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第三章 大地

 カプセルは朝日に見守られながら風に乗り、緑の生い茂る台地に降りたった。背中側が四つに割れ、クモのように細長い脚となって、しっかりと地に足をつけた。

 透明な壁がするすると上にのぼって行き、世界の光度が一段階上がった。

 二人の帰還を祝うように、美しい歌声とともに小鳥の群れが舞った。

「……すごい」

 アルスはフーマの胸を押して身を乗り出した。フーマが片手を貸してくれたおかげで、FO―01を抱えたままカプセルの外へ出ることができた。フーマも、カプセルの細長い脚をつたって降りてきた。薄いパンプスの裏に、柔らかな大地の感触があった。

 露に濡れた草花の合間をハチやチョウが飛び交い、地面にはミミズがはっていた。背後には森が茂っており、崖の向こうには天を貫くほど大きな山がそびえ立っていた。谷底を見下ろすと、大きな川がうねっていた。

「ラッキーだ、一日も歩けばつくぞ」

 遠くに見える巨大な山を、フーマは左手で指さした。ガッツポーズをして、カプセルの方に走って戻った。

「フーマの家は、このへんなの?」

「家というか、ねじろ(・・・)だけど」

 細長い脚に組み付きながら、フーマはぺろりと舌を出した。ぽかんとしているアルスを残し、カプセルの中へよじ登っていった。

「洞くつの中さ。ちょっと待って、持っていけるものは持っていこう」

 アルスはもう一度自然に目を戻した。

 どこを見ても分かる。ここは音で溢れている。命が躍動している。感動で全身が震える。

「百年で、こんなに変わっちゃうんだね……」

「百年?」

 カプセルの中をやかましく嗅ぎまわっていたフーマが、不機嫌な顔を隠そうともせずのぞかせた。

「アルスがいなくなって、五百年はたってるぞ」

「五百!?」

 アルスの叫び声は、やまびこのように反響した。

 驚いた小鳥が、森から一目散に逃げだした。

 フーマはソファの裏側に頭を突っ込み、真っ白な袋をいくつも取り出していた。そのまま、片手間で答えた。

「古い言い伝えなんだ。『彗星と同じ百年の周期で、白き装束に身を包んだ少女が、虹の彼方より訪れる。彼女は――――人類を導く、救世主となるだろう』……」

「きゅっ……救世主ってなんのこと?私が?」

 寝耳に水とはこのことだ。

 フーマは当たり前だろ、と言いたげな顔で頷いた。

「オレたちは代々、コロニーに囚われた人たちを開放するために戦ってきた。だから、アルスを救出すれば、それが叶うと思ってたんだ……違うのか?」

「だ、だって私……そんなこと、聞いたこともないわ……!」

 アルスは上空を埋め尽くすコロニー群を見た。目覚めたとたん、あそこにいる人々の運命をその両肩に乗せられてしまうなんて。意表を突かれたなどという生易しいものではない。ものすごい重圧だ。息苦しい。

 生きていた時も、眠る前にも、そんなことは一度も言われたことが無かった。そもそも、五百年前はコロニーのコの字さえなかったのに。

「でも、アルスを初めて見た時、予言は正しかったんだって、オレ、思ったけどな……」

 困惑するアルスをよそに、フーマは白い袋を一つ開け、「なんだ、服か」とこぼしていた。

「ど、どうして……?」

 またもや寝耳に水だ。フーマはいったい、自分の何を見て確信しているのだろうか。

「……覚えてないのか?」

「覚えてるって、何を?」

「ふーん……いや、こっちの話。オレたちの先祖は三回失敗してる。今回は四回目だった――成功と言うには、死に過ぎた……間違いじゃないといいけど」

 フーマは袋の中から服を取り出し、カプセルの奥に引っ込んだ。その瞳は一瞬、底知れない哀しみに満ちていた。

「あの人は、地球には誰も住んでないって」

「オレたちはラヴァウって呼ばれてる。コロニーにいる連中は、地球に得体の知れないエイリアンが住んでると思ってるんだ。だから降りてこない」

「全部、ウソだったんだ……」

 アルスはやりきれない思いでフューラルコミュニケーターを撫ぜた。

 雑音交じりのマリンバが鳴り、FO―01が、カメラを弱々しく光らせた。

〔アァ――アルス様――〕

 FO―01は何かを伝えようとしているようだった。アルスは彼の痛みが少しでも和らぐようにと、その頬を撫で続けた。

「フューちゃん……フューちゃん、ありがとう、ちゃんと着いたよ」

〔私はFO―01。FO型の一番機ィ――キキキキ、デス。あなた様をお迎えシ、お世話するためだけに、作ラレ、ました――アァァ――〕

 藍色の体に、一粒のしずくが落ちた。

〔五百年間、あなた様の到着を――オォォ――ずっと、お待ち、して――オリ、オリオリ――マシタ〕

 アルスには容易に想像できた。

 一人、窓際に立ち、真っ暗な宇宙をずっと見つめ続ける彼の姿が。

 仕事も与えられず、ねぎらいの言葉ももらえず、事務的にメンテナンスされ、パーツを交換され、ただ生き永らえさせられた彼の悲哀が。

〔アルス、様――人類――の――理想――キョッ――お還りに――なって――〕

「うん、うん……!」

 アルスは涙をボロボロと流した。

 彼女の涙で体を洗われるたび、FO―01は嬉しそうにカメラを収縮させていた。

 その姿がたまらなく愛おしくて、アルスは頬ずりして泣いた。

〔私はFO―01……FO型……の……一、番……キ――〕

 彼は、最後まで誇り高く逝った。




「おいアルス!これ見てみろよ!食料だ!非常食かなぁー、こんなに――」

 フーマの足音が止まった。

 アルスはFO―01の亡骸を抱え、音もなく泣いていた。

「アルス……お前は……」

 優しすぎるんだよ、とフーマは続けた。本当にほんとうに、小さくつぶやいた。

 アルスは目じりを拭い、鼻でラッパを吹きながら立ち上がった。

「ほら、これ」

 真っ白な長そでシャツとパンツに着替えたフーマが、そこにいた。真っ白な靴も履いていた。こちらに向かって、白い袋を一つ差し出していた。彼は同じものを背中に担いでいた。

「置いてけぼりは寂しいだろ」

「……うん」

 アルスは白い袋を受け取り、FO―01の小さな体を詰めた。残念ながら、細い手足がじゃまで入らなかった。

 フーマが寄ってきて、FO―01の手と足をもいだ。もともとボロボロだったためか、いとも簡単に外れた。

「悪く思うな。オレの仲間は髪の毛一本残ってない」

 アルスは黙って頷き、白い袋を受け取った。肩ベルトがついていたので、リュックのように背負った。

「行こう、フューちゃん」




 フーマはしっかりとした足取りで台地から降りて行った。アルスはその後ろをぴったりついて歩いた。

「オレたちの家まで案内するよ。快適とは言えないけど、飯もあるし、寝床もある」

「うん……でも私、救世主になんてなれないよ……」

 朗らかに言うフーマと対照的に、アルスはくすぶった返事をした。

 フーマは肩をすくめて笑った。

「まぁ、その辺はメルキャップに判断を仰ごう」

「メルキャップ……?」

「オレたちのリーダーさ」

 左手で顎を撫ぜながら、フーマは答えた。

「メルキャップはすごいんだ。天才的な頭脳を持ってて、眠ってた機械をたくさん直してくれた。おかげでオレたちは生きてるし、戦えてる。オレの右手を作ってくれたのも、メルキャップなんだ」

「そうなんだ……右手、大丈夫?」

 彼はさっきからずっと、左手だけしか使っていなかった。アルスをカプセルから降ろしてくれた時もそうだ。

「別に、また直してもらうよ」

 左手で肩ベルトを直しながら、フーマは右手をひらひらと振った。彼の右手は、中指と薬指の間が手首まで裂けていた。内部に見えているのは骨や肉でなく、FO―01と同じ配線や金属だった。

 台地から降りた後、フーマは必ず、木の下を歩いていた。時折頭上を見上げ、空にさらされていないか確認していた。

「あいつらは五千と五、目を持ってるからな」

 フーマはしきりにそう言った。

 遠くに目をやると、大草原が広がっていた。ゾウでもいないかと目を凝らしたが、大きな生き物は見つけられなかった。代わりに目に飛び込んできたのは、ねじれた角を持つ、小さなシカのような動物だった。

「ねぇフーマ、あれ、なあに?」

 アルスは、草をはんでいる数十頭の群れを指して聞いた。

「ガゼルだな、最近増えてる」

 フーマはチラリと見ただけで、特に興味を示さなかった。

「なんだか、角がおかしいみたい。色も」

 アルスの聞きたいところはそこだ。ガゼルたちは基本、二本の角を持っているのだが、時おり、片方しかないものがいたり、一方の角がもう一方に巻き付いたりしているものがいるのだ。

 毛皮もそうだ。お尻のあたりがまだら模様になっているのが数頭混じっている。

「いや、あれが普通さ」

 フーマはぶっきらぼうに言った。やはり、興味なさげだった。




 フーマはいつも、アルスが歩きやすいように、大きな草を踏みしめたり、長い枝を折ってくれた。アルスの靴は薄いが、丈夫で、破れたり、穴が開いたりということは決してなかった。

 それでも、自然は手ごわい。三時間も歩けば、アルスの足はガクガクと震え始め、くらくらとめまいがした。

「フーマ、ごめん……私……」

 アルスは息も絶え絶えに言った。右手を膝につき、左手を傍らの大木につき、ぜえぜえと息を吐いた。疲労が鉛のように重たくなって、肺の中にたまっていた。

「起きたばっかりだもんな。ちょっと休憩するか」

 フーマは優しかった。




「ほら」

 フーマが差し出してくれたボトルを、アルスは感謝とともに受け取った。中に入っていた水を、一息に半分ほど飲んだ。

「ほぁ……ありがと……」

「本当は弟たちに持って帰りたかったけど……オレも飲むかなぁ!」

 アルスがボトルを返すと、フーマはそれを傾け、喉を鳴らしながら飲んだ。

「ぷっは~っ!うっ……まっ!こんなにうまい水、生まれて初めてだ!」

 フーマの瞳がキラキラと輝いて見えるのは、たぶん、木陰に差し込んでくる太陽のせいではない。心の底から感動しているのだ。

 アルスは、フーマの頬を流れる水をうっとりと眺めた。

「フーマは兄弟がいるの?」

「ん?あぁ」

 フーマはボトルの口を絞め、白い袋に入れなおしていた。袋はパンパンに膨れ上がっており、うんうん言いながらボトルを詰め込んでいた。

「弟が四人、妹が三人だ」

「そっか……じゃあ、お父さんとお母さんは大変だね」

「いや、二人とももういない。鈴鳴りに落とされた」

 アルスは急いでわびの言葉を探したが、他ならぬフーマに遮られた。

「いいんだ。もう二年になる。アルスを迎えに行くためだった。食べる?」

 フーマは白い袋をごそごそやって、銀紙に包まれた細長い棒を取り出した。

 アルスは貰った銀の包み紙を人差し指の爪で何度もはじいた。中から出てきたのは小麦色のスティックだった。噛んでみると、ケーキとビスケットの中間くらいの柔らかさだった。味はチーズケーキのようだった。

「地球に残ってる人間は大転(だいてん)(せい)に乗り遅れた連中の末裔さ。一万も残ってない。ホントはもっといるかもしれないけど、バラバラだし、他の大陸に行く余裕もない。だからどんどん衰退して……壊れた機械を直せなかったんだ。アルスの周回軌道も何回も計算しなおした」

「だいてんせい?」

 アルスはむぐむぐむぐと口を動かしながら言った。

 フーマは手ごろな枝を拾って、地面をゴリゴリと削った。

「アルスがいなくなった後、サイバー空間が崩壊した、らしい(・・・)。そのあと、コロニーをつくって、人類を強制的に移住させたんだ。やったのはセプテージさ」

「えっ」

 アルスは最初、聞き間違いかと思った。しかし、フーマはまたその名を口にした。

「オレもよくわかないけど、残ってる記録にはセプテージの名前がある。まあ、今のやつの先祖だろうけど」

 アルスは膝を抱え、その中に顔をうずめた。

 あの人のことを思い出していた。アルスを宇宙(そら)に逃がしてくれた、あの人のことを。

「私を助けてくれた人は、『三百年も生きた』って言ってた」

「三百年?そりゃすごいな、どうやって」

「肉体的に生きてたわけじゃないの」

 フーマは口をへの字にして、手に持っていた枝をへし折った。

 タイムトラベルものの映画で、同じような反応を何度も見た気がする。まさか自分がその経験をするとは思ってもいなくて、アルスは頭を抱えた。

「んー、なんて言ったらいいんだろ……フーマは、サイバー空間のことどれくらい知ってるの?」

 フーマはうーん、と唸ったあと、楽しそうに話し始めた。人が希望に顔をほころばせるのを、アルスは初めて見た。

「じいちゃんから聞いた話だけど、サイバー空間には地球が丸ごと再現されてて、みんな、自分の家にいるだけで、世界中を旅したり、隣の国の友達に気軽に会いに行けたって。おいしいものだって、食べ放題だったんだろ?」

「うん、そうかも」

 アルスはしかめっ面で笑った。本当は、そんなに素晴らしいものではなかったから。とたんに食欲がうせ、残ったケーキのようなものを、もう一度銀紙で包みなおした。

「サイバー空間は、味とか、匂いとか、手で触った感触とか……そういうのを電気信号に変えて脳に送るの。それで、本当にその場にいるみたいな錯覚を起こすの。それは、死んだ時も同じ。サイバー空間での出来事なのに、脳が『本当に死んだ』って勘違いしちゃって……だから、脳が死んでしまう前に、生きていたころの記憶で強制的に上書きする仕組みがあったの」

「そんなにすごい技術があったのかぁ。いいなぁ」

 アルスは静かに首を振った。

 それを認めてしまうことを、あの人は望まないだろう。あの人は、そのせいで三百年もの間、ずっと後悔しつづけていたから。

「いいえ、恐ろしい技術だわ。記憶にまで手を出して人は……私を助けてくれた人は、記憶だけでサイバー空間をさまよい続けてた……肉体が滅んでも、ずぅっと……」

「でも、その人のおかげでオレはアルスに会えた」

 フーマは首をかしげ、折れた枝の先端を見つめていた。まるで、そこに見えないチキンが刺さっているかのような表情だった。

「オレは――嘘でもいい――夢でも。あいつらに腹いっぱい食わしてやりたい」




 太陽は西側に傾き始めていた。フーマは少し足早になっていた。アルスは頑張ってそれについて行った。

 右手に広がる草原を、よくジャッカルが駆けていた。やはり、角は色んな形をしていたし、よく見ると、ずぅっと片目をつむっているものがいたりした。

 時おり、大きな猫のような生き物も見えたが、たいていはポツンと一本だけ生えた大きな木の下で、うとうととまどろんでいるだけだった。彼らは彼らで、尻尾が無かったり、耳が片方だけだったりした。

 太陽が傾くたび、フーマは歩を速めた。

 しかしついに、完全に日が沈んでしまった。

「くそっ……夜になる前に着かないと……」

 今はもう、太陽が、その溢れんばかりの生命力を、地平線の向こうから主張しているに過ぎない。

「ごめんねフーマ、私が遅いから……」

「アルスのせいじゃないよ。でも、マズいな。夜は危ないんだ。肉食の動物はほとんど夜行性だし、火を焚こうにも――」

 フーマが何を言いたかったのか、アルスはなんとなくわかった。真っ暗になるとよく見える。コロニーたちは円の淵に必ず赤や緑のランプをつけていて、星々の倍の数を瞬かせている。

「あんまりあっち(・・・)は通りたくなかったけど……」

 フーマはしきりに首筋をかき、うぅん、うぅん、と唸っていた。大喧嘩した友達に謝りに行く、三秒手前の仕草だった。




 フーマが途中から方角を大きく変えたことに、アルスは感づいていた。今まで入らなかった、森の中を進み始めたのだ。

「今から行くところは、オレたちの家じゃない」

 足を使って、大きな枝をねじ切りながらフーマが言った。

「なんにもないといいけど……もしヤバいと思ったら、オレを置いて逃げてくれ」

「えっ――」

「あんまり友好的じゃないんだ」

 具体的に何がマズいのか。アルスが聞く前に、フーマが立ち止まった。目的地についてしまったのだ。

 それは森を抜けた先にあった。崖の下にあいた、大きなおおきな洞穴だった。

 穴は地獄にでも続いているかのように真っ暗で、今にも大蛇が顔を覗かせそうな佇まいだった。中からは冷たい風がひゅうひゅうと吹き出していて、アルスは少し身震いした。

 それ以外に、アルスは気付いた。視線を感じたのだ。背後の森の方だ。洞穴の中ではなく。

 それは、視線というよりはもはや殺気だった。ヒリヒリとした敵意が、肌を焦がした。

「ふ、ふーまぁ……」

 恐怖で喉がつかえてしまう。呼吸もまともにできない。肉食動物は夜行性だという話が、急に緊迫した情報となって背筋を昇ってきた。

 葉と葉の影に、大きな牙や光る目が見えやしないかと探すアルスだったが、その途中で、それが全くの見当違いであることに気付いた。

「ひ、ひと……」

「え……?」

「人間だわ……!」

 アルスは針の落ちる音より小さく叫んだ。フーマの左手が、反射的に右腕に伸びた。

 次の瞬間、木々の間から影が四つ、飛び出した。うち二つはアルスたちの前後に、もう二つは左右から挟み込むように着地した。

 影たちはみな、木製の面をつけ、全身に土を塗りたくっていた。面の上にも、土の上にも、びっしりと葉やつた(・・)をつけていた。そのせいで、今の今まで気付かなかったのだ。

「何者ダ!名乗レ!」

 前方の影がくぐもった声で叫んだ。背丈が二メートルはあろうかという巨体で、その上、身長と同じくらい長い、でこぼこの槍を持っていた。

「メルキャップの二番槍、フーマだ!スサノオの操舵手!」

 フーマはひるむことなく吠えた。

「フーマ……燃える右手カ!」

 槍を持った影は、もう一度くぐもった声を出した。油断なく槍を握りなおすのが、アルスの位置からも見えた。

「そうだ……任務より戻った!敵意はない!」

「嘘だ!」

 後方からガラガラ声が否定した。小さな影だ。分厚い手斧を持っていた。

「昨日見た流星は四つだ!三本足は四機とも落とされた!そいつは偽物だ!」

 小さな影は上空を指さし、激しい口調でまくし立てた。

「お前たちは宇宙(そら)からきた!」

宇宙(そら)からきた!」

 左右にいる影二つが、ヘビのようにシューッと叫んだ。身軽な影だった。両名とも、木製の弓矢を構えていた。

宇宙(そら)から災い運んできた!」

 後方にいた影がガラガラ声で繰り返した。

「違う!」

 フーマは右腕を押さえたまま、歯をむき出しにした。

「この子は虹の彼方より来た!メルキャップの元まで届けたい!同志よ!友よ!セプテージの呪縛から我が同胞を救う決意がまだあるのなら!道を開かれよ!」

〝虹〟という言葉を聞いた途端、四つの影は硬直した。彼らの中を興奮が駆け巡ったのが、アルスにはわかった。

「虹だ」

「虹だ」

 身軽な影が声を揃えた。

「予言の子だ」

 後方の影が息を飲んでいた。

 大きな影が狼のように遠吠えし、槍を地面に突き刺した。フーマが後ろ手に左手を伸ばし、アルスはその背中に隠された。

 しかし、それ以上の追撃はなかった。

「ついてこイ」

 くぐもった声に、アルスたちはいざなわれた。

「ンガウダがその眼で見ル」




 四つの影に囲まれ、アルスとフーマは洞窟の中を進んだ。

 洞窟は少々手狭で、大きな影は背中を丸めて歩いていた。内部は真っ暗だったが、影たちはなぜか、光がなくてもまっすぐ歩けるようだった。

 アルスはフーマの背中をこっそりつまんで、つま先を立てるようにして歩いた。本当は、ンガウダが何なのかを聞きたかったのだが、こけないようにするだけで精いっぱいだった。

 大きな影は黙って先導を続けていたが、身軽な影は左右でイヒヒ、イヒヒ、と笑い声をあげ、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。小さな影はぶつぶつ言いながら、手斧の持ち手でしきりに背中をつついてきた。

「やめて!」

 アルスが大声を出すと、洞窟の中にわんわんと反響した。

「どうした!何かされたのか!」

 フーマが鋭く反応したが、アルスは首を振って遠慮した。

 木の面でその表情は見えなかったが、小さな影はもう、呆然と立ち尽くしていた。

「これは私の大切なものなの。もうやめてね」

 アルスは白い袋を体の前に回し、FO―01の亡骸を抱きしめた。




 真っ暗だった洞窟の先が、オレンジの光でぼやけ始めた。

 光の中へ歩いて行くと、急に開けた場所に出た。山の中を削ったのだろうか、自然にできたにしてはあまりに巨大だ。一定の間隔でオレンジのランタンが置かれてはいたが、天井が高すぎて、上の方は暗いままだった。一番高いところには、粗削りなれど、神をかたどったと思われる彫像がしつらえてあり、アルスは大聖堂の中に放り込まれた錯覚を覚えた。

 壁面にはいくつも横穴が開いており、その中からいくつもの瞳が覗いていた。アルスが目の前を通過すると、瞳の持ち主たちがひたひたと這い出てきた。人々はみな色白で、草葉を編み込んで作った服を身に着けていた。そして全員、がりがりにやせ細っていた。這いつくばったまま進む人々を従えたまま、影たちは歩き続けた。

 大広間の中心には石造りの祭壇がそびえ立っており、アルスたちはその上まで案内された。影以外の人々は、なぜか祭壇には近づこうとせず、そのたもとで、あうあうと呪文のような言葉をつぶやいていた。階段の途中で振り返ると、祭壇を取り囲むようにびっしりと人の群れができていた。

 祭壇の上には十人ほどの大人がズラリと並んでいた。横一列になって座っていた。みな、奇妙な文様が描かれたブランケットで身を包み、頭を色とりどりの羽で着飾っていた。彼ら彼女らはでっぷりと太り、腹や腰をしきりにさすっていた。

 四つの影は祭壇へと登り、列の真ん中にいる老人のもとまでアルスたちを案内した。彼が一番年寄りで、一番派手な羽飾りをつけていた。おまけに、アルスの顔より大きい葉の団扇を持っていた。

 彼がンガウダだ。

 アルスは直感した。

 大きな影は槍を振りかざし、柄の先端で地面を二度、叩いた。

「よい」

 老人は団扇をゆらりと仰ぎ、優しさ滲む笑みを見せた。大きな影は狼のように遠吠えした。

「星の一族、燃える右手がやってきタ。ンガウダの眼を拝借したイ!」

「うむ」

 老人はもう一度団扇を仰いだ。

 大きな影はもう一度槍を二度鳴らし、人の列の一番端へ歩いて行った。心なしか、足取りが軽くなったようだった。身軽な影はイヒヒ、イヒヒと笑いながら踊るように歩いて行き、小さな影はアルスの方をじいっと見つめたまま、後ろ向きに歩いて行った。

 アルスとフーマは、太った人々の前に取り残された。たくさんの視線にさらされ、アルスはつい、フーマの背中に隠れてしまった。

 フーマは重々しく咳払いをして、真ん中にいる老人に歩み寄った。背負っていた白い袋をおろし、正面で胡坐を組んだ。地に拳をつき、(こうべ)を垂れた。

「私はメルキャップの二番槍、スサノオの操舵手フーマ。大地の一族、ンガウダとお見受けしました」

「いかにも」

 ンガウダは貫禄を感じさせるしわがれ声で頷いた。

「彼女は虹の彼方より還ってきました。メルキャップの元へ送り届けたいと存じます。三百年前、まだ我らと交易があった時代に使っていた、古い坑道があるはず。願わくば、通行の許しを」

 ンガウダは何も答えなかった。

 静かに団扇を揺らしながら、こちらを見ているようだった。

 確信が持てなかったのは、その眼が、両方ともぶよぶよのまぶたに隠されてしまっていたからだ。

「星の一族は」

 亀より遅く、ンガウダは言った。

「すぐに戦火を広げる。痛ましい、望ましくない」

「その名はもう捨てました」

 フーマはすぐに切り返した。

 この二人が相容れることは絶対にないのだと、アルスは思った。

「今ある現実だけが、我らの希望です」

 フーマの言葉を聞いて、ささやきはじめたのはンガウダの周囲の人々だ。

 あぁでもない、こうでもない、といった話を延々と続けるのだ。

「無礼な」「冒涜だ」「祈ることをやめたやつらだ」「神を捨てたやつらだ」「三本足は全部星になった」「当然の報いだ」「どうやって帰ってきた?」「虹の子だ、虹の子に決まっている」「なるほど、合点がいく。あいつ一人では帰れない」「生き残れもしない」「なるほど、なるほど」「納得だ、なるほど」

「ねぇ」

 我慢できなくなって、アルスは口を開いた。

「こそこそしてないで、直接言えば?」

 人の列が、張り詰めた糸のように背筋を伸ばした。一人残らずだ。

「大事なことなら、相手の目を見て言わなくちゃ。意見と悪口は違うんだよ」

 アルスは右から左まで、座っている人たちの顔を一人ずつ睨みつけていった。誰一人言い返してくることはなく、卑怯な密談もなくなった。

「アルス、いいんだ」

 フーマに言われたので、アルスは黙って引き下がった。

 ンガウダはずっと、アルスの方に顔を向けていた。彼は再び、ゆっくりと喋り始めた。

「彼女が虹の子である、証明は」

「我が(まなこ)で見たのみ。しかし、真実であると命をかけます」

 アルスは首を傾げた。フーマが何を言っているのか、やはりアルスにはよくわからなかった。

 ンガウダは納得しなかった。

「それでは証明にならぬ。燃える右手よ」

 穏やかな顔をしていたが、その声には並々ならぬ決意の力があった。

「道を閉ざしたのは星の一族。それを再び開けと希求するならば、道の守り手たる我が一族に、確固たる理由を示せ。できぬのであれば、相応の対価を」

 フーマは困惑した表情で振り向いた。それを見て、アルスも不安に駆られた。

 次に声を上げたのは、ンガウダとは別の者だった。

「貴様らは何を持っているのだ、中身を見せろ」

 アルスたちから見て、右側の列にいた人物だ。緑の鳥飾りをしていた。

「そうだ、見せろ。話はそれからだ」

 今度は左側から声が上がった。

 やいやいとそれに続く声があがり、祭壇の上は騒然となった。

 フーマが今にも壊れそうな表情(かお)をして、白い袋を左手で鷲掴みにするのを、アルスは見逃さなかった。

 アルスはFO―01の亡骸を抱きしめ、後ずさった。すると、小さな影が飛び出してきて、行く手を阻んだ。

「大切なもの!大切なものだ!俺は聞いたぞ!」

 ガラガラ声をあたりに響かせ、小さな影が勝ち誇ったように言った。

「俺も聞いたぞ!」

「俺もだ!聞いたぞ!」

 身軽な影がはやし立て、弓と矢をぶつけあってがちゃがちゃと鳴らした。

 大きな影が膝をつき、立ち上がった。

「渡せ!」

 小さな影が飛びかかってきた。アルスは自分にできる限界まで両手を伸ばし、小さな影の両手からFO―01を逃がした。

「「渡せ!渡せ!」」

 身軽な影が左右から飛びついてきた。アルスは膝を折って、ぐぐぐ、と身を縮めた。自分のお腹でFO―01の亡骸を一生懸命押さえつけた。

「いやッ!」

 身軽な影に両腕を掴まれ、外向きに引っ張られた。抵抗したはずみで、両膝を地面ですりむいてしまった。ひるんだところにすかさず小さな影がもぐりこんできて、白い袋をぐいぐいと引っ張り始めた。

「だめ……やめてっ!やめて!お願い!お願いやめて……!」

 肌をそがれ、身を焼かれる思いだった。この時代で目を覚まし、一番最初に声を聴かせてくれたのが彼だ。困っていたアルスを案内してくれたのが彼だ。その身を挺して、守ってくれたのが彼だ。守りたかった。せめて亡骸だけでも、自分の手できちんと埋葬してやりたかった。

 全身でFO―01に覆いかぶさり、手の甲も腕の皮膚も犠牲にして抗った。小さな影に髪の毛を引っ張られ、おさげを留めていた髪留めがはじけ飛んだが、それでもあきらめなかった。

 身軽な影の脚の隙間から、大きな影が近づいてくるのが見えた。その後方で、白い袋とこっちを何度も見比べながら、ぶるぶる震えているフーマがいた。

 大きな影の、大きな腕が伸びてきて、ついに無理やり、アルスは地面から引きはがされた。

「やめろおぉぉっ!」

 洞窟中を震わす大声で、フーマが吠えた。影たちは飛び上がり、アルスは地面に落とされた。祭壇の人々は、地震に襲われたかのように頭を抱えていた。

「聞け!」

 顔にかかる黒髪の隙間から、アルスは見上げた。フーマが、目を血走らせ、足元の白い袋を左手で掴み上げたのが。振りかざしたのが。

「だめ……」

「彼女の持ち物は、諸君らの求めを満たさない!」

 フーマの左手に握られているのは、非常食や水がぎっしりと詰まった白い袋だ。

 彼がなぜそれを持ってきたのか、アルスは知っている。

「フーマ、だめ――」

「水と食料だ!コロニーから奪った!一つの濁りもない水と、一口かじれば力がみなぎる実だ!」

「フーマ!」

「これが対価だ!道を開かれよ!」

 アルスはその場で泣き崩れた。




 ゴロゴロという振動がお腹の底に響いた。大きな丸石の扉が閉じられる音だ。細くなっていくオレンジの光を見上げると、影たちが隙間から顔をのぞかせていた。身軽な影のイヒヒ、イヒヒ、という笑い声が消え、無言で見つめ続けていた小さな影の面も、ついには消えてしまった。

 ずしん、と重たい音の後には、フーマの持っている松明の火が唯一の灯りになった。

「ふぅ……」

 フーマは松明を掲げ、目を細めて先を見た。

 真っ暗な穴がどこまでも続いていた。

「大丈夫か、髪。肘も、膝も……」

「うん……髪留めはどこかに行っちゃったけど」

 アルスは力なく笑い、ばらばらにほつれた黒髪を指先でいじった。

 フーマが眉をひそめる姿が、左半分だけ照らされて見えた。

「ひどいことするなぁ、あとで妹の分をあげるよ」

「どうしてそんなに優しいの……」

 フーマが本心からそう思っているのがわかって、アルスは顔をくしゃくしゃにしてうつむいた。

「あの場所に落ちたのも、道が閉じられてたのも、アルスのせいじゃないだろう?」

「でも、フーマ、みんなにお腹いっぱい食べさせたいって……」

 申し訳なさで胸がはちきれそうだった。白い袋の肩ベルトを、ぎゅっと握りしめた。

 フーマは微笑み、前を向いた。

「いいんだ。どのみち、あいつらは機械を捨ててる」

 暗い、狭い坑道を、二人は歩いた。

 道を照らしながら、フーマは言った。

「武器も、道具も、生活も……人類の英知を捨てて、黄泉の国から神を引きずり出した連中だ」

 たしかに、影が持っていた武器も、洞窟の内部にも、産業革命以降に人類が開発したものは一つも含まれていなかった。

「部品をいくら集めたって、彼らにとってはゴミでしかないのさ。大丈夫、覚悟はしてた」

 フーマは気丈に振舞っていた。後頭部を見つめていたら、それが自分のためであることがわかる。痛いほどわかる。

「私ね、フーマ……人の考えてることがわかるの。その人が本当はどう思ってるのか、わかっちゃうの」

 フーマがぎょっとして立ち止まったのも、もちろんわかった。

 アルスはまた(・・)、自分が怪物になってしまったような気持ちになった。

「うん、わかる。気持ち悪いよね。でも、私、フーマには嘘つきたくなくて……」

「いや……でもそれって、やっぱり――」

「ううん!違うの、それだけ!ホントにそれだけ……」

 アルスはフーマの方を見ないようにした。彼の中で、不安と疑念、期待と焦燥感がないまぜになっていくのを、それ以上見たくなかった。

 彼女にはそれが普通だった。生まれた時から普通だった。他の人が色を見て、匂いをかぐことができるように、アルスには人の感情が色となって見え、匂いとなってかぐことができるのだ。

「あの人たちは神様を信じてるんじゃない。神様(・・)()信じてる(・・・・)自分(・・)()信じてる(・・・・)()。そうじゃない人は人間じゃない、生きる価値も無いって、本気でそう思ってるの」

 アルスは念じるように言った。どうか惨めな自分に触れないでください。どうかどうか、許してくださいと、そう念じながら言った。

「どうしてみんな、仲良くできないのかな。自分のことばっかりになるのかな……。宇宙(そら)に囚われた人たちのこと、なんとも思ってないのかな……」

「ごめん、オレ知らなかったから……」

 フーマはやっぱり優しかった。彼にはアルスのような力は無いはずなのに、アルスが一番安心するように、壊れた右手でそっと肩を叩いてくれるのだ。

「アルスは優しいから、余計に辛いよな。気にするな、あいつらは自分に都合のいいものしか見ないし、信じない。天動説と地動説の時代に逆戻りしてることに、まだ気付いてないんだ」

 アルスは生れて始めて、許された気がした。

「大丈夫、オレたちがいる」




 それから何時間歩いたのだろうか、何キロ歩いたのだろうか。足が棒のようになり、これ以上はもう無理だと諦めかけた時、一筋の白い光が見えた。

「やった……!着いたぞ!アルス!」

 フーマが松明を投げ捨て、顔を輝かせながら振り向いた。

 空いた左手が伸びてきて、アルスは手をとられた。

「フ、フーマ!?」

 フーマはとびきり速く走っていた。アルスは足をもつれさせながらついて行った。

 そのまま光の中へいざなわれた。

 アルスはあっと叫んだ。

 現れたのは、ズラリと並ぶ三本足の宇宙船だった。フーマが乗っていた宇宙船に、三本のかぎ爪がついたような形だった。

 そこは格納庫でもなく、洞窟でもなかった。

 深いふかい、渓谷だった。

 高さは優に百メートル以上、対岸までも二、三十メートルはある巨大さだった。アルスたちがいるのは、崖の中腹にくりぬかれた岩の道だった。谷底からは水の流れる音が聞こえていた。

 見上げると、快晴の青空と忌々しいコロニー群がチラリと見え、アルスは一瞬不安になった。光の正体は朝日の輝きだったのだ。

 しかし、崖の頂上からはアルスの胴より太いつた(・・)が何本も伸びており、つり橋のように対岸とをつなげていた。たくさんの葉も巻き付いており、それがカムフラージュになっているのだ。

 空気を震わせる爆音が轟いた。アルスが見ているまさにその前で、上空から一機の宇宙船が飛来した。ロケットの打ち上げを逆再生にしているようだった。三本のかぎ爪のお尻から火を噴いて、先端を(そら)高く向けたまま降りてきた。つた(・・)を焼く前に炎が止まり、花びらが開くようにかぎ爪がひっくり返った。三本のかぎ爪はそのままつた(・・)に引っかかり、細長い船体が谷底に向かって突き刺さるかのようにスライドした。

 そう、細長い宇宙船は、渓谷の間でランタンのように吊り下がっているのだ。

 岩の道を進んでいくと、宇宙船は一定の間隔で羽を休めており、谷底へ下って来る風に揺れていた。近くで見て初めて気付いたが、岩の道からも対岸に向けてつり橋がかけられており、舟のところまで歩いていけるようになっていた。

 先ほど着陸(?)した舟からも、パイロットスーツに身を包んだ男が二人出てきて、つり橋に飛び移っていた。

「ここはクロートーチの桟橋なんだ。アヴィー!」

 誇らし気に言った後、フーマはよくわからないことを叫びながら一人で駆け出した。

 手持ち無沙汰になった手で、アルスは思わず何もない空間を握りしめた。

 アヴィーの正体は小さな女の子だった。アルスたちがいるのとは反対側の崖から現れた。彼女はススだらけの顔にゴーグルをかけ、自分の体の二倍はある機材を背中に担いでいた。つり橋を渡って、先ほどの舟へと近づいて行った。

 男たちはヘルメットを脱いで、つり橋の欄干にもたれかかっていた。一人が野太い声で言った。

「悪いな、アヴィー」

「空気抵抗だよねー!わかるよ!ちょっと調整すれば大丈夫さ!」

 アヴィーはコロニーまで届きそうなキンキン声で朗らかに返した。まるで、舟をいじることがこの上ないご褒美だと言わんばかりに、舌なめずりして笑っていた。

 二人の男はさすが、とか、サンキュー、とか、そのようなことをつぶやいてはやし立てていた。

「おぉーい!」

 そんなところにフーマが現れたものだから、渓谷は冬が訪れたように冷え込んだ。

「えっ……」

 まず気付いたのはアヴィーだ。口をぽかんと開き、機材を担いでいた手から力が抜けた。

 つり橋がちぎれそうな音で軋み、男たちが死に物狂いで欄干にしがみついたのを、アルスははらはらしながら見ていた。

「おい危ねえ……!ん……?」

 野太い声の男が文句を言おうとしたが、アヴィーの視線に気づき、振り向いた。

「なに……」

 もう一人の男が甲高い声を出したが、野太い声の男に胸元を叩かれ、やはり振り向いた。

 全員、幽霊でも見たかのように黙りこくってしまった。

「ウソぅ……?」

 アヴィーの声がひっくり返った。

「フーマぁ!?」

 もう一度ひっくり返った。

 フーマはようやく少年らしい顔ではしゃぎ、アヴィーに抱き着いた。

「あぁ!オレだ!帰ってきたぞ!」

「えちょちょ!ちょっと待って!フーマ!?どこからなんでここに!?えばあば――」

 目を白黒させるアヴィーだったが、アルスの存在に気付いた途端、もはや言葉にならない悲鳴を上げた。

 フーマの肩越しにギラギラした視線を注がれ、アルスは反射的につり橋の柱に隠れてしまった。

「マジか……!」

 野太い声の男がヘルメットを取り落とした。ヘルメットはつり橋ではねっ返ると、そのまま谷底へ吸い込まれていった。

 甲高い声の男は注意の一つもせず、むしろ、興奮した様子で叫んだ。

「ヤベエぞ、こりゃあ!」




 フーマは二人の男に両脇を抱えられ、引きずられるように連れて行かれた。アヴィーがイノシシも恐れる速度で先導し、手元の無線機に何かを喚き散らしていた。

 アルスは、フーマの目配せにより、彼らの後ろをしずしずとついて行った。

 渓谷を抜けた先に、高さ数百メートルの巨大な滝が現れた。岩をくりぬいた道は、滝の裏へと続いていた。水しぶきに髪を濡らしながら歩いて行くと、隠された洞窟の入り口が見えた。




〔至急連絡!至急連絡!こちら希望の渓谷、クロートーチの整備士、アヴィー!〕

 虚空を進む舟のもとに、無線の通信が入った。

 操舵手が身を乗り出し、コックピットから地球を見下ろした。

 台地の上の脱出ポッドを見分していた地上部隊が、作業の手を止めて聞き入った。

〔燃える右手が還ってきた!繰り返す!燃える右手が還ってきた!捜索隊!地上部隊!速やかに戻られたし!メルキャップ!〕

 その名を聞いて、地上部隊の全員が振り向いた。木陰にいた男を一斉に見つめた。

〔この無線が我らの反撃、そののろし(・・・)だ!我らの悲願!最後の切り札!虹の彼方から、少女を連れて還ってきた!〕

 カファス内部、夜の間――地球を見下ろしながら、セプテージが残忍な笑みを浮かべていた。




 滝の中に足を踏み入れると、大きな空間が広がっていた。真ん中が平たんで、外に行けば行くほどせりあがっている。集会場とでも言うべきだろうか、すり鉢のような形をしている。

 天井には大きな穴が空いていて、太陽の光を取り込めるようになっていた。ここは何故か、カムフラージュの植物がかかっていなかった。

 そして、集会場はたくさんの人であふれかえっていた。フーマはそのど真ん中に連れて行かれた。

 こんなにもたくさんの人が地球に住んでいたのだと、アルスは驚いた。

 向こうも驚いた顔をしていた。大人も子供も、フーマを見た後に必ずアルスを凝視するのだ。

「フーマだ」「生きてたんだ」「よかった」「他の隊員は?」「ふうまだ!ふうま!ふうま!」「おい、だれか兄妹を連れてこい」「まて、あの子を見ろ」「ホントだ」「予言の通りだ」「白い装束だ」「本物か……?」

 群衆が興奮と理性のはざまで揺れているのを、アルスは敏感に感じ取っていた。フーマに駆け寄りたいと思っている人や、アルスの存在を疑っている人、興味と奇異の視線が、次から次へと向けられた。

「静まれ」

 集会場の奥から声が聞こえてきた。

 フーマを抱えてきた男二人が慌てて襟を正し、アヴィーも小さな背丈を目いっぱい伸ばして直立した。

 現れたのは細身の男だった。グレーの作業着で、機械仕掛けのゴーグルをかけていた。ゴーグルがあまりにも巨大すぎて、男の顔を半分も隠してしまっていた。

「無線を述べたのは誰か」

 ゴーグルの男は滑稽なほど上ずった声で、しかし、威厳たっぷりに言った。

「は、はい……!私です!」

 アヴィーがどもりながら答えた。

 男は何の前触れもなくアヴィーの頬をぶった。

 アルスは飛び出した悲鳴を両手で押さえた。

「傍受されたらどうする。かように重大な案件を、軽々しく発信するな」

 ゴーグルの男は続けた。

「予言の子が還ってきたと、間違いはないのか」

「まだです」

 アヴィーの代わりに答えたのはフーマだ。視線を彷徨わせ、とても気まずそうに言った。

「えっと……まだ、わかりません……!確証は――」

 ゴーグルの男は、アヴィーの頬をもう片方ぶった。

 フーマが、まるで自分のことのように顔をしかめた。

「情報の真偽も、出所も確認せず、よくもいけしゃあしゃあと言えたものだ。貴様はその言葉で、どれだけ多くの人間に影響を及ぼし、どれだけの事態を招いているのか、考えてもいない」

「でっ、でも……悪気があったわけじゃ……!」

 フーマは食い下がった。

「それが一番たちが悪い。悪気が無ければ、省みることも修正することもできない。貴様は我が軍が滅ぼされても、悪気が無ければそれでよしとするのか。ぬるくなったな、燃える右手よ」

 ゴーグルの男は恐ろしいほど冷たい心をしていた。アルスに見えたのは、規律や根拠という名の氷で囲われた牢獄だった。

「違うの?」「偽物?」「予言の子じゃないの?」「じゃあ、ロッツはなんのために……」

 集会場の人々が疑念に沸き立った。アヴィーはずっと右頬を押さえ、放心したように地面を見つめていた。

「何を考えているの……?」

 アルスは怒りで我を忘れそうだった。

 注目されているのも構わず、集会場へと足を踏み入れた。

「小さな女の子を二度もぶって……自分が正しければ、何をしてもいいと思っているの?それこそ大きな間違いだわ!」

 アルスはゴーグルの男を睨みつけた。FO―01のように緑に光るレンズの瞳だった。彼と違って、温もりや優しさは微塵も感じられない光だった。

「なら貴様はどうなのだ」

 ゴーグルの男はちっとも反省しなかった。彼からにじみ出てきたのは、嫌悪感と苛立ちだけだった。

「俺が間違っていて、貴様が正しいことの証明はどうだ。いいか、自分の価値観が絶対などと思うなよ。我らは戦争をしている。人類の存亡をかけた戦争だ。負けることの許されぬ戦争だ。甘えは無用、情けも無用、必要なのは勝利のみ。徹頭徹尾勝利のみ。隙を見せるな、規律を守れ、命を懸ければ褒めてやる。逃げた者は処刑する。そうでなくては務まらない。そうでなくては勝利はこない。我らがしているのは戦争だ。人類を取り戻す聖戦なのだ」

 男は一つのよどみもなく言った。言い切った。

 アルスはひどい吐き気をもよおした。男の思想は、ともすれば邪悪でもあるのに、誰も声を上げないのだ。物申さないのだ。フーマですら、地面を見つめ、黙りこくっていた。

「ふん……まあいい、メルキャップがおっしゃる!」

 ゴーグルの男は舌打ちを飲み込み、顎を上げてそう言った。

 その名を聞いた途端、フーマは壊れた右手を光より早く振り上げ、敬礼の形を取った。背に板が張り付いたかのようにかしこまった。

 洞窟にいた男たちは、ゴーグルの男を除いて一人残らず敬礼した。女たちは胸元に手を当て、うっとりとした表情になった。


 続いてやってきた声に、アルスは戦慄した。


 それは嵐のように荒々しく、強く、それでいて、海のように広く、深い響きだった。

「よく帰ってきた、戦士よ」

 その声を聴いた途端、もう二度と、恐怖する必要はないのだと、耳元でささやかれた気がした。ぞくぞくとした安心感が、問答無用の力で背中を昇り、頭の中にねじ込まれ、隅々まで充満した。

 ゴーグルの男がうやうやしく頭を下げると、彼は現れた。

 彼が、そうなのだ。

 フーマが命を懸ける男――アルス救出作戦の立役者――人類最後の希望――。

 堂々たる敬愛と忠誠を持って、燃える右手が叫んだ。

「メルキャップ!」


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