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#010 ミス・ルナティック

「市川、保護者面談だ。校長室に来い。ご尊父には一足先に入ってもらっている」


 谷口先生の言葉に僕は少々面食らった。当然養母が来るものだとばかり思っていたのに養父の方が来ているという。養父の日頃の忙しさを考えるとえらく申し訳ない気持ちになる。


 それにしても校内がえらく物々しい。


 職員室と校長室の出入口にガードっぽい人達が立っている。着ている服や髪型、メガネなどはいかにも保護者か先生かといった感じでやわらかい印象を受けるが、ガードの持つ一種独特の雰囲気は隠せていない。先生や学生を威圧しないよう気を使っているのかな?

 それにしても、県知事って外出するのにこんなにガードが必要なのか? そもそも私用で行動するのにガードって……何かこう、まずいんじゃないの? よく知らないけど。


「失礼します。市川、入ります」


「こちらに座りなさい。お父様はもう来ておられる」


 促されるままに校長の対面に座ろうとした僕は、そこに養父ではない別の男が座っているのを見て驚愕した。


「と……父さん!」


「おう大地。大変だったんだってな。まあ座れ」


 座っていたのは実の父の方だった。


 外出用にといつも練習していた特殊メイクのせいか、不思議に年相応に見えなくもない。外見は自分の知る父とはまるで違うが、声も背中の丸め方もぶっきらぼうでめんどくさそうに話すその話し方も僕の知っている父そのものだ。

 太い黒縁メガネは今まで見たことがなかったが、父のことだからきっと何か仕掛けがあるのだろう。


「なんで父さんがここにいるんだよ?」


「呼び出されたからに決まってるだろう。しのぶの保護者面談で来たんだが、ついでだからこっちもな。市川の家には話を通してある。今、先生方にその説明をしていたところだ」


「しのぶは?」


「聞き取り調査だから口裏を合わせられないように一人ずつやるんだそうだ。俺はダブルヘッダーだがな」


 何ヶ月か不貞腐れて吹っ切れたせいか、父との会話が随分自然に出来る。僕はそんな自分の変化に内心かなり驚いたのだが、父はそんな僕の心情を知ってか知らずか、以前と変わらぬ話しぶりだ。正直ありがたい。


「……ゴホン。始めて宜しいですか?」


 校長の咳払いを皮切りに聞き取り調査が始まった。だが卓上にはICレコーダもなく、谷口先生も校長もメモを取る準備さえしていない。カメラで室内を録画するなら僕達の承諾が必要な筈だ。

 後で適当に書き起こした文章をマスコミや職員にばらまくつもりなんだろうか。イジメの放置がバレた田舎の中学校じゃあるまいし。


「今日遠くからわざわざお越しいただいたのは先日福山駅近くの繁華街で起きたこの事件についてなんですが―― 」


 校長がタブレットでWeb記事を指し示し、学校にマスコミが取材に押しかけて迷惑していることなどを説明した。父は一応、その説明を神妙に聞いているフリをしている様に見えるが横で見ている僕には分かる。これは腹に一物ある時の顔だ。


「――というわけで、当校でも市川君に当時の状況をお聞きしたいのです」


「なるほど、確かに警察は調書を学校に回してなんかくれませんし、再発防止を約束してくれるわけでもありません。お気の毒に先生方は五里霧中の中でマスコミ対応やら事後対策やらだけは求められてしまったわけだ。まったくもってご苦労様です。

 そんな先生方のために、私どもが事件の詳細を調査してこちらの資料にまとめておきました。そちらのタブレットにお送りしますので先生方のアドレスを教えて下さい。近距離通信がよろしければそちらでもかまいません」


「え?」


 校長の言葉の間隙を縫って繰り出された父の一言はその場にいた全員を思考停止に陥らせた。


「ですから、今回の事件における客観的な事実を全てこちらにまとめてあると言っておるのです。地元商店会や周囲のビル・店舗所有者の方々にお願いして、今回の加害者と被害者、その出会いから加害者の逮捕・連行・救急搬送まで、現場全域の監視カメラの映像をご提供いただきました。誰が何を話したのか、どういう行動に出たのか、全て一目瞭然にしてあります」


 いつの間にそんなことを……。おそらく母だ。この手回しの良さは母が動いたに違いない。


 父が鞄から取り出したタブレットで動画プレイヤーを起動すると、画面にはヤッチンとその仲間達が僕と内海を取り囲んだ時の映像が映し出された。


『まあな、おどりゃ結構な有名人じゃ。市川クン言うたか。お近づきの印にわしにもラーメンおごってくれんか?』


『なにゅう言んじゃ、 ヤッチン。 わしにならええけどけえつに絡むんはやめえや』


 僕とヤッチンが初めて出会ったシーンだ。音もちゃんと取れている。今どきの街頭監視カメラの性能は凄い。編集の妙なのか、ヤッチンがすごく頭悪そうに見える。


「この生徒は?」


「内海と言って、よく市川君と行動を共にしている生徒です」


 先生方にとっては十分興味を引く内容だったらしい。校長と谷口先生はとりあえず腰を据えてこの動画を見ることにしたようだ。


 動画には日時、登場人物の名前、在籍している学校、補導歴、だいたいの住所、その他諸々の情報が随所に見やすくキャプションされていた。まるでニュースの解説映像のようで解りやすいことこの上ない。若干カメラから遠いと思われた映像も超解像度化処理が施されているのか実に鮮明だ。

 映像がしのぶと眞浦の格闘シーンに入ると、編集にも力が入ったのかカメラアングルの切り替わりやズームのタイミングが非常に凝られており、見ている校長も谷口先生も「あっ」とか「よしっ」とか言いながら手に汗を握っていた。


『いやぁッ! 離してよ! 離せ! は・な・せーーっ!』


『暴れても無駄じゃぁ』


 しのぶのスカートが降ろされるシーンになると谷口先生はかなり興奮して前のめりになっていたが、モザイク処理が入ると急にスンと興味が失せたような表情になった。


 見てたぞこの野郎。


「おい、大地、こいつ大丈夫なのか? 教え子のスカートが降ろされてるのを見て喜んでるように俺には見えるんだが」


 父が小声で僕に囁いた。父もしっかり谷口先生の顔を見ていたようだ。


「まあ、そういう性的嗜好がある人だったとしたら……」


「やむなしということか? 認めたくねえなあ」


「不謹慎だとは思うけどね」


 映像の最後の方で、しのぶが車から脱出したところだけは僕の記憶と違っていた。しのぶは眞浦の車が右折のためにスピードを落としたところで無理やり後部座席のドアを開けて、転がるように出てきたことになっている。


「あれ?」


 僕の口からその言葉が出た途端、父の肘が僕の脇腹を打った。何のつもりだ? 僕は慌てて父の顔を見たが、特殊メイクのせいで表情が読めない。だが父が続けて僕の足を踏みつけて来るということは喋るなということだろう。


「……なるほど。よく解りました」


 校長が感心した表情で父に頭を下げた。僕が脇腹と足の痛さを堪えているうちに動画は終わっていたようだ。


「以上が顛末です。ご覧いただいたようにうちの子達は本件では完全に被害者ですよ。 そのきっかけとなったラーメン店出口での出会いも、大地が同級生の内海(なにがし)にラーメンをせびられての結果であり、日常的に盛り場を闊歩していたということではありません。事件当日は……、お前から言え。大地」


「あ、はい。当日僕は予備校の夏期講習の申込みのためにこの辺りに来たんです。その日は模試の申込みも近くの書店でやってまして、その日のレシートなんかもありますよ」


 校長は僕の出したレシートを手にとって検分を始めた。事件当日に警察で事情聴取された時、こういう日付の入った物は何であれ結構な説得力を持つと教わったので、今日は模試のレシートをポケットに入れて来たのだ。 


「……どうやらそのようですね。日頃から盛り場をうろちょろする素行不良の生徒が学校以外で開催される模擬試験を受けたり、上位校向けの夏期講習に出たりはせんでしょう」


「校長!」


 谷口先生が慌てた形相で声を荒げた。どうやら谷口先生は僕のことを「日頃から盛り場を歩く問題児」「宝くじに当たって金遣いが荒くなっていたろくでもない学生」などと校長に吹き込み、喧嘩両成敗みたいな安っぽい落とし所を用意していたようだ。


 谷口先生には十分な勝算があったのかも知れない。僕の釈明の出来ない場所で校長に何を吹き込もうが誰もそれを咎めることはないからだ。何よりその説明だと先生が圧倒的に楽なのだろう。

 ところが、僕としのぶが真面目で勉強熱心な生徒、かつ一方的な被害者ということになると楽どころではなくなってしまう。マスコミ対応にケアプランの作成、各方面への詳細報告なんかで。


「谷口先生、ここまでの資料が揃っていたら他にすることはありませんよ。影山しのぶさんについても事情聴取の必要は無いでしょう。下手をするとセカンドレイプみたいなことになりかねませんしね」


「しかし……」


「落ち着きなさい谷口先生。もし我々がマスコミに説明する内容とこの動画の間に差異があればその説明責任は我々にあるんですよ? 影山さんのご両親がこの動画を世間に公開したらあなた、どう説明するんです?」


 校長が谷口先生に小声で諭すように話していたが僕達には丸聞こえだ。校長も、あえて僕と父に聞かせているようでもある。


「そうですね。谷口先生でしたっけ。うちの娘のスカートが降ろされたシーンを見ている時の顔をうっかりこちらで録画してましたが、今の動画と合わせてネットデビューしてみますか?」


 父が眼鏡を外して縁の部分を何やらいじると、谷口先生が鼻の下を伸ばしてしのぶのアレなシーンを見ている様子がタブレットに映し出された。どうやらメガネのヒンジのあたりにカメラが仕込まれていたらしい。たぶん、谷口先生はもう何も出来なくなるだろう。


「録画していたんですか……影山さん、あなた、我々との信頼関係をいったいどうお考えなんですか?」


 憤慨する谷口先生。だがその抗議は薄っぺらい。明らかに「黙って我々を録画するような卑劣な人間の味方はできない」という主張でこの話の流れを変えようとしている。

 絶対に勝てない議論も、こうやってゴネて混ぜ返せば妥協点が自分の近くに降りてくることもあるかもしれないが、担任の先生がそんなことをするのを見るのはなんとも情けない限りだ。


「信頼関係というのは何度か信頼できる行為を互いに重ねた上で生まれるものです。先生と生徒、先生と親の間に無条件に発生するものではありませんよ。それに、あなた最初から被害者である生徒うちのこの味方をする気なんかなかったでしょう?」


 それは警察から帰ってきて僕をぎゃんぎゃん叱ったうちの養父母もだよな。家でさんざん絞られたよ。あんなところを歩くのが悪いとかなんとか。


「……影山さん、大変失礼しました。この資料は十分な説明資料として誰の検証にも耐え得る物と思われます。そして谷口先生、あなたがいると話がおかしくなるからしばらく出て行ってもらえませんか」


「しかし私は市川の担任で……」


「いいから出て行きなさい!」


 校長の、普段の柔和な物腰からは考えられない大きな声に谷口先生は固まってしまった。かわいそうに……相手が普通の生徒の父兄だったらここまで先生の株は落ちなかっただろう。


「ああ、谷口先生、こいつの成績、特に英語と暗記科目についてどうですか?」


 何だいきなり? ここで進路面談もやってしまう気か?


「抜群ですよ。期末テストでは暗記科目に限らず全て学年10位以内に入っていると聞いています」


 実際はもうちょっと上だが、まあそんなものだ。谷口先生も僕がどんな生徒かといろんな人に聞かれるので、ある程度成績なんかは把握していたらしい。その手間をあと一つ惜しまなければここまで自分の顔に泥を塗らずに済んだのに。


「ならひと夏くらい絞っても大丈夫ですね。谷口先生、申し訳ないが夏休みの登校イベントはこいつ、不参加ということでご了承下さい」


「それはまあ……家庭の事情ということなら構いませんが」


「大地、お前はしばらく俺と一緒に来るんだ」


「へ?」


「影山さん?」


 会話の方向があちこちに飛ぶので校長は困惑気味だった。いや、何より一番困惑しているのは僕だ。どういう話の流れだ? そして何が起きているんだ?


「ああ、その代わりと言ってはなんですが、カウンセラーだのケアプランだのはこいつにもしのぶにも必要ありません。しばらく私が預かって少々きつくしごいてやれば、あんな事件くらい何だって話になりますから。それにマスコミも、被害者生徒がどこかに行ってしまっていたら騒ぎようが無いでしょう? 先生方にも利のある話です」


 あまりに唐突だがきっと谷口先生にとっては最高の申し出だろう。明らかに先生の表情がさっきより明るい。逆に、校長の顔は若干険しくなっている。


「影山さん、虐待はいけませんよ!」


「さっきまでうちの子に不良のレッテル貼ってマスコミに差し出そうとしていた人が言ったとは思えないセリフですね。大丈夫、虐待なんかしませんから。ちょっと親子のスキンシップでもしようって言ってるだけですよ」


 父の呆れたとぼけっぷりを見て校長も谷口先生も開いた口が塞がらないといった顔を見せ、そして諦めの表情を浮かべた。

 先生方は保護者面談の開始早々に父に弱みを握られ、次におかまいなくと念を押されてしまったわけだ。抗う術は誰の手の内にもないので放心状態になるしかない、と。


「さ、そうと決まったら行くぞ大地」


「会長!」


 父が立ち上がろうとした時、校長室の扉の前にいたガードの人がひきつった顔で飛び込んできた。


「どうした。ノックもなしに」


「じょ、状況発生です!」


「報告しろ。どうなっている?」


「え、あの……」


 振り返ったガードの後ろに綺麗な和服を来た女性が立っていた。凛とした、という言葉がぴたりと当てはまる表情。見た目は二十歳そこそこでいいところのお嬢様といった感じだが、同じくお嬢様だった母とはまた方向性が違って見える。


「ここに居たのね影山さん。あら、誰その子?」


「だ、誰だっていいだろう。今は大事な面談中なんだ。出て行ってくれ」


 その女性は先生達の存在など意にも介さず、父だけをまっすぐ見ていた。

 彼女は父を見つけた途端ニッコリと笑顔を作っていたが、ガードの人も父もそれとは真逆だ。二人とも冷や汗をダラダラかいている。


 父がこれほど他人を恐れるなんて、いったいこの女性は何者なんだろうか。


「父さん、誰なのこの人……?」


「父さん……? ああなるほど、そういう事。ねえ影山さん、ボクちゃんに紹介してやって下さいな」


「ミス・ルナティック……」


「あ"?」


 バスン!バン!ドバン!


「あが……ぐがが!」


 女性を見てボソリとつぶやいた瞬間、ガードは大きな音とともに校長室の入り口扉に張り付いてしまった。恐怖か、それとも別の力が働いているのか。彼はピクリとも動けず、口を閉じることも出来ずに震えている。


「影山さん、ガードの躾がなってないわよ」


「やめろ、貴子さん! ここは敵陣じゃない!」


「……影山さんがそうおっしゃるなら。感謝なさい」


 貴子さんと呼ばれた女性が指をぱちんと鳴らすと、ガードは何かから解き放たれたように扉の前に崩れ落ち、ぐにゃぐにゃになってしまった。

 谷口先生は顔面蒼白。そりゃそうだ。目の前で出来の悪いB級SF映画のような光景が繰り広げられているのだから。


「な、何が起こってるんですか? あちらの方はどなたなんですか?」


 校長がなんとか状況を把握しようと一歩前に出た。なるほど、立場のある人って時としてこういう行動を取らなければならないのか。


「すいませんお騒がせしまして。彼女は壬生貴子さん。あの壬生グループの創業者一族の一人です。私と彼女は古くから親交があるのですが、時折このような世間知らずな無茶をするのですよ……。私が常日頃忙しい上に、今日はミーティング予定をキャンセルしてこちらに来たので業を煮やされたんでしょうな。ご迷惑をおかけして面目次第もございません」


 ほんとにそんな感じらしい。貴子さんと呼ばれた人がウンウンと頷いている。


「あの、その方がドバンって扉に叩きつけられたのは?」


「一種の催眠術みたいなものでしょうか。私にもよくわかりません」


「と、とにかく校内でこんな暴力沙汰? は困ります。壬生さんとおっしゃいましたか。当校に御用がある場合はご面倒でも事前にアポイントを取っていただきませんと……もしこちらの影山さんとのお話のために来たのであれば申し訳ありませんが一旦お引取りいただいた後、当事者同士でお話し下さい。こちらはもうお話が終わりましたので!」


 校長が勇気を振り絞ってその場を収め、僕の初めての保護者面談は校長と担任に最悪の印象を残して終了した。最悪の印象を増幅させたのは貴子さんだが。


 僕は父と貴子さんに両脇を固められてその日、学校を出た。これからどこに連れて行かれるのかは知らない。


 いったいどうなるんだろう、僕の夏休み?


街角カメラの映像については今後のエピソードで触れます。

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