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転移した先の世界で獣娘と添い遂げた男が今際の際に語る物語

作者: 文月詩歌

 女の視線の先で男が死にかけていた。


 遠於呼とおこは、寝台に横たわる男の姿を、何をするわけでもなく、傍の椅子に腰掛けてただただ見守っている。長命である獣人種の遠於呼とおこと異なり、男は徒人ただひとだった。

 名を架流間カルマという。

 徒人の寿命を短く見積もって八十年としても、架流間にはまだその半分に近い時間が残されているはずだった。

「はずだったよな」

 遠於呼とおこの口から、ぽつりと零れた。

 架流間が死にゆく原因は、普通ならば致命的ですらない「ちょっとした病」だった。

「なんてことない病だった。なのに……」

 魔術的治療にしろ癒しの祈りにしろ、いずれにせよ多少の金を払えば、魔術師か祈り手の施術で問題なく治る程度の病のはずだったのだ。

 だが、「その程度」がふたりにとっては遥かな高みにあっただけだ。

 異世界から転移して来たと自称する架流間の体には魔力が流れていないから、魔術的な治療が効果をたなかったし、神に見捨てられた種族と称される獣人である遠於呼とおこには、癒しの奇跡を呼び起こす祈りは唱えられなかったし、生まれたときにこの世界の神の祝福を施されていようはずのない架流間に、神の奇跡を施す祈り手が現れなかっただけだった。

 そして、怪我の治療と病気の平癒を魔術とを奇跡に頼るこの世界では、医術や薬石などは児戯に等しい。

 故に、架流間は死につつあり、遠於呼は見守るよりほかないのだった。

「昔さ」

 眠りから覚めた架流間が、眼を閉じたまま言葉を発した。

「起こした?」

「いや」

 遠於呼とおこは自分の呟きが眠りを妨げたかと詫びたが、架流間はそうではないと答えた。

 ――この男は、この期に及んでまで私に気を遣うのか。

 架流間は元来眠りが浅いたちで、床についてから一晩に幾度も目を覚ますのが常だったことを遠於呼は知っていた。彼が病魔に侵されて以降は、息苦しさからかそれが悪化していた。

「昔、近所に女の子が住んでてね」

「そう」

 さり気なさを装って気の抜けた返事じみた相槌をしてはみたものの、女の話をされては、遠於呼は正直いって面白くない。

 ――見ず知らずの女に嫉妬している自分が嫌いだったから。

 ――架流間が浮気するわけないと信用しているのに、それが嘘に思えてしまうから。

 ――おそらく徒人ただひとであろう女に、引け目を感じるなどと、獣人族の女の誇りにかけて、認めるわけにはいかなかったから。

 徒人が中心のこの世界にあって、遠於呼たち獣人は亜人デミヒューマンにカテゴライズされている。古代の神のすえとして畏怖の対象であると同時に、地域によっては、二等市民として被差別的な取り扱いをされることもあるのだ。

 つまり、徒人からは対等と見られないことが多い。それゆえに、獣人たちは自らの出自を誇り、獣人であることに固執しがちである。それがまた徒人からは、鼻持ちならないと敬遠される原因ともなっていた。

 また、二百年を超える人生の大半を、徒人でいうところの十代後半から二十代前半の容姿を保ち、総じて見目麗しいことが、徒人の女たちの嫉妬と恨みの対象ともされた。

「それで」

 遠於呼は言葉を継いで、話の先を促す。

「おれが、子供の頃だから、何十年も、以前のことだ」

 架流間が苦しそうに、区切り区切り語るが、彼が逝く前の最後の力を振り絞ってでも伝えたいのだろうと、遠於呼は静かに耳を傾ける。

「不思議な子、だったよ」

 架流間の話は次のとおりだ。

 子供の頃、まだ架流間がこちらの世界に転移するよりも十年以上も昔、彼の家の近所に幼馴染の女の子がいたのだった。幼馴染といっても、年齢は彼より幾つか下だったし、彼女の家があったのはわずか数年のことだったらしい。架流間が幼少時の、それも極短い期間にしか交流のなかった女の子のことを、数十年経た今も彼が記憶しているのは、それだけ女の子の印象が強かったからだ。

 その女の子は犬や猫といった動物の言葉が分かったのだという。

「物言わぬ動物たちの、言いたいことが、わかるなんてさ。当時のおれでも、にわかには信じられなかったよ」

 架流間がそのことを信じるようになったきっかけは幾つかあった。

 一、猫が足が痛いと主張するので獣医につれていくと、骨にひびが入っていたこと。

 一、餌を食べない小鳥から食べたいものを聞き出して、飼い主に感謝されたこと。

 一、迷子の犬の飼い主を、その言葉を頼りにふたりで探し当てたこと。

「そうね」

 その女の子が架流間の初恋の相手だったのか、遠於呼の中の嫉妬心が鎌首をもたげてきて、自己嫌悪の念に駆られる。

 遠於呼は、両の手を見ている自分に気がついて、架流間にそうと知られないよう、腕を下した。スカートの裾を握り締める手に、自然、ぎゅうっと力が入る。握りしめた拳の手の平に爪が食い込み痛かった。爪の鋭さに、自分が獣人であることを思い知らされる。

 獣人は亜人だから、基本的に徒人と変わりはないと遠於呼も知っている。眼に見える違いは、指の爪の鋭さ、足裏の肉球、徒人と比べて長い犬歯、縦長の瞳孔、頭頂部近くの尖がった耳、それと美しい毛並みの尻尾あたりだろう。

 遠於呼が架流間と共にいようと心を決めたとき、服の上から見えない部分にどれほどの違いがあるのか怖れたものだが、だれにも確認のしようがなかったことと、徒人と獣人で子を成すことが出来る事実から、「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせていた。

「ヒトからしたら、儚い生命いのちの、動物でもさ、精一杯生きてて、楽しいと、言っていたよ」

 死に行く架流間は遠於呼に、自分は幸せだったと言いたいのだろう。

「そう」

「死に触れる、のは、特に、子供には辛い、だろう、に。なぜ、神様は、あの女の子に、そんな業を、背負わせた、のか」

 物言わぬ動物でさえ、その死は悲しい。言葉が通じて、意思の疎通が図れる動物であれば、なおさら、悲しかろう。

 死に行く架流間は、自分は幸せだったから、遠於呼に悲しまないで欲しいと言いたいのか。

 ――遠まわし過ぎて、私にしか伝わらないよ。

 この場に二人きりなのに、遠於呼にしか、いや、遠於呼であっても何とか理解できるようなそんな言い回ししか出来ない男の不器用さが愛おしかった。

 直截的な物言いを好まない架流間流に愛されているという実感があった。

 遠於呼は、架流間が伝えたいことを言い尽くしたと察した。

「私さ、あなたのお話で、ひとつ好きな話があってね」

 横たわり目を閉じた架流間に語りかける。

「あなたが生まれた世界の話で――」

 遠於呼は少し言い淀む。

「人が死んだら、魂が身体から離れて、また生まれてくるって話。死んでしまったら、それで終わりでもなくて、神様の許へ向かうのでなくて、違う身体で生まれてくる話」

「輪廻の話か」

「そうね、輪廻の話――」

 最期の時が近いとは思えないような、弱弱しさのない声だった。

「神に見捨てられた私たち獣人は、死んでも……、死んだら、いえ、死んでも、あなたの処にいけないから。この世界の神の祝福を受けられなかったあなたも、私を待つことができない。でもね、あなたの世界の宗教なら、生まれ変われるなら、私が生きている間に、あなたが生まれてくるのを待っていられる」

「それじゃ、まるで呪い、だよ。おれは、きみがおれを忘れて――」

つよ」

 間髪を入れなかった。

「きみの手で、終わらせてくれるのか」

「本気で怒るよ」

 ――この男は、変に気を回すくせに、肝心なところで繊細さに欠ける。

「きみに怒られるのは、いつ振りだろうな」

「初対面のときね」

「耳を、触ろうとした、ときか」

 懐かしいな、と。

「なんて失礼な徒人だろうと思ったわ。尻尾なら殺されてた」

「そうだった、ね」

 架流間が小さく笑った。

 耳や尻尾はダメで抱くのはいいのかという彼の呟きを、遠於呼は聞き流した。

「そういえば、おれが異世界人だと、信じてくれるんだな」

「私にもある魔力が、徒人であるあなたに無いと分かったら、そんなことあり得ないのに。そうだったのだから、そう思うしかなかった」

「おれが異世界人じゃなかったら、まだ二、三十年は一緒にいられた、のかもな」

 魔術的治療か癒しの奇跡の恩恵に与れたら、彼は死ぬことはないのだから。

「あなたが異世界の人じゃなかったら、あなたの妻にはなっていなかったでしょうね」

 獣人の村に徒人が単身乗り込み、あまつさえ、婦女子の耳に触れるなどという非常識は、この世界の人間にはあり得ないはずのものだった。架流間が異世界人であれば、無い話ではなかった。その非常識が夫婦の切っ掛けになるのだから、人生は不可思議だ。

「あなたが異世界人じゃなかったら、か……」


 ――もし、〇〇じゃなかったら。


 もし、もしも、仮に、もしじゃなかったら、もし、もし――。

 遠於呼がずっと飲み込んできた言葉だった。

 獣人の誇りにかけても、絶対に口にしてはいけない言葉だったが、架流間とあとどれくらい言葉をかわせるだろうかと思い当たった瞬間、口から溢れてしまった。

「私が獣人じゃなかったら――」

 抑えられなかった。遠於呼が獣人じゃなかったら、架流間と出会えなかった可能性など、頭から飛んで行ってしまった。

「私が獣人じゃなかったら、あなたは死ななかった。あなたが異世界人で、魔力がなくて、魔術の治療が受けられなくても、死ななかった」

 獣人の誇りはなど、一滴も残さず蒸発してしまった。

「私が獣人じゃなくて、徒人ただひとだったら、きっと癒しの祈り手になって、あなたのために奇跡を起こして、あなたは死ななかった」

 途中からはもう絶叫していた。

「私が獣人じゃなかったら、――」

 一通り叫び終えて、遠於呼は頭の芯から血が引いたからなのか冷静になった。

「――あなたと一緒に年を取っていけたのに……」

 遠於呼は、目を閉じたままの架流間の右手を取ると、自分の左耳にそっと寄せた。

「耳も、尻尾も、いつでも触れてよかったのにね」

 耳に触れた架流間の手が微かに、撫でるように振れた。

 ――この男は、私が嫌ということはやらなかったな。

 ――この男は、変に、繊細さに欠けるくせに、妙に気を回すんだから。

 架流間が「そうか」と呟いたのを聞いた気がした。耳に触れている手から力が抜け、そのまま真っすぐ下に落ちた。

「架流間……」

 呼びかけた遠於呼の声に返事はない。

 架流間の口が大きく開き、深く息を吐き出した。

 

 女の視線の先で男が死んでいた。

当初、男の視点から書こうとして上手くいかなかったので、女の視点に変更したら予定より長くなってしまいました。上手くいかないですね。

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