表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/36

#001 大地としのぶ

★★★★★


 片道56分。岡山から東福山までJR山陽本線に乗った時の所要時間だ。この春、福山にある国立大の附属高校に入学した市川大地いちかわだいちはこの退屈な往復2時間をどのように過ごせば二度と戻らぬ青春時代とやらが楽しくなるかを電車に揺られながら考えていた。

 だがそれも長くは続かない。大地は程なく考えるのを止め、まだ遠くに少し赤みが残る朝の空を電車の窓越しに眺めていた。


 楽しくなるはずがない――。


 東京で頭のおかしくなりそうなほど苛烈な中学受験をくぐり抜け、やっと入学できた中高一貫の超進学校だったのに、高校の3年分をかなぐり捨ててこちらに来たのだ。失ったものは大きい。ため息の一つも出ようというものだ。


 男子校時代にはついぞ見ることの出来なかった女子の制服姿や、諦めていた同じ年頃の女子生徒との転がるような会話。そんなものは大地にとって鉛色の春の空を見るのと同じくらい味気ないものになっていた―― 少なくとも今は。


◇◇◇◇◇(大地の視点で物語が語られます)


 母、亜希あきの実家の家業は政治家だ。祖父は県会議員を6期勤めて引退。そして伯父は総務省を辞めて岡山県知事をすでに何期かやっている。今、岡山県は人口減が止まらない鳥取県と合併するという話が出ていて、伯父はその初代県知事の座を狙って鳥取県知事とポジション争いをしているのだとか。ただ、鳥取県は島根県との合併も視野に入れているとかで、伯父はその動向のチェックに余念がない。


 その伯父――母の兄に当たる人だが、伯父夫婦は子供に恵まれなかった。普通の家庭なら「残念だが子宝には恵まれなかった」で諦めるところだが政治家の家ではそうはいかないらしい。世襲だ何だと揶揄されもするが、地元の名士であり続け、家の格を守るためにも家からは議員や首長を出し続けなければならない。それが市川の家に通じる暗黙のコンセンサスだった。


「政治家を辞めたら、後は使ってない蔵があるだけの家に格もクソもあるかよ……」


 電車の窓枠に肘をつき、掌で歪んだほっぺたの中で愚痴をこぼすくらいしかこの件に関して僕にできることはない。


 伯父は跡継ぎを欲した。必要だったと言った方が良いかもしれない。母は実家からの猛烈なプレッシャーに負けたのだろう。僕と双子の兄の大河、どちらかが市川の家の養子に、ということになったのだ。

 次男であり、幼い頃から伯父に比較的懐いていた僕に白羽の矢が立ったのは母の実家側からすれば当然の理屈だった。

 もちろん、そんな大事な判断が無慈悲かつぶっきらぼうに僕に通達されたわけではない。別れも惜しまれたし申し訳なさそうな顔も見せられた。だからこそ、僕一人がだだをこねるわけにもいかなかったのだ。


 戸籍上伯父の養子になるだけでこれまで通り母と暮らすというやり方もあったのだが、今思えば養子に出されたという事がショックだったのだろう。僕は闇雲に母を恨み、顔も見たくないと母を無視するようなことをしばらく続けた。そしてあてつけのようにこちらの高校を受験し養父母の家に移り住んだ、というわけだ。


 母は世間一般のスケールを超えた金持ちらしい。おそらく、僕が伯父の家に来たことで養父たる伯父は潤沢な政治資金を確保できるのだろう。そういった大人の事情が聞こえるたびに僕の気持ちはささくれていった。


「まいったな。反抗期なんて今どき流行らないぞ……」


「ん?反抗期なの?大地が?」


 僕のメランコリックな気分にズケズケと土足で踏み込んで来たのはしのぶ。倉敷から乗ってきた、ミックスで周囲の目を引くほどの美少女だ。

 

 しのぶは僕と同じ学校の1年先輩で高校2年生、附属中学からの持ち上がり組だ。天性の美貌と知性、そして完璧な八頭身スタイルと天真爛漫な笑顔―― 非の打ち所がないにも程がある。こんな完璧超人と毎日机を並べなくてはいけないなんて、同学年の先輩方には同情してしまうくらいだ。

 もし彼女が僕と赤の他人で、なおかつ毎朝僕にこうして話しかけてくれる間柄だったなら僕の青春はけっこうなものになる可能性があっただろう。

 しかし、残念なことにしのぶは僕の姉だ。しかも腹違いの。彼女の母は自分の医院を持ちながら、岡山大学の医学部の非常勤講師もやっているらしい。


 僕に向けられる屈託のない笑顔はふてくされた弟のご機嫌をとる姉のそれだ。故に誰からどう羨ましがられようと、僕の高校生活はピンク色に染まる事はない。


「誰だっていいだろ……」


 しのぶが僕を気遣ってくれているのは解るが、それが鬱陶しくもある。いいから思う存分不貞腐れさせて欲しい。僕くらいしか、僕を可哀想だと思ってくれる人間なんていやしないのだから。



「まあ、大地はいろいろ家庭事情が複雑だからねえ……」


「ほんと、ドラマなんかのほうがまだスッキリしてるよな」


「あたしは小学校の低学年でこっちにきたから、もう父さんと離れて暮らすのには馴れちゃったなあ。大地んとこと一緒に父さんちで暮らしてた頃は父さんとも良く食事に行ったよねえ……あれから父さん元気だった?」


「やめろよ。あんな奴のことを父さんだなんて言うもんじゃない」


 端的に言えば、僕は父のことを好きではない。幼いころはそうでもなかったが、物事の道理が分かるようになってきて父への評価がぐるんと180度変わってしまったのだ。


 理由は簡単。僕としのぶの年齢がここまで近いということは、僕の母としのぶの母はほぼ同時進行で父と関係を持っていたことになる。そして父は母とも、しのぶの母とも婚姻関係を結ばなかった。世間的には夫婦別姓で通しているようだが、それを隠れ蓑にして十年以上も「両手に花」をエンジョイしている父を僕は心底軽蔑しているのだ。


「なんで?良い人だよ、父さん。うちの母さんなんかずっと父さんにラブラブで時々東京まで会いに行ったりするんだよ?」


「しのぶにとってはいい父さんなのかもしれないけどさ……」


 母はまだ父と東京の大きな屋敷で一緒に暮らしている。時折人類の存続がどうの、世界シミュレータがどうのと浮世離れした話を二人でしていたが、あれは何かの思考実験だろうか。僕が何かの拍子に二人の会話に口を出すと、二人ともぱたりと話を止めてしまうのだ。感じ悪いったらありゃしない。やっぱりあの家、出てきて正解だったかもしれない。


 もちろん、しのぶの母、シャーロットさんが東京の家に時々来ていたのも知っている。母との間で激しく火花を散らせていたかと思えば急に仲良くお茶を飲みだしたり、僕にはまったく理解できない関係が二人にはあるらしい。母に言わせればシャーロットさんは戦友なのだそうだが、その詳細については一切が不明だ。


 そうこうしているうちに電車が東福山に到着した。どこを見ても同じ服、同じ世代の連中がホームでうつむきながら歩いているのが見える。これは東京でも似たようなものだ。


「しのぶ、バスが来てる」


「お、まだ席があるね。ラッキー、乗っちゃえ!」


 駅前から学校までは徒歩20分。だが最近は自動車会社とIT企業が作った合弁企業が走らせている無人送迎バスが人気だ。バスと言っても車内では軽いコンビニ程度の買い物も出来るし、携帯デバイスの充電も出来る。なかなかに便利な移動手段だ。


 福山市は20年以上前から先進モビリティ特区として、モビリティサービスの構想を持つ様々な企業へ実証実験の場を提供してきた。無人運転やライドシェア、貨客混載サービス、限界集落へのオンデマンドバスサービスなど、その例は枚挙にいとまがないほどに。その流れで今や福山はMaaS(*)の実験都市のようになっている。

 僕達学生は、実験の詳細は知らされないまま取られ放題データを取られる代わりにこうやって便利な通学が出来るというわけだ。

 学校側もこのバスが生徒の通学時の安全を確保し、良からぬ場所への寄り道を抑制できるという利点を理解しているため、このサービスの利用を禁じることなく本人の自主性に任せている。


 僕としのぶはバスに乗り込むと当然のように隣り合わせに座ったが、それを見た同じ学校の先輩達はぎょっとした目で僕を見ていた。それほどまでにしのぶは有名人で、かつ、近寄りがたい存在なのだろう。


 しのぶはそんなことを気にかける様子もなく、僕にいつものように話しかけてきた。


「ねえ、大地はクラブ活動どうするの?」


「……今は何も考えてないよ。しのぶは何やってんだっけ?」


「私は帰宅部。開学以来の由緒と伝統ある部活だよ」


「何だよ。人に聞いといて自分は帰宅部かよ」


「人に言わせると、私はサークルクラッシャーなんだってさ。ただそこに居て、ニコニコしてるだけで周りの人間関係がどんどん悪くなっていっちゃうのよ。だから人間関係が濃密な空間にお邪魔するのは極力控えているの。他にやりたいこともあるしね」


「ああ……」


 確かに、これだけ人当たりのいい美少女がいつもニコニコ愛想を振りまいていてくれたら勘違いする奴が五月雨式に出てきそうだ。しのぶの判断はきっと正しい。


「僕も、高校の1年半とか2年だけやるようなクラブ活動に入るのはやめて勉強でもしようかな。東大に行って向こうで暮らす分には伯父さんも駄目とは言わないだろうし」


「そっかー。大地は東京に帰るか。それもありだねえ……」


「というか、もともとそっち狙いなんだよ。僕は」


 東京で僕が通っていた学校は一頃ひところは毎年200人も東大に合格者を出していた超の付く進学校だ。学科教育の手法の先鋭化と長引く不況のおかげで公立高へ進学する層が増えたのと、地方と首都圏でのレベルの差が無くなってきたことが理由で今では東大の合格者は毎年150人を下回っているが、そのブランド力は未だ根強い。

 東大に行けば中学時代のクラスメイト達と再会も出来るだろう。そんなに会いたいって程の奴が居るわけじゃないけど。


「チッ」


 遠くで舌打ちの音が聞こえた。軽々しく「東大」を口にしたのが気に入らなかったのだろうか、上級生達がこちらをあまり穏便でない目で見ている。

 明らかに車内の空気が変わっていた。上品な附属高の学生がいきなり胸ぐらを掴んでくるはずもないが、いらぬトラブルは避けたいところだ。


 学校につくまでの残り数分間、僕としのぶは苦笑いしながら口をつぐんでいた。


 プシュー…… ンカー…… ピッピ……



 校門前に到着した送迎バスから降りる。ここから先はさすがにしのぶとは別行動だ 


「今晩どうする?母さんがカレー作るって言ってるけど」


 別れ際にしのぶが「当然、来るよね?」という顔で聞いてきた。


「うん、シャーロットさんのカレー久しぶりに食べたいな。じゃあ、夕方お邪魔するよ」


「どこか他に寄るところがあるの?」


「ああ、線路の向こう側にゲーセンを見つけたんでちょっとぶらついてみたいんだ」


 東京では誘拐防止のために僕にはそれなりの数のガードが常時はりついていた―― もちろん同級生にはそれと判らぬようにだが。

 そういった警備上の問題もあって僕には盛り場で遊ぶという経験が無かった。しかしこちらに来てからはそのガードたちの姿が見当たらない。つまり盛り場にも行けるということだ。これは、こちらに来てからの数少ない僕にとってのメリットなのではあるまいか。だったら行くよね? 盛り場! 多少風紀上の問題はあるかもしれないけどさ。


「なにそれ? 面白そうじゃない。私も行くから! 置いていくの禁止ね!」


 うーん……ガードは居ないが、ガードしなくちゃいけない人が……。こっそり一人で行ったら怒るだろうしなあ……。

(*) MaaS = Mobility as a Service の略。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ