7.方向性を決めます
「ひぃ、ネズミ……わわっ、む、ムカデ」
「うるさいなあ。そのくらいでビビらないでください」
何度目かの情けない声を上げる行商人に、リアは不満を漏らす。
通風孔の中は人ひとりがしゃがんで動くほどの幅しかなく、先に進ませてる行商人が止まればリアも動けなくなる。いい大人がいちいち小さいものに驚いては止まるので、そのタイムロスの積み重ねにイライラが募る。
「ムカデだよ? こいつら噛むんだよ?」
「こんな小さな顎じゃ噛まれても屁じゃないし、粘液も吐かないし、結界も使わないし、かわいいもんでしょ」
「……ムカデの話だよね?」
所々ある部屋に繋がる通風孔から光が漏れ出て、明暗の差はあるがそれなりに見える視界だ。
リアは剣を抜いて行商人の前に居座るムカデをちょちょいと寄せ、手近な通風孔に落とした。
「普通女子は怯えないかな」
「普通おじさんは情けなく怯えないと思います」
そうこうしているうちに広い空間にたどり着く。
見上げれば五メートルはある位置に金網が見え、その上に雨を防ぐ屋根っぽいものがある。屋根を取り囲むように隙間から零れ出る星明かりで、辛うじて手元が見える暗さだ。正方形の空間は両手を伸ばしても壁に届かない幅である。
「うわぁ……どうしようもないところに出たね」
「おじさん、とりあえずもっかい肩車してください」
行商人は「えーまさかここ登るの」と言いつつしゃがんでくれたので、再び肩車から肩に足を乗せるトーテムポールスタイルになる。壁に寄ってもらい、剣を突き立て、そこを足場にすればギリギリ金網に届く位置である。
「身軽だねえ。ボクには無理」
「無理でも一緒に来てもらいます」
「あのさ……あそこに残されてもヤバそうだったから一緒に来たけども、ボクを連れていく理由は何だい? その口振りだとボクに何か用があるんだよね? 逃げるだけならボクは足手まといだから」
「そうですね。私のものをきっちり返してもらわないといけないので仕方なく、ですよ」
「……それってあの黒い箱のこと?」
「はい」
金網は固定されているようだった。目一杯押してみてもびくともしない。リアは鞘を抜いて金網の枠と壁の隙間に押し込め始めた。
「悪いけど、それはできないよ」
「はあ?」
リアは手を止め行商人を半眼で見下ろした。
「い、いや……売買は成立したから通常なら買い戻すほかないけど、絶対ふっかけられるよ。何より……」
「何ですか、借金してでも返してくださいよ」
言い淀む行商人に、リアは憮然として言い放った。
金額ができない理由ならばトリムと一緒に入っているバッグの中にはそれなりにお金もあるし、取り戻せさえすればそこは何とかなる。
しかし行商人は「違うんだ」と首を振る。
「お金で解決できないというか……ボクが売った商会は同じ系列で、つまりは母体が同じなんだ」
「同じ? ……何とですか?」
「このオークションの主催と」
「それは……え」
リアがぶちのめしたオークション関係者の組織と、筐体を買っていった組織に繋がりがある、ということ。
「ちょぉっと後ろ暗いとこなんだけど、ブリーシアのあちこちの商会に根を張っていてね……多分もう気絶した彼らは見つかっているよねぇ。そうなるとお嬢ちゃんの所業は母体組織からブリーシア中の関係者に情報共有されてしまうだろうし、連れてきたボクもマークされちゃってるんじゃないかなぁ。彼らはねぇ、小さな芽でさえ摘むような周到さと粘着さなんだ。もうまともに街を歩けないだろうね」
文脈からここはブリーシアという名の街らしい。知らない街だ。いやそんなことは今はどうでもいい。
つまりちょっと脱出の為に必要だった抵抗が、この街全域を網羅する組織を敵に回してしまっていたということに他ならない。予想外の敵さんの大きさに現実逃避をしたくなる。
「……衛士さんとこに駆け込むとか」
「一時的な避難所にはなるかもしれないけど、基本的に彼らもタニア商会と関わり合いになりたくないんだ。ブリーシアの衛士は見て見ぬふりが得意らしいから、居場所がばれて出てしまえばあっと言う間に袋叩きだ」
「…………領主さんとこに訴えるとか」
「商業の自主性を重んじるとかいう丸投げ政策だから、証拠もなくここの領主は動かないよ。タニア商会は巨大で、自領の不利益になるようなことは特に腰が重いだろうね」
乗り込めば証拠なんて出てくるだろうに、それをせず放置している消極性が見てとれる。証言だけでなく揉み消せないほどの証拠を持って訴えたらさすがに動くとは思いたいが、現状では役に立たなさそうだ。
リアは足場にしている剣の柄の上で「ぐぅ」と頭を抱える。
「…………そこまで分かってて妙におじさんは落ち着いてますね」
「ははは生きて逃げられればブリーシアには生涯近寄らないようにするさはははは」
行商人は乾いた笑い声をあげた。遠い目は諦めの感情が浮いている。
やはり直接トリムの元へ行くのか確実だ。下手に助けを求めて身動きが取れなっては元も子もない。一番避けなければ。
再度行動を決めたリアは立ち上がる。隙間に差し込んだ鞘を両手で掴んでぶら下がり体重をかけた。メリメリといった音と共に金網は剥がれて浮き上がる。同時にひっかかりがなくなった鞘は隙間から抜け、リアともども落ちた。だが、このくらいの高さは何ということはなく、問題なく着地する。足の裏は痛かったが。
「よし。おじさんもっかい上げてください。私が先に上がってロープ下ろしますから」
「えぇ凄い」
先程と同じように行商人を踏み台にして、壁に突き刺した剣の柄を足場にする。金網を押し開け、ずりずりとスライドさせて人が出れるほどの隙間を作った。そこから両手を伸ばし腕の力で抜け出す。持ってきたロープの先を屋根の支柱に結び付け、隙間から反対を落とした。
「どうぞ。静かにあがってくださいね」
ロープの片側を受け取った行商人は苦い顔でそれを見つめ、やがて諦めて片手に巻きつけると、壁に足をついてよじ登り始める。
リアは姿勢を低く周囲に注意を払いながら待つ。遠くに複数の人の気配がある。
敷地内には大きな洋館と、いくつかの小屋サイズの建物がある。離れた位置に洋館と同じほどの高い塀があり、上に有刺鉄線が張り巡らされていた。まるで監獄。
行商人が登り終える頃には、見張りと思われるの人の数が増え、俄かに慌ただしくなった。リアの犯行が完全にバレたのだろう。
「出入口ってどっちですか」
呼吸が乱れたままの行商人が指だけで方角を指し示した。人の気配が多い方だ。大きな門があり、五、六人の男が帯剣して目を光らせている。
「他の道は知りませんか?」
こくこくと頷かれる。
仕方ないか、とリアは閃光玉を片手に握っておく。強行突破しか方法はないが、まともに戦闘でもしたら多勢に無勢で、かつ行商人もいるのであっという間にとっ掴まってしまう。リアは決して弱くないと思っているが、それも人としての範疇は越えられないのだ。
小さい建物の陰に隠れながら門へと近付いて行く。幸い空は星明りが陰り、また敷地内は草が多いので伏せて息を殺していればなんとか見つからずに済んだ。
行ける……!
リアは手の平を行商人に向けて“待て”の合図。壁を背にして待機、見張りが後ろを向いたタイミングでちょいちょいと手招きする。指示通りに動いてくれる行商人に、少し楽しくなってきた気がしないでもない。
「ふぅ」
やっと息が整った行商人はリアの横に立つ。あとは門前の見張りの視線を集め、閃光玉を炸裂させれば、しばらく視界は奪えるはずだ。出来る限り門から離れた状態で実行したい。どう引きつけようかと思案していると、行商人がおもむろに歩き出した。リアの脇を抜け、建物の陰から出る直前、手首を掴まれ引っ張られる。
「え、おじさ」
「タニア商会の皆さん! 逃げ出した商品はこちらですよ!」
見張りの男達が一斉にこちらを向く。
今から閃光玉を使うことは特に話していないが、何やら視線を集めてくれた。以心伝心。強引だがナシではない。
「この女普通じゃないんです! 手加減はいりません! 私が捕まえている間に早く!」
いや違うな!? 私を売って自分だけ助かろうってつもりだ!
リアは掴まれていた手首をくるんと回し、行商人の手から容易く逃れる。こういうところが小悪党どころか素人感満載なので、なんだか気が抜けてしまう。リアはバックステップで行商人から距離を取り、見つかってしまえばしょうがないと閃光玉を使う機会を伺った。
行商人は驚いた表情から苦虫を噛み潰したように変わって「早く!」と見張りの男達に駆け寄っていく。
まずい、と思えば咄嗟に叫んでいた。
「待って!」
チラッと一目見ただけで行商人は足を止めはしない。ブリーシアのことを全く知らないリアにとって、彼は手放してはならない情報源なのだ。
「私を置いて行かないで!」
「……え?」
予想外の呼び掛けに、行商人は面食らって振り返る。
リアは息を胸一杯吸い込み、行商人に、そしてその向こうの全員に届くよう声を張り上げた。
「潜入に協力してくれただけじゃなくて! 今も私だけを逃がそうとしてくれるなんて! おじさんは弱いから庇って戦うなんて無理だよ! 一緒に逃げよう!!」
「は!?」
リアの位置からは、見張りの取り纏め役っぽい男が他の者に指示を出しているのが見える。
「ちが……あれは……」
行商人は今度は門の方へ凄い勢いで首を回した。言い訳をしようと口を開きかけ、剣を抜いた見張り達のターゲットに自分も含まれていることに気付く。じり、と腰が引けていた。勿論タニア商会の皆さんに対してだ。
目を見開いて焦燥と混乱がありありと映る行商人の顔が間抜けていて、リアは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。が、表情までは堪えきれず、半笑いの状態で目が合った。
「ぷふっ地の底までお供してくださいね?」
「…………こっのくそアマァ!!」
門から見張り達が十分離れたことを確認し、リアは目を瞑って閃光玉を地面に叩きつけた。




