1話
窓の外には、淡く発光する雪が降っている。普通の雪とは違う、空気中に散らばり空に上ったマナのかけらを含んだ雪だ。
この雪を集めて凝縮させると、魔力の結晶、ひいては錬金術を行使するための魔道具になる。けれど放っておくと、雪が溶けると同時に空気中に逃げてしまう。
だから降り積もった雪をかき集めるのは、錬金術師養成学園イヴェールウールで学び生活する生徒の役目だった。
「なのにあいつはなにやってるんでしょうねっ」
スティーリア・ハイルは頭の両脇で結った栗色の長い髪を揺らしながら、肩を怒らせて廊下を闊歩していた。
冷え冷えとした廊下は、制服の上に防寒着を着込んだくらいで丁度いい室温だ。だがこのままほかの生徒に混じって外には行けない。屋外に行こうとしている生徒の中に、欠員がいることに気づいてしまったから。
図書室にはいなかった。ならばこもっている場所は、残りひとつしかない。研究室の扉を、スティーリアは音を立てて開け放った。
そこには案の定、捜していた少年の姿があった。
「なに悠々と雪かきを回避しようとしてるの、フレッド!」
「やあ、スティーリア」
フレッド・キュールは眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、飄々と手を軽く挙げた。
制服の上に白衣を着ているが、現在の研究室の暖炉に火は入っていないので廊下と大差ない寒さだ。それなのにこんな格好でよくいられるものだ。
銀髪の襟足を長く伸ばし、ひとつにくくっている。薄い青の瞳に白い肌。白皙の美貌とはこのことかと思うような外見だが、得てして他者より秀でたものを持つ人間は、ほかのどこかが欠落しているものだ。
「やあ、じゃないでしょ! なんでこう、決められたことから外れようとするのよ」
フレッドは容姿と頭脳が突出している代わりに、あまりにも協調性がなく、我が道を行く性格をしていた。
「学園では集団生活、集団行動しないといけないんだから。やるべきことに背を向けて好き勝手ばかりしてちゃ駄目でしょ」
「僕の研究は、いずれ錬金術の発展に寄与できると確信している」
研究室で分厚い本に囲まれ羊皮紙になにか書いていたらしいフレッドは、悪気ない様子でそうのたまった。
「だからとしても。錬金術に使うものを自分たちで作らないといけないんだから、雪かきから逃げちゃいけません」
「しょうがないな」
椅子から腰を上げ、フレッドは無造作に傍に置かれていた外套をつかんだ。
「せっかく君が迎えに来てくれたんだし、行きますか」
「当然よ。まったく、呼びに行くとすぐ折れるくせに、なんだって自分から外に行こうとはしないんだか」
「決まってるじゃないか」
外套に袖を通し、振り返りつつ少年は言う。
「スティーリアに迎えに来て欲しいからだよ」
「なっ……」
スティーリアは頬が熱くなるのを感じた。
「それに君だから忠告を聞く気にもなるんだ。ほかのお子様たちの意見なんて願い下げだね」
さらりと述べ、固まったスティーリアを追い越してフレッドは悠々と歩き、研究室の外に出た。
「あ、あなたねえ」
硬直から復帰したスティーリアは、早足で前を行く少年に追いつく。こんな言葉でいちいち動揺しているのが悔しいと思いながら、なにか言ってやろうかと声をかけた。
だが言葉を続けるより先に、フレッドが口を開く。
「ところで君は集団生活の大切さをよく解くけれど。僕は正直、組織や集団というものにあまり興味がないね。学園を構成している人員の大多数は、僕にとって価値はない」
「そういう問題じゃありません。学園を卒業したら錬金術師として社会に……」
「僕は君さえいればいい」
一般論を大真面目に展開しようとしたら、極論で返された。肌寒い気温のせいですぐに冷めた顔が、先程よりももっと熱くなる。
「あ、あのね、そういうことは……」
スティーリアがしどろもどろになっていると、
「そうだ」
とフレッドは手を打ち鳴らした。
「以前告白してから結構経ったわけだけど、心境の変化はないかい?」
そう。この間、フレッドから告白された。
決まりに反しているからと振った。けれど。
「そんなこと言ってると、この学園から消されるわよ!」
そう言い捨て、スティーリアはフレッドを追い越して早足で屋外に続く扉を目指した。真っ赤になった顔を見られないように、俯きがちになりつつ。
心境の変化? あったに決まっている。こうして意識してしまっているのだから。
胸の動悸を抑えるため胸元に手を伸ばすと、学園の生徒に支給されている魔道具の首飾りが外套越しに手に触れた。
雪かき場所である校庭に出ると、雪が舞う中すでに生徒や教師たちが勢揃いして身体を動かしていた。
もっとも小さな子供たちは、集めなければならない雪を使った雪合戦に夢中のようだが。流れ弾を食らったり故意に当てられたりしたらしい者から抗議の声が上がり、上級生に注意されている。
学年ごとに違う淡い色の外套には、フードや袖や裾に白い毛皮がついている。防寒に適した厚い布で作られた外套を着ると、身体はもこもことした逆三角形の輪郭を描く。
学園で支給されている毛皮の帽子や手袋、マフラーやブーツも黒い制服に反して白に近い薄い色だ。
それらを着た小さい子供たちが雪の中で駆け回っている様子は、雪の妖精がたわむれているかのようだった。
桃色、若草色、藤色、檸檬色など、色とりどりの外套をまとった生徒たち。けれど淡い水色の外套を着ているのは、スティーリアとフレッドだけだった。
「みんな、はかどってるー?」
スティーリアが声を張り上げて呼びかけると、あちこちからそれぞれ、
「おー」「あんまり」「寒いー」
といった返事が飛んで来た。
スティーリアとフレッドのふたりとも――否、ふたりだけがこの学園の生徒の中で最年長者だ。ほかの生徒たちはみな年下で、一番下の学年の子とは十歳近く年が離れている。
だからスティーリアは、自然と生徒たちをまとめるような立場になっていた。フレッドがそうではないのは、彼の性格上致し方ないのかもしれない。
「よし、わたしたちもやるわよ」
「人には向き不向きというものがある。僕に体力仕事をさせるのは、適材適所から極めて遠い」
「ぐだぐだ言ってる暇があったら身体を動かしなさい」
残っていたほかよりは大き目のシャベルを手に取り、一本をフレッドの目の前に持ってきた。それを彼は口ぶりとは裏腹にあっさり受け取った。
足を踏み出すと、ふくらはぎの中ほどまで埋もれるくらいに積もった雪。小さな子だと膝まで埋まってしまいそうだが、学園の生徒でもある子供たちは慣れたもので、臆する様子はまったくない。
そんな小さな後輩たちに負けないよう、歩くたびに鈍い音を立てながら、スティーリアは作業を開始した。
しかし遊ぶのに熱中している子供たちは、最年長者が来たからといっていきなりやめられるはずもないようだった。雪を投げ合い駆け回っている子たちに、スティーリアは声を張り上げた。
「こら、そこ遊ばない! いまは雪かきの時間です!」
「はーい!」
「おー!」
元気のいい返事が上がるが、しばらくしたら今度はシャベルで集めた雪をほかの子にかけ出した。注意したところできりがない。
「先輩、無駄ですよ。あいつら人の言うことなんて聞かないんですから」
年の近い後輩の少年が、近寄ってきて疲れた顔でそう言った。
「そうはいっても、注意しないわけにはいかないでしょ」
「不毛だな。これだから集団生活なんてものに益はないというんだ。自分勝手な人間が増長し、真面目にやろうとしている人が損をする。馬鹿のしわ寄せが一部の人間に押し寄せて来るのだから」
フレッドの言葉に頷きそうになり、スティーリアは首を左右に振った。彼の言うことはもっともだが、個人主義のフレッドにその台詞をそのまま返してやりたかった。
だがそれよりもやるべきことがあった。遊び回る子供たちに向かって、スティーリアは息を吸い込んだ。
「ちゃんとやらないと消えてしまうわよ!」
思い切り脅し文句ともとれる注意をすると、
「えー、この学園で消されるのって、恋をした生徒だけなんでしょ?」
この場においてしごくまっとうな返しをされてしまい、スティーリアはぐっと言葉に詰まった。
この学園において、異性を好きになること――恋愛は禁止されているのだから。
「それは……」
「そうそう、スティーリア先輩みたいに!」
近くにいた女生徒が瞳を輝かせて食いついてきた。
「なっ、なんでわたしが恋してるのよ!」
「だって噂になってるぜ。フレッド先輩に告白されたって」
「なんでまたそんなことに……先生方には知られてないでしょうね!?」
「もちろんですよ。こんな面白い話、生徒だけで独占しないでどうします」
スティーリアは胸を撫で下ろした。
「ならよかった。ああそうだ、訂正しておきますけど。告白されたってだけで、わたしは別に恋なんて――」
おお! と周囲にいた年下の生徒たちがどよめいた。
「やっぱり告白されたのは本当なのね!」
「誰だよ、根も葉もない噂なんて言った奴は!」
「すごーい、絶対にありえなさそうな組み合わせよねっ」
「確かに両先輩とも成績はいいけど、片や生真面目なまとめ役、片や我が道を行く恋愛なんて興味なさそうな学術の徒よ」
どうやら墓穴を掘ったらしい。沸き立つ生徒たちを前にして、少し遅れてスティーリアは自分の失言に気づいた。額に手をやり、頭痛を堪える。穴があったら入りたい。
「それで、フレッド先輩はスティーリア先輩のどこを好きになったんですか?」
「し、知らないわよ! というかどうしてわたしに訊くの? すぐそこにいる本人に訊いたらいいじゃない」
「だってフレッド先輩、近づき難くて話し難いし」
「頭いいからぬらりくらりと話題をすり替えられそう……というか実際に話を振ったらそうなったらしいし」
「その点、スティーリア先輩なら! 噂を聞いてからというもの、雪かきで近づける日を心待ちにしていましたよ」
わたしなら根掘り葉掘り聞いてもいいのか、とスティーリアは内心で嘆息した。
「と、とにかくみんな静かに!」
周囲を見渡し、近くに教師がいないことを確認しつつ叫ぶ。
恋愛をした生徒が消えてしまうという話は、決して決まりを守らない生徒に対するただの脅し文句ではない。嘘や眉唾もの、よくある怪談ですらないのだ。
この場所において、恋は罪だ。罪を犯した者は、文字通りこの学園から消えてしまう。学園で生活する生徒の記憶からも忘れられる。
だからだろうか。以前はもっといたはずの同年代の子たちは、いつの間にかいなくなってしまった。そしてその子たちのことを忘れてしまった。
あの子たちは、決まりを破ったから消えてしまったのだろうか。
――という考察はともかく、周囲にいる生徒たちは目を輝かせてスティーリアを取り巻き、注意なんてなんのそので好き勝手なことを口にしている。この分では見回りの教師に気づかれるのも時間の問題だ。
恋をしたら消されるというのは、その兆候が出たらすぐさま罰せられるのだろうか。そうだとしたら、この状況は非常にまずい。
焦りが込み上げ、どうしたらいいのか困っていると。
「ぶっ」「ぐえ」
そんなくぐもった声がすぐ近くから聞こえ、視界が白く染まった。
目の前に大量の雪の固まりが落ちてきた。必然的に、スティーリアの近くにいた生徒たちは雪に埋もれることになった。
落ちてきた雪には、雪自体が発している光のほかに、魔力の残滓がまとわりついていた。この場でこういうことをしそうな人間というと。
「ちょっ……フレッド! あなたねえ」
案の定、背後で銀髪の少年が、足元に術発動の魔法陣を浮かび上がらせて立っていた。
「君が困っていたようだったから」
平然と言われ、スティーリアは頭を抱えたくなった。
厄介な事態をどうにかしようとしてくれたらしいが、ものには限度というものがあるだろう。目的のために、少しは手段も選んで欲しい。
「ああもう……とにかくみんなを引っ張り出すから手を貸して」
「いいだろう」
「誰のせいだと思ってるのよ」
「一連の流れからして、そもそもはあそこで駆け回っている子供たちのせいだな。よし、彼らにも粛清を」
手を掲げたフレッドを認め、術発動でこの周辺に目を向けた子たちがぎくりと身体を硬直させた。
「しないでいいっ」
スティーリアが待ったをかけたのと、
「ごめんなさい!」
「真面目にやります!」
遊び回っていた子供たちが頭を下げたのは、ほぼ同時だった。
「わかればいいんだけど」
あれだけ注意したのに、結局年少者はフレッドの力にひれ伏しているようで、スティーリアとしては面白くなかった。