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第一章 目覚め

 宇宙――太陽系第三惑星〝地球〟から――――――




〔こちらメルキャップ――コード〝ブライド〟花嫁はまもなく到着する〕

 深淵なる闇の世界に、無線の音が響く。

〔座標L4――速度300――ぬかるなよ……!〕

 フーマは操縦桿を握りしめた。ヘルメットの中に、自分の荒い息遣いがこだましていた。

 彼が操っているのは細長い宇宙船だ。両端が鉛筆のように尖っていて、船尾に巻きついている鋼鉄のリングから、三本の支柱が伸びている。支柱の先端には、それぞれ船体の半分ほどの長さのスラスターが接続されていて、横からだと、中心の一本だけ飛び出したかぎ爪のように見え、正面からだとコックピットの足側を底辺とした正三角形のようにも見える。それぞれの頂点で、噴射光が輝いている。

 二人乗りの船内はかなり狭い。レールに乗った操縦桿が左右に二本、両足のペダル、所狭しと並べられたメーターやボタン、スイッチ……肩甲骨がかゆくなっても、満足にかくことができない。

 視界だけは良好だ。機内の内壁に張り巡らされた曲面ディスプレイが、周囲の映像を鮮明に映し出している。ちらりと頭上を見上げれば、サッカーボールほどの大きさの、青い惑星(ほし)が見える。カメラが合成した姿であっても、その美しさに息を飲む。忌々しいのは、それを取り囲むように浮かんでいる、無数のマッチ棒のような鋼鉄の棺桶たちだ。

「通過ポイントに若干の誤差だ」

 首筋に声がかかる。

 操縦席にほとんどかぶさるように設置された、観測手の座席からだ。自分が頭を預けているヘッドレスト、その裏側に小さなモニターとキーボードが備え付けられているのを、フーマは知っていた。観測手はいつも両手をリスのように縮めてそれを操っている。

「修正に必要なデータを送る――アーサー!」

〔了解、スサノオ、ゴクー、ランスロット、合図とともに軌道修正、左の操縦桿を握れ――〕

 フーマは水の惑星に別れを告げ、左手に意識を集中させた。小さな字でスサノオと刻まれた操縦桿を握りしめた。スーツの中で、手のひらが汗ばんでいるのがわかった。

〔――三、二、一、今!〕

 左の操縦桿を前に押し出すと、鋼鉄のリングが回転し、スラスターのうち二本がコックピットから見て左側に、残る一本が右側に移動した。左側の二本が爆発的に出力を上げ、煌々と闇を照らした。

〔噴射終了まで、五、四、三、二、一……戻せっ!〕

 鋼鉄のリングが再び回転し、三本のスラスターは元の位置に戻った。

 アーサーがタイミングをとったのは、フーマの他にもう三機、同じ舟がいるからだ。こちらから見て頭上に一機、左手に一機、斜め上に一機だ。全部同じ三本足だが、斜め上の一機だけは船首と船尾がオレンジに塗られていた。指揮官機の証だ。

〔いよいよおでましかぁ……〕〔ファーストコンタクトは俺がもらう〕〔やめとけ、お前じゃ口がクサすぎる〕〔ロッツの口臭を嗅いだら、カバだってひっくり返るぜ!〕〔なんだとぉ!?〕〔やめんか貴様ら!〕

 ゴクーとランスロットの間で繰り広げられた雑談をアーサーが沈めた、その時だった。

「見えたっ!」

 フーマは叫んだ。映像のはるか奥底で、何かが太陽光を反射したのだ。

 全員が押し黙り、目前の虚空に目を凝らした。

 それは闇に紛れるほど暗い色だった。だが地球には太陽がある。彼らには高性能のカメラやレーダーもある。真っ黒な長方形の物体が音もなく飛んでくるのを、全機がとらえている。

〔来るぞっ!〕

〔予想よりも速い……!〕

 旗艦〝アーサー〟から矢継ぎ早に送られてくる通信に、フーマは身構えた。

〔各機ターンオーバーせよ!繰り返す、各機、ターンオーバーせよ!相対速度合わせっ!〕

 フーマは上半身を折り曲げて反動をつけると、両手の操縦桿を目いっぱい引いた。

 鋼鉄のリングが機体の上を滑り、船首付近まで前進した。その動きに合わせ、三本のスラスター全てが、開く花びらのように外向きにひっくり返った。そして、進行方向とは逆方向に、爆発的な噴射を起こした。

 強烈なGに、フーマは歯を食いしばって耐えた。朝食べたナッツが、胃から飛び出そうともがいていた。もともと建付けの悪かった座席が、スラスターの振動で暴れ出した。勝手に戻ろうとし始める操縦桿を、全力で引っ張り続けた。

 真っ黒な長方形は音もなく滑り込んできて、減速を続ける四機のちょうど真ん中を、一瞬ですり抜けていった。あまりに速すぎて、フーマの目では追うことができなかった。

 代わりに飛び込んできたのは、左上のアーサーだ。まばゆい閃光と共に突如として爆散した。船内に設置された十二の小型スピーカーが、データベースにある爆音の中から、最も相応しい規模の物を正確な距離と方向で鳴らした。

〔隊長ぉ!〕

 アーサーの残骸が散弾銃のように襲ってきた。細かい振動と乾いた金属音が船体を包んだ。

〔鈴鳴りだ!〕

 振り返ると、はるか後方に、イチョウの葉のようにのっぺりとした黄金色の舟が飛んでいた。十余機もいた。先端の、本来コックピットがあるところには青いバイザー様の模様が施されており、羽のところがうろこのようにビラビラになっている。太陽を背にした時だけ、うろこを逆立てるのだが、それが太陽風を受けると、レーダーに干渉するシャンシャンという音を鳴らすのだ。

〔かわせ!かわせ!かわせ!〕

 誰かが叫んだ。フーマは操縦桿を引いたまま右に捻った。三つのスラスターが高速で回転をはじめ、フーマの機体は右に落ちていった。間一髪、鈴鳴りから飛んできた弾丸が、スラスターと機体の間を通過して行った。

 十分減速したとみて、フーマは叫んだ。

「ターンオーバー!」

 観測手がフーマの合図に応え、操縦席の右側にあるボタンを叩いた。その瞬間、世界が回った。船内で操縦席だけが左に180度回転し、フーマの内臓は遠心力で座席に押し付けられた。

 この宇宙船はなんと、その場で反対向きになれるのだ。

「ぐうぅぅぅぅぅ……だっ!」

 右前方に地球が姿を現し、正面に来た太陽の光をカメラが落とした時、フーマは操縦桿を思いっきり前に押し出した。レールの先端まで到達すると、スラスターが再度爆発的な噴射を起こした。今まで飛んで来た道に逆行する形で、スサノオは加速した。

 太陽風で加速した鈴鳴りが六機、すれすれのところですれ違った。ちらりと後方を見ると、六機はフライパンの上で踊るパンケーキのように、瞬時にひっくり返った。上下逆さの状態で、鈴の音を鳴らして飛んでくる。

 前方から残りの十機、後方から六機、挟み撃ちだ。鈴鳴りののっぺりとした顔、青いバイザーの下にある、小鬼の角のような発射口から、無数の弾丸が放たれる。

〔メルキャップ!鈴鳴りだ!グローの部隊だ!〕

〔情報が洩れてやがる!ちくしょお!〕

 フーマは左右の操縦桿を押し引きし、両足のペダルを何度も踏んだ。モーターがうなりを上げ、鋼鉄のリングを振り回した。

 細長い宇宙船が、上下左右に舵を取る。雨あられのように降り注ぐ銃弾をかいくぐり、漆黒の棺桶へと向かう。

〔こちらメルキャップ、作戦を―っこうせよ、作戦を続行せよ。――らの勝―に、〝花嫁〟はかかせ――〕

 雑音交じりの無線がフーマを追い立てる。

「射撃任せる!」

「よぉし!」

 頭の後ろで大きな機械音が鳴る。潜望鏡のような射撃装置が、天井から降りてくる時の音だ。観測手は両手でハンドルを握り、カメラを覗き込んで狙いをつける。右のハンドルにあるボタンを押せば弾丸が、左の方ならミサイルが出る。ただし、ミサイルを撃つには敵をロックする必要があるし、弾数がそこまで多くない。

 船外、三つのスラスターの先端が順に火を噴いた。十機の鈴鳴りが、風に舞う落ち葉のように一斉にひるがえった。

 各スラスターの頂点から、時計回りになるように、順番に弾丸が放たれていく。一秒間に二周、六発。砲身が僅かに傾くため、船の進行方向に敵機があれば、ある程度カバーできる。

 高速で動き続ける宇宙船から、動く目標を狙うのは至難の業だ。だが、フーマと組んでいる観測手は指折りだ。目障りな鈴鳴りを二機、あっという間に撃墜した。

「いぃぃやっひゅー!」

 金色の破片がギラギラと太陽を反射する中、フーマは右手を振り上げた。その手を、観測手が乱暴に叩いた。

〔さすがぁ!〕

〔こっちも負け――〕

 その言葉を最後に、ゴクーからの通信が途絶えた。爆発音がコックピット内に溢れかえった。フーマ達の右後方で、今まさにターンオーバーをしていたところだったのに。

「あぁ!」

 フーマと観測手はそろって悪態をついた。

〔スサノオ!十時の方向に進路を取れ!ケツにつかれてる!〕

 ランスロットからの通信に、フーマは即座に反応した。後方から、三機の鈴鳴りが近付いてきているのだ。

「合図とともにオールオーバー!360度転回するっ!仕留めてくれよ!」

「よしきたぁ!」

 フーマは操縦桿を握りしめ、深呼吸した。頭の後ろで、観測手も同じことをしているのがわかった。

 シャン、シャン、という音が近付いてくる。ランスロットからの通信を妨害するほどに大きく鳴り始める。

「転回!」

 フーマは右の操縦桿を前に、左の操縦桿を後ろに引いた。観測手はボタンを叩いた。三本のスラスターが進行方向に対して右に九十度曲がり、真横に噴射した。スサノオは慣性で進みながら、水平に左回りを始めた。

〔おい!なに――る!スサ――〕

 ランスロットが驚愕している。コックピットは進行方向を向いたまま、周囲の映像も変わらぬまま、船体だけが回転を続けている。

「逆噴射まで五!四!三!」

 ついに、船体に対して90度傾いたままのスラスターが、その先端を真後ろへと向ける。

「二!」

 観測手の一瞬の判断により、三つのスラスターが一発ずつ弾丸を放った。砲撃が終わった瞬間、フーマは左右の操縦桿を正反対の方向に入れ替えた。

「今!」

 スラスターが180度反転し、猛烈な逆噴射で船体の回転を止めた。背後から、合成された三つ分の爆発音と、真っ赤な閃光が襲ってきた。フーマは両手の操縦桿を一旦引っ張り、再度前面に押し出した。

 鈴鳴り三機分の爆片から逃れるように、スサノオは加速した。真後ろを、頭上から飛来したランスロットが通過していった。

「いよっしゃあぁぁ!」

〔なんてやつだ!〕

「おあいにく!そこぁ空振りだ!」

 フーマは足下に勝ち誇った。

〔いい気になるな!前見ろ!前!〕

 ランスロットがターンオーバーし、こちらに急上昇してきた。驚くフーマの目の前を、流星のように駆け抜けていった。

 目で追うと、ランスロットの先に太陽があった。三機の鈴鳴りが飛んでいた。大きすぎる黒点のように見える長方形の物体めがけて、ぐんぐん加速していた。

「くそったれ!フーマ!」

「おうっ!」

 観測手に言われるまでもない。フーマはスサノオに鞭打った。

 三機の鈴鳴りのうち、一機が前に進み出た。矢印のような陣形だ。

 散り散りになっていた八機の鈴鳴りが、不吉な音を鳴らしながらランスロットの周囲に集結した。互いに入り乱れるように飛び回り、衝突を恐れたランスロットはそれ以上加速できなくなった。

「くそ!撃てねえ!」

 観測手が潜望鏡に八つ当たりした。

 先陣を切っている三機の鈴鳴りがついに目標を捉えた。先頭の一機がさらに加速し、漆黒の棺桶に追いすがった。残る二機は、しんがりを務めるかのように距離をとった。

〔まずいぞ!〕

〔取りつかせるな!〕

 自己の墜落すらいとわぬのか、ランスロットの周りの鈴鳴りが、途端に荒々しい航行に入った。鈴の音が倍に膨れ上がった。ランスロットは鋼鉄のリングを振り回して抵抗したが、黄金の船体に幾度となくぶつかられ、進路を確保できなくなった。

 三機の鈴鳴りが衝突の衝撃で弾き飛ばされ、フーマ達のすれすれを通過して落ちて行った。行きつく先などない。どこまで行ってもそこには宇宙があるばかりだ。

「ランスロット!離脱しろ!メルキャップ――」

 黄金の鈴鳴りは漆黒の棺桶を通り過ぎ、減速し、また加速した。徐々にそのふり幅を縮め、ついには完全に並走状態に入った。

〔〝花嫁〟―――――わた――けには――ない――〕

 先頭の鈴鳴りが、徐々に棺桶に近づいて行く。両者の間に光っていた太陽が、少しずつその姿を隠していく。のっぺりとした船底から四本のアームが顔を出し、捕縛体制に入っている。

 太陽が押しつぶされた。先頭の鈴鳴りと漆黒の棺桶は、ついに同一の飛行体になった。鈴鳴りの鱗が全て立ち上がり、急激に減速を始めた。

〔道を――る!しっかり――――ろよ!〕

「なにするつもりだ……やめろ!」

 観測手が叫んだ。

 ランスロットの鋼鉄のリングが高速で回転を始めた。周囲を飛んでいた鈴鳴りたちが負けじとくらいつき、ランスロットの船体はでたらめな方向に暴れだした。三つのスラスターの先端がパックリと割れたのを、フーマは見逃さなかった。

〔メルキャップー!ばんざああ――あぁぁ―――ぁぁい!〕

 ランスロットは最後の花火を打ち上げた。

 めちゃくちゃにミサイルを発射し、まとわりついていた鈴鳴りを吹き飛ばしたのだ。自らもその爆発に巻き込まれながら、被害を拡大させ、五機の鈴鳴りを根こそぎ道連れにした。

「ロッツー!」

 フーマは合成された映像に吠えた。

「ちくしょおおぉぉぉ!」

 左右の操縦桿を押し出し、黄金の花びらが舞う中を突っ切った。鋼鉄のリングが回転しながら飛んでいくのを、目の端に見送った。

 ランスロットの残骸が、鈴鳴りの破片が、船体に当たる度舟を揺らし、操縦桿が暴れた。それでも、フーマはフルスロットルで加速を続けた。

 黒い棺桶はすでに静止していた。黄金の船に抱擁されても、身じろぎ一つせずに凛としていた。

 フーマは、それがたまらなく悔しかった。

「返せ……!それはぁ!オレたちの――」


 音が消えた。


 それが、本来の姿(宇宙)だ。

「はあ……はあ――あぁ――はっ、はっ、はっ……!」

 ぐるぐると視界が回る。体の制御が効かない。自分は、音速に近い速度で虚空を進んでいる。加速していく。母なる大地に二度と抱かれぬ方へ、捨てられていく。

 スサノオは貫かれた。しんがりを務めていた鈴鳴りの、どちらかだった。

 真っ二つに折られたフーマの愛機が、現れては消え、現れては消えた。視界に入る度、その姿が惨く、儚くなっていった。

「はっ、ふ、はっ、ふ、はっ、はっ……あぁあぁあ!」

 ヘルメットが曇る。フーマは手を伸ばす。

 黒い棺桶の傍を、確かに通ったのだ。

 憎たらしい黄金に覆われたそれを、確かに見たのだ。

〝花嫁〟は――フーマの手をすり抜けていった。


 いや――目が合った。


 棺桶の上部にある、薄緑色の細長いガラス窓だ。

 神も、仏も、運命さえも信じない、力強い瞳だった。

 棺桶が四方へはじけ飛び、そこにへばりついていた鈴鳴は砕け散った。

 七色の虹が放たれ、ありとあらゆる物体がその場に凍り付いた。

 得体のしれない力に背中をたたかれ、フーマの回転が止まった。


 白い装束、うす紅色のくちびる、宇宙(そら)に溶け込む黒髪――


 あぁ、予言は正しかった。


 薄れゆく意識の中、フーマはぼんやりとそう思った。







 平和の傘










 目を覚ました時、そこはふかふかのベッドの上だった。

 クイーンサイズだかキングサイズだか知らないが、今まで縁のなかった大きさだ。枕まで巨大すぎる。自分の頭が沈み込んでしまって、周りが何一つ見えやしない。

 寝返りを打ってみると、穏やかな春の香りが鼻腔を満たした。眠った時は匂いなんて感じなかったのに、世界は随分と暖かくなったものだ。

 頭を上げてみると、高いたかい天井と、遠いとおい壁と、大きいおおきいガラス窓が目に入った。スィートルームにしても巨大すぎるし、スィートルームにしては何もなさすぎる。

 上半身を起こしてみると、自分の胸が真っ白な布で覆われていることに気付いた。袖が無く、丈が短い。病院の検査着のようなワンピースだ。申し訳程度にポケットがついていた。傍らに誰かが立っていた。驚いて肩を縮めたが、相手は身じろぎ一つしなかった。

 訂正が一つ。〝誰か〟ではなく、〝何か〟だった。

 心配になるほど細く長い一本足の上に、リュックサックほどの大きさの胴体がついていて、そこから伸びる両手は足と同じくらい細長く、先端がローラーになった指が三本ついていた。体全体が深い藍色に染められていて、胴体の真ん中に薄いパネルが、パネルの左上には大きな一つ目レンズがあった。

 どうしたものかと見ていると、突然、レンズが緑色に染まった。パネルにも灯がともった。マリンバのような音が鳴り、黄色や緑、青といった光が次々に現れ、消えた。最後は、ルービックキューブを縦横二つずつ並べたような画面になった。

〔おはようございます、アルス様〕

〝それ〟はルービックキューブをカラフルに動かしながら、驚くほど紳士的な声で喋った。両手を丁寧に動かす間、レンズが収縮する間、ジィジィとモーター音が鳴っていた。

 アルスはびっくりして、〝それ〟を上から下までくまなく目で舐めた。

〔私はフューラルコミュニケーターです。アルス様のお世話を担当しています。何なりとお申し付けください〕

 マリンバが甲高い音色で響き、〝それ〟はてきぱきと喋った。ひとまず、このロボットがフューラルコミュニケーターという名前だとわかった。

〔ご気分は悪くありませんか〕

 アルスは首を左右に振った。おさげにしていた黒髪が、何にも縛られていないことを知った。思わず、耳の後ろに手が行った。

〔以前お使いだったものは劣化していました〕

 フューラルコミュニケーターのパネルの下がパカリと開き、そこに細長い手が差し込まれた。

〔新しいものをご用意しました。どうぞこちらを〕

 三本の指に引っかけられるようにして出されたのは、紫のゴム紐だった。光を反射する繊維が織り込まれており、キラキラと光っていた。

「ありがとう……元のやつは、捨てちゃった?」

〔復元いたしましょうか?〕

「ううん、大丈夫」

 アルスは首を左右に振った。今度はおさげが、両肩を優しく撫ぜた。

「ここはどこ?」

 大きな窓の外には、広大な畑が見える。トウモロコシだろうか、背の高い、青々とした葉がどこまでも続いている。妙だ。普通、畑のど真ん中にホテルは建たない。そして、太陽の光は地面より下から来ない。

〔それについては、セプテージ様からご説明があります〕

「セプテージ……?」

〔私のご主人さまです〕




 アルスは一本足のロボットについていった。フューラルコミュニケーターの足先には一輪のタイヤがついていて、真っ白な壁と天井に、小さなモーター音を響かせていた。

 窓のない通路を歩き、開くことのない扉を数えきれぬほど通り過ぎた。突き当りまで来ると、大きな二枚扉が待ち構えていた。フューラルコミュニケーターが静かに止まり、扉の脇についているボタンを押した。

〔アルス様をお連れしました〕

 マリンバのような音が反響し、二枚扉は吸い込まれるように左右に開いた。思わず息を飲んだ。

 世界が生まれたようだった。

 視界いっぱいに、青い惑星(ほし)が輝いていた。

「入りなさい」

 気位の高い声がした。神経質なハープを奏でた時、きっと同じ気分になるだろう。

 アルスはフューラルコミュニケーターをチラリと見た。彼(?)は扉の傍でたたずんだまま、微動だにしなかった。

 中は大きくて暗い部屋だった。足を踏み入れると、急に、自分がひとりぼっちになった気がした。壁も、天井も、テーブルやいすも、全部夜の色だった。だから、窓をいっぱいに埋め尽くす母なる星が、一番輝いて見えるのだ。

「美しいだろう」

 暗闇の中から声が聞こえた。その声に引っ張られるようにして、一人の女性が現れた。声色と同じく、気品を感じさせる身なりだった。黒い髪の毛はきっちり肩の高さで切りそろえられ、薄明かりの中でも艶があるのが分かった。白い、タイトなワンピースの上に、金と宝石でできた襟飾りをつけ、左右の手首には黄金の腕輪をはめていた。足音は鈍く、それでいて重厚感があった。スリットの入った長いスカートからのぞく、金色で編みこまれたヒールサンダルのせいだ。

「私も長く生きたが、今でも見とれるのだ。この角度から見たことは?」

 女性は窓の外を見て言った。地球は、床から天井まで達する巨大な窓ガラスに、溢れんばかりに在った。

「いいえ――」

 アルスは目を閉じた。

 まぶたの裏に、ロケットの噴射光がちらついた。灼熱の世界だ。耳の奥で、爆発音と衝突音がまじりあっていた。

 振動が止み、静寂が訪れた時、それは薄緑色の小窓から見えた。

 あの人は、全て終わらせると言っていた。人は、在るべきところへ還るのだと。

「――一度だけ」

 女性はこちらに顔を向けた。耳たぶから下がっていた大きな皿が、金色に光った。長い目じりにシワが刻まれ、厚ぼったい唇が安いグミのように広がった。頬に添えられた中指と人差し指は、その先端が真っ赤に塗られていた。

「私はセプテージ・パルピエス。目覚めたばかりで混乱しているだろう、来なさい」

 セプテージはもう一度柔和な笑みを浮かべると、腕輪を鳴らしながら手招きした。

 アルスはテーブルを周り、ついて行った。壁際を通った時、見覚えのある棺桶のようなものがいくつも並べられていた。それらは、部屋と同じ夜の色に塗られていた。振り返ると、フューラルコミュニケーターが音もなく後ろを走っていた。

「見慣れぬだろう、あれは私のコロニーたちだ。そなたが眠りについてから百年がたっている」

 ヒールで床を叩きながら、セプテージが唐突に言った。

「百年も……?」

 アルスは首をひねった。地球の曲面に沿うように、大きな円筒型の浮遊物が見えた。いくつもあった。

「正確な年数は誰にもわからぬ。大きな戦争があり、多くの記録が失われた。地球は汚れ、生き物は傷つき、取り返しのつかぬ破壊が、世界各地で起こったのだ」

 コロニーたちは正確な間隔で、正確な配列で並んでいた。北極から南極まで、地表すべてにくまなく楔を打ち込もうとしているかのようだった。地球の向こう側まで、延々と続いていた。すべて、ぴったりと同じ速度で回転していた。もし、遠くとおく、はるか遠くから地球を見たとしたら、牢獄に囚われたオアシスと映るだろう。

「全てを変えたのは木星の探査団だ。彼らは火星との間にある小惑星帯から多くの資源を持ち還ることに成功した。それまで人類が地球上で使用してきた資源の、何十倍もの量だった」

 大きな窓に沿って歩いて行くと、小さな扉が見えた。壁と同じ暗い色をしていたが、青い光が縁取っていたおかげで、すぐにそれとわかった。

「すでに地球の余命はすぐそこまで迫っていた。コロニー計画が作られ、ありとあらゆる技術が惜しみなく使われた。最初の探査団が帰還してから十年後には、原初のコロニー三基が出来上がっていた」

 フューラルコミュニケーターが緩やかに二人を追い抜き、扉の脇についているボタンに触れた。扉は吸い込まれるように開いた。

「今では、全部で五千と五基存在する。居住用、農作用、ロボット制作、宇宙探査……それぞれに役割があり、人類はもはや、地球に住むことを要しなくなった」

「誰も住んでないの?」

 アルスの疑問に、セプテージは歩みを止めた。黄金の足音が重く響いた。扉の枠はさながら、古の女王を収めた額縁であった。

 彼女は細い腰に右手を添え、顔の左半分を見せた。

「西暦は終わり、神のいない時代が始まっている。我々はありとあらゆる障害を克服し、それはついに、地球の資源に一切手をつけないという選択を可能にした。これは治療なのだ。母なる大地を、在るべき姿へ戻すための」

 それは、どんなに分厚い雲でも遮ることの敵わない、穏やかで晴れやかな笑みだった。




「心配はいらない。コロニーの環境は人類にとって最も適したものになっている」

 円形のソファに腰掛け、セプテージが黄金の腕輪を外に向けた。

 床以外を全て透明なガラスで作られたエレベーターは、コロニーの内部を漏らすことなく伝えていた。不思議な光景だった。アルスの部屋からも見えたトウモロコシ畑だが、今度はその全容が見えた。左右に行けば行くほど、上向きに曲がっている。一部採光用のガラスを挟みつつ、頭上にも続いている。アルスは呆けた顔で見上げた。真っ逆さまに生えたトウモロコシが、こちらに落ちてくる。

「嵐、地震、火山に津波……雄大な自然は、ともすれば人類に牙をむく。が、コロニーではそういったものとは無縁だ」

 セプテージの言葉通り、風は凪、日は温厚、水も充分だ。畑の合間を縫うようにして走りまわるフューラルコミュニケーターたちも、どこかいきいきして見える。彼らは、アルスのもとにいる個体とは仕様が異なるようだ。体色が碧い色になっている。

「でも、絶対に安全とは限らないわ。隕石とか、機械の故障とか」

 アルスの言葉に、セプテージはゆっくりと頷いた。

「無論、安全対策には万全を期している。全てのコロニーに、人口の二倍の脱出ポッドを搭載している。緊急時にはそれで地球に降りるのだ」

「地球に降りて?その後は?」

 地平線を探して遠くを見たが、巨大な円形の蓋が遮っていた。手前にいる収穫用のコンバインがおもちゃのように見えたから、相当に巨大だということがわかった。蓋の中心からは真っ黒なチューブが伸びていて、コロニーの中心を貫いていた。アルスたちは今、そのチューブに向かっている。

「ポッドには一週間分の水と食料、冷暖房、GPSなど、必要なものが全てそろっている。私の救援隊が、三日のうちに全員を予備のコロニーに戻す。そこでは、以前と変わらぬ暮らしができる」

「そう……」




「検査結果はすべて良好だと聞いている。冬眠酔いも確認されぬ。居住用コロニーに案内しよう」

 シャトルは音もなく進んでいる。セプテージは丸い小窓の桟に肘をつき、コロニー群を見つめている。

「ありがとう……でも私、お金を持ってないわ。働かなくちゃ……」

 アルスはふかふかの椅子から身を乗り出し、セプテージに問うた。おさげが耳の上で踊った。

 セプテージは頬杖をついたままこちらに振り向いた。長い目じりにシワが刻まれた。

「信じられないかもしれぬが、そのどちらも必要ない。そなたには想像もつかぬだろう。今や、鉱物も燃料も有限ではない。水や空気でさえもだ。必要な資源は全て小惑星帯から手に入る。月に一度送り込む採掘隊によって、絶え間なく供給される。奪い合いも、独占もない。衣食住の全てが無償で提供され、人はただ、生を享受するのだ」

 二人の間に浮かんでいたフューラルコミュニケーターが、マリンバの音で同意した。彼は長い一本足をどこかに格納していた。

 すごい、と思った。

 有史以来、人類が夢見た理想郷がついに実現したというのだ。戦争、貧困、格差、飢え……それらは、アルスの生きていた時代でもなお、地球上にはびこっていた。その全てを克服したというのなら、それは神の誕生に匹敵する賛辞だ。

「不満そうだな」

「だって……あたなはどうなるの?私のために働いてるわ」

 アルスにとっては当然の疑問だった。

 働く必要はないと言うのに、彼女はこうして、自分のために時間を割いているのだから。

「優しいのだな。すべての管理をロボットやAIに任せるわけにはいかない。人類に残された最後の課題だな」

 セプテージは柔和な笑みで答えた。

 コロニーの蓋の真ん中が口を開けた。シャトルは光の中へ入っていく。

 アルスは突然、右に押し付けられるような感覚を覚えた。窓の外を見ると、目で追うことができないほど高速で、地面が回転していた。だがそれも、徐々に速度を落としているように感じた。

「心配はいらない。私は人類のために身をささげられて光栄に思っている」

 シャトルがコロニーの回転に沿ったとたん、アルスはその言葉の意味を知った。

 荘厳な景色だった。

 眼下に広がっていたのは、まごうことなき巨大都市だった。

 何千もの同じ形をしたビルがきっちりと区画整理され、整然と並んでいた。一定の間隔で緑地帯が設けられており、散歩をしたり、ベンチに腰掛けている小粒な人々が目に入った。ビルは全て真っ白に塗られ、清潔感に溢れていた。

 中心部には高さ数百メートルはあろうかという塔がそびえており、街のシンボルのように在った。コロニーが回転するたび、太陽の光が塔のガラスに反射していた。

 唯一直線的でないのが水辺だ。塔を中心として、大きな川が流れていた。緩やかなカーブを描き、コロニーの端から端まで、潤いをもたらしていた。かかっている橋は、どれも芸術作品のような美しさで、街に彩りを加えていた。欄干の描く曲線美を、アルスは無意識に目で追った。

 フューラルコミュニケーターがアルスとセプテージの座席に手をかけ、胴体に格納していた一本足を延ばしていった。遠心力による疑似重力が、船内にも影響を及ぼしつつあった。

 シャトルは塔の前に斜めに侵入した。そこは水上につくられた広場になっており、コロニーの各所に向け、蜘蛛の巣上に通路が伸びていた。垂直に着陸する間、通路に沿って生えている街路樹が暴風になびいていた。

「このFO―01(エフオーゼロワン)がそなたの世話をする。何かあれば彼に言いなさい」

 フューラルコミュニケーターがマリンバのような音を鳴らし、腕でお辞儀した。シャトル後方の壁面が、床との接合部を蝶番にして開き、階段となってアルスをいざなった。セプテージは笑みを浮かべたまま頷いた。

 アルスは広場に足をつけた。セプテージに貰った真っ白なパンプスは底が薄く、ひんやりとした地面の質感が足裏に届いた。降りてしまえば、この地面が高速で回転していたことなど、すっかり忘れてしまった。

「そなたは100歳を超えているが、体はまだ成長期だ」

 振り返ると、セプテージがシャトルの出入り口に寄り掛かりこちらを見下ろしていた。彼女の足下で、フューラルコミュニケーターが一本足を器用に折り畳み、両腕を使って一段ずつ降りていた。

「好きなものを好きなだけ食べ、よく眠りなさい」

「どうしてあなたは、私を知ってるの?」

 自然と浮かんだ疑問だった。アルスは小首をかしげた。

「歴代の統治者に代々引き継がれていたのだ。自らを神と勘違いした愚かな人間により、罪なき少女が宇宙(そら)に囚われたと。百年の周期で地球に訪れる彼女を、いつの日か救出する。それが、我らが先祖に尽くす礼というものだ。私の代でそなたを救いだせたこと、喜ばしく思うよ」

 セプテージは最後まで柔和な笑みを浮かべていた。

「よき一日を、アルス」

 彼女の顔を隠すようにシャトルの壁が閉じられ、船尾と船首のスラスターが火を噴いた。おさげが吹き飛ばされるほどの暴風に、アルスはさらされた。目を細めている間に、シャトルはグングン上っていき、ねじれた軌道でコロニーの蓋へ飛んでいった。

〔アルス様〕

 おさげがバタバタと舞う音に交じって、マリンバが鳴った。

〔ご案内します。どうぞこちらへ〕

 振り返ると、フューラルコミュニケーターが肘を直角に曲げ、手招きしていた。

「……うん」




 フューラルコミュニケーターについて広場を横切ると、一本の橋へ差し掛かった。なだらかな坂道を登りながら、アルスは丸い藍色の背中に問うた。

「あなた、お名前は?」

〔私はフューラルコミュニケーターです〕

 フューラルコミュニケーターは足の付け根で体を回転させ、後ろ向きに進みながら答えた。アルスが目覚めた時と、全く同じ音程だった。

「そうじゃなくて、さっきセプテージさんが言ってたの」

〔FO―01は型式番号です。アルファベットが種別を、数字が製造番号を表しています〕

「なんだか呼びにくい」

 アルスは顔をしかめた。人差し指で小さな顔を持ち上げ、考えた。視界の先に空はなく、地面と、真っ逆さまに生えているビルや木々、小川が見えた。なぜ水が落ちてこないのか、ずっと見ていると混乱しそうだった。

「ね、フューちゃんって呼んでもいい?」

〔光栄です〕

 単純な思い付きだったが、フューラルコミュニケーターはポップなマリンバを鳴らしてくれた。アルスはにっこりと笑い、軽やかに橋を下った。




 橋を渡り切ると、そこはレンガ畳の並木道だった。並木は均等な感覚で並んでいて、全て同じ高さに切り揃えられていた。木と木の間に、必ずベンチが一つあった。ベンチには必ず一組の男女が座っていて、彼らは必ずオレンジのつなぎを着ていた。そして必ず美男美女で、花が咲くような笑顔で挨拶してくれた。

「「こんにちは」」

「こんにちは」

「「こんにちは」」

「こんにちは」

「「こんにちは」」

「こんにちは……」

 三度目の挨拶をしたところで、アルスは我慢できなくなった。少し通り過ぎた後、ベンチに座る老夫婦に近づいた。

「あの」

「はい、今日はいい天気ですね」

 答えたのは男性の方だった。持っていた文庫本から視線を上げた。眼鏡の奥に、優しそうなシワが見えた。

「どうしてみんな、ベンチに座ってるの?」

「決まっていますよ」

 答えたのは女性の方だった。持っていた文庫本から視線を上げた。眼鏡はなかったが、目じりのシワが優しそうだった。

「今日は読書日和だと、彼が教えてくれましたからね」

 老夫婦の背後でマリンバのような音がした。そこにいたのは、紫色のフューラルコミュニケーターだった。

「どうして……?」

 アルスは信じられなかった。

 とたんに、女性の顔がこわばった。男性もだ。

「お嬢さん?」

「大丈夫ですか?」

 心配されて初めて、アルスは、自分の顔が引きつっていることに気付いた。脳裏に浮かんだのは、眠る前の記憶だ。

「あっ……ううん、なんでもないの」

 首を振ると、夫婦はほっと胸をなでおろしたようだった。

「あなたも彼に聞くといいですよ、今日の過ごし方を」

 男性がにこやかに言った。

「よき一日を」

 女性は微笑みながら言った。




「変なの」

 アルスはレンガの道に戻った。

「みぃんな、おんなじことしてる」

 ちょうど、十組目のカップルの前を通り過ぎたところだ。彼らは例に漏れず美男美女で、オレンジのつなぎを着ていて、ベンチに座って本を読んでいた。

〔わたくしたちフューラルコミュニケーターは、皆さまの生活のお手伝いをしています〕

 FO―01がマリンバの音を返した。

〔その日の体調、気候、人の密集度……様々なデータから、最も適した余暇の過ごし方をご提案できるのです〕

 たしかに、ベンチに座っている人々は皆、この上なく平穏な顔で本を読んでいる。

「そうなの、じゃあ、私は?」

 アルスは立ち止まり、右肩におさげを乗せて振り向いた。

 FO―01は軽快にマリンバを鳴らした。

〔アルス様はお腹をすかせておいでです〕




 FO―01が案内したのは、小さな歓楽街だった。並木道を抜け、大きな橋を渡った先に在った。

 ハンバーガー屋、カレー屋、ピザ屋、アイスクリーム屋、イタリアン、フレンチ、和食、中華……ありとあらゆる店が軒を連ね、アルスの知らない食べ物は数あれど、彼女の知っている食べ物は全てそろっていた。店先にいるのは決まってフューラルコミュニケーターで、彼らはみなビスケットのように小麦色だった。FO―01と違い、手先が五本指になっていて、料理をすること、料理を運ぶことに長けているようだった。

 街の中は人とロボットで溢れかえっていた。オレンジのつなぎを着たカップルが、必ず紫のフューラルコミュニケーターを連れて歩いているのだ。彼らを見ていると、皆、フューラルコミュニケーターに何かをつぶやき、そのモニターに表示された情報を見て、それから店に足を運んでいた。不思議なのは、どんなに繁盛しているように見える店でも、順番待ちの列は一つも発生していないことだった。まるで示し合わせたかのように、一組のカップルが入って行くと、別のカップルが食事を終えて出てくるのだ。

「なにを食べてもいいの?」

〔はい、すべて無料です〕

 FO―01はすぐに答えた。

「うー……」

 アルスはきょろきょろと店を見渡したが、あまりに多すぎて選びきれなかった。百年も眠っていたせいか、自分の好物がよくわからなくなっていた。

「おすすめはなあに?」




 じゅわぁ、という音に胃袋が鳴った。店の奥からはしばらく、嗅いだことのない肉の匂いがしていたが、次第に、どこか懐かしいコショウやケチャップの匂いが混じってきた。

 わくわくしながら待っていると、小麦色のフューラルコミュニケーターが、両手に大きなバスケットを抱えてやってきた。

〔お待たせしました、アルス様〕

「わぁ、ありがとう」

 アルスは少し背伸びして、カウンター越しにバスケットを受け取った。

〔よき一日を〕

 小麦色のフューラルコミュニケーターは、招き猫のように五本指を曲げ、お辞儀した。




 FO―01が提案したのはハンバーガーセットだった。百年前からほとんど味付けを変えておらず、アルスにも馴染みやすい、とのことだ。

 せっかくなのでテイクアウトにしてもらい、アルスは今、ドリンク片手に空いたベンチを探して歩いている。

〔十秒後に三つ先のベンチが空きます、アルス様〕

 突然、FO―01が予言めいたことを言いだした。

 コーラを飲みかけていたアルスはむせかえってしまった。

「そんなこともわかるの?」

〔もちろんです。アルス様がお目覚めになったコロニー、カファスにメーンサーバーがあり、我々フューラルコミュニケーターはそこを介して繋がっているのです。皆さまのお役に立てるよう、常に情報を共有しています〕

「ふうん……あっ」

 アルスは薄紅色のくちびるをストローから話した。ちょうど、三つ先のベンチから若いカップルが立ち去る所だった。

「ホントだ!」

 おさげを風になびかせながら小走りした。すぐ後ろを、バスケットを抱えたFO―01が緩やかなモーター音とともについてきた。

 アルスはベンチの上をぱっぱと払い、スカートを抱えて座った。遅れてやってきたFO―01に礼を言い、バスケットを膝の上に乗せた。真っ白な紙に包まれているハンバーガーを手に取った。

 くしゃくしゃと音を立て、包装紙を開いて行くと、こんがりと焼き色のついたバンズが顔を覗かせた。間には分厚いパティと瑞々しいレタスが挟まれており、肉汁の混じったケチャップが食欲をそそった。

 美味しそうな匂いと期待感とを一緒に飲み込んだ時、ふと、FO―01が前のめりになってこちらを見ていることに気が付いた。一つ目のカメラが、興味津々といった感じで絞りを開いているのだ。

「うふふ、フューちゃんも食べる?」

 ハンバーガーを差し出してみると、FO―01が驚いたように固まった。胸のモニターが七色に瞬いた。カメラをジイジイと唸らせ、ハンバーガーに照準を合わせているようだった。

〔アルス様はお優しい〕

 彼なりに複雑な処理だったのだろうか、少し時間をかけてからFO―01は答えた。マリンバの音もスローリィだった。

〔ですが、お目覚めになって初めてのお食事を、私が食べてしまうわけにはいきません。お気持ちだけ頂戴しておきます〕

 アルスは目をぱちくりとさせ、笑った。

「フューちゃんも優しいね、ありがとう」

 FO―01はモニターの両端を赤く染め、普段より半音高くマリンバを鳴らした。

「いただきます!」

 アルスは目を輝かせ、大きな口を開けてハンバーガーにかぶりついた。バンズはふかふかで、レタスはシャキシャキで、パティはジューシィだった。特に、肉汁のうまみとパティの舌触りが絶妙で、思わず頬がほころんだ。

「ん〜!おいしい!これ、なんのお肉?」

〔こちらは合成肉です〕

「……合成肉?」

 アルスははみ出たレタスをはんだ。

〔はい。大豆を主成分とし、牛肉の味を100%再現しています〕

「ふうん、私のいた時代より、おいしくなったんだね」

 アルスはハンバーガーの断面を見つめながら頷いた。納得の再現度だった。

〔お口にあうようで、なによりでございます〕

「ほんもののお肉はないの?」

 何気ない質問のつもりだった。すぐに答えが返ってくると思っていた。

 しかし、ベンチの後ろに控えたFO―01はうんともすんとも言わなかった。

 アルスはハンバーガーに前歯をうずめたまま、後ろに振り返った。FO―01のモニターは真っ暗になっていた。じっと見つめていると、思い出したようにマリンバが鳴った。

〔コロニーでは人間以外の生き物を飼育しておりません。命を奪うことなく、食料を調達することが可能です〕

 抑揚のない声で告げられたその事実は、ぞっとすると同時に、激しい嫌悪感をもたらした。

 アルスは、口の中のハンバーガーが途端に苦く、酸っぱくなるのを感じた。たしかに、コロニーには一羽の鳥も飛んでいない。水路にはオタマジャクシの姿すらない。いるのは二人一組の男女と、それについて回るロボットばかりなのだ。

「それ、セプテージさんがやったの?」

〔セプテージ様は、常に人類の総意をくみとっておいでです〕

 FO―01は誇らしささえ感じさせる電子音で答えた。

「そーゆーの、よくないと思うな」

 アルスはつっけんどんに返した。

 FO―01は無反応だった。

 無知なロボットに教えてやるため、アルスは指先でレタスの端っこを切り取った。

「植物だって生きてるんだよ、声を上げられないだけで」

 FO―01はカメラのレンズを収縮させ、アルスの指先につままれたレタスにピントを合わせていた。生まれて初めて象を見た赤ん坊のようだと、アルスは思った。

「声の大きい人の言うことだけ聞いてたら、歪んだ世界になっちゃうよ」

 アルスはレタスをひょい、と口に放り込み、指先についたケチャップをなめとった。

「私のいた時代は、それで戦争になっちゃったんだから」

 しょっぱい味がした。




 静けさの中でフーマは目を覚ました。飛び起きた、という方が正しかったかもしれない。

「でっ!……ぐぅ~っ!」

 まず、自分が透明なカプセルの中にいることを認識し、たんこぶをさすった。次に、カプセルの内側に手を這わせ、顔の前に一直線の繋ぎ目が入っていることを知った。拳を叩きつけてもビクともしなかった。鈍い音が返ってくるだけだ。分厚いアクリル板だ。

 フーマはアクリル板の繋ぎ目に右手の指先を差し込んだ。わずかな隙間ができたところに、すかさず左手も差し込んだ。

「んぐぐぐぐ……!ふんぐぐぐ!」

 両手で思いっきり引っ張っても、アクリル板は頑固に居座り続けた。渾身の力をこめると、バキッと音がして、右手側のアクリル板がベッドの下に沈んだ。フーマは身をよじってカプセルから抜け出し、地面に飛び降りた。ひんやりとした感触が、素足の裏から上ってきた。右手を手刀の形にして突き出し、左手を添え、右に、左に構えた。

 白く、広く、寒い部屋だった。天井は空のように高く、果ては見えない。自分が入っていたのと同じカプセルが、無数に、一直線に並んでいるだけだ。

「ふーっ、ふーっ、ふーっ……」

 恐怖との戦いがしばらく続いた。ここは敵地だ。

 身を隠しながら、そろり、そろりと歩を進めていくと、四つほど離れたカプセルに、誰かが入っているのが見えた。フーマは警戒を忘れて立ち上がり、透明なガラスに、透明なしずくを落とした。

「ロッツ……!」

 ロッツは、フーマのかつての親友は、見るも無残な姿で横たえられていた。

 右足は膝までしかなく、断面から骨が飛び出している。右手にはコードや破片が巻き付いており、人のものとは思えない。

 極めつけは頭だ。右半分がぐちゃぐちゃにつぶれているうえ、ヘルメットとほとんど一緒くたになっていた。半開きになった口の中から、バイザーの破片がギラリと顔を覗かせていた。

「ふぅっ……うぅぅ……」

 フーマは声を押し殺して泣いた。左手でガラスの蓋をひっかいた。仲間の死を見るのは、これで十四度目だったから。

 しかし、悲しんでいる暇はなかった。突然、気の抜けたマリンバなような音が聞こえたのだ。フーマは、自分が敵地の真っただ中にいることを思い出した。音のした方に右手を向けると、そこには黒い、ランドセルくらいの大きさのロボットがいた。一本の足で絶妙にバランスをとり、一つ目レンズでこちらを見ていた。

 パン、ポン、パパ、ポロ、ポン、パン。ロボットのモニターにカラフルな色が次々に灯り、恐ろしいことが起きた。ロボットの手の先がキリキリと回転し始めたのだ。それは電動ノコギリのようだったが、パックリと二つに割れ、中から、小さな発射口のようなものが姿を現した。

 フーマはとっさに右手(・・)()応戦した。ミサイルが着弾した時のような爆発音が、高すぎる天井に吸い込まれて消えた。右耳だけが、ひどい耳鳴りに襲われた。

 ロボットはいなくなった。ロボットの後ろにあったカプセルも全部なくなった。床だけが無傷だった。真っ黒なタールやオイルで汚れた以外、一つの損傷もなかった。

 走った。回れ右をしてフーマは走った。無限とも思えるカプセルに沿って、ひたすら走った。逃げ切れぬのかと諦めかけた時、真っ白な壁が近付いてくるのが見えた。不安と焦りに突き動かされた時、壁の中に、薄っすらと線が入っていることに気付いた。

 振り向くと、カプセルの向こうからモーターの音がやって来ていた。

 壁を叩いたが、ビクともしない。

 振り向くと、モーターの音が百倍に増えていた。

 壁を蹴ったが、やはりビクともしない。

 振り向くと、視界いっぱいを真っ黒なロボットが埋め尽くしていた。

 アリの大群のようだ。先頭のロボットはカプセルを器用にかわして走って来るのだが、後から続いてくるやつはカプセルにぶつかろうが、自らがこけようがお構いなしだ。数が多すぎるのだ。カプセルを弾き飛ばし、横倒しにし、仲間を蹴散らし、真っ黒な津波が家や人を飲み込むのと同じように、まるでそこには何もなかったかのように、平然とやってくる。

 一か八かだ。フーマは壁から距離をとり、右手を差し向けた。固い金属音を響かせながら、右手の指が全部、一直線に硬直した。親指が、人差し指が、中指が、薬指と小指が、先端を壁に向けたまま、根元からメキメキとひび割れ始めた。そのひび割れに沿って、五本の指は外に裂けた。

 手首に隠されていたのは砲身だ。今、フーマの右手は形を変え、五本の指だったパーツは、砲身を延長するために一役買わされていた。

 轟音と共に扉がはじけ飛び、炎の後を追うように、廊下の壁で幾度となく跳ね返った。三番目に出てきたのはフーマだ。出てすぐに右へ舵を切った。最後に出てきたのはロボットたちだ。扉が人一人分の大きさだったため、一度に二体ずつしか出てこられなかった。一本足の先についたローラーだけでは曲がりにくいのか、廊下の壁に当たってバタバタと倒れていった。

 直線上に入れば撃たれる。フーマの勘がそう告げていた。フーマは曲がり角を見つけるたび、躊躇なく新たな方角に進路をとった。振り返る度、ロボットは数を増やしていった。曲がりきれなかったロボットは壁に激突し、バレリーナのように回転して倒れていくのだが、その上にさらに新しいロボットがやってきて、仲間をメキメキと押しつぶしながら強引に進むのだ。最後に角を曲がった時など、勢いそのままに壁や天井を走るものまでいた。

 追い詰められたフーマは、大きなガラス窓を見つけて右手で撃った。本当に大きかった。廊下の突き当りで、壁画のように向こうの景色を魅せていた。ガラスの破片に仲間入りするように、フーマは飛んだ。

 そこは何のためにあるスペースなのだろうか。フーマには考える余地がなかった。わかることはただ一つ。奈落のように深かった。

「うわああぁぁぁぁぁぁ!」

 フーマの断末魔が――




――聞こえた、気がした。

 アルスはおさげを置き去りにして振り向いた。

 しかし、そこにはコロニーの日常があるだけだ。オレンジのつなぎを着た人々は、誰一人異変に気付いていない。小川の淵を歩いたり、ベンチで本を読んだりしている。紫のフューラルコミュニケーターたちも、静かに寄り添っているだけだ。

 いや、そもそも、こんなに平和なコロニーで、悲鳴などあがるのだろうか。

〔アルス様?〕

 マリンバの音で、アルスは我に返った。

「ん……んーん、なんでもない……」

 手元のハンバーガーに視線を戻すと、バンズからパティが飛び出していた。強く握り過ぎてしまったのだ。




「ぁぁぁぁあああああああああ!あぁっ!」

 激突する直前、フーマは真下に向かって右手の砲を撃ち抜いた。

 肩が外れるかと思ったが、爆風と熱風のおかげで落下の速度が弱まった。おかげでフーマは、軽い脳震とうを起こすだけで着地できた。

「ぅう……」

 しばらく、頭痛と耳鳴り、目まいにさいなまれた。閉じ込められていた部屋もそうだったが、床の硬度が異常だ。フーマの右手は特別強力に改造されているのに、ビクともしない。

 額にまた大きなたんこぶができてしまった。フーマはそれをさすりながら、顔をしかめながら、立ち上がった。

 そこは大きな格納庫だった。あっけにとられたフーマは、たんこぶに手をあてたまま、しばらく惚けていた。

「なんで……」

 ズラリと並べられていたのは、フーマの乗っていたスサノオと同じ宇宙船だった。色も形も全く同じ、三本のかぎ爪がついたような、細長い舟だ。一番直近の一機だけが、地面に横たわっていた。着地のための砲撃で、土台の足が吹き飛んでしまったのだ。

「マズいぞ……」

 フーマは自らの体をまさぐった。本来であれば、パイロットスーツのポケットにカメラや通信機が入っているはずだった。

 しかし、自分が身にまとっているのは布切れ同然の検査着だった。真っ白な、ワンピース型の。

 ひゅうっ、という空を薙ぐ音の後に、ズドン、という重たい音が降ってきた。フーマの全身を戦慄が走った。とっさに右手を構えると、ほんの数メートル先に、小さくて黒い何かがいることに気付いた。

「はあ……はぁ……あぁ……?」

 近寄ってみてまず、これはなんだ、と思った。モーターや基盤、ガラスの破片、そういったものがごちゃ混ぜになっていた。

 少し考えてすぐ、これはマズい、と思った。小さな車輪や二枚のレンズ、細長いアームがあったからだ。

 その考えを裏付けるように、黒い塊が一つ、落ちてきた。それはフーマの目の前で床面とぶつかり、はじけた。不気味なほど明るいマリンバの音が跳ねた。

 顔を上げると、はるか高い空の上に、針の先で突いたような点が無数にあるのが見えた。それらはぐんぐん近付いてきて、あめ玉くらいの大きさになった。真っ黒なランドセルのようだとわかるころには、色とりどりに輝くモニターも見えた。

 ロボットの大群だ。

 フーマを追いかけて落ちてきたのだ。

「はぅぐ――」

 恐怖のあまり、声が出なかった。

 金縛りにあった全身を奮い立たせ、死に物狂いで足を叩いた。カエルのように不格好な跳躍だったが、落ちてきたロボットをギリギリ、後ろ髪をかすめる程度でかわすことができた。

 土砂降りのスコールのように、ロボットが降って来る。後ろを振り返っている暇などない。わき目も振らずに走り続けるのだ。少しでも歩を緩めれば、脳天から粉々になってしまう。本能が鳴らす警鐘が、ヒリヒリと肌を焼いた。

 ロボットが床に激突するたび、地獄の業火にもだえる亡者のような断末魔があがった。太ももが焼けるように熱くなり、鉛のように重たくなった。肺が酸素を求めて暴れまわった。フーマは一番近くにあった舟の下に滑り込み、支柱にしがみついてうずくまった。

「うわあああぁ!」

 フーマの耳は、ロボットが潰れる音と、宇宙船が破壊される音だけで埋め尽くされた。ゴリゴリという不快な音は、自分の骨が削られているかのような錯覚をフーマに与えた。

「はあ……はあ……はあ……」

 死のつぶてがやんだあとも、フーマは動けないでいた。舟を支える支柱にしがみついたまま、ぶるぶると震えていた。

 辺りは、ロボットの残骸で一面真っ黒になっていた。かけらの一つに少しでも触れたら、一斉に動き出してしまう、そんな強迫観念に迫られた。

 フーマはつま先を地面につけた。深くふかく息を吸って、残骸の隙間に踵を差し込んだ。震えは収まらなかったが、根性で三歩進んだ。

 背後で、シュン、と静かに音がした。神経をとぎすませていなければ、気付けなかっただろう。

 フーマは振り向いた。

 壁に穴が空いていた。

 いや、穴は綺麗な長方形だった。

 ドアだ。ロボットだ。

 もう来た。

「くっ!」

 ボーォン、と甲高い音が鳴って、黒いロボットがカメラを緑色に光らせた。それを合図に、ロボットの大群が我先にと飛び込んできた。

 フーマは走った。ロボットの残骸をけちらして走った。細かい破片が足裏に突き刺さり、痛みに奥歯を食いしばった。袖をまくり、右腕を見た。彼の手首の付け根には、スリット状の入れ墨が五本、刻まれていた。今は、そのうちの二本だけが黄緑色に光っていた。

「くっそ……!」

 フーマは左手の宇宙船を見上げた。何百隻と並んでいる、三本足の宇宙船を。

 一か八かだ。

 ロボットに追いつかれる直前、フーマは一番手近な宇宙船に飛びついた。自分が乗っていたものと同じなら、外部から開くボタンがあるはずだ。

 フーマは船体のちょうど真ん中付近に張り付いた。一切無駄な隆起が無く、すべすべとした船体だ。足裏の血で滑り、何度か落ちかけた。しかし、たった一か所だけ、叩くと開く扉があるのだ。そこまで必死に食らいつき、力強く叩いた。

「……やった!」

 恐ろしいことに、この舟はフーマのスサノオと同じ方法で開いた。船体の一部がパカリと口を開け、手で握れるだけのレバーが顔を出した。フーマはレバーを思いっきり引いた。

 ルルルル、と優雅な音で、船体が回転した。いや、コックピットの入り口が開いたのだ。フーマが握っているレバーの、ちょうど真横だ。人一人がしゃがんでやっと通れる、小さな入り口だ。

「ぅわっ!」

 何かが足にぶつかり、フーマは叫んだ。足元に目をやると、したたる血に群がるゾンビのように、黒いロボットが迫っていた。仲間を踏み台にして上がってきたのだ。

 フーマは掴みかかってきた一体を蹴り飛ばし、コックピットに飛び込んだ。素早く船内に目を走らせると、ボタンやスイッチ、操縦桿に至るまで、全くもって見覚えのある構造だった。スサノオと違うところを上げるとすれば、ピカピカで、頑丈で、新しい金属の匂いで充満しているところだ。

 点火ボタンを押すと、ギュウン、とエンジンがうなりを上げ、モニターに光が灯った。外部の映像が映し出された瞬間、フーマはまた叫び声を上げなくてはならなかった。

 そこにいたのは、一面を埋め尽くすロボットの大群だった。上から、横から、真下まで、船体にへばりつき、手の先を回転ノコギリにしてつき立てていた。

 マリンバの音がすぐ隣で聞こえた。緑色に光るロボットのカメラが見えたとたん、フーマはコックピットを閉じるボタンを押した。周辺にいたロボットのほとんどを振り落とすことに成功したが、一体だけ、ランドセルのようにずんぐりとした胴体を差し込んできた。そいつは閉じかけの扉に挟まった。

 フーマは右の操縦桿を前に押し倒した。エンジンがうなりを上げ、舟の右半分にいたロボットが後ろにふっとんでいくのが見えた。宇宙船は斜めに進み始めた。支柱についている車輪のおかげで、地面を走行できるのだ。

「うぉっ!」

 頭上から回転ノコギリが降ってきた。フーマはとっさに首をひねり、かわした。髪の毛の先端が飛び散った後、運転席のヘッドレストが縦に真っ二つにされた。

「くっ……そ……」

 フーマは右の操縦桿を固定し、再び右手を変形させた。

 左の操縦桿を前に押し倒すと、舟は直進を始め、広大な部屋の中をぐんぐん加速していった。

 コックピットの前にいたロボットが、風圧に押され、後方に振り落とされていく。その様子が手に取るように見える。その全てに、フーマはざまあみろと唾を吐く。

 何もないと思われた部屋を突き進んでいくと、突き当りに、色の違う壁が見えてきた。フーマは左の操縦桿を力強く握り、砲身へと変わった右手を頭上に向けた。

 扉に挟まれたまま、回転ノコギリを振り回すロボットに。

 硬く閉ざされた巨大な扉に。

 フーマは怒りをぶつけた。




 コロニーの表面で爆発が起きた。すぐに隔壁が閉鎖され、空気が遮断されるだろう。そうすれば炎も消える。

 だが、そのどれよりも早い速度で、三本足の宇宙船は飛び出した。

 フーマの新たな愛機が、太陽の光を跳ね返して進む。


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