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振り返れば、男が女を殴りつけていた。
「なんてことを!」
女の人が口の端を切って血を流している。止めないと。
「あー、またか。ほっときな、夫婦喧嘩だよ」
店の人が平然としている。
「夫婦か……」
ミシャさんがその言葉を聞いて小さくため息をつく。
「何?止めないの?」
ミシャさんが首を横に振った。
「夫婦の争い事には首を突っ込まないんだ」
「でも、殴られてるんだよ?止めないと!」
店を飛び出して二人の間に割って入ろうとすると、ミシャさんに肩をつかまれた。
「ダメだ。下手に止めれば……今だけはやめるだろうが、家に帰ったらもっとひどく彼女は殴られてしまう」
え?
ミシャさんが苦しそうな顔をする。
「恥をかかせやがってと……人目のある所なら……ああ、ほら、気が済んだようだ」
女性を3回殴って男は立ち去った。
「よかったよ、あれくらいで済んで」
ほっと、ミシャさんが胸をなでおろした。
「何が、よかったんですか?夫婦だからって、どうして……なんで、殴られっぱなしにならなくちゃいけないんです?どうして誰も止めないんですか?」
ミシャさんが待ちゆく人に視線を向ける。
「あれくらいはまだいいほうなんだ。よく見てごらん。鼻が曲がっている女性がいるだろう。骨が折れるまで殴られたのだろう。あの足を引きずっている女性はもしかするとぼうか何かで殴られて骨が折れて変な風にくっついてしまったのかもしれない。彼女は何日か前に顔がはれあがるくらい殴られたのかな……」
言われてみれば、街を歩いている女性の何人もがけがをしていた。
「あれは……皆、夫婦喧嘩の結果だっていうの?喧嘩じゃない、一方的に殴られるなんて、暴力じゃない、なんで、止めないの!捕まえて法でさばけばいいじゃないっ!」
ミシャさんが悔しそうに唇をかむ。
「暴力を我慢するか、体を売るか……仕事を得られない女性の生き方は多くはないんだ……」
頭を強く打たれたような衝撃が走る。
「ご、ごめんなさい……私……」
ぼろぼろと涙がこぼれる。
殴られる人も、それを見る人も……辛くないわけはない。
だけれど、それでも……生きていくために耐えている。
他に手段がないから……。
ああ、そうだ。そう。昭和でも「誰に食わせてもらっていると思っているんだ」と、夫の理不尽さに耐えてきた女性はたくさんいたじゃないか。
今でこそ女性も仕事を持ち働ける世の中になったけれど、今でこそDVだと言って家庭内暴力が表に出て罰することもできるようになってきたけれど……言葉を換えれば、今になってやっとだ。
女性の地位向上……それは女性の多くが仕事を持ち、お金を得ることができてからのことだ。
……仕事だ。
仕事がまずは必要なのだ。
自分で稼いでお金を得ることができれば……暴力に耐えることもない。家を出てしまえばいい。
DVから逃れるシェルターみたいなものを作っても、その先の生活のことを考えれば女性は利用しないかもしれない。
日本であれば、女性は働ける。ある程度の国の支援もある。ボランティアがいて、募金があって……。最低限の生活は法律で保障されてて……。
そうだ。戦後の日本。戦争で夫を失った女性たちに、国は率先してたばこの販売許可を与えたって話を聞いたことがある。
煙草を売るには、許可が必要で……。
寡婦となった女性は、家の一角で煙草を売る。子供の面倒を見ながら、煙草を売って生計を立てることができたと……。
国は、夫を失った女性たちに仕事を与えたのだ……。
「ごめんなさい、ミシャさん、戻りたい……」
「あ、ああ。そうだね。戻りましょう」
吐きそうだ。
この国の女性の過酷な現実に。
そして、自分の無知と無力さに。
時計や作業着スーツを売って、この国に何をもたらしたのだろう。
一部の貴族たちが珍しい外国の品を手にした……それだけじゃないか。
支払われた金貨や宝石……それはもしかして、国民の血税じゃないのか。
誰かを幸せにしているどころか……こんなの……こんなの……。
社長の顔が浮かぶ。




