるべきかもな」
「連れてくるわ」
貴子さんは役員室に戻り、ショートボブと一言二言交わした後跳んでいった。でも大丈夫だろうか? しのぶはともかく瞳さん、今が一番焼き鳥屋が忙しい時間だと思うんだけど。
時計はいつの間にか夜10時を指していた。
大河、腹空かせてないだろうか?