8.一蓮托生ですね
暗雲が立ち込め、今にも降り出しそうな夜空だ。日付変更まであまり時間もない。
通りには物騒な見た目の男達が目を光らせながら行き交っている。噂のタニア商会関係者なのか、ただこの街で刺青と体を鍛えることが流行っているだけなのかは判然としない。
リアは屋寝の上に寝そべるようにして角ばった馬車を眺める。
ラクダは砂漠の近くの街で売り歩きをするために借りたらしく、あの馬車が行商人の全財産という。
一見幌馬車のようだが、周囲にいる商会関係者に襲われたようで布は破れて中が見えている。だがその布の中というのが、頑丈な金属製の荷車で、所々凹んでいるものの彼の商品が運び出された形跡はなかった。車輪にはぶっとい鎖が繋げられ、見たこともない大きさの錠前がぶら下がっている。用心深いというか勘定高いというか、おじさんらしいなと思ってしまった。
「おじさんの馬車も完全にマークされちゃいましたね。お役立ちアイテムの追加は見込めないようです、残念」
未だにリアは薄着で裸足のまま、さらには剣も通風孔の壁に突き刺したまま失ってしまったので、装備はマイナスと言っていい。ゼスティーヴァで色々無くなった時以下になることがあるとは思いもしなかった。行商人の持ち物に多少なりとも期待してたのだが。
「…………どうにかこいつを……駄目だ話す前に殺られる……そもそもオレの信用を示す材料が……」
振り返るとぶつぶつ呟く薄汚れた行商人がいる。
閃光玉は彼から預かったものなのに、どうしてか見張りと同じように視界を奪われてしまっていた。殺されたくなければと耳打ちして無理矢理引っ張ってきたので、転びまくった行商人はあちこち汚れ、肩口が破れている。
「諦めて潔く協力したらどうですか? 一緒に回収プランを考えましょうよ」
行商人は恨みたっぷりに睨む。
「んなもんあるか。どんなに大事なもんだろうが手遅れだ。プランだか何だか考えたところで絶対的な暴力の前では無意味なんだよ……ここまできたらどうしようも……どうブリーシアを抜けるか、それを考えるしか生き残る方法はねぇんだ……」
「おじさん取り繕う事すらしなくなりましたね……まあ安心してください、こんな目立つ結果になるとは想定外でしたが、絶対的な暴力対策にはアテがあります。そのためにト、私の荷物を取り戻さないといけませんから、協力してもらいますよ。でないと叫んで、私だけ逃げます」
位置を知らせればこんな屋根の上、あっという間に取り囲まれて終わりだ。行商人はリアのように身軽に屋根から屋根へと逃亡はできないだろう。
行商人が、ギリと歯を食い縛った。
「あぁクソ最悪だ。頭の弱いガキと道連れだなんて」
「失礼な。だいたい私を巻き込んだのおじさんですからね。落とし前はつけてもらいたいものです。さっきのなんて完全に黒なのをグレーに落とし込んであげたんですよ。私の寛大な心に感謝してほしいくらいです」
行商人は視線と顔をゆっくり逸らしていく。
気まずくは思っているようだ。
「礼でも言やいいのか? 詫びか?」
「そんな上っ面のなんていりません。欲しいのは情報です。誠実に答えてくれればおじさんは守りますよ」
視線だけがリアに戻る。
行商人は無言で思案した後、短く悪態を、続けて長い溜め息を吐いた。
「……どっちに転んでも泥舟か…………んで、何なんだよそのアテってのは? 爆薬でも積んでんのか」
(おそらく)素のまま話に乗ってきた行商人に、リアはにやりと笑みを浮かべた。
「まぁ似たようなものです。取り戻せたら……いえ、辿り着けさえすればこっちの勝ちと言えるほどのものです」
「本当かぁ? どんなにしても開かないどころか傷一つつかねぇ箱だろうが」
「私なら開けられます…………私、普通じゃないんですよ?」
行商人はしばらくリアの笑顔を見つめ「そうだろうな」と言うと、胸元からごそごそと数枚の紙を取り出した。その中から一枚を選び、他の紙は戻す。拡げるとそれは建物の見取り図のようだった。
「何ですかそれ」
「タニア商会会長の私邸の見取り図。増設されてはいるが、大して変わっちゃいねえだろ」
「何でそんなの持って……いえ、いいです。会長に売ったんですか?」
予想外に大物とのツテがあるのだろうか。小者っぽいのに。
「いんや、会長珍しいモン好きなんだ。それ見越して傘下の商会に持ってったからな。馬鹿みたいに珍品が集まってるだろうよ」
珍品……中身は確かに珍しいね。
「住んではいねえから毎週決まった日まで目通り待ちの保管庫にあるはずだ。まあ、ただ高価なモンもある。警備はとんでもなく厳重。盗みに入った奴は戻ってきた試しがねえ。盗賊との繋がりがあるからそういう隙がねえのさ」
「うーわ」
「これ聞いてもまだ行くって?」
「もちろんですよ」
「即答かよ……死にに行くようなもんだが、入る分には手段はなくはない」
行商人は今度は左の袖に手を突っ込み、二の腕の辺りをごそごそする。やはりまだ何かを隠し持っていた。今は有難いが、嘘を吐いていたことをじとーっと非難すると、行商人はばつが悪そうに視線を逸らした。
「自分の命がかかってるのに何もかも見せるわけないだろう。一応これが最後だ」
「そうですか、次こそ切り落としますからね」
「……どうやって?」
「あっ」
呆れた表情で行商人が取り出したのは、縦に三つの盛り上がりがあるベルトだった。それからチラッとリアを見た後、胡座をかいて履いている靴を脱ぎ、親指と中指で挟むように踵を押すと爪先から板状の金属ナイフが飛び出した。
「わぁ、いいですねそれ」
便利そう!
「これはいいのか」
「あ、えっと……何かこまごましたのまだありそうですし、全部終わったら全部見せてください。それで切り落としは勘弁したげます」
「それもうただの好奇心じゃねえか」
爪先ナイフでベルトの三つの盛り上がりの端に切り込みを入れる。中からそれぞれ取り出したのは、細長い金属の棒であった。ざらついた表面の金属棒はそれぞれ違う絵柄が刻んであり、どれも片端に小さい半球が見える。行商人はその半球を親指でくるくる回す。続けて別の方向にくるくる。それを何度か繰り返すと、見えていた半球がコロンと取れ、玉になった。
「その玉は?」
「これは鍵みたいなもんだ。決まった向きに回さないと開かないようになってる。特注で作らせた。オレの荷馬車と同じ素材だ」
「へー面白い。かなり厳重にしてるんですね」
「危険で…………とんっでもなく、高ぇんだ……本当に、ほんっとーにどうしようもなくなった時用にと…………!」
「じゃあ今がその時ですね。どう使うんですか?」
さらりと流したら恨みがましくじろりと睨まれる。
深い溜め息を吐いた後、行商人が一つの金属棒を傾けて取り出したのは一回り小さい半透明の棒だった。黒い線で幾何学模様が施され、中心部だけは細くなっている。緻密な美術品のようで綺麗だが、真ん中からパキッと折れそうだ。
「折るだけだ」
当たってた!
「すると?」
「折ったトコから、何つったけな、ナントカいう風の魔術が飛び出すという話だ。封じ込めてんだとよ」
「魔術具ってそんなこともできるんですね。どんな風の魔術ですか?」
「普通はできねえよ。
接地した部分から膨らんで破裂するらしい。壁だろうが牢だろうが大概のモンは大穴を開けられる」
「何それすごい」
「すぐ離れねえとこっちにも被害があるから取り扱い注意だ。あと間違っても生物に触れさすな。文字通り、血の雨が降る」
「ひえぇ」
行商人は「ほらよ」と言って差し出してきた。
「向こうの方角にでっけー屋敷がある。柵に囲まれた三階建てで見張りもいるからすぐ分かるさ。見取り図とこれをやる。これで嬢ちゃんのいうアテのトコまで行くといい。オレはここで待つからな」
「あら、一緒に来ないんですか? ここに居たって見つかるかもですよ。それとも」
「もう売りゃしねえよ、リスクが高すぎる。分かってるだろ、オレは頭脳派なんだ」
頭脳派ではないと思うが、要は足を引っ張るから待つということだ。確かに一緒に来ても戦力としてはないに等しい。
諦めて協力するように見える行商人だが、嘘の垣根は低そうだし、信用しきれるものではない。再びぽいと手のひら返しをされる恐れもある。この魔術具でさえ、言う通りのものかすら分からないのだ。
目の届くところに居て欲しい、だがお荷物なのも事実。どうしたもんか。
考えあぐねて、とりあえずリアは差し出されたままの風の魔術具に手を伸ばす。
折るだけとはいったがそもそも自分に使えるのだろうか。魔術具は意識的でなくとも魔力を必要とするものがほとんどである。たとえ折るだけであっても、発動しなければ意味がない。
「落とすなよ」
リアは指先で摘まみあげ、
「!」
途端、まずいと思い手離した。
「ばぁ!?」
魔術具は行商人の手の平に当たり、縦にくるりと回りながら落ちる。屋根の上に一度カンッと端をぶつけ転がり始め、軒先から踊り出た寸前、行商人が身を乗り出して両手でキャッチ。危うく通りに落ちるところであった。
「は、なんっ、何しやがる!?」
声を潜めて叫ぶという器用なことをしながら、行商人は目を見開いてリアに詰め寄る。
意外に怖い。
「ご、ごめんなさい」
リアは摘まもうとした手を握り、もう一方の手で包み込む。まずいと感じたのは、もわっとした抵抗があったからだ。何度もしてきた、誰も開けられなかった結界さえ壊してきた、アレだ。
行商人は魔術を封じ込めていると言った。となると、回りは結界のようなものなのだろう。リアが触れ、それが解除されようものなら悲惨な結末が目に見える。
「多分これ、私触っちゃ駄目なやつなんです。使えません」
「……何言ってんだ? ただ折るだけでオレでも使える」
「この魔術具、結界が施されてるでしょ? ちょっと私普通じゃなくて、触っただけで破裂しちゃうかも」
「はぁ? 何だそりゃ。オレを道連れにしようって魂胆か?」
訝し気に問う行商人の言葉に、リアは目を瞬かせた。
「なるほど! そうですね、私が使えないとなると必然的にそうなりますよね。ちょっと待っててもらおうかとも悩んではいたんですが、こうなると仕方がありません。ついてきてください、おじさん」
「えぇぇ……」
警戒していた行商人だったが、リアの物言いに毒気を抜かれる。
「では、さくっと乗り込みましょうか」
「ウソだろぉ」と呟きつつも、行商人はのっそりと腰を上げた。




