2話
ひとまず雪に埋もれた生徒を救出していると、
「ふぉふぉふぉ。皆の衆、精が出ているようじゃの」
老人のような言葉を操る鷲が飛んできて、スティーリアが地面に突き立てたシャベルに舞い降り、足を休めた。
しゃべる動物の姿を取っているが、この学園においてそうした存在は、れっきとした教師だ。校庭にはほかにも何体か教師の姿があり、生徒たちを見守っている。
雪から這い出た生徒たちが口々に挨拶し、スティーリアも続いた。
「グラソン校長。え、ええ。みんなちゃんとやっていますよ!」
恋だのなんだのといった話を聞かれていないか心配で、スティーリアの声がぎこちないものになった。
生徒を雪から救出し終わり、フレッドや生徒たちは校庭に散っていく。
スティーリアが「失礼します」とシャベルに手をかけると、グラソンは飛び立って近くの木の枝に止まった。枝に積もっていた雪が落ち、かすかな音を立てる。
「時にスティーリアよ。ここ最近の学園生活はどうじゃ?」
フレッドとの噂を耳に挟まれたのかと思い、スティーリアはぎくりと身を強張らせる。普通にしていれば勘ぐられることもない、と自分に言い聞かせ、なんとか言葉を搾り出した。
「……別に、いままで通りですよ」
「うむ。最高学年となり成績も素行も申し分なく、後輩たちの面倒もよく見てくれておるな。立派になってくれて、新入生のときから知っている年寄りとしては嬉しく思うぞ」
「ありがとうございます」
「しかしな」
どこか言い難そうに、グラソンは続けた。
「自分でも思っとりゃせんか? このままでいいのか、なにかほかにやるべきことがあるのではないか、と」
「この学園に通っている以上、錬金術師になるための勉強はしっかりやっていますが」
む、と考え込むような素振りを校長は見せる。
「ほかになんというか……好きなことや行きたいところはないのかのう?」
「錬金術師になってお金が貯まったら、旅行に行くのもいいかもしれませんね」
その際はもっと暖かな地域に行きたいものだ。長年寒い地に建つ学園で暮らしていると、切にそう思う。
「将来ではなくいまの話じゃ」
「行けるわけないじゃないですか。わたしたち学園の生徒は、卒業するまでこの学園で生活するのが決まりでしょう?」
なにを当たり前のことを言っているんだ、とスティーリアは教師たちから教わったことをそのまま返した。
学園の生徒たちは、寝起きも学園の敷地内にある寮でしている。親元を離れて――というか、親の顔も知らない。
一定の年齢になると入学し、その前は保育施設で同じ年頃の子供たちと一緒に育てられてきた。
そこで、親代わりの先生方に言われた。あなたたちはもう少し大きくなったら錬金術師養成学園に入り、将来は錬金術師になるのよ、と。
その保育施設にも、学園に入学してから行ったことはない。そもそもどこにあるか、どうやってこの学園に来たのか覚えていなかった。
学園の敷地は広いが、その外周を高い塀が囲っている。塀が遮る外の世界は、かろうじて灰色の空と雪を被った山脈が見えるだけだ。
外には出られない。出てはいけない。そう教えられていた。
スティーリアの返事に、グラソンは「そうか」とだけ言い、低学年の生徒たちのほうへと飛んでいった。その姿は、どこか歯がゆそうに見えた。
模範的な生徒でいるはずなのに、どうしてそんな哀愁漂う背中を見せられなければならないのだろう。
もやもやとした想いが込み上げてきて、それを打ち消すように雪に思いきりシャベルを突き刺した。
「そんなことがあったんですか」
保健室で休んでいた生徒、ネブリナ・アオローラを訪ねて行くと、暢気な返事をされくすくすと笑われた。
彼女はひとつ下の後輩で、つき合いは長く寮の部屋も近いので親しくしている――というかスティーリアがたびたび面倒を見ている。その理由は、身体は病弱なのにあることには興味津々な彼女の性格にあった。
「それで、フレッド先輩との距離は縮まったんですか? 詳しく聞きたいですねっ」
後輩の少女は身体の前に垂らした巻き毛を揺らして、寝台で身を乗り出してきた。
そう、彼女も一部の年下の女生徒たちと同じく、恋愛話が大好きだ。そして話のみならず積極的に異性と交流し、常日頃からどの学年の少年が格好いいだの、好きになっちゃっただのといった話題を口にし、浮いた噂が絶えない。
もっとも両想いになったという噂は一向に入って来ず、試しに隠れてつき合ってみても長続きはしないようだ。
スティーリアとしては、なにを言っているのだろう、という感じだ。恋をしたら消えてしまうというのに。
それなのにこの後輩は自分の態度を改めることなく、目をつけた男子に声をかけ続けている。
もっともスティーリアの学年のようにふたりしかいないというほどではないが、ひとつ下の学年もいつの間にか生徒が減ってきているようで、ネブリナは恋する相手がいないと嘆いているようだ。
恋の相手がろくにいなくて、つき合っても心は通じない。だから決まりに反したことにはならないのだろうか。
「縮まってないわよ。それに恋愛は禁止でしょ。縮める気もないわ」
スティーリアは溜息と共に答えた。
「えー、もったいないですよ。フレッド先輩格好いいじゃないですか。あれでもう少し親しみと協調性があって優しかったら、あたし狙ってましたよ」
「ネブリナも物好きね。でも確かにあいつは協調性皆無だけど、まったく優しくないってわけじゃ……」
「おやおやぁ?」
にやにやした目で覗き込まれて、スティーリアは言葉を飲み込んだ。
「わたしのことはいいの! それよりそっちはどうなのよ。最近は男子に夢中という話も聞いてないけど?」
「そんなことないですよ。学年は下なんですけど、結構美形で将来有望そうな子がいるんですってば」
そう言うネブリナの表情は、体調が悪いこととは別にしてもあまり優れなかった。いままで男子のことを語っていたときのような熱に浮かされた感じが、見受けられなかった。
「どうかした? またけんもほろろにあしらわれでもしたの?」
「ああ、いえ。その子にはこの前話しかけて、知り合い程度にはなれました。第一歩は踏み出したんです、これからです」
ですが、と続けようとしたところで、保健室の扉が音を立てて開けられた。
「よう」
廊下には長身の少年が立っていて、それだけ言うとずかずかと中に入ってきた。スティーリアは一瞥しただけで、視線はネブリナに固定されている。
「セーヴェル……」
その生徒の名を、ネブリナはつぶやく。その声音には、相手に対する苦手意識が詰まっているように聞こえた。
「また雪かき回避か。何度目だ」
「悪かったわね、仕方ないでしょ」
不本意そうに、ネブリナは反論する。
「悪いとは言ってない。俺もやってない」
道理でスティーリアが彼のことをろくに知らないはずだ。セーヴェルは雪かきなどの全校生徒が参加を義務付けられていることに、ろくに参加していなさそうだった。
注意するべきだろうか、と思ったがふたりの話は進んでいく。
「ほら」
とセーヴェルはネブリナに羊皮紙の束を差し出した。
「……なによこれ」
「今日の授業のまとめ」
「い、いらないわよ。友達に見せてもらうしっ」
「いらんなら捨てればいい。じゃあ」
それだけ言って、セーヴェルは保健室から出て行った。
「ああもう、なにあれ」
セーヴェルがいた場所から目を逸らし、ネブリナは頬を膨らませた。
「彼、ずっとこうなの?」
「ここ最近、いきなりですよ。まったく、どんな風の吹き回しなんだか」
「いい人そうじゃない」
寝台に置かれた羊皮紙に目を落とし、スティーリアは感じたことを話す。
だがネブリナは首を左右に振った。
「セーヴェルとはずっと同じ教室で勉強していましたけど、愛想ないし素っ気ないし陰気だし、なに考えてるのかわかったものじゃないですよ! あんな人とは関わらないに越したことはないです」
同じ学年の生徒に対して、酷い言い草だった。
「雪かきから逃げるのはよくないけど、悪い人じゃないと思うけど?」
「学級の中でまともな人間関係を築けていない人なんて、知ったこっちゃありませんよ。先輩もそう思うでしょ? 集団生活で守るべき規律に厳しいんですから」
「それは……そう、かな」
どうやらセーヴェルは、フレッドとは別の方向で集団から外れているらしい。フレッドはそもそも本人が個人主義なのだが、並外れた知能と研究で生徒にも一目置かれている。セーヴェルはそうした長所はないのだろうか。
「でもだからって、そこまで嫌うこともないんじゃないの?」
そう言い残し、不満そうなネブリナを残してスティーリアは保健室を後にした。