第二章 帰還
コロニー、カファス内部。夜のような色をした部屋で、フューラルコミュニケーターが慌ただしく走っていた。車輪のモーターが今にも千切れてしまいそうな音で鳴いていた。彼は、血のように真っ赤な色をしていた。
〔セプテージ様〕
低い、重々しい声で彼は言った。人間と違い、息切れなどしなかった。
「どうした」
セプテージは筆先を止めた。インクがみるみるたまっていって、大粒の黒点ができあがった。彼女は古い、ざらざらの紙に、万年筆で書くのを至上としていた。どれだけ年月がたっても、人は生き方やクセを変えられない。
〔共鳴者と思われる少年が脱走しました〕
「何をしている。すぐリン・トーに追わせろ」
セプテージは眉をひそめたものの、事務的に答えた。もう一度万年筆を走らせた。まるで、そこにフューラルコミュニケーターなどいないかのようなふるまいだった。きっと彼女は、これまでも、これからも、彼らを物としてしか扱えないのだろう。
しかし、この時は彼女も無視できなかった。真っ赤なフューラルコミュニケーターが、指示を受けたにも関わらず、かたくなにその場から動こうとしなかったのだ。
「どうした、まだあるのか」
セプテージはうんざりして白目をむいた。AIの挙動が明らかにおかしくなっている。燃え広がる火のように速く、強い。まるで、報告して叱責されるのを恐れているかのような――排除したはずの――人間の面影がちらつく。
〔アルス様が――〕
その報告で、彼女のいら立ちは全く別のところへ向くこととなった。
フーマは左右の操縦桿を念入りに磨いたが、スサノオのように刻まれていなかった。フーマたちの舟と同じなら、そこにあるはずなのだ。
「まだ名前が無いのか……」
諦めて通信機のスイッチをひねり、通信を試みた。
「メルキャップ!メルキャップ!応答せよメルキャップ!こちらフーマ!スサノオの操舵手!我は生きている!」
フーマはスイッチを何度もひねった。しかし、周波数を換えられたのか、コードが違うのか、帰ってくるのは雑音ばかりだった。
「くそっ、どうすりゃぁ……あぁ!?」
ぞくりとした。耳の裏の産毛が逆立った。
間違いない。
今――鈴の音が鳴った。
振り返ると、コロニーの影から、イチョウ型の舟が七機、姿を現した。黄金の体が太陽光をギラリと反射した。
シャン、シャン、という音に急き立てられるように、フーマは左右の操縦桿を前に押し出した。
太陽を背にした場合、鈴鳴りの方が速い。フーマはあっという間に追いつかれ、無数の銃撃にさらされることとなった。
観測手がいなければ、まともに反撃することもできない。フーマは何度も舌打ちを繰り返し、何度も操縦桿をひねった。ギリギリのところで銃弾をかわしながら、虚空を逃げ続けた。
アルスはピアノを弾くように、膝上のバスケットを叩いた。空っぽのバスケットは、悲しいくらい乾いた音がした。
「なんだか、思ってたのと違うな」
FO―01がギクリとしたように軋んだ。
「私、わかるよ?みんな、心の底から幸せだと思ってる。でも、楽しそうに見えないの」
アルスはベンチから街並みを見た。
みな笑顔だった。
手をつないで歩く人、本を読みふけっている人、料理に舌鼓しながら店を出てくる人、みな笑顔で、男女一組で、オレンジのつなぎを着て、紫のフューラルコミュニケーターを連れていた。
「さっきのおじいちゃんとおばあちゃんもそう、あそこのカップルもそう、あそこも、あそこも……みんな、フューちゃんに言われた通りにしてる。それが一番幸せなことだと思ってる」
〔はい、光栄なことです。セプテージ様は私たちに度重なる改善を施してくださいました。現在、全人類の満足度は100%に達しています〕
「100%……?」
〔はい。犯罪率は0%、貧困率も0%、小さな争いやもめごとも、一件も発生しておりません。最新の調査によると、総人口89億人のうち、全員がコロニーでの生活に満足していると答えています〕
ゴオォン、と鐘の音が鳴った。お腹の中まで震える音だった。コロニーの隅々まで響き渡っていた。ゴオォン、ゴォン、ゴォン……全部で四度鳴った。
ザッ、という音の爆発が起きた。コロニー中の人が一斉に立ち止まったのだ。
アルスは、時が、空気が、生きることをやめてしまったのだと感じた。
さっきまで幸せの絶頂にいた人々が、一人残らず塔の方を見つめている。鐘の音の余韻しか残らぬ、不気味な静寂の中で。
そして、最後の余韻がコロニーの外、宇宙の闇に溶けた時、人々は示し合わせたように同時に身をひるがえした。
誰もアルスに笑いかけない。誰もアルスに話しかけない。ぴったりと同じ速度で歩いて行く。恍惚とした表情で、ザッ、ザッ、ザッ、と、兵隊の行進のように歩いて行く。フューラルコミュニケーターに先導されるわけでもなく、よどみなく歩いて行く。
「みぃんな、同じことをするのね」
〔同じではありません。日々違う日常を過ごし、AIの助言に従って、健康的な生活をしているだけです〕
「それで満たされるの?」
アルスは声を震わせた。
「黙って夜ふかししたり、こっそりお夜食を食べたり、そういうことにドキドキするのは許されないの?」
〔アルス様のおっしゃっていることは、健康的ではありません。推奨いたしかねます〕
「心の健康は?楽しみでワクワクしたり、緊張してソワソワしたり、そういうことの積み重ねで人は成長するものでしょう?それには冒険が必要だわ!」
アルスは思わず立ち上がった。バスケットが地面に跳ね、転がった。
〔いえ、コロニーから出る必要はありません〕
FO―01はひどく冷静だった。
「ううん、冒険っていうのはそういうことじゃなくて――」
アルスはふいに口をつぐんだ。灰を吸い込んだような強烈な違和感が、全身の血管を駆け巡ったのだ。
「――今、なんて言ったの?」
それは、論点がズレている、ということではなかった。
〔生活に必要なものは全てそろっています。コロニーを出る必要はございません〕
アルスは愕然とした。FO―01の放った言葉が、絶対に相いれない嫌悪感となって喉にからみついた。
「……閉じ込めてるのね」
ささやくように、アルスは言った。
「みんなをコロニーに閉じ込めて、嘘の幸せを植え付けて、飼い殺しにしてるのね」
間違いであって欲しかった。考えすぎだと、自分の思い過ごしだと。
しかし、FO―01は肯定も否定もしなかった。一度、モニターの光を全て落としたあと、何もなかったかのようにマリンバの音を鳴らした。
〔消灯時間です。健康的な生活には、七時間の睡眠が最も適しているとされています〕
冷たい電子音が、アルスの肺を芯まで凍らせた。あまりの恐怖に足がすくんだ。
あれだけたくさんいた人々が、フューラルコミュニケーターたちが、陰も残さず消えてしまった。
街の明かりが全て落ち、採光用の窓が閉じられ、コロニーは闇に包まれた。
〔さあアルス様、我々も戻りましょう。お部屋にご案内します〕
「戻る……?」
アルスはFO―01の手から逃れた。後ずさって、できるだけベンチから離れようとした。
そのせいで、見えてしまった。
木々の後ろから、建物の陰から、真っ黒なフューラルコミュニケーターが顔を覗かせているのが。
一体や二体ではない、十や二十でもない。次からつぎへと、その数を増やしていた。
〔はい。お部屋に戻りましょう〕
黒いフューラルコミュニケーターは音もなく走ってきて、FO―01の後ろに集結した。死を呼び寄せる軍隊に他ならなかった。
「ううん、私が帰るところはそこじゃない」
アルスは語気を強めた。
徐々に包囲網を狭めてくる彼らに、彼らを操っているであろう主に、聞こえるように、届くように。
絶対に認めるわけにはいかない。
「ここは人が夢見た楽園でも、理想郷でもない」
人は、在るべきところへ還るのだ。
「お願い、私を地球に還して!私の生まれた、私の惑星に――!」
ポン、ペン、ポン、ポン、ポンポンポンポン……突如、FO―01がけたたましい音量とリズムでマリンバを奏で始めた。モニターが毒々しい色で点滅し、カメラに灯っていた緑色の光が、何度も何度も瞬いた。両腕の先についた三本指のローラーがぐるぐると回転し、彼は、何度も何度も自分の体をぶった。
〔アル、アル、アルアルアルアルアッ、アァァァァァァァ――アルス、アル、アルス、様、アアァァアァァァ――〕
彼は何と戦ったのだろうか。
自分で思考し、進化するのがAIの本懐だとすれば、彼は、何と――。
〔アルス様……ニゲ――〕
プツン、とモニターが真っ暗になり、FO―01は糸の切れた操り人形のように両腕をだらんと投げ出した。
「フューちゃん……?」
覗き込んだとたん、FO―01のカメラが真っ赤にともった。
その向こうにいる人物に、アルスは気付いてしまった。
「はっ!」
アルスは踵を返して走り出した。
FO―01の両手が、逃げ遅れたおさげに当たった。
背後に集結しつつあった真っ黒な〝同僚〟たちが、一斉に濁流となって襲い掛かってきた。アルスは金切り声を上げた。
「フューちゃん!」
死者のように真っ黒な腕が、大きな壁となって迫ってきた。先頭にいるのは、さっきまで会話をしていたFO―01だ。
「フューちゃん!」
幻覚だったのかもしれない。
あるいは、彼女の願望か。
だが、彼は言った。
FO―01は確かに言ったのだ。
〝逃げて〟と――
アルスは目じりに浮かんだしずくを拭った。薄紅色のくちびるをぎゅっと結び、たった一人で、人っ子一人いなくなった夜の街を駆けた。
真っ黒なフューラルコミュニケーターたちは、並木をへし折り、ベンチを砕いて追いかけてきた。
誰が彼らを急き立てているのか、考えるたびに怒りが湧き上がった。
知らない街で勝機を見出すことは難しい。アルスは必死に駆けずり回ったが、たちまち袋小路に迷い込んでしまった。T字路を曲がったところで、壁に行く手を阻まれた。
「あっ!」
まずい、と思って振り返ると、ちょうど、真っ黒な濁流が目の前を駆け抜けていくところだった。彼らはものすごいスピードで走っており、ゴオォ、という地鳴りがした。
それが急に、ピタリと止まった。何百というロボットが、一斉に動きを止めたのだ。
カタタッと金属が震える音がして、一体のフューラルコミュニケーターがこちらに向き直った。
カタカタ、カタタッ、と音がして、二体、三体と向きを変えた。
カタカタという音は数えきれないほど増え、緑色のカメラの光が、次々とこちらに向けられた。
アルスは恐ろしくなってじりじりと下がった。壁まで走り、両手を振り上げた。
「お願い!助けて!誰か!誰か助けて!」
どれだけ強く叩いても、壁は開かず、応える人もいなかった。
振り返ると、真っ黒な大群の中から、藍色の個体が出てくるのが見えた。彼だけは、カメラを真っ赤に光らせていた
「やめて……」
アルスは壁に背をつけ、隙間がなくなるくらいぴったりとつけ、彼らから逃れようとした。
「フューちゃん、やめて……」
FO―01の両手が、風になびく白百合のように揺れている。彼の後ろにいる者たちも、ゾンビのように腕を持ち上げている。
「フューちゃん!」
三つのローラーが付いた二本の腕が、首元に迫る。
「ひどいやつ!卑怯なやつ!やめて!やめさせて!見てるんでしょ!自分だけ安全なところで!見てるんでしょう!?」
アルスは宇宙に向かって叫んだ。頭上に見えたのは、逆さまの街並みだけだ。
「フューちゃんは誇ってた!自分の仕事を!あなたが作った世界を!人類の理想郷だって信じてた!」
ついにFO―01のローラーが首に食い込んだ。真っ黒なフューラルコミュニケーターたちが彼の体を押し上げ、腕を押し上げ、アルスの体を宙に浮かせた。
アルスは可哀そうなロボットの腕を握り、息の続く限り声を絞り出した。
「裏切るの!嘘をついて!だまして!人だけじゃなくて、ロボットまであなたは――」
視界が一瞬、真っ暗になった。もがいてもがいて、アルスは息を吹き返した。自分を案内してくれた心優しきロボットを想い、喉が張り裂けるのも構わず訴えた。
「やめて!やめさせて!フューちゃんを人殺しにしないで!」
豪勢な万年筆が、夜のような床で跳ねた。そして、夜より暗いインクで、黄金のサンダルを汚した。
「バカな……!」
セプテージは驚愕した。
巨大なモニター映っているのは、FO―01のカメラ映像だった。
そこにいるアルスは、地面に座り込んでいた。
青い顔をしていたが、ケホケホと咳をするたび、その目は力強い輝きを取り戻していった。
〔お優しい〕
〔〔お優しい〕〕
〔〔〔お優しい、お優しい〕〕〕
〔アルス様はお優しい〕
部屋にいた七台の真っ赤なフューラルコミュニケーターたちが、一斉につぶやいた。一寸の迷いなくそう言った。
セプテージは細長い指で自分の頭を鷲掴みにした。漆のように艶のある黒髪をかきむしった。グミのように厚ぼったい唇を噛み締めて、ぐうぅぅぅ、と猛獣のような声を上げた。腹の底から怒って、震えた。
「フッ――」
次に彼女が口にしたのは、笑みだった。
「フフフフフ……フフッ……フハハハハハ!アーッ!ハッハッハッハッ!」
真っ赤なフューラルコミュニケーターたちが、セプテージの笑い声を聞いて震え始めた。
「素晴らしい!素晴らしいぞアルス!よもやこれほどの――!」
そうとも、その反応こそ、アルスがもたらしたものに他ならない。これこそセプテージが、五百年にわたり追い求めていたものに他ならないのだ。
「欲しい!お前の力が欲しい!手に入れる!手に入れるとも!お前の力を全て手に入れる!あいつが!あの愚か者が!奪った、隠した、私の力だ!」
高笑いを続けながら、セプテージは拳を握りしめた。机の右手にあった十二色のボタンのうち、赤いボタンに拳を振り下ろした。
全てのフューラルコミュニケーターが、その活動を止めた。
「え……」
アルスはあっけにとられて見ていた。
フューラルコミュニケーターたちが突然こと切れ、両手を投げ出してうなだれたのだ。
FO―01だけが違った。
彼だけは、直立不動のまま、ボクボクと溺れそうな音で鳴き、カメラの色を緑にしたり赤にしたりしていた。
ボグッ、という甲高い音に、アルスは肩をすくめた。音の出所はFO―01ではなかった。真っ黒なフューラルコミュニケーターたちのカメラが、一斉に真っ赤に染まったのだ。
彼らが頭を上げるモーター音が、彼らが進みだすタイヤの音が、壁に跳ね返り、不協和音となってアルスの耳を焼いた。悪魔の大群が羽ばたき、地獄の鬼が唸るのと同じだった。
アルスは地べたにへたり込んだまま、しかし、自分に向かって伸ばされる無数の手を、力強く睨みつけた。
彼らを操っている主を、視線だけで焼き殺すほどに。
アルスの姿がロボットの波にのまれ、とうとう見えなくなったと思われたその時、暗い闇夜を照らすように、緑の光が灯った。自らを鼓舞するように、マリンバの音が轟いた。
FO―01だった。
彼は両手を無我夢中で振りまわし、アルスにまとわりついていたロボットをなぎ払った。氷河が割れたような轟音を響かせ、黒いフューラルコミュニケーターの頭をたたき割った。
「フューちゃん……?」
アルスは最初、何が起きたのかわからなかった。
戸惑っている間に、黒いフューラルコミュニケーターたちはFO―01に飛びつき始めた。
FO―01はマリンバの音を鳴らしながら懸命に戦った。
かつての同僚にぶたれ、モニターにヒビが入っても。体当たりされ、腕が逆方向に曲がっても。アルスの前に仁王立ちになり、抗い続けた。
「フューちゃん!」
アルスは、心優しいロボットが自分のために戦い始めたことを理解し、藍色の体に手を伸ばした。
彼女の手の先で、その体は砕けた。
藍色の破片が弾丸のように飛んできて、指と指の間をすり抜けた。それはアルスの頬に大きな切り傷を残したが、彼女は、そんなことはちっとも気にならなかった。
力尽きて倒れるFO―01を、小さな体で必死に抱き留めた。
〔アァ――アルス、様、アルス、アルス、アルウーゥゥゥゥー……〕
熱にうなされたように、FO―01はつぶやいた。
彼女はその時まで知らなかった。
FO―01の体は、ハンバーガーの入ったバスケットよりもっと軽かった。
こんなに小さな体で、自分を守るために命の限り戦ったのだ。
「あぁ……いやぁ……ああ!……助けて!助けて……!」
アルスは自分の時と同じように、いや、それよりも大きな声で叫んだ。
FO―01のモニターに大きな穴が開いているのだ。
中に見える配線がいたるところで千切れ、火花を散らしているのだ。
カメラの光が徐々に弱くなっていくのが、目に見えてわかるのだ。
迫りくる黒いロボットには目もくれず、彼女は絶叫した。
「助けて!フーマ――!」
コックピットの中で、フーマは思い出した。
あるはずのない記憶を、遥かなる宇宙の歴史を紐解くように、見ていた。
「…………聞こえた!」
自分の行くべき場所が、なぜかすとんと腑に落ちた。
目的地たるコロニーだけが、明るく、色づいて見えるのだ。
操縦桿を握りしめた瞬間、船体後部が爆発し、フーマは操縦桿に頭をぶつけた。
船内は真っ赤な警告灯と緊急事態を告げるサイレンの音で埋め尽くされた。
鈴鳴りだ。三つのスラスターのうち、右側の一つを撃たれた。
フーマはあちこちにあるスイッチやボタンを押しまくり、舟の制御をとりもどそうと試みた。
しかし、次に襲ってきた弾丸が船体に当たった。
「くっ!」
舟が揺れ、フーマは自分の膝で自分の顎を蹴り上げた。警告音が倍に増え、周囲を映していたモニターが何枚か真っ黒になった。穴抜けになった映像には時おり線が入り、乱れ、まともに見られなくなった。
ぼたぼたと鼻血をたらしながら、左右の操縦桿を必死に操った。少しずつすこしずつスラスターを噴射させ、進路を修正した。自分は死んでもあそこに行かねばならないのだと、体中の細胞が叫んでいた。
高速で回転するコロニーに対して、逆回転の方向から接近していく。鈴鳴りに囲まれているのだ。迂回している猶予はない。このままでは、巨大な構造物に弾き飛ばされるか、その表面でミンチにされて終わりだ。それでも行く。
フーマは後ろ手に手を伸ばし、観測手の席にある潜望鏡を手繰り寄せた。
「うおぉぉぉぉっぉおおお!」
ロックオンも何もせず、フーマは全砲門を開いた。
二発のミサイルがコロニーの表面に着弾した。すかさず銃撃を続け、結果も見ずに突撃した。
衝撃に身構えたが、細い船体は何にも邪魔されずに進み続けた。油断したところで、水面に叩きつけられたような衝撃が全身を襲った。かぎ爪のようなスラスターがコロニーの表面に引っかかったのだ。鋼鉄のリングが、船体との結合部で雷鳴のような音を立て、破断した。
閉じていたはずの採光用の窓が爆発した。
アルスはFO―01に覆いかぶさり、立ち上がる炎を見上げた。
湾曲したコロニーの壁面に、高さ数百メートルはあろうかという火柱が上がり、昼のように辺りを照らしていた。アルスのいるところからだと、炎が真横に噴き出しているように見えた。
炎の中を突っ切って、細長い宇宙船が飛び出してきた。
火山から生まれた伝説の龍を見ているようだった。稲妻のごとき咆哮が、アルスの胸をうった。
舟はコロニーの中心部まで打ち上がると、直角に近い角度で落下し始めた。地面に激突し、ありとあらゆるものを巻き込んで突き進んだ。建物を押しつぶし、並木をなぎ倒し、橋を真っ二つに折ってこちらにやってきた。数百体ものフューラルコミュニケーターを木っ端みじんにふっ飛ばし、踏みつぶした。最後は通路の奥の建物に跳ね返り、アルスの目の前の壁に突き刺さった。
アルスはFO―01を傷つけさせまいと、その胸に抱きしめた。
揺れとホコリ、がれきの雨が収まった後、アルスはうっすらと目を開いた。鉛筆のように細長い舟が、船首を上にして、斜めになって止まっていた。船体の真ん中が回転して開き、中から一人の男の子が出てきた。
「フーマぁ……」
アルスは泣きそうになった。
フーマはアルスと同じくらいの年の子で、背丈もさほど変わらなかった。しかし、アルスと違って肌が浅黒く、筋肉質だった。白い検査着のようなワンピースから覗いている右腕が、少年のものとは思えないほどたくましかった。
彼は蒼い瞳を怒らせ、ボサボサの黒髪を怒らせ、頑固な太眉を怒らせて叫んだ。
「助けに来たぞ!――アルス!」
フーマは己に驚いた。一つの迷いも、何のためらいもなく自分は叫んだ。確信する前に喉をついて出た。
「なんでオレ……名前を……!」
だが確かに、彼女はいた。フーマを呼んだ少女だ。その黒い髪を、薄紅色のくちびるを、フーマは憶えている。
彼女は胸元に何かを抱きかかえ、よろよろと立ち上がった。
舟の直撃を免れたロボットたちが、仲間の残骸を乗り越えてやってくる。フーマ舟から飛び降り、左手でアルスの右手を取った。
「行こう!」
舟の下をくぐって通路に出た。右方向には黒いロボットの大群だ。フーマを襲ってきたやつと同型だ。
フーマはアルスの手を引き、左に曲がった。
やつらはどこからともなく湧いて出る。前方からも大挙してやってくる。地鳴りが近付いてくる。
右手がメキメキと音を立て、変形していくのを、アルスに見られたくなかった。できる限り自分の体で隠しながら、砲身を構えた。
フーマの放った一撃は、コロニーの闇夜を駆け抜ける白い閃光となり、死の軍団を根こそぎガラクタに変えた。
「くそっ!何か無いのか!」
右腕に光っていた入れ墨、その、最後の一本が消えた。
しかし、いまやタイヤの音は四方八方から聞こえている。囲まれるのも時間の問題だ。
フーマの苛立ちに応えるように、アルスの胸元でマリンバの音が鳴った。
「うわっ!なんだ!そいつは!」
フーマは肝を冷やした。空中で足をバタつかせ、急停止した。残弾が無いのも忘れて右手を向けた。
「やめて!」
アルスはパッと手を離し、フーマから離れた。身をよじってそれを隠した。白い腕の隙間から、細長い腕と足とが垂れ下がっているのが見えた。
「違うの!この子は違うの!」
確かに、彼女が胸に抱いているロボットは、フーマたちを追いかけている個体とは色が違った。だがそれだけだ。殺人ロボットの仲間であることに変わりはない。
「今自分が何に追われてるのか!わかんないのか!」
フーマは右腕を振り回した。自分の後ろから、アルスの後ろから迫ってくるやつらを指した。真っ暗な闇の中で、無数の赤い光がうごめいていた。
「銃を突きつけられて話し合いなんてできない!死んでも言えたら認めてやる!そうじゃないなら今すぐ壊せ!」
「そんな悲しいこと言わないで!あの子達だって、望んでああなったわけじゃない!私たちが諦めてしまったら!いったい誰が助けられるの!」
「オレたちは今日を生きるだけで死に物狂いだ!これ以上責任をなすりつけるな!」
アルスは目にいっぱい涙をためていた。しかし、フーマも一歩も引かなかった。フーマがやっているのは戦争だ。戦争なのだ。ロボットではない、人の命が奪われているのだ。
〔アル――ま――〕
藍色のロボットが、アルスの胸の中で身じろぎした。アルスは小さく「フューちゃん」と叫び、我が子を抱く母のように、彼の額を撫でた。
ロボットは折れていない方の腕を動かし、どうやら、フーマから見て右の方角を指しているようだ。
そこにあるのは小さな建物だ。フーマのつたない知識をたどって言うならば、飲食店だ。店先に木製の立て看板が置いてあった。フーマの知らない、大きな丸い料理が描かれていた。
「そっちに行けばいいの?そっちに行けばいいのね?フューちゃん!」
アルスが顔を上げた。すがるような視線に、フーマは根負けした。どのみち、前も後ろもロボットだらけだ。他に選択肢はない。
「あぁ!くそ!知らないぞ!」
フーマは飲食店を顎で指した。
アルスははじかれたように走り出した。
店には、鍵どころか扉さえなかった。フーマはアルスに続いて中に入り、立て看板を横倒しにして、入り口に蓋をした。真っ暗な店内にはうすら寒い空気が漂っていた。テーブルは全部真四角で、椅子は決まって向かい合わせに二脚ずつだった。本当なら、木の香りのする暖かい空間だったろうに。
アルスは迷いなく走っていく。白いワンピースが、店の奥へと消えていく。
メキメキという音に振り返ると、真っ黒なロボットがおしくらまんじゅうのように立て看板を押していた。フーマは手近な椅子を持ち上げ、ロボットの方に投げたが、これではダメだとすぐに悟った。
「くそっ……」
ロボットは立て看板と椅子を木っ端みじんにしてなだれ込んできた。フーマは踵を返し、アルスの背中を追った。ロボットとアルス、どちらに悪態をついているのかわからなくなった。
「フーマ!フーマ!こっち!」
店の奥に行くと、人一人がようやく通れるほどの通路があり、左右に分かれていた。アルスの声は左の方から聞こえた。
フーマは――一瞬、右へ行きかけた後――左に舵を切った。曲がり切れなかったロボットたちが、壁に激突して爆ぜる音を聞きながら、一目散に駆けた。
通路は真っ白な壁と床でできていた。店の大きさからは想像できないほど長く、どこまでも続いていた。右側の壁にはいくつもの通路が枝分かれしているのがわかった。フーマは不安になりながら走り続けた。
「どうなってるんだ、ここ……!」
「こっち!」
「うわ!わわわわ!」
四つ目か、五つ目か、どれだかわからなかったが、曲がり角の一つからアルスの腕がにょきりと生えた。フーマは首根っこを掴まれ、通路の中に引き込まれた。
「いててて……」
首の骨が折れたかと思った。フーマは患部をさすりながら走り続けた。
少し進むと、アルスが立ち止まっているのが見えた。その理由は明白だった。
「なんだ、これ……」
細長い通路の先に待っていたのは、人一人分の椅子だった。
リクライニングできるソファの背もたれを、めいっぱい倒したような形、というのがぴったりの形状をしていた。
不思議なのは、座るための形をしているのに、ほぼ直立して壁にへばりついていることだった。ソファの右側には大きなレバーが設けられており、あとは曲面の壁に囲われていた。窮屈だと思った。
ゴリゴリゴリ、という音が背骨に響き、二人は振り向いた。
黒いロボットが、細長い通路を我先にと争って進んでいた。仲間を壁に押し付け、押し付けられ、命を削りながらやってくる音だった。
フーマは決心した。
アルスの細い腰に手を回し、後ろから抱え上げるようにしてソファに飛び込んだ。座るというよりは、ソファに背をもたれて立っている、と言った方が正しいだろう。あまりに狭かったから、アルスをきつくきつく抱きしめる必要があった。
「フ、フーマ!?」
「おい!ロボット!次はどうすればいいんだ!」
黒いロボットはもう目の前まで迫っている。手の先をまた電動ノコギリに変えて、壁を削りながらやってくる。フーマは右手を突き出し、振り下ろされた電動ノコギリを受け止めた。
「このままじゃみんな死んじまうぞ!おいロボットぉ!」
「フューちゃん!」
オレンジの火花に襲われ、アルスが悲鳴を上げた。
〔レバ――引いて―だ―い〕
ロボットが絞り出した言葉を、フーマは聞き逃さなかった。
「くっ……うっ……あぁ!」
火花から顔を背けたまま、がむしゃらに左手を伸ばした。固い、レバーの感触を掴んだ瞬間、思いっきり引き倒した。
頭上から音もなく壁が落ちてきて、黒いロボットの腕を切断した。アルスが、巻き込まれないように顔を引っ込めていた。白い、半透明の素材で、あちら側にいるロボットがぼんやり見えていた。
明るい電子音が、素晴らしい日の出を祝うように歌った。
〔発進します。よき一日を〕
次の瞬間、フーマは寒気と呼吸困難と内臓の逆転、全部にいっぺんに襲われた。
ついでに、ソファの背もたれに頭をぶつけた。
「がっ――はぅ――!」
目から星が出たかと思った。それでもアルスだけは傷つけまいと、小さな頭を左手で押さえた。アルスはアルスで、藍色のロボットを必死に抱きかかえていた。
落ちている!落ちている、落ちている……とてつもないスピードで落ちている!フーマは混乱し、焦った。あまりのスピードに身動きが取れない。急降下によるGで、二人はソファに磔になっているのだ。
「うっ、うぅぅ……」
今朝食べたナッツが、いよいよ喉の奥まで登ってきたその時、不意に圧力が消えた。
フーマは息を飲んだ。
すぐ下で、アルスが同じことをしているのがわかった。
地球だ。
半透明な素材が、太陽光を受けることで完全に透明になったのだ。おかげで、視界いっぱいに青い惑星を見ることができた。
二人は小さなちいさなカプセルに入っていた。椅子の数からしても、おそらく一人用だ。アルスが少しでも手を伸ばすと、透明な壁が邪魔になった。
上を見上げると、回転するコロニーの壁面が見えた。大きすぎてわかりづらいが、自分たちはそこからどんどん遠ざかっていた。
フーマはアルスを見下ろした。
アルスもこちらをみた。
彼女の力強い瞳が、ほんの目と鼻の先にあった。淡い色で、どんな星空よりも綺麗な光を宿していた。母なる大地より何倍も美しいと、フーマは思った。
突然、ソファが激しく振動し始めた。いや、これは自分たちが入っているカプセル全体が揺れているのだ。固い金属をひっかいたような音が、あちこちで悲鳴となって上がった。
フーマはアルスをより一層強く抱きしめ、自分もめいっぱい首をすぼめた。カプセルから見える景色が真っ赤に染まり、振動が二倍に膨れ上がった。いまや地球は、その全容を視界に収められないほど巨大になっていた。カプセルの近くを何度も稲光が走り、そのたびにアルスが震えているのがわかった。
すべてが終わったとき、二人はまた、感嘆のため息をついた。
輝く青い海、深い緑の森、白い尾根を見せる山脈――波が飛沫を上げ、風がカプセルを叩き、動物が地を駆ける――コロニーではない、本物の、雄大な、偉大な自然の姿だ。
地表が近づいてくると、カプセルの頭から真っ白な布が飛び出した。
パラシュートだ。大きなパラシュートだ。
平和の傘に守られながら、二人は還っていく。