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「あー、花田にいろいろ世話になった」
花田とは、花田硝子の方でしょうか?
「っと、すいません社長。話は後にしてご飯先に食べましょうか。お昼休みが終わってしまいます」
「そうだ、ごめん、あの、仕事の話しちゃったから、えーっと、今から1時間お昼ってことでね。休憩」
別にいいのにと思ったけれど、せっかくなのでそうさせてもらうことにします。
「ごちそうさまでした」
お弁当を片付け、席を立つ。
「社長、散歩してきますね。このあたりにどんな店があるのか知っておきたいので」
「あ、はい。気を付けて行ってらっしゃい」
ふっ。
自分で言っておきながらちょっと不思議な気持ちになった。
行ってきます、行ってらっしゃいって……。休憩時間にいちいちお昼ご飯買いに行ってきますとか前の会社ではなかったなぁ。
カバンを持って、会社を出る。
昨日面接に来て、今日が出社1日目だというのに。
なんだか、ずいぶん長い時間がたったような気がするから不思議だ。……1週間くらいの濃度があったような気がする。
季節は春。散歩するひはちょうどいい。
ああ、コンビニはここにあるんですね。ここにくるまで自動販売機は見かけなかったので、一番近くで飲み物が手に入るのはこのコンビニかな?
隣は何かの飲食店のようだ。看板を見るとレストランかな。洋食?ランチ営業中と書かれている。そのうち行ってみよう。あ、公園がある。
コンビニに戻って、炭酸飲料を買って公園のベンチに腰掛ける。
もう、桜の季節は終わっている。青々とした葉を茂らせた桜の木が何本も見える。
来年の桜の季節は、ここで花見ができそうですね。楽しみ。
……私、あの会社で続けられますよね?
社長はいい人そうですし、まりちゃんもいいこでした。取引のある周りの人たちも社長の身を案じるいい人たちばかりだし。
誰も、私をお局様だと……言わないし。
さわさわと、心地のよい風が吹き抜けた。
桜の花びらがふわりと舞い、それを見て社長が楽しそうにきれいですねと言う映像が脳裏に浮かんだ。
両目をつぶる。
来年、桜を見られますように。頑張って働こう。
……なんだか、会社として不安だらけなので、つぶれてしまわないように、頑張らなくっちゃ。
……まぁ、あの宝石がすべて本物だったとしたら、資金繰りに困るようなことはなさそうですが……。何かのミスでつぶれることはありそうだ。
職安からの従業員を保険にいれなかったとか指摘を受けたり、うっかり税金収めてなくて脱税したとマルサにチェックされたり……。それから社長が誰かに騙されて資産全部持っていかれるとか、社長の座を別の人に奪われるとか……ううう。
背筋がぞっとする。
ああ、私一人で大丈夫でしょうか。不安ですよ、不安。会社は顧問弁護士、顧問税理士などの専門家と契約してるのかな……。
会社に戻ると、社長はノートを広げて何かしていました。
「えーっと、姿見は注文数の半分で、あ、涼子さんおかえりなさい」
姿見?
花田硝子さんとの取引かな?ということは仕事なんだ。PCじゃなくノートに書き込んでいる?
「社長、会社のあれこれがどうなっているのか話を聞きたいので、花田硝子さんとまりさんの連絡先を教えていただきたいのですが」
「電話帳は、えっと、そうそう、涼子さんも使えるようにここに置いておくね」
と、社長が机の中から取り出したのは昭和臭漂う電話帳……アドレス帳?




