44.不憫な騎士の末路です
踏み込んだアーサは砂上とは思えない軽やかさで駆け、瞬時に距離を詰める。
輝く白刃が、横凪ぎにジルに襲いかかった。
ジルは柄を上に、切っ先を斜めに下ろし、アーサの一太刀の勢いを逃がそうとする。だが重い一撃を流しきれず、さらに後方へと飛ばされた。
半身を砂上に打ち付け、そのまま横向きに一回転し体を起こす。膝をついたジルは苦痛に顔を歪め、叫ぶ。
「彼女に危害を加えてはいない!」
突然の事態についていけてなかったリアは、アーサが誤解しており、ジルはそれを解こうとしているのだと分かった。リアの腕を掴んで放そうとしない場面だけ見れば、確かに悪漢ぽいかもしれない。
つい、私のために争わないでと言いそうになったが、そんなふざけている場合じゃないと自制する。
「やめてください!」
止めようと走り出したリアを、アーサは「危ないから」と片手で制した。
「敵意もない! 話しを聞いてほしい!」
続けて声を上げたジルは、脇腹を押さえていた。
怪我をしたのかとリアは一瞬焦ったが、あそこは確かナノンの豪速球の餌食となった箇所だ。やはり骨とかいっていたのかもしれない。やせ我慢していたのか。
「うん、僕にもないよ」
普段と全く変わらず軽い回答。冷静で感情の乱れもない。
「ならっ、何故!?」
訳が分からずジルは声を荒げた。
行為と態度に差がありすぎて、リアもアーサの意図が理解できない。誤解があるのかも自信がなくなってきた。
「アーサ! ジルさんは悪い人じゃないですよ!」
「そうだね、僕もそう思うよ。ただちょっと眠っててほしいだけなんだ。折衷案なんだよ」
「せっちゅうあん……?」
リアは眉をひそめる。
何と何の間をとった案なのだろうと考えて、ふと気付いて下を向いた。
視線が伝わったのか、トリムが静かに答える。
「今のうちに消しておくつもりだったが、譲らなくてな。勇者と対立する面倒さに比べれば、妥協した方がまだマシだ」
「えーと、つまり……」
騎士を消そうと――殺そうとしたトリムを、アーサが止めたのだろう。それで、アーサ自らジルを気絶させるということでお互い手を打った。
驚いたのは、何でも聞いちゃいそうなアーサがトリムに歯向かったこと。主体性がなくとも、勇者は勇者だった。良かった、本当に。
それと、トリムが予想以上にアーサの力を評価していたことだ。対立が面倒というくらいだから、拮抗するほどなのだろう。
ジルは騎士だが良い人なので、さすがに死んでほしくないし、トリムに殺させたくない。正直簡単に消すとか言わないでほしい。
だがこの状況を招いた、というか避けられなかったのはリアのせいである。ほとんどバレてしまったリアとしては、是非ともアーサに頑張ってもらいたいところだ。
なのでリアも参戦することにした。口で。
「ジルさーん、大人しくしててくださーい! アーサならきっと優しく落としてくれます!」
「リアちゃん!?」
リアの手のひら返しに、ジルは驚愕の表情である。
だって、致し方ないのだ。言いくるめるより確実で早いし。
「……随分と馴れ合ったようだな」
トリムの呟きに、リアはびくりと背筋を伸ばす。
ジルは結構馴れ馴れしい態度で、リアもそれを受け入れていた。実際、親しくなってしまったと思うが、それを知られるわけにはいかない。
これはまずい! 早く黙らせないと。
「一思いにやっちゃってくださいアーサ! 脇腹を狙って!」
ウィークポイントを惜し気もなく伝える。
アーサは再び砂上を駆けると、剣を振り、よく見るとその間に拳も出ている。剣で防がせといて気絶させるための確実な一撃を狙っているようだった。
「ぐっ」
「強いね、君。困るなあ、手加減が難しい」
だが、ジルも脇腹を痛めているわりになかなかしぶとい。
優勢はどう見てもアーサだ。ジルは防ぐだけで反撃をしないのは、実力差があるからなのか、敵意がないと伝えたいからなのか。
「待っ、話しを……! アーサネリウス・ツヴァルド! 私はっ、この場に」
「ごめんね」
いよいよ余裕を失ったジルが無理矢理話し始めようとしたが、物理的に遮られる。
アーサの剣の柄が腹に食い込んだのだ。
声も出せずそのまま崩れ落ちるジルは、さらにとどめの蹴りを入れられて砂漠の上を転がった。えげつない。
蹴り飛ばされたと同時に蒼い細剣は手放され、ジルはぴくりとも動かなくなった。
アーサはふぅっと短く吐息し、剣を鞘に戻す。
終わったようだ。
「……だ、大丈夫だよね……死んでない、よね……?」
一抹の不安に確かめようと近付くと、アーサに手と視線で止められた。
「そこに隠れてる人、出てきてくれるかな」
「えっ」
アーサの視線の先にはミリオリアの入口がある。
中に誰かいるというのか、全く気付かなかった。
リアも固唾を飲んで見つめるが、静かなまま、誰の気配もない。本当にいるのか?
アーサは大股でリアの前を横切り、ミリオリアの中に入って行く。
姿が見えなくなったところでガッという音が聞こえた。何かを壊した音のようだった。
すぐに戻ってきたアーサの後ろから続いて出てきたのは、中肉中背の特徴もない男性冒険者。見覚えがあった。
「……あっ、ダールさん」
「ダイルっす」
「ダイルさん」
自分達のパーティメンバーの残り一人だ。何か足りない気がしていたのは彼のことだった。
結局初めの自己紹介の後は口をきいておらず、その後視界にも留まらなかったから初対面のリアがうっかり忘れていたのもしょうがない。ダイルの存在感が薄いせいもあるのだ。
「どうしてここに?」
「皆、オレのこと忘れてる気がしてたんで、いつ気付くかと隠れてみたら誰にも思い出してもらえなかったんす。そのまま出るタイミングを見失って……」
「……っ」
リアは口元を手で押さえた。
なにそれ可哀想……!
自分を棚上げにして同情していると、帰路用に繋いであったラクダを一体引きながらアーサが口を開く。
「そういうことでいいけど、彼をトゥレーリオに連れて帰ってくれるかな」
「勇者様はどうするんすか?」
「うん?」
アーサが輝く笑顔を向けると、ダイルは「いえ、承ったっす」と言ってラクダの紐を受け取った。
ダイルが乗り、気を失ったままのジルをアーサがダイルの前に乗せる。一瞬、ダイルが嫌そうな顔をした気がしたが、次の瞬間には普通の表情だった。
ジルの小さい呻き声が聞こえたのでちゃんと生きている。良かった。
砂漠を歩む影が粒のようになり、やがて闇に消えていった。
あっさり騎士が退場を果たしたので、リアの心の重荷もひとつ消えた。
そして他の重荷がのし掛かってくる。合流メインイベント、トリムへの懺悔タイムスタートだ。
「さて、邪魔者は失せた」
「…………はぃ……」
リア達は焚き火の近くに腰を下ろしていた。
長くなるだろう話に、トリムの兜も脱がせておく。膝の上の生首は、思ったより般若の表情じゃなくてほんの少しほっとする。
「先のボスの件は後で聞く。まずは、何故よりによってあの騎士と居た?」
まあ、そこ聞かれるよねぇ。
「あの、偶然の重なりと、抗えない無言の圧力が多々ありまして……」
「どう抗えなかったのか、詳しく聞こうか」
かいつまんで話そう。余計なことは言わなくていいよね。
「え、えぇぁ、あのーまずは落ちた先にジ、あの騎士さんがいたようで、クッションとなってくれまして」
「落ちた?」
「はい、結構な高さで、さすがに死ぬかと思いました。運良く死にませんでしたけど。へへ、日頃の行いが良かったんですかね」
「…………」
「……すいません。それから、騎士さんが出口を知ってたので、脱出するためにどうしてもやむを得ず嫌々共に行動することを余儀なくされました。仕方なくです。……一度、ボス部屋にも行ったんですけど、お二人ともいなかったので、とりあえず一旦外に出ようとなりました」
「繋がる道が違ったのか、道理で。……俺が結界を解除した先は上に繋がっていた。どれだけ探してもいないはずだ、そもそも入口が合っていなかったのだからな」
思案するトリムを見て、リアは感情を抑えようと口一文字を結んだ。当然のように探してくれていた事実にお腹がぎゅうっとなる。あの時の自分を殴り飛ばしたい。
アーサにも悪いことを思ったと申し訳ない気持ちで視線を移すと、彼は困ったように笑う。
「憶測でものを言うのは良くなかったね。ごめん、リア」
謝られるような憶測をされていたという。
「な、何を……いえ、元はと言えば私が勝手に動いたせいです。私が悪かったんですから謝るべきは私ですよ。本当に色々とごめんなさい」
「恐ろしく素直だな……頭でも打ったか?」
「失礼だなおい」
アーサがあははと笑う。
せっかく素直になったというのにこの対応は腑に落ちない。
「まあいい。俺達が戻ろうとした時には出口が消えていてな、どころか外部と完全に遮断される結界が喚び起こされた。解除のためには魔力の回復を待ってからしか出る術はなかった。性根の悪い造りだが……筐体は手に入れられた」
「ほんとですかっ! 良かった、目的達成じゃないですか! それでトリムさんの体はどこに?」
「一先ず置いてきている。お前の所在と、あの騎士の存在を把握したからな」
その言葉にリアは思わず顔がにやけてしまうのをなんとか堪えた。
自分を見つけ、それで飛んできてくれたということに、場違いに嬉しさを感じてしまったのだ。
いかんいかんと歯を食いしばり、きりっと表情を引き締める。
「そもそもがアレだが、まだ下手にダンジョン内をうろつかなかったのは評価しよう。それで?」
「一度パーティの面々とは再会しちゃいましたけど、無事トゥレーリオに帰ってもらいました。まあ、あとはただ待ってただけですね」
探しに行くのを耐えていたことを褒められて、ちょっとだけ気が緩んでいた。なので、普通に答えた。
トリムの目が鋭くなったと気付いた時には、逃げ道を考える思考まで回らなかった。
「……あれらと再び会ったと……ならば何故、今また騎士と二人きりで居た?」
ひやりと空気が下がった。
砂漠に冷たい風が吹いたのか、あるいは心情的なものか。
元々二人だけだったならまだしも、パーティを組んでもいないジルが、トゥレーリオ冒険者達と合流できたのにあえてリアに付き添うなどおかしい話だ。
戦力面で助け合うといった言い訳もできず、ジルに何かしら理由がなければその行為に及ばないはずである。
「いや……私は一人でいいって言ったんですけど、き、聞きたいことあるからって……」
しどろもどろに答えるリアは、誤魔化そうとしている態度が明らかであり、だが焦りのあまりそれに気付けないでいた。
「……ほう。……で、何を話した?」
「そ、そんなに話しては……」
静かな声音は感情を表さない。細められた紅い両眼は、ただリアをじっと見据えていた。
何もかも見透かされている感覚を覚えるが、そんなはずはないとリアは口をつぐんだ。
しかし、いつまでも静寂が続く。時の流れが止まったように感じるほど誰も声を発さない。パチパチと弾ける音だけが、唯一時間の経過を伝えていた。
やがて、暑くもないのに一筋の汗が頬を流れ落ちた。
「私は、何も、変なこと言ってないんですけど……な、何故か…………ゼスティーヴァにいたよねって」
混乱を極めたリアは、バレたことをバラしてしまった。
寒気がする。焚き火にもう少し近寄ろうかと現実逃避なことを考える。
「………………勇者、筐体を回収してこい」
「うん、分かった」
そしてトリムは、リアの話とは関係ない言葉を突然告げた。
それはトリムと一対一で対峙しなければならないことを意味し、咄嗟にリアは緩和材を逃すまいとする。
「待って、どうして今なんです? 私も一緒に行きますよ! 皆で行った方がほら」
「リア」
アーサは悲しそうに微笑むと、首を左右に振った。
リアはすでに勇者が篭絡されていることを悟った。
楽しかったです。
多分次で最後になるはずです。




