13.ずるいこと言ってます
「あ、すいません」
「しゃべったぁ!?」
臭いと言われ、僅かに傷付きつつ、リアは覆い被さった状態から離れた。
そして軽く風に押される感覚がしたかと思えば、刺激臭が消え呼吸が楽になる。早速空気の膜で遮断してくれたようだ。
「ふぁ……仕事が早いですね、ありがとうございます」
「おぁ!? あ、あれ、臭いがなくなってる?」
さっきから都度反応する行商人にかまけている余裕はないので無視し続ける。
「一体何だ?」
トリムは瞼を閉じたまま覇気のない声音で問う。気のせいか怠そうな面持ちなので、まだ本調子ではないのかもしれない。
「屋敷に入るために使った臭い液体です」
「クナ種の花の蜜だろう? そうではなく現状を聞いている」
「そうなんですか物知りですね。一言で言うと絶賛命の危機中です」
トリムの眉間の皺が一層深くなり、睨むような視線をリアに向ける。
「……アーサは」
聞かれてもアーサが今どこにいてどうしているのか答えようがない。
リアは自分のことでいっぱいいっぱいだったが、改めて考えると、アーサにとっては砂漠に置いてきたトリムを探しても見つからず、戻ったらリアも居なくなっているという状況だ。幸か不幸かリアはすぐに現状把握できたが、アーサはもしかしなくても何も分からないままでいるのではないだろうか。
彼の心境を思えばだいぶ不憫な気がしてくる。突然独りぼっちになって泣いていないだろうか。
「分かりません……はぐれてしまって」
「…………使えんな」
溜息と漏れたその評価に思わずムッとする。
「そんな言い方しないでください。元はと言えばトリムさんが変なこと言うからですよ。アーサはアーサなりに頑張っちゃっただけなんです」
「は? 元が何だろうと役に立っていないことは事実だろう。……まあ、またリアがしでかしたのだから責めるべきはお前だがな。全く何度言えば分かるんだ?」
「ちょっと断言しないでくださいよ! 今回ばかりは私悪くないです! そう! 悪いの全部このおじさんですから!」
おざなりな言い方で、勝手に決めつけられたリアは、全力で自分のせいではないことを主張する。突然話を振られた行商人は「え」と間抜けな声を漏らした。
トリムの胡乱気な視線がリアから移動し、行商人の表情が強張った。
「馬鹿な!」
だが裏返った叫び声がその空気を切り裂く。
役目を果たせなくなったドアの前に、思いの外時間を与えてくれた老人魔術師がいた。階段からこの部屋までたいした距離はないのに時間がかかったのは、頭から血を流し擦り傷だらけの満身創痍が理由だろう。
「あわ、トリムさん、敵です!」
「どうやって開けたのデスカ!? お前、何者デスカ!?」
老人が立つ場所からは寝転んだままのトリムが見えないので、謎の宝箱が開封されていることに対してだけ驚いている。その剣幕に圧され「ぼ、冒険者Aです」と、薬にも毒にもならないような情報を口にする。
「最近うろついている輩の仲間ということデスカ……! 何を企んでいるのデス!?」
「へ? あの……なんか勘違いしてる気がします」
ただの冒険者を装うつもりが、何か別の情報が加えられた。最近も何も、うろついたのは今日が始めてである。企むほどの計画も仲間もない即席侵入者だ。
「答える気はないと……もういいデス! 死になサイ!」
顔を真っ赤にした老人が手をかざすと、風を切るような鋭い音が走る。
「ひぃっ」
だがその視界に捉えられない魔術がリアの元に辿り着くことはなく、激しい破裂音だけが連続して鳴った。
圧縮された空気の渦が一部分だけ景色を歪め、一瞬の後、逆回転を始める。その中に白い稲光が混ざり、そして弾け散る。それによって生まれた風は鎌鼬となり、老人の胸部を中心として放射状に広がった。
鮮血が通路に散り、悲鳴を上げる間もないまま、老人は後ろへと体勢を崩す。それは静かに、小柄な体躯が伏す音で終わりを告げた。
「……っ」
息を飲んだのはリアか行商人か。
魔術と魔術がぶつかり、トリムが勝った。リアはそれだけしか分からなかった。
動かなくなった老人の表情は驚愕のまま固まっている。目を見開き、夢に出てきそうなくらい恐ろしい顔だった。
「敵なのだろう?」
老人を凝視して硬直するリアに、トリムは微塵も変わらぬトーンで呼び掛ける。低い声音に硬直が解かれ、ワンテンポ遅れてリアは振り返った。トリムの何事もなかったかのような表情に、夢から醒めた心持ちになる。
「あ、はい……敵でしたね」
「今度は何の面倒事だ」
「私にもよく……いや」
その面倒事が老人魔術師が死ぬ間際に放った言葉に対してなのか、現状のことについてなのか首を捻りつつ、ふと思い出す。
トリムを助け出す(出される)ことが叶い、ブリーシアからの脱出やアーサとの合流もしなければならないこととしてある。しかし、リアとしてはその前にオークション会場に囚われている女子供を解放しに行きたい。怯え泣いていた彼らをあのままにしておくことはできないからだ。
「えと、その面倒ついでに一つお願いが」
「却下だ」
「せめて聞いてからにして」
「自分で面倒と言っておいてか? 俺はお前の望みを何でも叶えるつもりはないと言ったはずなんだがな」
ゼスティーヴァでも言われた苦言にリアは渋い表情になる。
「そう、なんですけど、そこをなんとかお願いします…………というか、避けられない巨大な面倒事がありまして、その途中に寄ってもらいたいところがあるんです。街中の敵さんが私達を探してると思うので、この際どこ行っても変わらないといいますか……」
「おい、何だそれは……いや待て、それは本当に聞かなければならぬことなのか?」
トリムが聞くことを躊躇っている。意図せずともトラブルを引き寄せているかもしれないリアは、心労をかけない方向の提案をしてみる。
「えーと、聞かなくてもトリムさんならなんとかなるかも?」
トリムは再び瞼を閉じた。
「……………………話せ」
長い葛藤の末、それはもう不服そうにトリムは話を促した。砂漠で任せてとかゆっくり休んでとか言った手前、リアのせいではないにしてもこのストレスは悪い気がしてくる。
「起き抜けにごめんなさい」
「全くだ」
リアはオアシスでそこの行商人に拐かされ、この街、ブリーシアに気付いたらおり、命からがら逃げ出してトリムの元へ来たことを話す。
アーサと別れる原因になった地獄のトレーニングについては、トリムも言葉を失っていた。その表情はアーサの一般的な基準の食い違いに対してなのか、リアの体力のなさに対してなのか微妙なところだ。落ち着いてからじっくり文句を言うつもりなので、とりあえずは軽く流しておく。
逃げ出す際、ブリーシアの裏側を牛耳るようなところで反抗したので、リア達は街中で探されており、かつそんな中会長の屋敷に突っ込んできたことを説明。
経緯を話していると、他に手段が無かったとはいえ、自ら泥沼に突き進んでいる気がしてならない。
そしてオークション会場で捕まっている人達については、仕返しがてら助け出したいとお願いする。
トリムは口を挟むことなく聞いていた。説明の間、行商人は微動だにせず、一言も発しなかった。
「少し目を離しただけで何故こうも……覚悟はしていたが…………ともかく、何故行商人といる」
「協力してもらったんです」
リアは悪い方の期待に応えてしまったことにヘコみながら、当然の疑問に答えた。
「……協力、な」
「はい。ね?」
脅して、という言葉はあえて言わず行商人に同意を求めると、彼は首がもげそうなほど激しく頷いた。
トリムはその必死の主張を一瞥もせず、ただ考え込んでいる。
「今更何を言っても詮ないこと。何の関わりもない街であれば、リアが特定されることもなかろう。リアは、その最近彷徨く冒険者の一味の振りでもしておけ。ついでに、そこで足を手に入れるか」
「そうですね、お借りしましょう」
返す当てはないが。馬車なりをオークション会場で奪い逃げるということだ。現状やむを得まい。
リアは意外にすんなり協力してくれることに胸を一なでした。
「何もせずとも寄ってくるのならば、身動きが取れなくなる前に、先取するに限る。数は面倒だが、魔術師でさえその程度、殺すのは容易い」
「こ、殺すのはちょっと、遠慮してもらえないかなぁ」
「……はあ?」
「う」
半ギレで睨まれた。
より面倒な方でお願いしている自覚はあるが、それでも何百人という命を奪う手段は安易にとってほしくない。おそらくこのままだと、現れる敵さんは心臓を一突きにされるだろう。下手すれば通りすがりの一般人も誤って一突きされる恐れがある。危険だ。
「中途半端な慈悲でもかけているのか?」
「そういうわけじゃないんですが、強者だと見せつけて話す場ができれば何とかなるかもですよ」
「何を能天気なことを言っている。向こうはお前を殺そうとしてくるのだろう?」
「そうですけど……ですけど、トリムさんにそんな殺戮者になってほしくないんです」
「は……? あぁ、あの話か。リアが特定されないようにすると言ったろう。お前の行為にならぬようにするのだ、問題はない」
トリムは、サライドの教会に乗り込む前リアだけが殺人犯になるリスクを負うのか、と話した件と結びつけ、問題はないと言う。
あの時は納得してもらうための言い分だった。根本的な部分は、ひどく独り善がりなリアの想いである。
「ありますよ。それとも違って、私がトリムさんに簡単に人の命を奪う人になってほしくないんです」
「………理解し難い……つまり、お前の感情のために俺は負担を課されるのか。随分と厚かましい」
「うぅ、聞いてくれないなら……私一人で行ってきます」
ずるいことを口にしたと思った。しかし、ここは折れるつもりはない。
案の定、トリムは瞳を鋭くした。射抜かれる視線に、リアは負けじと見つめ返す。
「……そうさせるわけがないと、分かって言っているな」
「だって、トリムさんなら、できるでしょ?」
「…………」
できないわけがない、という確信をもって言う。
人よりも何倍も強いミリオリアの地下のモンスターを何百と倒したのだ。しかも同時に襲っては来ない人の相手など、トリムにとっては赤子の首を捻るほど簡単なはずだ。
「リアはモンスターより厄介だな」
やがて不名誉な評価をいただく。
了承の言葉は得られないが、発言からは諦めた空気が伝わってくる。舌戦にはリアが勝ったと言っていいだろう。ならばその評価は喜ぶべきことだ。
「ありがとうございます。やっぱりトリムさんは頼りになりますね」
「はぁ……俺は早まった、のか」
小さく呟いたその言葉は、リアに命楔の真実を話したことだろう。確かに、知っていなければこのような強行手段はとらない。
「へへ、後悔先に立たずってやつですね」
「お前が言うことか、阿呆」
「すいません。んじゃ、早くブリーシアから出て、アーサを探しに行きましょう」
リアは身を乗りだし、トリムに手を伸ばし止まる。いつも通り頭部だけ持とうと思ったが、体はどうしようか。
行商人も生き延びたいならリア達から離れるわけにはいかないので、筐体を運んでもらうことにしよう。顔だけ後ろを向くと、行商人は何故か緊張したままの表情で、リアは疑問に思いながら呼び掛ける。
「これ運んでもらってもいいですか?」
「は、はい! もちろん!」
いやに協力的な態度に疑惑の目を向ける。態度の変化は何か裏があるのではないか。などと考えていると、
「待てリア。腕を怪我しているのか。治すから見せてみろ」
そう言われてから、リアは二の腕の痛みを思い出した。出血はすでに止まっている。今までそれどころではなかったからだが、我慢できない痛みでもない。
「ああ、そういえば。でもこれからトリムさんには頑張ってもらわないといけませんしいいですよ。傷薬でもつけておきます」
リアは筐体の隅に同梱させてもらっていた自分のバッグを掴み、ごそごそと救急セットを探した。
「いいから見せろ」
思いの外、頑ななトリムである。魔力の無駄遣いはしてほしくないなあと逃げ道を考える。
「えー……あ、そうだ、ならシスティアさんに貰ったペンダント使いますよ……あれ?」
胸元に手を当て、あるはずの球体を触ったが、自分の肌以外の感触はない。首にずらし、ペンダントを下げた紐を探る。それすらもない。
「おかしいな……まさか失くし……あ」
バッグに移動させた覚えもなく、ずっと肌見放さず持っていたはずだ。唯一、覚えのない時間があったのは、行商人に気絶させられた時。
「あ」
リアの視線とその行為を受けて、行商人も気付いたようだ。気付いた時点で、自白と同義である。
「おじさん……まさか私のペンダント、売った?」
「いや! いやいや! あるある! まだあるよ!」
「まだ、あると。売るつもりだったんですね?」
「そそそんな! 僕の馬車にちゃんと保管してるから大丈夫! お嬢ちゃんの怪我だよね! うん、痛そうだ! これを使おう!」
そうあからさまに焦って取り出したのは、棒の魔術具三本セットの残り一本だった。




