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アイを唄う人魚と鏡の魔法 Ⅲ


  

   2 

 

 執務をする場所としての部屋は支配人室が用意されていますが(実際は白亜と一緒に事務室にいます)、私は「白猫座」で寝起きしているので生活の場としてのスペースも用意されていたりします。

「わあ、すごい」

 部屋に入るなり透火さんは感嘆の声をあげました。

 二階ロビーにある螺旋階段から三階ロビーを抜けた第四層にその部屋はあります(余談ですが、建物の構造上、二階ロビーは一階席の入り口、三階ロビーは二階ロビーと一つ数字がズレるのでお席の案内するときにちょっと困ることがあります)。

 そこはかつて公演が終わった後、お客様と出演者がちょっとしたパーティーを開くための貴賓室のような場所でした。けれど、もう数十年使われることはなく今では私と白亜の居住スペースとして使われています。

 そういうお部屋なので部屋に置かれた調度品はちょっとしたものなのですよ。まあ毎日使うようなものはイケアやニトリで買ってきたものなんですけどね。

「透火さん、奥にシャワーがあるので使ってください」

「ありがとうございます、彼方さん」

「いえいえお気になさらず! せっかく来てもらったのに風邪なんて引いたら大変です!」

 恥ずかしそうに浴室に入る透火さんから濡れた制服を受け取ります。今、洗濯乾燥機に入れれば公演が終わる頃には乾燥も終わっているでしょう。ドラムの扉を開ける直前、念のためポケットを全て調べてみましたが、やはりチケットはありませんでした。

「ですよねー」

 もしやと思ったのですが、そう都合よくいくわけがありません。部屋の中心に置かれたソファー(夜は白亜がベッドとして使っています)に身をだらしなく投げ出すと逆さまになった窓から空を眺めました。

 強い雨が硝子を打ち付けています。

 6月上旬に南太平洋沖で発生した台風は昨日熱帯低気圧に変わりましたが、雨の勢いは台風と変わることなく振り続けています。

「はあ……休演にならないといいのですが……」

 別に透火さんに隠していたわけではないのですが、主演を務める碧海しんじゅさんは飛行機が欠航になったため劇場への到着が予定より大幅に遅れています。今は高速道路を横断している最中なのでどんなに早くても到着は開演ギリギリといったところでしょうか。

 碧海しんじゅさんも心配ですが、それ以上にお客様のことも心配です。魔法のチケットがあれば道に迷うことはないでしょうが、チケットには災害や事故から守ってくれるような力はありません。

 ―――公演に関わる皆さま全員が何事もなくどうか楽しい一夜を過ごせますように。

 ソファーから身体を起こし両手を組んでしばらく目を閉じているとやがて浴室の扉が開く音がしました。

「あ、あのう……着替えありがとうございます……」

「アメイジング!」

「きゃっ、彼方さん……苦しいです!」

 抱きしめた身体からはぽかぽかとお湯で温まった体温と芳しいシャンプーの匂いが漂ってきます。うーん、同じものを使っているのにこの違い。やはり若さですかねえ。

「透火さん、ものすごーく似合っていますですよ、ですよ!」

「そ、そうですか……?」

 夜空を思わせる黒色の襟付きワンピース。やはり黒色のケープコートから伸びる銀のチェーン。足元はちょっと重いイチイの木靴。そして、お胸には白猫座のシンボルカラーであるホワイトのリボンタイが可愛らしく結ばれています!

 そうなんです。渡した制服は完全完璧に似合っていました。「支配人代理兼館長代理(手書きです)」のプレートとケープコートの色以外は私が今着ているものと変わりません。ですが、胡散臭い私が着ると「幽霊劇場の妖怪ババア(近所の小学生命名)」なのに対してイノセントな透火さんが着ると愛らしい魔女さんにしか見えないのです。

「制服ってこっちだったんですね……。てっきり白亜さんの着ている着物の方だとばかり」

「えっ? そっちが良かったんですか?」

「えっ? いやいやこの制服で大丈夫です! ストップです! 透火さん。ギラギラした目で白亜さんのものだと思われるタンスを物色しないでください!」

 あー! 大失敗です! どうして思いつけなかったのでしょうか?

「もう! 本気で凹まないでくださいよ!」

「だってー」

「え、ええと、仕事、仕事は何をしたらいいですか? 私にできることなら何でも言ってください! 私、アルバイトなので」

「そんな! アルバイトなんて頭の固い副館長を黙らせるための方便ですよ! 今日はまあ職業体験みたいな感じで気楽にやってくださいな」

「そうはいきません! チケットのことだけでも申し訳ないのに、シャワーや着替えを貸してもらってそのうえ洗濯まで。せめて何かお返しをさせてください!」

「そうですかー? じゃあ負担にならない程度に」

「ええ、ぜひ!」

 ああ、そんなキラキラと輝く目で私を見ないで。いかにも余裕のある大人のように装っていますが、正直なところ猫の手でも使い魔にして借りたいぐらい人手が足りていません。普段手伝ってもらっている「魔女見習い(仮)」の子は今日はお休みで白亜も館内設備の管理で手一杯。なので今夜の場内業務は全て私一人でやらないといけません。

 そのうえ今夜はこの荒天です。開演の遅れや電話対応、それにラウンジを使われるお客様も普段よりも多いでしょう。だから、臨時アルバイトが手に入るなんて降ってわいた幸運なのです。もちろんその辺は白亜も百も承知のはずです。

 汚い、さすが大人汚い。

「じゃ、じゃあまずはエントランスのモップ掛けをしてもらいましょうか?」

「わかりました! 支配人代理!」

 ああ、なんだか自分が汚物の塊になったような気分です……。

 それから透火さんには館内の清掃をお任せし、私は私で別の場所でお仕事をしていました。予想に反して問い合わせの電話は一度も鳴りませんでした。事務所の古いデスクトップPCで一度調べてみましたが、どうやら交通機関に大きなトラブルは生じていないようです。

 ほっ、今夜はどうやら無事に開演できるようです。

 胸をなでおろすとちょうどエントランスホールの機械時計が17時を知らせました。

「透火さーん、ちょっと来てくれませんかー」

「はーい」

 二階ロビーの奥から声がすると、やがて水を真っ黒にしたバケツを両手で持った透火さんが階段から降りてきました。

「お疲れ様です。大変だったでしょう?」

「いえ、意外ときれいだったのでそんなに……いや、意外というのは失礼でした。ずいぶん古い建物だから、あの、そのう……」

「いえいえ、別にいいんですよ。建物がもうずいぶんおばあちゃんですからねー。でも、普段は白亜がちゃんと掃除をしているので案外キレイなのですよ」

 こんなこと白亜に聞かれたら「おまえもやれ」と絶対キレられますね! あの副館長さんは三度のご飯よりも掃除が好きなような掃除マニア、というより塵や埃を憎悪する偏執的コスモス過激派といっても過言ではないのです。

「さて、透火さん。あなたに新しい仕事を与えましょう」

「はい!」

 緊張した面持ちの透火さんに私はラウンジのカウンター席に座るよう勧めました。それを確認してから私は厨房のドアを開くのでした。

「さあ、これがあなたの新しい仕事ですよ」

 カウンターに漂う甘いカスタードの香り。というより透火さんが階段から降りてきたときから厨房の奥から匂いが漂ってきたのでネタバレにならないか冷や冷やしました。でも、どうやらそうではなかったようです。

「わあ、すごくいい匂い。これはタルトですか?」

 焼きたてのエッグタルトは生地がさっくりと焼け、中にはぐつぐつと煮えたぎるカスタードクリーム。ちなみにクリームの上の焼き焦げ部分がまた違う食感でとってもお勧め。そしてそして、この甘い甘いカスタードクリームの中にシナモンパウダーをかけるともう頬っぺたが落ちちゃうぐらい美味しいのです。

「そのエプロン、もしかして透火さんが作ったんですか?」

「ふふん、実は私、お菓子作りが得意なのですよ、ですよ」

 白猫座のラウンジは密かな自慢ポイントです。当日数量限定の手作りケーキにちょっと懐かしいウェハース付きのバニラアイスにオリジナルブレンドコーヒー。そして、魔女が煎じた秘密のハーブティー! どれも自慢なので一度お試しあれ♪

「すごーい! すごく美味しそう!」

「ウフフ、美味しそうではなくて今から美味しいになるんですよ」

「へっ? 食べるんですか?」

 この反応ですよ。もう! どれだけお姉さんを悶えさせれば気が済むんですか? この魔性の女子中学生め!?

「そんな、悪いですよ!? 洗濯や着替えをもらっただけでも―――」

 蒲公英のようなお口を指でそっと触れてから私は勝手知ったるラウンジのキャビネットから食器やらフォークやらを取り出します。

「透火さん、これはお仕事です。お客様に提供するものに何かあってはいけません。さあ、飲み物をどうぞ。時間は有限なのですよ。はい、飲み物は何がいいですか?」

「じゃあ、紅茶を―――」

 五分後、ルビー色の輝きが私たちのカップを満たしました。アールグレイの芳醇なベルガモットの香りは甘いクリームとハーモニーを奏でます。ちなみに飲み慣れない透火さんに配慮して少し茶葉は少なめにしましたが、それでも鼻孔にくすぐる香りは弱くありません。

「…………あ、美味しい」

 つかの間の優しい時間が私たちを包みます。ここは普段もとても静かなところですが、振り続ける雨のせいでまるで世界と切り離されたかのよう。

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