とある騎士の過日譚4
夜通しの移動となり、ミリオリアの姿を拝めたのは次の日の早朝となった。
資料での挿絵でしか見たことのないミリオリアは、しんとした空気の中に荘厳と佇んでいた。真っ白な外観は、薄い陽光に繊細な光を返し、まるで硝子の粉を練り込んで仕上げたようにキラキラと輝いている。
ジルニアは感嘆の息を吐き、次いで圧倒される。
橙の砂漠に囲まれた白の宮殿は、遠目から見るとより分かるとてつもない巨大さだ。下手したらサライドの街ほどの広さがあるのかもしれない。
これからこの神聖にも思えるものに臨むのかと、思わず身震いをする。
視線を移すと、今回の合同クエストの挑戦者であろう、多くの人影が見える。動く見張りの者と、焚き火にテントがぽつぽつと点在している。こちらの姿も把握できているだろう。
ゆっくりと近付き、警戒を見せる冒険者に事情を伝える。これからトゥレーリオを拠点として冒険者業をするために昨日来たばかりで、是非とも今回のクエストに参加させてもらいたいと登録証を提示した。
納得した表情を見せた冒険者は、他の者にも説明するからと親しげに呼び入れてくれた。ジルニアが加わることによって一人一人の取り分が減ることになるのだが、ボスの間の前まで進む予定だから人数は多いだけいいらしい。
五つに別れたパーティのリーダーの打ち合わせで、ジルニアは同様に名乗った。その際、協力者から聞いていた勇者を確認する。十二番目の勇者は気品ある物腰で穏やかに微笑み、ジルニアの記憶通りのその人であった。
無事紹介も終え出発の準備を整えていると、冒険者の中から一人離れていく者がいた。何かを抱えた細身の人物だ。
逆光の眩しさに目を細めながら、同じパーティに加えてくれた最初に話した男性、ザランに尋ねてみる。
「あの人は何をしてるんだ?」
「うーん? 分からんが何か意味があるんだろ。大丈夫さ、勇者様のコレだからな」
そう言って、彼は小指を立てた。
……女性だったか。
目を凝らせば左腕に抱えているのは確かに兜のようだ。全身を覆う青灰色のロングコートにフードまで被っており、一見して怪しい人物に思える。
単身で最強と噂された勇者の仲間であるので、釣り合うほどの実力は持っているのだろう。だが人目を憚る理由が分からず、どのような人物なのか気になるところではある。
ジルニアが加わったパーティは男性ばかりの十人。ダンジョンモンスターの出現に気を付けながら先だって進む。
資料通りの蜘蛛型やサソリ型のモンスターは数が多いだけで動きは単調、倒すのにそれほど苦労はしない。むしろ、核を取り出す行為の方が難儀した。
「にーちゃん中々やるなぁ。冒険者してたのは何年も前なんだろ?」
今回、ジルニアは王都で商家の下働きの職を失い、冒険者として復職するという説明をしている。ブランクがあることを伝えておけば、多少の常識はずれの言動も見逃されると考えてのことだ。
「クビになったところは体力を使う仕事もしていたんで、勘は鈍ってないと思っているよ」
「そりゃ心強い」
不自然ではないように冒険者達に話しかけ、人の会話に耳を傾けながら、砂漠の移動中詰め込まれた個人情報とすり合わせていく。
女性は少ないこともあってすぐに把握できたが、男性については半分程度。協力者の好き嫌いで随分と左右された情報量を恨めしく思う。
ちなみに、協力者には合流したら絶対に連絡してくれるなと言われている。一方的に認識される気持ち悪さを感じつつも、彼の協力がなくなっては困るので不必要に呼びかけることはしないことにした。
勇者の恋人という、ダンジョンの中でもフードを被ったままの女性は、何故だか近寄ることができないでいる。距離をとられている、と感じるのも変な話だが、すぐに視界からいなくなるのだ。パーティとしては離れているので距離を縮めることも困難であり、仕方なくミリオリアを出てから接触を試みることにする。
ミリオリアを順調に進む一行は、やがて突き当たりにぶつかった。時を待つと、自分の足場ごとせり上がる不思議な感覚に、ジルニアは高揚を覚える。
魔動迷宮ミリオリア。人の手が加わっていないにもかかわらず、超自然的な動きを見せる建造物のひとつ。
外観と内部の広さに差を感じるのは、空洞の立方体で組み合わされているものが通路となっているからだ。順に移動する立方体は、積み重ねた箱をひとつずつ動かすように流れに添って動いていく。
学院の資料で読んだままの現象に、ジルニアは密かに感慨無量となる。
基本的には空洞が繋がっているので、立方体の移動を待つのは実質六回で終わった。多少物足りないが、ミリオリアに挑むのは今後幾度もあるだろう。
情報と外見のすり合わせと、ダンジョン内の興奮で、想像以上に早い終着となった。
彼らの目的である、ボスの間の前へと辿り着いたのだ。
「……おぉ」
ジルニアは思わず感嘆の声を漏らした。
開けた空間は今までで最も広い立方体となっている。道中とは異なり、このフロアはひとつの大きな立方体ではなく、むしろ小さな立方体で囲まれているような造りであった。
なにより目を引くのは、その部屋の一面に広がる黒壁。未だかつて誰も踏み込めていないこの巨大な宮殿の主へと繋がる最大の砦。
光沢ある漆黒の壁には、吸い込まれそうなほど深い青みがかった魔石が中心に埋め込まれている。それを守るように敷かれている陣は、複雑に絡み合い、それ自体が芸術のように幾何学模様を刻んでいた。
ジルニアは緻密なその結界構造より、何よりその美しさに魅入る。できることなら、魔石から満たされる陣の流動を追いながらじっくりと結界を紐解いていきたい。学院時代に妄想した、解除方法を一つ一つ試していきたい。
そんなことを考えながら、一度目を閉じ、息を吐く。
残念だが、それが許される状況ではない。副団長の冗談を鵜呑みにしている場合ではないのだ。
ジルニアはフロアの端に寄り、全体を見渡せる位置につく。未だ全員を把握できてはいないが、不審な行動をとる者の有無くらいは注視していなければならない。
冒険者達は皆、何かに備えるように装備を構え、緊張を孕んだ空気で満たされていた。
今か今かと待ち構えている雰囲気の中、ジルニアは漆黒の壁を見上げている女性に気付いた。その表情は恍惚としていて、自分と同じように魅入っているのかと苦笑する。彼女は確か、協力者が嫌いと言っていたエイラ・メイニン。小柄な体躯に大きな弓を持っていた。
少しの間の後、フロアを構成する立方体の一部が動き、スパイルという蜘蛛の形状をしたモンスターが毒毛を舞わせながら現れた。毒毛といっても短時間では多少痺れる程度で、ジルニアは球体状の結界ライズを展開しようか迷っていると、突然襲う僅かな抵抗に眉を顰めた。どうやら、この場にいる冒険者全員に風属性の膜を纏わせた魔術師がいる。
さらりと流れる黒髪を持つ少女は、確か、ナノン・クロイス。高い位置で茶髪をひとくくりにしたライト・ザファンという青年。あとは、まだ名前が一致していない男性。
形式化されていない魔術は独自の研究で作られたものだ。威力としては微々たるものだが、彼女達の動きには注意しておくべきだろう。
多人数で協力し合い、着実にモンスターの数を減らしていく。
ジルニアが蒼刻を振るうと、スパイルが斜めにそれぞれ半身を分け地に落ちる。細剣にしては重く、確かに丈夫だとジルニアは強く柄を握り直す。そこでふと、その先に立ち尽くす勇者の後姿が見えた。
何かあったのか?
スパイルの脚を断ちながら、彼の周囲に視線を巡らせてみても特に変わった様子はない。足元に四角い穴が開いているだけだ。
しばらくその穴を見つめていた勇者は、くるりと振り返り、近づいてきていたスパイルを一太刀で切り伏せた。勢いそのままフロア内を駆け抜け、光を纏い次々と屍を増やしていく。
「さすが勇者様だ。すげぇな」
「ああ」
その身のこなし、剣技、魔術展開の速さはどれをとっても他者の追随を許さない。最強と噂されていたその十二番目の勇者は、決して噂だけではなく確かな実力を備えている。御伽噺に出てくる勇者を体現したような、強く怖ろしい存在だ。味方であれば、心強いことこの上ない。
四方八方に開いた穴からひっきりなしに現れていたスパイルは、突然その姿を失う。怪我をした者も多く、やっと終わりかと皆安堵した表情を見せた。広い空間に、動かなくなったモンスターが足場を占領している。
ジルニアは額に浮かんだ汗を拭いながら、近くにいたザランに尋ねる。
「随分と数が多いな。毎回これだけの人数で挑むのは難しいだろう?」
「はぁ、まさか……これほどの数は初めてだ……いつもはこんなに次々に出てこねぇよ……いつ終わりかと思った」
「そうなのか……?」
いつもとは違う要素でもあるのか?
「っ見ろ! まだ何か来るぞ!」
その悲鳴に近い声は上を指し示した。
見上げた先の天井は、まるで吸い込まれるようにいくつもの立方体が消えていく。光の届かない巨大な穴は、それだけ大きなもののために作られた出入口だった。
悠然と現れたのは、屍に変えられたモノ達のボスか。
「嘘だろ……なんで」
「あれはまだ出ないはずじゃ……」
誰かの呟きが耳に入った。震える声は彼らにとっても予想外の登場なのだろう。
胴部は球体を潰したような楕円形で、斑な紫色の表面には出来物のようなブツブツがあり、毒粘液を垂らしている。胴部の回りには等間隔に並んだ蜘蛛のような長く刺々しい十本の脚が生えていた。歪な体躯を持つモンスターは、この美しいミリオリアの主を守る門番にしては醜悪過ぎる。
ドイラーバイル――ミリオリアの中ボスである巨大なモンスターは、長い脚を不規則に動かしその全貌を現した。逆さ状態で天井に張り付くそれは、胴部の中央にある捩じれをゆっくり開くと、剣山のような凶悪な口内を見せる。その奥からは白い卵のような粒が大量に詰まっていた。
「ひっ」
「っ……うぇ」
視線を逸らし後ずさる女性に、口元を押さえ吐き気を堪える若い冒険者。ジルニアも嫌悪感に総毛立った。
そんな中、一際強く輝く軌跡が疾走する。初見だろう醜悪なモンスターをものともせず、誰より早く攻撃に動いたのは勇者だった。
勇者の剣から放たれた光の斬撃は、直撃するも、水面に散った水しぶきのように弾けて消える。
ドイラーバイルの表面上をぶよぶよと波打つは、遊動する結界である。
「あれ?」
気の抜けた声を発した勇者だったが、正反対に周囲の空気は緊張感で満たされる。モンスターを瞬殺してきた勇者の攻撃を防いだのだ。それほどの強敵が高いところから自分たちを見下ろしている。ほとんどの者が初めて相対したのだろう、恐怖に飲まれていた。
「まずは落とすよ! ナノン! イーナ!」
しかし一線の矢のように、よく通る声が全員の耳に届いた。
それは冒険者達を動かす合図となる。
「はぁい」
ふんわりと髪を揺らした女性冒険者が詠唱を始め、何人かの冒険者がはっとしたように武器を構えた。遠距離系の水魔術レストが放たれ、その水球はドイラーバイルの周囲の天井だけを濡らした。
「シェルニーア!」
強く高い声が響いて、蛇のよううねる雷撃がドイラーバイルへと迫る。勇者の斬撃のように体に触れることなく表面上を散らばったが、先程とは違ってその雷撃は消えず、ドイラーバイルを包むように細く広がる。その紫紺の光はミリオリアの天井に触れると、バチっという音と共に激しく輝いた。
「落ちるよ! 下がって!」
一瞬の明滅の後、ドイラーバイルはぐらりと体を落とし始める。爪が天井に突き刺さったままだったが、やがて胴部の重さを支えきれず、体の上部にあった口から地面に激突した。
「たたけぇ!」
待ち構えていた冒険者達が、裏返った状態のドイラーバイルを一斉に叩き、呆然としていた冒険者達が遅れて攻撃を開始する。
胴部に打ち込まれたウォーハンマーは、ドイラーバイル表面にあるフジツボのような穴を叩き潰す。結界が消えたことを見て、たたらを踏んでいた冒険者達も続いた。
勇者が体に長剣を突き刺すと、脚を蠢かしていたドイラーバイルがびくりと体を震わし、体に乗った冒険者達を振り回しながら起き上がった。
勢いよく地面に叩きつけられた男性が呻いて痛みに悶えている。その彼の頭上に影がかかり、鋭い爪が振り下ろされた。咄嗟に転がって避けようとした男性だったが、ドイラーバイルの爪は彼の足を捕らえる。
「ぐあぁ!」
ドイラーバイルは男性の太股に爪を突き刺したまま持ち上げ、絞られていた口をゆっくりと開ける。
「ライシン!」
「分かってるわ!」
口元に届く寸前で、鞭がドイラーバイルの脚を止めた。投げた女性冒険者だけでは力が足りず、鞭を持つ手に他の者も加わった。
勇者が長剣を振るうも、再び作られた結界に阻まれて空を切る。
男性は高い位置に持ち上げられたままだ。他の者では届かないその高さに、ジルニアは足に風を纏う。
「サイファ」
男性の太股には依然爪が刺さっており、その部分については結界が展開されていないはずである。
ジルニアは蒼刻を構え踏み込み、跳んだ。距離は瞬時に縮まり、男性の足に生える毒々しい爪を断つ。同時に、片腕を掴み、即座に離れる。遠く、ドイラーバイルから離れた場所へ。
地に着く直前、もう一度魔力を練り、勢いを殺して男性を地面に下ろした。出血もひどく、このままでは毒が体内に浸入し続ける。ジルニアは男性の装備を外し、ズボンを裂く。
「あぁ、がぁっ」
「悪い、耐えてくれ」
足の付け根を裂いた布できつく結び、口にも布を噛ませる。片足で上半身を動かないように押さえ、切り離された爪を引き抜く。爪には突起状の返しが付いており、相当な力が必要だった。激痛に暴れる男性の腕が何度もジルニアの体を殴った。
爪を抜いた太股の出血を抑えようとしたところで、華奢な手がかざされる。
「治癒術を施します。押さえていていただけますか?」
黒髪の少女は疲労の窺える表情でジルニアを見つめた。
「ああ、頼む」
詠唱を始めた少女は、先程の形式化されていない魔術を使った者の一人だった。
治癒術の呪文だけは完璧だったが、魔力の構築に歪さが見える。この不均衡な魔術は、独学とまではいかないが、自力で鍛練してきたものだろう。昔の自分を見ているようで、ジルニアは思わず目を背けた。
背けた視線の先に、ドイラーバイルを捉える。巨体通りに動きは俊敏でなく、他の冒険者達は距離をとって爪の攻撃から逃れている。
その時、僅かに身を震わせたかと思えば、何かがドイラーバイルの胴部から抜け、天井に突き刺さった。
ジルニアは目を凝らす。
青い、矢?
次の瞬間、フロア内を明るくするほどの強い輝きが走り抜ける。その光の斬撃破はドイラーバイルを真っ二つに切り裂き、白い壁に激突すると儚く散った。
「……何て、威力」
思わず呟いた言葉に「勇者様ですもの」と返される。
振り返れば、黒髪の少女が微笑んでいた。いつの間にか大人しくなっていた男性を見ると、痛みのせいだろうか、失神していた。傷跡は残るが、一先ず大丈夫そうだと息を吐く。
「エトさんを助けてくれてありがとうございます。えっと」
「ジルだ。君の治癒術のおかげだよ、俺は使えないから」
「私はナノン・クロイスと申します。助け出したのはジルさんです。もしエトさんが食べられていれば私の拙い治癒術は意味を成しませんから」
幼さの残る顔つきは、疲労の色を隠しきれていない。ジルニアは、ナノンの魔術の使い方に不安を覚える。
激情をきっかけに魔術に目覚めたジルニアだったが、冒険者時代は正しい知識もなく力任せに使用していたせいで、初めの頃より使える魔力量が少なくなってしまった。それを取り戻せないかと学院で色々と調べてみたが、結局は魔術の精度を上げる方向にシフトせざるを得なかった。
おそらく、ナノンの魔術も付け焼き刃に近いものだ。
「あまり無理をしない方がいい。壊してしまうよ」
「……こんなことでしか、みなさんの役に立てませんから」
ナノンはそう小さく呟いて俯く。勤勉だという彼女は、それすらも理解して仲間のために尽くそうとしているのだろうか。スパイルの毒毛を防いだ空気の膜も、それだけのために考案した魔術なのかもしれない。
ナノンはすぐに顔をあげて笑いかけ、そのまま動かなくなった。
「? ……ナノンちゃん?」
止まってしまったナノンは目を見開いて何かを凝視している。その視線はジルニアの背後に向けられており、問題があったのかと咄嗟に振り返った。
あれは……勇者さん、と。
冒険者達の視線を集めているのは、ドイラーバイルの上を歩く勇者と、彼に横抱きにされた勇者の恋人である女性。
そう言えば戦闘中も姿が見えなかった。また見逃していただけだろうと思ったが、あの様子を見ると、まるでドイラーバイルの中から出てきたようだった。
食われていた? ……いや、さすがに死なないか?
「わ、わたし、ちょっと行ってきますね!」
慌てて駆けていくナノン。そして何やら騒いでいる。
バラバラと核の回収に動き出す冒険者と気を失った男性冒険者に視線を移しながら、どうしたもんかと頭を掻いた。




