45.答え合わせをしましょう
アーサはリアのブーツを残して去っていった。やはり回収してくれていたのだった。
ジルがくれた布巻を外して履いたら無事装備が整う。
トリムは岩場に乗せられており、リアはその前で正座をした。
リアの背後で揺らめく炎がトリムの瞳に映り込み、ゆらゆらと幻想的な光を反射している。
思わずじぃっと魅入っていたら、視線が交わった。
「ゼスティーヴァに関しては何と聞かれた、いやどこまで口を滑らした?」
「あの、私は何も言ってませんけど……突然ゼスティーヴァにいたことだけ聞かれて、はいともいいえとも答えなかったですよ!」
トリムの濡れ衣が甚だしい。
リアとしてはゼスティーヴァのゼの字も言っていないのに、ジルが勝手になんか結びつけたのだ。それに対する回答もしていないので、厳密には口を滑らしていない。まあ、逃げたが。
「あ、あと、サライドとも言ってましたね」
「あの場に騎士はいなかったはずだが、状況から特定されたか。くそ、急がねばならんな。今以上に人目を避けて進む必要がある。リアも、勇者もだ」
「それは、どこまで……街に買い物行ったりは」
舌打ちをされた。
「必要最小限だ」
「や、宿……」
「不可に決まっているだろう、馬鹿が」
「ふぁい……馬鹿です」
さようならふかふかベッド。
怒ってらっしゃるので、リアはそれ以上下手なことは言えなかった。
トリムは目を一度伏せると、瞳を静かに開いた。
怒りの雰囲気は消え失せ、どちらかというと神妙な表情で、これから深刻な話が始まる気がする。
「その馬鹿はいくら言っても人の言うことを聞かない。馬鹿には馬鹿なりの理由があるのだろう。今まではリアの考えなど聞かずとも命楔の縛りがあり、俺が対処できると思っていたが……お前はその範疇に収まらないことが十分に分かった。
真面目に話しをする。……ふざけるなよ?」
言い草は酷いものだが、トリムに改まって言われることに戸惑いと、少しだけ嬉しさを感じた。
それは、今後旅をするうえでお互いの理解を深めようというもの。なんとなく深くは聞かず、話さずいたことに対して、本腰を入れて向き合うということだった。
「はい、真面目に、ふざけません」
トリムは一呼吸置いた。そしてリアの双眸を見透かすように射抜く。
「――――リアは俺を恨んでいるのか」
「…………へ?」
予想外の質問に、一瞬固まった。
「う、……恨んでなんかないです、けど、な、なんでそんなこと聞くの……あっ、私が足引っ張ることばっかりするから……?」
「ああ……そうか。では本当に、本当にただの問題児か。……そうであれば楽だったんだが」
「す、すいませ…………ん? 楽って、どういう……」
恨まれていれば、楽だった?
何かとても嫌な考えが浮かび、リアはそれを振り払おうとする。僅かに鼓動が早くなった。
トリムはリアの掻き消えた小声に気付かず、話しを続ける。
「では、ボスの間で俺を振り切り、ひとり突っ走ったことについて答えろ。何を思って無謀なことをした」
「あ……えぇと、アーサも怪我が酷かったですし、どうやら私には結界を解く手があるようなので、いけるかなと……無謀、でしたかね」
「一つ間違えばリアは簡単に死んだろうさ。悪運があっただけだ。それと、今お前が言ったことは前にも聞いた。俺が聞きたいのは、意図ではなく結果だ。魔術も使えない生身で、守る術を持たない危険は分かっていただろう…………死んでも良かったのか?」
「そんな、死にたくはないです。でも、あの時はああするしかないと思って」
「俺は一度退くと言ったんだが、聞こえていなかったようだな」
「え゛……私、先走っちゃった?」
記憶を辿る。
火石の爆発音で聴覚が死んで、トリムが何かを言い、アーサが頷いた。あの時は、次の手を話しているのかと思ったが、どうやら早とちりをしていたようだ。
「そうだ。ならば、お前は後先考えずに行動したということか」
「否定はできません……」
トリムはしばらく目を閉じて思案していたが、やがて重々しく口を開いた。
「……リア、お前には話していないことがある」
「は、はい」
なんだろうか。話していないことなど、たくさんありすぎると思うのだが、あえて言うのならばとても重要なことなのだろう。
「命にかかわる重要なこと、と以前言ったが、覚えているか」
「はい、もちろん。トリムさんがサライドで試した、えっと命楔の範囲のことですよね」
「あれは、違う」
「は?」
「無論、範囲に関する懸念は感じていたことだが、わざわざ話すほどのことではない。
本来の、俺が求めた命楔の役割を、今から話す。リアの認識に相違があるだろう。お前は逆らうことがなかったから、言うつもりもなかったが……まさか逆の意味で言わざるを得ないとは。
正しく認識していなければ、お互いに不利益を被ることになる。リアの予想外の言動に対処できない力不足を認めるようで情けないが、仕方ない」
「なんの、はなし?」
前置きが長すぎてリアは首を傾げる。
簡潔に話してもらわないと理解できるか心配だ。
「命楔は、互いの命を懸けた契約だ。破棄や解除といったことはあり得ない、絶対的なものだ」
「はあ」
「それは契約者が死してなお効力を発揮する。双方の望みの成就か、死か、二つに一つだ」
「……えっ、え? それは、どういう」
「どちらか一方でも望みが叶わなければ、命で代償を払うんだ。万一リアが死ねば、お前が叶えるべき俺の望みは叶わず、俺も死ぬことになる」
「はぁ!?」
驚愕に思わず腰をあげていた。掴みかかるようにリアはトリムに詰め寄る。
「な、なんで、そんな危険な契約を……そんなの、私もだけどトリムさんも危なすぎるでしょう!」
「俺が体を取り戻すためには、あの閉じられた部屋に入れた者を絶対に逃すわけにはいかなかったからだ。
どんな相手で、どんな内容であろうと命楔を結ばせた。拒否したところで強要する手段もあった。そして命楔を結んだ時点で、相手は俺の望みを叶えざるを得なくなる。命が代償となっているのだ、逆らうことも許さない。だから、確実性を言うなら、そう悪い点ばかりではないんだ。俺が傍にいる限り、契約者を死なせるつもりもない。……リアのような、理解しがたい行動をとらなければな」
リアは呆気にとられ、そして震えに襲われた。
……私が死んでたら、トリムさんも死んでしまっていた。
命を懸ける契約なんてものはそうない。リアが勇者となった時については、その責務を放棄しようものなら命をもって償うほどの重罪であり、命を懸けるに等しいものである。
命楔も魔術を媒介としているだけで、似たようなものだと思っていた。命を懸けてお互いの望みを叶える。放棄は許されない。
だが、片方が死んでさえ放棄とみなされ、もう片方にまで代償を払わせるという、そんな余りにも理不尽な契約だなんて想像もしなかった。
リアはそもそも、放棄することなど微塵も考えていなかったため、そこまで思考が及ばなかったというのもある。
そして、トリムはそれほどまでに切羽詰まっていたということだ。
「加えて、俺は現状、物理的な外傷を負うことはない。だから今、俺を殺せるとしたら……リア、お前が死ぬことだけだ」
リアは言葉を失った。それは、自分がトリムの命を握っているようなものである。
扱いが雑なことはあったが、命楔後は終始守られていたことは確かだ。自分の命のことだ、必死になるのは当然だった。
「…………理解、したか? お前は、自分の身だけを案じていればいい。大人しくして、俺から二度と離れるな」
腰を落とし、こくんと頷いた。
リアは少しだけ悲しみを覚えながら、今後は無謀なことはしないと心に決める。同時に、トリムの願いが叶わなければリアも死ぬことになるのだが、今はどうでもいいことだった。離れることが許されないなら、それはそれでいいかななんて思う。
思い出すと結構死にそうになっていた過去に戦慄する。
だが、ふとあることを思い出す。
考える前に「どうして」と言葉が零れた。
「真実を告げれば命楔を結ばないだろう? いくら恨もうが、今さら逃すつもりはない。諦めろ」
「違います。恨んでませんし別に命楔に文句はないです」
「は…………ない、のか?」
「はい。そうじゃなくて」
ずっと、守ってくれていた。
ただ、一度だけ、当てはまらないことがあった。
「……どうして、あの時、あの森で眠っていたんですか」
トリムは口を閉ざし、視線を逸らした。表情は変わらないが、深紅の瞳が僅かに揺れている。
サライドに入る前の森でのことだ。
唯一自分が死ぬ可能性がある契約相手を、一時的に手放さざるを得なかった。
リスクがある行為にもかかわらず、先に事情を話さず手元に置きたがったのは、その内容を告げることすら値しないと判断したから。リアに知らせること自体をリスクとして見なしていたから。契約相手に優位性を保てなくなるから。
命にかかわる重要なこと、とだけ告げたのはおそらく戻ってこさせるための最後の保険として。
サライドはモンスターが蔓延る危険な場所ではない。ゼロではないが、守られた安全な街中であり、リアはゼスティーヴァに臨める程度の冒険者である。今後、円滑に街の出入りを考えるのなら、そのくらいならば、と行かせたのだろう。
しかし、リアの失態によって予想外の事態になり、相当な時間を要した。
リアが戻った時、トリムは眠っていたのだ。外界と遮断して、守るべきリア――自分の命を放置していた。トリムが言うことが本当なら、それは自殺行為にも等しい。
言ったはずだ、どんな相手で、どんな内容だろうと命楔を結ばせた、と。
それは人間性など度外視した、契約に頼り切った関係。
つまりは。
「私を……信じてなかった」
あの時トリムは、リアが戻らないと思っていた。諦め、木の洞に結界を張っていた。誰にも開かれることのないはずの結界を。
あれは、守るためではなく、永遠に閉じるためのもの――――棺だったのだ。
「…………ああ」
「そう、ですか」
リアは放心したように、顔を下げた。
全身の力が抜けていった。指を上げるのも、座っているのも怠いくらいに、体が重くなるのを感じた。
「ずっと、私は信用されてなかったんですか」
「言ったろう、誰であろうと関係ない。はじめから、信用などという曖昧なものは必要ない。ゼスティーヴァでは外に出るための足があればそれで良かった。足が何をしようと、従わせるだけの力はある。さすがにあの勇者ほどの実力者であれば苦労したかもしれんが」
「誰でも、良かったって? あは、なにその無差別殺人鬼みたいなの。そりゃー裏切るかもしれないと思う人を野放しにはできないですよねぇ。
ほんと馬鹿みたいだ……私が頑張ったところで、トリムさんの命の危険が増すだけで全部無駄だったてことですか……」
信用も何もない関係に一喜一憂して、完全なる一方通行。片想いも甚だしい。
むしろ何故自分はトリムに信じてもらえてると思っていたのか。自分がそうだったから、そうあってほしいと無意識に思っていた。
全部が全部、空回りばっかりだった。
笑えてくる。
リアは泣きそうな表情で口の端を上げた。
書きすぎて一話分にまとめきれず……次こそ二章本編を終わらせます。明日か明後日には上げます。




