前篇
ある大都会の、洒脱なオフィス。
高層階のビルにあるその部屋には、採光性の良い大きな窓から外の摩天楼を見下ろす事ができる。昼にはまるで鳥の王になった様に俯瞰し、夜には煌めく宝石を散りばめた絵画のように愛でることができる。
時間の変化によって万華鏡の様に移り変わるその景色を、とあるテレビ局のディレクターC氏は眺めていた。居心地の良い高級なソファに座り、多少の嫉妬心を感じながら。
これから彼が行うのは「ヒイロ・ブレキオナール」という男の取材である。
芸術の女神に愛された男――それが、ヒイロ氏の呼び名だ。
彼は広告や宣伝業界を皮切りに、音楽、マスメディア、絵画、建築、書籍、さまざまな分野のデザインなど、およそ「芸術」と名のつく領域すべてに手をだし、同時に輝かしい成功を収めている。
いちどだけの一発屋ならまだ話はわかる。しかし、彼はコンスタントにアイデアを出し続けてさまざまな人間を魅了し唸らせる。時には大衆を、時には批評家を。そして時には、その分野のプロや同業者や重鎮までをも。
そんなヒイロ氏は、まだ40代半ば。まだまだ脂がのった時期であり、勢いは衰えそうにない。
今日は、そんな時代の寵児をぜひテレビ番組で特集を、というディレクターの上司の特命をうけて取材にやってきたのだ。
ヒイロ氏は、普段あまりマスメディアには出てこない。とくに、取材に時間がかかるテレビには皆無といって良いだろう。
そんな彼が、なぜか今回に限っては取材を快諾し、ポンポンと順調に事が進んだ。幸先の良さに安堵しながらも、俺の運もここまでか?と若干不安が混じる。
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5分ほど待つと、くだんのヒイロ氏が姿を見せた。
「やあ、はじめまして。今日はよろしく」
明るく人好きのする様子で、彼とディレクターCは握手をする。
「こちらこそ貴重なお時間をありがとうございます、ブレキオナールさん」
「そんなに畏まらなくったっていいですよ、ブレキオナールでもヒイロでも、好きなように読んでください」
「それではヒイロさん、今日は初回の打ち合わせということでカメラも回しておりません。ぜひお互い腹をわってといいますか、これから先お互いできるだけ隠し事もなく、嘘のない関係性でいたいものです」
「ええ、それはもちろん。こちらこそ本望ですよ」
受け取りに方によっては嫌味とも牽制ともとれるディレクターの言葉を、ヒイロ氏は無邪気な言葉と笑顔でうけとる。
その姿を見たCは自分の身の内の黒さを少し恥じた。
「今回は、我が社の取材の申し込みをご快諾いただきありがとうございます。で、先ほど申し上げた『嘘のない』関係のためにも……最初に、個人的にはなりますが、お聞きしたい事があるんです」
「ええ、なんでしょう?」
「なぜ、今回、我が局の取材を受けていただいたのでしょうか?あなたくらいの方であれば、今までにも無数の取材依頼があったことでしょう。でも、少なくとも私が見た限りでは、今回のような特集番組は今まで作られていない。つまり、そういった取材は今までお断りされていたんだと思います」
「ええ、おっしゃる通りです」
「なのになぜ、今回は受けていただけたのでしょうか?」
アシスタントに出された紅茶を飲んでいたヒイロ氏がカップをソーサーに戻して、しばし沈黙した。
その顔は困惑しているというよりも、むしろ大人の反応を試そうとする茶目っ気ある子供のように見える。
「そうですね、そのような疑問ももっともだと思います。
……今回なぜこのような取材を受けることにしたのか。それは、私の創作の秘密にもかかわることです」
創作の秘密!
いきなり今回の取材で迫りたい核心部分の本丸が出てきたぞ!Cのテンションは一気に跳ね上がった。
「それは是非ぜひお聞かせ願いたいものです!もちろん可能な範囲で構わないのですが」
「包み隠すことなんて何一つありませんよ。ただ、ちょっと不思議な話にはなりますけどね。ただ、今回この取材をお受けしたのも、そろそろこういった話を表に出す時期になったからです」
ヒイロ氏の言葉に一瞬頭が追いつかなくなったC。しかしヒイロ氏は話を続ける。
「まあそれでは、順を追ってお話しましょう。ここから先は一人語りのようになってしまって少々気恥ずかしいですが……。まあ、いったん最後まで聞いていただけますか」
そう述べて、ヒイロ氏は話を続けた。
* * *
今でこそ順調そうに見える私ですが、もちろん最初からこうだった訳ではありません。
十代、二十代はむしろ地獄でしたね。
自分が何をしたいのかもわからない、何が好きなのか得意なのかもわからない。
とりあえず金に困らない様に、その時その時ありつけた仕事をして働き、一日中気持ちに余裕もなく時間に追われている。まるで酸欠の金魚が水面から顔をだしてアップアップと苦しそうに泳いでいるように。
自分はなぜこの世に生まれ、生きているのか?何がしたいのか?
そんなことを考える暇もなく" ただ生きるために生きる "といった毎日でした。
そんななか、私はある日夢を見ました。
夢のなかは白い霧に覆われていて、その中を進んでいくと何やら神々しい姿が見えます。マリア様とかイエス・キリストとか、形容するのならそういう方々を挙げるしかないほどに。いや、もしかしたらそれ以上の存在なのかもしれない。
その神々しさ、形容しがたい美しさに呆然としていたら、目の前の存在はこう私に言いました。
「ふむ、私は決めたぞ。そなた、私の伝道師となれ」と。
何をいっているのかもわからず、私はポカーンとしました。
「え、あの、その、、、……あなたは一体……」こう問いかけるのが精一杯でした。
「ふむ、私はそうだな、君たちのいうところの芸術の神、創造性をつかさどる存在だ。
いま君たちは、創造性とか芸術について大いに勘違いし、その行使が滞っている。
私はそのような事態を打開するために、いま世界中で私の加護を受けて、活躍してくれる人間を選んでいるのだ。
色々と思うところもあるかもしれないが、とりあえず私の加護、庇護下におくので、芸術や創造性をもとに人間として大成してほしい。物質的な確固たる成功があれば、人間たちも振り向くだろう。自分達がいかに芸術や創造性を自由に行使できる存在で、いかに今はそれを忘れてしまったかという事実に気づくだろう」
いきなりこのようなことを伝えられても、当時の私にはうまく理解する事ができませんでした。
「ふむ、そうだな。いきなりこう言っても理解できないか。
なら問いかけを変えよう。君は成功したいかね?君たち人間が、芸術やクリエイティブと称する領域で成功し、その結果自分の人生が自分自身にとってより良きものになる事に抵抗はあるかね?」
やっと私に理解できる言葉が耳にはいったときに、夢のなかでハッと我に帰ったことを覚えています。我ながら現金なものですね。「成功」という言葉がでたら反応したのですから。でも、今から思えばそれだけ当時の状況に違和感を感じ、成功や心の安息に飢えていたのでしょう。
「いえ、抵抗はありません!
ただ……そういったことを願うのは都合がいいと思いますか……何か対価とか取引のお話になるのでしょうか?寿命を差し出すとか、反動で不幸になるとか……」
そういうと、目の前の存在は小さくため息をつき、うつむき加減で続けました。
「君たち人間の誤解というか頑迷さは……。まあ、言うのはよそう。それだけ、あなたがたを取り巻く状況というのは……人によって差がありすぎるし、誤解が起きても当たり前な状態だ。
信じろ、と言っても信じ難いだろうし、そもそも信じてもらうように強要できるものでもない。確かに私は人間から『神』と呼ばれる存在ではある。が、別に神だから人間側の許諾なく、何をしても良いという訳ではない。
人間には、人間一人ひとりの『自由意志』がある。『神』であっても、それは侵せない。
ただ、神の立場を使って人間を騙すようなことをする存在もいるし、人間は人間で我々を無条件に崇めたてまつり、自分の『自由意志』の権利を放棄している者も多いがね」
そういうと、目の前の存在は顔をあげ、私の瞳を真っ直ぐ射抜く様に見つめて伝えてきました。
「まあ、簡単に言うと、君にデメリットはないよ。君は自分にとって都合よく、物質世界での成功をおさめられるように私も尽力する。ただ、ひとつだけお願いがある。成功し、ある時期になったら、あなたのこの体験やノウハウを世界中の人間に共有してほしい」
そして私は、目の前の存在の話を受け入れ、いつか自分が成功して時期がきたら、自分なりにこの体験を世界中の人々に共有して、世の中の役に立つと約束しました。
そして私は、長い付き合いになる目の前の存在から名前を聞きました。
「ミューズ」
それが、目の前の存在が告げた名前でした。
(続く)




