43.目先のことに囚われがちです
岩場を風避けとして背にし、目の前でパチパチ弾ける焚き火を眺める。朱色の熱は、冷えた体だけでなく、どうしてこうも心まで暖めてくれるのか。
別れは完全にこちらの都合で、何も言わず離れたことに寂しさを感じることなど余りにも自分本位だと思う。それでも、感情を制御するなんてリアにはまだまだできそうもない。
「はい、焼けたよ」
「……どうも」
あれからすぐに夜になった。
前日に残っていた木材を集め、ジルはサクッと火魔術で焚き火をおこした。手慣れている。
聞きたいことがあると言っていたわりに、特に何も尋ねてはこないので、リアも自分から言葉を発することはしなかった。
お腹は減っていたので、大人しく食事を施してもらった。
小さく爆ぜる音が夜闇に響く。
「またすぐ探しに戻ると思っていたよ」
ジルは突然そう言った。
無論、アーサを探しにミリオリアに入るという意味だ。
「……探しに行っても行かなくても後悔すると思ったんです。だいたい私が自主的に動くと下手な方に転ぶことが多くて、なら待っていた方が多分早く再会できるかなと。経験則ですね」
「はは、なにそれ、本当なの?」
「さあ、どうでしょうね……」
星が散らばる空をぼんやりと眺める。
本当のところなんて分かりやしない。ただ本当は探しに行きたくて、じっとしていたくない感情を抑えるためだけの理由付けだ。
今も、あの広いミリオリアの中を叫びながら探しに行った方が、少しでも早く出会えるのではないかという葛藤と戦っている。
またしばらく静かな時間が流れる。
「リアちゃんはどうしてミリオリアに来たの?」
「……聞きたいことってそれですか?」
随分と漠然とした質問だ。
ジルの、騎士としての目的が分からない以上、下手に答えられない。正直、質問されるだけでも変な反応をしてしまいそうなのでやめてもらいたい。
「そうだね、それも聞きたいことだ」
「私ミステリアスな冒険者で通してるんで、そんないくつも聞かれても困ります。まあ一つだけなら答えてあげないこともないですよ」
だから、リアは一つだけに絞らせた。それさえ乗りきれば、失敗を犯すこともないだろうと予防線を張ったのだ。
「ふ、ミステリアスだ、確かに」
「馬鹿にしてます?」
「まさか。ふむ……一つだけね、難しいな。……あぁそうだ」
ジルは一度言葉を切ってリアを見た。柔らかい笑顔に、紺色の瞳だけが微動だにしなかった。
リアは視線を逸らして、すぐに焚き火を見つめる。変なことじゃなければいいなあと、フードで顔を隠した。
「……サライド、いや……ゼスティーヴァにいたよね?」
「――っ!」
驚きのあまり、小さく息を飲んでしまった。
なんてことを聞いてくるんだ!?
「……そうか」
何かを納得されてしまった。冷や汗が浮かぶ。
ジルの質問は具体性も何もあったものではない。言葉だけみれば、しらばっくれても問題もない内容。
ただの街の名と、有名なダンジョンの名だ。一体いつのことかも分からない、いたのか、という質問。それだけだ。
それだけなのに、その組み合わせで聞いてくるのは、それを騎士である彼が聞いてくるのは、リアを動揺させるに十分だった。
だが、リアが示したのはほんの僅かの反応。フードで表情は見えないはずで、それにすがるしかない。
「何の……ことだか分からないので、答えようがありません」
「ん? まだ聞いてもいいの?」
「…………駄目です」
「そう、分かった」
何が分かったのか。
ジルはそれ以上聞いてこない。リアの言ったことを律儀に守ってくれているのか、何かの確信を得たのか。
これは駄目なやつだ。なんか、すごく駄目なやつってことだけ分かる。
動悸がしてきた。
色々と聞かれるのも困るけれど、先の質問での後の沈黙というのが弁明もできない現状を苦しめる。ジルが何を考えているのか考えるのが恐ろしい。
追及してこないのは、リアの立場を把握しかねているからなのかもしれない。実際のところ、ジルが騎士であると告げれば、リアは逆らう立場を持たない。
激しい鼓動で気持ち悪くなってきた。
だが、自分がゼスティーヴァにいたから何だというのだ。攻略を目指す冒険者ならばあの黄金塔に臨もうとすることは少しもおかしくはない。
ただ最近は軒並み生存者がおらず、謎の爆発で半分に折れた原因を唯一の生存者に求めることは当然でもある。そしてリアは、ゼスティーヴァの上で騎士の一人に目撃された。
気持ち悪さから吐きそうになってきた。
ジルの短くも的確に狙った言葉は、一点の解答を導くのだ。
サライドとゼスティーヴァで起きた共通点。目撃情報を集めればすぐに判明する。
即ち、氷の雨を降らせ、騎士団の邪魔をしたのはお前だろうと。
吐き気から震えが襲ってきた。
いつ、気づいたんだ。
確証はあるの?
……今なら?
そして、リアは立ち上がっていた。
「……どうしたの?」
「お花を摘みに行きます」
「あ、ごめん…………いや、そっちはダンジョン……ちょ、待って!?」
リアは走った。背後に声を聞きながら全速力で逃げた。実際簡単に追いつかれるかもしれないとは思ったが、逃げたい気持ちに全力で従った。
その時、夜空に光の柱が上がった。
真昼を思わせるほどの強く激しい光は、ミリオリアの向こう側、ちょうどボスの間がある辺りから発せられた。
すぐに光の柱は細くなり、やがて消えていった。
遅れて、ドォンという破壊音が届く。
リアは驚きに足を止めていた。そして腕を掴まれ、ハッと我に返る。振り返ればジルがいる。
「離れないで」
緊張を孕んだ声音はリアに向けられたものだが、視線は光の柱が上がった方角から動かない。
夜空を照らすとんでもない規模の光の魔術は見たことがない。だがそれを使える人物は、待ち望んでいたこともあり容易に浮かぶ。
「多分、アーサですよ。大丈夫です」
気付けば、動悸、吐き気、震えは収まっていた。
ジルへの疑心暗鬼は脇に避け、今はただただ早く向かいたい。
「それでも、確証はないだろ? モンスターでないと言い切れる?」
「そう、だけど……でも確認したいんです。放してください」
振りほどこうにも、ジルは腕を強く握ったままだ。さっき逃げ出したこともあり、逃すまいとしているのかもしれない。
アーサなら、というよりトリムであるならますますまずい。完全に言われたことを守っていないので、また溜息をつかれ、呆れられ、下手したら置いて行かれるかもしれないと思う。
見られる前にジルとは距離をとりたくて、掴まれた腕を無理矢理引っ張ると、キンという甲高い音が聞こえた。
「っとぶぁ!」
すると勢い余って砂に突っ伏した。
リアが思い切り振りほどいたタイミングで腕が放されたのだ。そんな簡単に放すとは思っていなかったので、当然のように体勢を保てず、冷たい砂上へとダイブした。
リアはうつ伏せから即座に起き上がり、顔面についた砂を両手で軽く叩き落とす。口の中がジャリっとしている。
「放してとは言いましたけどひどいです!」
キッとジルを睨むと、思ったより離れたところに細剣を抜いたジルが立っていた。弱い焚火の光に、抜いた刀身が蒼く光る。リアには目もくれず、上を見上げている。
すぐそばでサクッと何かが砂漠に突き刺さる音がした。
それはどこにでもあるような短剣。最近サライドで購入したばかりのリアのものだった。
つまりは、アーサに貸したままのものだった。
リアもジルの視線の先を追う。そこは変わらず佇むミリオリア。中にも、上にもいないが。
と、思えば、背後で激しい金属音が鳴り響き、リアを砂の波が襲った。
「ぶっ、な、なに!?」
砂まみれになりながら音のした方を見ると、だいぶ離れたところにジルがおり、目の前で金髪が風になびいた。
「……あ……ぁさ」
しゃがんでいたアーサはすくっと立ち上がり、白い服についた砂を軽く落とすと、振り返った。
彼にしては珍しい仏頂面でリアを見、目をつぶってはあっと息を吐いた。
出会い頭で早々に呆れられているのが分かり、リアは喉を詰まらせた。
「もう……トリムさんの言ってたことがよぉーく分かったよ」
「う……ごめんなさい」
思い当たるふしがありすぎて謝罪しかない。
「うん。怪我はない?」
だがすぐに表情を柔らかくしたアーサは、抜いていた剣を鞘に戻し、リアに手を差し伸べる。
それに安心して小さく「はい」と答え、立ち上がらせてもらった。
アーサが片腕に抱えていた兜を軽く差し出したので、一瞬戸惑い、両腕で受け取る。持ち慣れた重さに安堵が胸中を埋め、そして胸に抱きしめた。
「ごめんなさい」
消え入りそうな声量で謝った。
とても反省も後悔もしている。
「覚悟はできているんだろうな」
低い声音だった。安堵が一瞬にして消え、心臓がぎゅっと縮んだ気がした。
怒られる覚悟というわけだ。
泣きそうな顔でアーサに助けを求めると、彼は困ったように笑って肩を竦めるだけだった。そこでやっとリアは、その美顔に傷がないことに気づく。
「良かった。治してもらったんですね」
「ん? うん。歴戦の戦士っぽくていいかなとも思ったんだけど」
「やめてくださいそんな国家レベルの損失」
滑らかな頬を指先で撫でると、アーサはくすぐったそうに微笑んだ。
「話しをしたい!!」
あ、忘れてた。
蚊帳の外にいたジルは、遠くで叫んで存在を主張した。
トリム達と再会できたので、あとはジルをどうやって言いくるめるかだが、実際のところ無理だと思う。リアが失言をしすぎたので、もう本当に逃げるくらいしか思いつかない。ただその前に一応色々とお世話になったので、もう一度お礼とかは言っておきたい。
ところで、ジルは何故細剣を抜き、あんなに離れたところにいるのだろう。リアは不思議そうにジルを見て、ふと先の砂まみれになったことを思い出す。
あの時の金属音は、剣と剣が激しくぶつかり合う音だった。その前にも甲高い音がした。ジルは弾いたのだ、リアの短剣を。
短剣をジルに向かって投げたのだろう。
そして、切りかかったのだろう。
その該当の人物は一人しかいない。
「……え」
アーサは笑顔のまま、何の気負う感情も読み取れないほど自然に剣を抜いた。




