とある騎士の過日譚1
※注意 主人公が変わります※
長らくあきましたが、ある程度まとまったので別視点のをあげてきます。
多分全5話。嘘ばっかりついてすいません。
彼の過去にちらっと触れつつ、接触するまでのお話です。
鉄黒と紅蓮が混ざった空が地上を見下ろし、何もかもを包んだ炎は生物のように気味悪く蠢いていた。
冷酷な世界に歯向かいたくて泣き叫んだ。しかしその絶叫は耳に届かない。それどころか、何の音も聞こえないでいた。
目に見えるものだけが生々しい、無音の世界。
傷だらけの小柄な背中を――――かつての無力な自分の背を見つめながら、ジルニアは理解した。
これは、夢だと。
故郷を失った夜。家族を喪った夜。抗い、だが届かず、絶望した夜。
だが、後ろからその様子を見ている自分はひどく冷静だった。
あの時の激情は今はなりを潜め、怒りも恨みも風化してしまったのだろうか。
失ったものが些細な存在だったからではない。それまでの自分を形作るほどの全てであったと、自分が犠牲になっても救いたかった大切なものたちであったと、それは間違いようがない。
単に、諦めたのだ。いや、諦めるしかないと分かってしまった。
どんなに必死に抗おうとしても、全てが手遅れであったと、どうやっても自分の無力さに目を背けることはできなかった。
あの時の元凶が何であれ、運命を変えることは自分にはできなかった。それに気付いたと同時に、煮え立つような憤怒も苦しみ喘いだ増悪も行き場を無くし、再びの絶望に襲われた。
あの人に出会わなければ、自分はそのまま緩やかに死んでいただろう。
優しくはないあの人は、唯一、道標を示してくれた。
それから、辛い記憶に囚われるだけの日々は終わった。
人と時間に恵まれたおかげで、幼い傷痕は癒され、随分と落ち着いたものだなと思う。未だ残る行先のない葛藤でさえ、さざ波に流されてやがて穏やかに打ち返す日が来るのだろう。
それで、良かったのか。
郷愁のように感じるそれを受け入れてしまっていいのか。
だが、前に進むと決めたのは自分自身だ。
それだけは間違いないと――――
*****
「おーい、もう到着するよ」
肩を軽く揺らされ、ジルニアは記憶の景色から呼び戻された。
感じるのは、固い座席と馬車の揺れ。橙の髪が目の前で動くのをぼやけた視界で眺めた。やがてガタガタという震動は慣性と引き換えに消えていく。
「…………ん、うん……ああ」
「寝ぼけてる?」
「寝ぼけて……ない」
「良かった、リード先輩が怖い顔でこっちを見ているからね」
半分しか開けていなかった重い瞼は、その一言でぱちりと全開した。板張りの座席から即座に立ち上がり、馬車の昇降口から降りかけていた騎士、ルーイの後に続く。
最後にジルニアが降りた後、リードから指示を受けて御者台にいた騎士は再び馬車を走らせた。馬を休ませ、馬車を整備するために、騎士庁舎に併設された整備小屋へと向かったのだ。
高い防御壁に囲まれたここは、王城に隣接する騎士団区画。塀で仕切られてはいるが、外からの見た目は王城の一部となる。
騎士団員の日々の鍛錬を積む場であり、生活の場である。他に会議室なり研究室なりもあるようだが、ジルニア含めほとんどの者達にはかかわってこないので、配置図で知っている程度だ。
「待て、ジルニア」
騎士庁舎に戻る足を止められたジルニアは、決まりが悪い表情を堪えてリードを待った。そして案の定、咎める視線が向けられる。
「我々に与えられた任務が終わったとはいえ、まだ他の者はディーテ村の件で奔走しているのだぞ。王都に戻る道中は休憩時間ではない。居眠りをこくとは、気が緩んでいるのか」
「はい、申し訳ありません」
簡潔に非を認めるとリードはフンと鼻を鳴らす。そして「次からは気を付けろ」とだけ付け加えて去って行った。
リードは嫌味なわけではなく、非常に真面目な性格なだけである。融通が利かないとも言えるが、それで先輩騎士に逆らう理由にはならない。子供の頃ならともかく。
「悪い、待たせた」
「いいや。疲れているようだったから移動中くらい僕はいいと思うんだ。先輩は頭が固すぎるよね」
リードから解放されたジルニアを待ってそう笑うのは、ディーテ村で重体に陥っていたルーイである。聖女システィアに治癒術を施してもらった現在の彼に体調不良の色は見えず、王都の通常職務に戻ることになったのだ。
「次からはばれないよう気を付ける。それに疲れている……わけではないんだ」
片腕で首の裏を揉み、固まった筋肉をほぐしながらジルニアは小さく溜息を吐く。
「そう? なら精神的な方かな。……副団長から二回も直々に呼び出されるなんて想像するだけで僕は緊張するよ」
「本当に……一体どうしてこうなったのか」
「そりゃ大活躍だったからからじゃない?」
「活躍って……凌げたのは皆の協力があったからで、俺はたまたまあの場に居合わせただけだ」
「それはそうなんだけど、まあ、運も実力のうちって言うからさ。副団長に認められたなんてすごいことだと思うし、羨ましい限りだよ」
「……見当もつかない内容で、この後すぐに副団長室に来いと言われていてもか?」
「うわぁ」
ルーイはジルニアの肩を二回軽く叩き、同情した笑顔で頷いた。
「話せる範囲でなら愚痴は聞くよ。じゃあ、頑張って」
何故か晴れ晴れとした表情で片手を上げると、薄情な友人は去っていく。
「…………ああ」
システィアへの懸想の噂を追及したかったが、今はその気力もない。
ルーイの背を見送り、自身も重い足取りで自室へと戻る。重くはあるが、遅くはなってはならない。短く吐息し、行きたくない気持ちを緊張と共に飲み込んだ。
居眠りをしたせいで多少よれた黒の制服を替え、足早に副団長室へと向かう。
*****
「予定通りいかないものだな」
開口一番、副団長は憂いを含んだ愚痴をもらした。
ディーテ村の事件とゼスティーヴァの調査、加えて新たな問題が騎士団を悩ませていたからだ。
予定通りにいかない理由を知っているジルニアは、直立不動のまま苦笑いをして答える。
「まさか中央のギルド長自らディーテ村にいらっしゃるとは、誰も予想できないでしょう」
騎士団、もとい副団長を悩ませている原因は、ディーテ村の後始末も片付かぬうちに、突然、冒険者ギルドの頂点に立つ男がディーテ村に現れたことだった。
危険指定組織ユーグスとの関係性がある事件であり、主犯であるディーテ村代表者は未だ生死の淵、聖女の治癒をもってしても回復の兆しがない。内容が内容だけにおいそれと公表できないものである。
それに再三、情報の開示を求めてきているのが王都に次ぐ街、サライドの冒険者ギルドであった。村への出入り制限が解除される前から息のかかっている者が情報収集に努めていたとの報せもある。
全く、出過ぎた真似であると言わざるを得ない。
巨大とはいっても民間のギルドが口を出す話ではなく、王国直属の騎士団ともなれば、歯向かおうとする者など常識的に考えているはずはない。
騎士団の任務の妨げになる行為をすれば、捕縛され刑期がついても文句は言えないのだ。
常識的な人間、であれば。
「人物像は調べていた。昔は騒動の塊だった男が、最近は年相応に落ち着いたと聞いていたんたが、あの男はそういう人並みの類ではないな」
「確かに、もの凄い迫力でしたね」
中央本部ギルド長ことグラインドは、自分の目で確かめに来たと宣言し代表の屋敷に乗り込んできた。もちろん警備の者はいたのだが、止められなかったという話だ。
証拠類はすでに検査班に回されていたので見られて困るようなものはない状態ではあったのだが。
現場保存のために立入禁止となっている場で、危うく現場保存ができなくなりそうになったところを、副団長が制し、一応の対話の場を設けることになった。
考えられない優遇措置だが、グラインドの立場による影響力と、被害を考えてのことのようだった。主に、こちらの。
ジルニアが現場に駆け付けた時には、仲間達が四方に飛ばされ、戦闘不能に陥っている様子を見た。それなのに怪我人が出ていないらしく、恐ろしい男だと慄いたものだ。
それからの対話内容についてジルニアは聞かされていないのだが、グラインドが向かう先を知ってまた驚く。
ギルドにとって必須の調査だと言って、ゼスティーヴァに乗り込んだそうだ。より正確に言うなら、誰も止められなかった。
ダンジョンの管理はギルドに任されているという言い分は理解できるのだが、その嬉々とした様子に、むしろこちらが彼の目的であったのではないかとさえ思う。
正に、嵐のような男、と形容できる。ギルドの頂点に立つ男があのような性分で今まで問題なく、あるいは問題が露わになることなく運営できているのは、さぞや周囲は優秀で尚且つ苦労しているのだろう。ジルニアは見も知らぬ者達に激励を送った。
「それだけならば良かったのだが、アレと違い、名ばかりでないのが面倒だ。どこから漏れたかも問題だが、上を通してくるのならば私が対処せざるを得ない。アレにそのようなことは任せておけないからな」
「…………」
アレ、というのは我が弌刻の最上に位置する方のことだろう。他に聞いている者がいないとはいえ、ジルニアは居た堪れない気持ちで無表情を貫く。悪い方ではないのだが、副団長からの評価は言葉の通りである。
「ああすまない、提言書に関して今のところは君に関係ない話だった。早速本題に入ろう」
……今のところは?
知らされていない話は流していたが、どうにも今後を不安視させられる言葉である。
とりあえずは聞かなかったことにして、ジルニアは顎を引いた。ジルニアの濃紺色の瞳が、副団長の猛禽類のような黄金色の視線に捕らえられる。
「君は学院で興味深い論文を残したそうだね。私も読ませてもらったよ」
突飛な話の転換に、ジルニアは疑問をそのまま表情に表してしまった。
「論文、ですか? 私の専攻は武術であり論文を記した覚えはありませんが……」
何を言いたいのか分からず、事実を曖昧に返答してしまう。
それに僅かに表情を崩した副団長は、手元に置いてある紙の束に目を通しながら話を続けた。
「著者はシーブスだよ。だが原案は君だと聞いている。彼はまとめただけだと。特にミリオリアの結界構造の見解は面白いものだった……実物を見たのか?」
「い、いえ……それはシーブス講師に資料を見せていただいて……」
懐かしい名を言われて、記憶を辿りつつしどろもどろに答える。
ジルニアは騎士団入団以前、王立の学院で武術を専攻として勉学に励んでいた。その、必須科目に魔術訓練はあったが、論文を記す講義はとっていない。そういうものは研究者を目指す者が受ける科目だ。
シーブスは王立魔術研究所の元職員で、現在は学院で講師として教鞭をとっている。
入学当初から色々とお世話になった講師である。彼の部屋で資料を漁り、気の向くまま推論を話したり試したりしたことは、確かにあった。あったが、趣味というか気晴らしに近い実のない内容でしかなかったはずだ。
「ええと、構造に関してはただの机上の空論です。妄想に近いもので、副団長に評していただいたのは講師の論文の方ではないかと」
ジルニアの言葉に副団長は目を伏せて頷く。
意図は分からないまでも、事実を理解してもらえたことにジルニアは一度安堵した。
「そうだな、では実物を見てきてもらおう」
「はい…………え?」
任務と思い、反射的に返事をする。内容はどんなものであれ、ジルニアが騎士である以上副団長の命令を拒否することはないのだからその反射に間違いはないが。
話の流れからビルダ砂漠にあるダンジョン、ミリオリアが任務の地のようである。だが、見てこいとは一体どういう意味なのか。
表情を崩されてばかりのジルニアの疑問を汲み取って、副団長は補足的に話を続けた。
「ゼスティーヴァ八十階層にミリオリアと同様の結界があったのだよ。解除された状態でな」
ジルニアは息を飲んだ。
ミリオリアは比較的発見されて浅いダンジョンである。
その特徴は、定期的にダンジョン内部が変化する構造と、ただひたすらに数の多い節足動物の外見をもつモンスターの巣窟というものだ。
構造変化に関してはすでに看破されており、容易くボスの間直前まで辿り着けるという。だがその先を守護する結界は、ダンジョンの難易度のわりに異様な防御力をもつものだった。
幾度となく研究所の魔術師が解明に足を運んでいるというが、その芽は出ていない。
それと同様の結界が発見され、さらに解除されたとなれば、研究所はその情報について喉から手が出るほど欲しいだろう。
ジルニアはゼスティーヴァで見た人影を思い出す。
黄金塔ゼスティーヴァの爆発に関わっていると見られる彼の人物は、ユーグスとの関連性も不明で、騎士団でも最重要参考人である。未だ参考人の域だが、僅かでも関連性が認められれば即座に手配書に載ることとなる。ジルニアとしては助けてくれたという思いが先行するが、それもまた状況判断でしかない。
ゼスティーヴァのボスモンスターを一撃で仕留めてみせた魔術手腕を見れば、その人物が解除をしたとしても納得できてしまう。むしろその可能性が高いはずだ。
とはいえ、まだ話は見えない。
「ただおかしなことに、結界が施されていた扉は閉じたまま、代わりに蝶番が破壊された形跡が見つかった」
「蝶番、ですか?」
「妙な話だろう。だが解除されたことに間違いはない。問題はそれがミリオリアやザラスと同じ結界であった点と、それに近い構造の結界が、とある組織で使われていたことが判明した点だ」
「……まさか……ユーグス」
浮かんだ単語を呟くと、副団長は重々しく頷いた。
「ああ、使われていた場は、聖女が囚われていた地下。ダンジョンのものと比べると随分と劣化版ではあったが、それでも魔力を断絶する力は本物のようだ」
聖女の膨大な魔力を捕らえ、隠し続けるほどの有能な結界。最新鋭の騎士団の魔術具にも反応しないとなると、使い方次第では、大規模の魔術攻撃を隠すこともできるのだろう。
「……それほどの技術を持っているのですか」
「ユーグスの使う結界の綻びは解明できたが、それ以上のものが出んとも限らん。厄介なことこの上ない。
また、ディーテリンダルレイクに使われていた瘴気を放つ核、あれはダンジョンモンスターの空核を利用したものだと報告が上がっている。同様の大きさで、安定して入手しやすいものはミリオリアのドイラーバイルであろう。湖の核はあの一件だけとは思えんからな。
あの少女の体のこともあるが、奴らは驚くほど研究熱心なようだ。ならば継続的に空核を入手する必要があり、今は劣化版の結界を改良するとなれば見本がちょうどある…………しかしこれは全て、可能性の話だな」
ジルニアはそこでやっと、先程の任務を理解する。
おそらく、自分のような個別任務を与えられた特定の駒、つまりは副団長の可能性を拾う役割の騎士は何人もいるのだろう。今回、ジルニアはその可能性をより高める任務を与えられたのだ。
副団長に認められた一人として、純粋に嬉しさを感じる。
「私はミリオリアで不審人物の捜索、監視にあたるのですね」
副団長は頷くと、ジルニアをじっと見据えた。
「君は話が早くて助かるよ。まだ騎士団として動かせる条件ではないが、満たしたならば報告をしてくれ、すぐに対応する。あとは君の判断で動いてくれて構わない。責任は全て私にある。
そう言えば、君は冒険者登録をしていたそうだな。ミリオリアに出入りするのだから、冒険者を名乗り、動いた方が都合がいいだろう。あとはトゥレーリオに一人馴染ませている者がいる。協力するよう伝えているからその者を使いなさい」
「ありがとうございます…………ところで、あの、どちらで、それを」
副団長の計らいに礼を述べるも、さらっと付け加えられた自身の個人情報に動揺した。
副団長の言う冒険者登録の件である。騎士になるよりさらに前、ジルニアが冒険者として稼いでいたことは誰にも話していないはずなのに、と。
「君の父上とは懇意にしていてね」
ジルニアは養父から、という言葉に驚きつつも納得した。
かつて、ジルニアが全てを失った夜の後、生きるために歳を偽って冒険者として生活していた時期がある。短い期間だったが、金のために幾らか無謀な依頼も受け、荒削りの魔術で凌いでいた。知識もなく独自のやり方で魔術を使っていたせいか、ジルニアは保有量に対し使える魔力が少ない。
その生活を続けていたある日、亡き実父の友人という男が現れ、ジルニアの後見人となる。その後、後見人から養父となり、ジルニアの騎士としての今に繋げてくれた恩人だ。
騎士団の試験を例外的に受けれたのは、養父と副団長が知人であったからのようだ。
ただ、それから体術、武術面で不足と見た養父に、騎士団ではなく学院に放り込まれることになった。ついでに素養も培われたので、あの時期、多少やさぐれていたジルニアにとっては幸いであった。
「……冒険者登録は、昔のものですでに効力は失っているかと思われます。登録解除はしておりませんが、一定期間受付をしなければ死亡扱いになると……そのような取扱いだったかと」
「リストに残されているはずだよ。今はギルドを下手に刺激したくはないのでな、そちらで対応してもらおう。何年も前でも実績は引き継がれる。相応のランクの方が君の実力にとってもより自然だ」
……お詳しいな。
冒険者時代の自分は、幼い精神に思い出したくもない失態が多々あった。本音を言えば、騎士団の依頼で登録証を発行してもらい、まっ皿な状態で冒険者と偽りたかった。
などど、自分勝手な申し出ができるはずもなく、ジルニアは「了解しました」とだけ言葉を紡いだ。
「では、これを」
副団長は立ち上がると、無造作に立て掛けられていた剣のひとつを手に取り、ジルニアに差し出した。その剣は騎士団の黒刀に似た弧を描く形状をしているが、鞘から見ても幾らか細い。
ジルニアは恭しく受け取ると、鞘から僅かに抜き刀身を見る。一般的な売られている剣のようだが、よく見れば蒼く魔陣が彫り込まれている。
「蒼刻という。黒刀より鋭さは劣るが目立たず丈夫だ。使いなさい」
「はい」
そして終わりを告げられ、退室の礼をとりかけて、ジルニアはふと疑問が浮かぶ。はじめの結界に関する論文のくだりは必要だったのか、と。意味のないことはされないはずだ、何か意図はあったのだろうか。
その内心を読み取ったのか、副団長はジルニアが問う前に口を開く。
「ああ、ミリオリアの結界を解除する時は私も呼んでくれたまえ。何とか時間を作って向かおう」
「…………ご冗談を」
口の端をあげる副団長の本意を、ジルニアは見抜ける気がしなかった。




