9.配慮が足りません
「ふ……ぅ、えっくしょ!」
今度は思い切り出せて、すっきりした。
吹きすさぶ冷たい風は、一向に収まる気配はなく、それがこの場所が高所だと教えてくれている。寝転んでいれば外壁が強風を遮ってくれるので、リアはなるべく低い姿勢にする。
勿論、額は地面につけたままだ。
「……寒いのか」
「はい」
「一旦、下層に移動する」
「かしこまりました。顔上げても?」
「……仕方ない」
お許しが出たので、リアは慎重に立ち上がる。風にあおられて一瞬ふらついたが、踏ん張れるほどの体力は戻ったようで安心した。トリムを抱え上げて、下層へと繋がる崩れかけた階段に足を踏み入れようとした。
「あの、真っ暗なんですが」
階段は二、三段から先が見えない。外も暗いには暗いが、星明りのおかげである程度は分かる。だがこの先の下層はただただ漆黒しかなく、深淵に沈んでいきそうな恐怖がある。
ダンジョンの中は灯りがあったはずだ。篝火とかではない何かが、ほとんどの場所を薄オレンジ色に照らしていたはず。
思えばあれも何だったのか謎だなと、闇を見つめながら、バックから篝石を取り出した。地面に打ち付けると、その振動が篝石の中で何度も反響して黄緑色の光を返してくる。
リアはそれを掲げながら階段を降り始めた。
「ぐぅ、ほとんど見えん」
弱々しい光は定期的に刺激を与えないといずれ消えてしまうものだ。見えるのはせいぜい自分の足元くらいまでで、例えば通路の先からモンスターが忍び寄ってきていても、目の前に来るまで気づけないという中々に恐ろしい代物である。災害時向けで一般人には一家に一個あるものだが、冒険者は持っている者は少ない。理由は言わずもがな。
「……アンデッドとか出てきたら心臓止まる自信あります」
「ダンジョンの機能は停止しているからモンスターは大丈夫だろうが、アンデッドはまだ動いてるかもしれないな。腐った臭いには気を付けろよ」
独り言に近い呟きに対してトリムが返事をしてくる。もう怒りはない様子に胸を撫で下ろした。長時間土下座が効いたようだ。
それはともかく、気になる文言があった。
「ダンジョンの機能が停止してるってどういうことですか」
「そのままだが……崩壊が始まる気配もないから、死んだというのも意味合いが異なる。休眠状態なのか、植物状態なのかは定かではないが、まあ、俺もこの状態は初めて見るし、断言はできないがな。灯りが巡らない限りは、停止したままだと判断できるだろう」
聞きながら、疑問符がいくつも浮かび、頭をもたげた。
リアは冷たい風が入ってこない通路の角で止まると、腰を下ろし膝の上にトリムを乗せた。何か現れても、外へ繋がる出口へと飛び出せるように視界には入れておく。
やっと一息つけた。
「よく分かんないですけど、とにかく一安心てことですね。じゃあ、なんで停止してるんでしょうか。てか、いつの間に外にいたんでしょ」
「…………覚えていないのか?」
信じられないというふうに聞かれて、慌てて記憶を辿る。
「ね、寝起きなので……えっと、私が何かやらかしたんですっけ? グロイムから逃げたところあたりまではうっすら思い出してきました。その後、何があったか、簡潔に言ってもらえると助かるっす」
「……そうか。そうだな、簡潔に言うと、ダンジョンが折れただけだ」
言葉が一度頭を通り過ぎていく。
「はあ…………は?」
長く説明してもよく分からないと言ってばっかりなせいか、あまりに簡潔だった。
脳内イメージで、あのぴかぴかと輝き渦巻くダンジョンが、ポキッと折れた。その想像に自分でつっこむ。んな馬鹿な。
首が傾いたまま固まったリアに呆れた視線が突き刺さる。短くても長くても駄目なのかと溜息が声もなく語ってくる。理解力が足りなくてすまぬと視線で返事をした。
「爆発で、グロイムが五十階層ごと吹き飛び、上層が落ちた。心臓であるボスも遥か下に落ちたろう。おかげでダンジョンの中枢機能はもう残っていないから、停止したということだ。ただの抜け殻の状態だな」
分かり易いトリムの説明に、先程の自分の想像の裏付けがされていく。
「え、ちょっと、ちょっと待ってください」
「なんだ」
しかし、現実離れし過ぎて、今度はどこまで自分の想像と合っているのかが分からず、こんがらがってストップをかけた。篝石でこめかみをぐりぐりし、トリムを手で制す。
えーと、つまり、つまり……。
「……ここはどこ?」
「記憶喪失か? ダンジョンの四十八階層だ。…………自分は誰だか分かるか?」
「ガチトーンで疑ってこないでください。リア・レイエル。ぴちぴちの十七歳です」
それならばいいとトリムは頷いた。リアは軽口のつもりだったが、トリムの返答に、冗談でもなんでもなく本気で疑われていたのかと、信用の無さにちょっぴり傷ついた。
それにしても、四十八階層から上がポキッと折れたのか……空が見えるのは屋上とか踊場に出たからでもなく、上がなくなったから、と…………そうか。
リアは両手で顔を覆った。
「……規模がおかしい」
「リア? 頭を打ったのか?」
「だから本気でそっちの心配しないでください! あ! 思い出しましたよ! グロイムが扉から出てきて、キマイラがいて、光が……光、が……」
瞬間的に視界が真っ白に染まり、ぶわっと全身に鳥肌が立った。
自分を消す光を思い出した。
生への執着や死への恐怖さえ許されない一瞬の出来事。
誰も思い出せず、何も思わなかった。あっけなさ過ぎる最後の時、だった。生きていて良かった、という思いすら浮かばない。
何も感じなかったことが、一番怖い。
寒くはないのに、手が震える。忘れていたくせに今さら過ぎると、可笑しくて顔が歪んだが、笑顔には程遠かった。
トリムにばれないように、咄嗟に篝石を下げて表情を隠した。自分を誤魔化すように、何か話さないと、と回らない頭で言葉を探す。
「……あ、あの、あのあれ、そうそう、あの爆発はちょっと、凄かったですよね。ダンジョン落とすためだったなら、確かにあれほどの威力、かもですけど、でもそもそも、そんなやり方、普通はしないっていうか、先に言っといてほしかったというか」
平常を装って声を出すと少しずつ恐怖が小さくなってきて、震えがなりを潜めていく。そんな落ち着いてきた頭で考えていたら、気持ちの準備をさせてもらっていなかったことに気づく。あれほどのことを予定していたなら、予め言っておくべきだろう。対処ができたとは思えないけれども。
「まあ……想定外だったな。火石は一つで十分だった、かもしれん」
「え?」
リアはぴたりと固まった。ついでに震えも止まった。
想定外、とは?
「原石ではないのだな。加工か何かされているのか。純石ほどではなかったようだが」
「えっと、火石のこと? ……人工純石を精製する時に残る廉価版ですけど……揶揄って火石って皆言います、よね? ……普通に原石なんて売ってるはずが、……え、想定外って」
「ほう、人工」
原石、つまり天然の火石は純度が悪いものが多く、今は原石がそのまま一般に売られることはほとんどない。リアが使っているのは、人工的に純度を高めた火石で、安い大量生産品だ。とはいえ、一般的に原石と性能を比べるべくもなく、威力は桁違いだ。
ごく稀に、人工純石以上の原石が発見される。それが純石と呼ばれ、宝石に並ぶほど高価で、リアのような貧乏人は見たことすらなかった。
その火石を、何をどうしたかなんて少しも分からないが、トリムが超強力爆発物へと昇華したことだけは分かる。そして、この口振りは見誤ったということだろう。
「なるほど、把握した」
「いやいやいやいや、把握してませんよ!?」
「これは使えるな。まあ今回は必要以上の威力だったが、そう問題もない」
篝石の震動がゆらゆらと遅くなり、光が弱まってきた。薄暗い中で見えるトリムの顔は、無表情なようでいて、しかし口の端が上がっている。
リアは篝石を思い切り壁に打ち付ける。
「ないわけないでしょ! 私死にかけたんですよ!?」
「死にかけていないし、しっかり守ってやったろう。俺がいなければ、消し炭だ」
「トリムさんがいなければ、消し炭の可能性もなかったですけどね!」
「それならば、お前はここまで辿り着く可能性もなかっただろうな」
「うぐぅ、その通りです! けど!」
「けど、何だ?」
トリムはふん、と見下すように鼻を鳴らした。リアの方が位置的に上にいるのに、見下された感満載だ。
失敗は誰にでもあるから許してもいい。実際、グロイムやキマイラを倒すことができたし、失敗というよりはやり過ぎてしまったという話だ。ダンジョンの被害は計り知れないが、リアの知ったことでもないので問題ない。
ただ、下手したら死に直結するほどのことをしておいて、やり過ぎた人がふんぞり返るのはどうなのか。
また、結果論を持ち出されると、言い返すことはできず、リアの負け一戦だ。
トリムが居なければリアは生きてこの場にいる可能性は皆無だった。それは明らかだが、確実にトラウマを植え付けられた。感謝はもちろんあるものの、それでこの態度を受け入れられるほどリアは大人でもなく、恐怖の一瞬のインパクトの方がどうしたって強い。
「反省が! 欲しい!」
「俺に省みる要素など無に等しい」
「無! む、むわあー!!」
両手を握りしめてぶんぶんと振り、言葉にならない感情を声にして吐き出すと、幾分か落ち着けそうだった。
分かっている。予め事細かに説明されていたら、色々と躊躇って動けない可能性もあった。
トリムの指示は簡潔で、従いやすく、出会って数時間しか経っていないのに色々と把握されている気がする。
それは分かっているが、あの光は本当にやばかったのだ。生きたい、死にたくないとか願う一瞬さえも奪っていく恐怖をほんの少しでもいいから分かってほしい。いや、分からなくてもいいから、気を遣ってほしい。言葉でなくてもいい、ちょっと悪かったなといった表情をするとか、それだけでもいい。
しかし、目の前で叫ばれてトリムは迷惑そうに片眉を上げる。
「騒がしいな。……ああ、ひとつだけあるとすれば、お前だな」
叫び声で感情を出力することにより下がってきていた興奮ゲージが、その一言で限界突破した。
「はぁ!? 私との契約が反省点かこのやろう!!」
「あ?」
「ひぇ、この……野郎様! わ、私結構頑張ったでしょうが!」
褒められたくてとか認められたくてとかで頑張ったつもりはないが、自分のことを棚上げにしてリアの働きを貶められる謂れもない。全貌を教えてもらえなくてもトリムの指示に従ったし、怖くても信じた。確かに、多少騒ぎ過ぎた点は反省しているが。
「そうではない。自分の身も守れないくせに、下手なことをするな、お」
「あの爆発から身を守れるとでも!?」
カッとなった頭は、続けて言おうとしたトリムを遮って即座にあの大爆発に結び付けた。
トリムは暫く言葉を失っていた。正論を言ってやったと、リアは勝ち誇ったが、無言の時間が予想外に長く、熱を持った感情が不安へと移行していく。
やがて、トリムは静かに口を開いた。
「……都合の悪いことは忘れているのか。大層な記憶力だ」
「なっ、……なんのことですか! ちゃんと説明してください!」
「説明してもいいが、覚えていないことを聞いてお前の頭で理解できるのか?」
「はあ!?」
叫んでから、ぐっと歯を食いしばって言葉を飲み込む。
漠然と意味のないことを言おうとしていると自分で分かった。しかし少し間を置いても、怒りはおさまる気配を見せず、努めて冷静に文句を紡ごうと思った。
「…………馬鹿なのは、認めますけど、そんな言わなくたっていいじゃないですか……! ……こ、怖かったんです! 頑張ったんです! 訳わかんないことばっか言わないでください!!」
色々な感情がない交ぜになって叫んでしまうと、我慢できず涙が決壊した。こんなに言われて泣くなんて子供っぽくて悔しいし、また馬鹿にされるだろう。
案の定、呆れた溜息が聞こえた。
「……いちいち面倒な奴だ」
「面倒!?」
「もういい。いいからお前は、自分が生き延びることだけ考えろ。それだけだ」
ずっとそうしてるじゃん!!
トリムに勝手に話を区切られてしまった。昂った感情をぶつける先がなくなってしまったが、これ以上吐き出しても一緒に涙もとめどなく溢れてしまう。悔しさを噛みしめてリアは口を噤んだ。
篝石は放置され、しばらくは、リアが鼻水をすすり上げる音だけが暗闇に響いた。
まだまだ青い歳なんです。