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メールアドレスを紙に書き写して、電話の横に張り付ける。電話で伝えるときに間違えてはいけないので。
……あ、そういえば……。
「メモとペンが電話の横に置いてありますね。社長が早速準備してくれたんですか?」
昨日、気が付いたことの一つに電話の横にメモ!と言った気がする。
社長が照れたように笑う。
「涼子さんが働きやすいようにと思って」
ドキリ。
「あ……ありがとうございます」
どうすれば働きやすいかって真剣に考えてもらったことなんて今まであっただろうか……。意見を言っただけなのに、それを便利になるからということではなく、私が働きやすいようにとすぐに実現してくれるなんて……。
嬉しい。
「とりあえず、メールアプリの設定はできました。今回の通販のメールアドレスはこれを使います。はい、これで入力完了です。あ、早速振込先情報のメールが届きましたね」
と、淡々と通販作業を進める。
「え?もう終わったの?もう届いたの?あ、じゃぁ、振り込みに行かないといけないですね」
そのままメールの必要な情報を選択して印刷。
すぐにプリンターから印刷された紙が出てくる。
「では、振り込みをお願いします。銀行名、支店名、口座番号、振り込み金額、振り込み人氏名は会社名で、備考欄にはこの注文番号の記入をお願いします」
と、蛍光ペンで必要事項に線を引いた。
あ、これ、重要事項を説明するときの癖だった。さすがに振り込みに必要な情報くらいはわかりますよね。
「あれ、このペン……」
社長がペンを見てから、私の使っている机の上を見た。
私物の筆箱が乗っている。
「あ、すいません、私物の持ち込み禁止でしたか?」
厳しく制限されている会社もある。なんせ、筆箱にメモリーカード入れて持ち歩き情報盗むなんて簡単なことだからだ。
「違うんです、あの、会社で用意します。どんなペンとかあればいいですか?」
社長はそれが気になったんですね。社長はいつも気遣ってくれるのに、私はもしかしてダメだったんだろうかとかいつも注意されることを真っ先に考えてしまう。……これって、もしかして、前の会社で……私がいつも人の注意をしていたから?
うわぁ。お局様って呼ばれても仕方がない。いくら新人教育を任されていたからといって……注意するためだけに話しかけていたとしたらすごく嫌な先輩かもしれない。私、ちゃんと褒めたりもしてたかな?
「必要なものがあれば、書き出しておきます」
「はい、お願いします。では振り込みに……って、え?100万円以上?」
社長が驚いて声を上げている。
値段考えてなかったの?
「やめますか?今ならキャンセルをすれば相手方にも迷惑が掛からないと思います。その、もちろんお金を振り込まなければ自動的にキャンセルになりますけれど……」
「いえ、あの、それは大丈夫なんですけど、お金がないんです」
お金が、ない?
「それは、現金がないという意味なのでしょうか?資金がないという意味なのでしょうか?」
会社の経営状態が悪いの?
まりちゃんの様子はそんな感じしなかったし。ここの事務所を見ても、きちんとしているように見える。とても資金繰りに困ってまずい状態には思えない。そもそも、新しく私を雇おうとしたくらいなんだし……。」
「現金?資金?えっと、その、日本円がないんです」
ああ、外貨ならあるってこと?取引先は海外でしたね。
「その……向こうのお金なら……金貨ならあるんですが……」
金貨?
「日本円に変えてこないと、振り込めません……。ちょっと待っててください」
社長がまた部屋を出ていく。待っている間に、空になったカップでも片付けよう。
と、カップを二つ持って、ダイニングキッチンスペースに靴を脱いで上がる。……スリッパも持ってこようかな。さすがに個人使用のスリッパは会社の備品ではないですよね。あ、会社の備品、来客用のスリッパは別に用意してもらおう。
カップを洗い終えると、社長が戻ってきてダイニングのテーブルの上にジャコンと重そうな革袋の巾着と木製のアタッシュケースの形をした鞄を置いた。