7.二度めも頑張ります!
中ボス戦です。
「なるほどー、納得です」
「……軽いな。納得したところで使える魔術の限りに変わりはないが。お前には意味のないことを言った」
「いえいえそんなことないです。もやもやがすっきりしましたよ。作戦の理由が正しく把握できたので、過度な期待で頼りすぎることのないよう気を付けられます。私も頑張りますぜ!」
リアはトリムの強い面しか見ていなかったので、首しかないという以外の欠点を知れて、密かに安堵していた。このまま、ただの足としての役割に一抹の不安を覚えていたからだ。
協力関係を結んだものの、現状抱えて走る以外のことはしていない。厄介事は全力で避けたいが、すでに命を助けられているという大恩がある。つまり天秤は向こう側に傾きまくっているのだ。
リアの協力が必須となれば、一方的に受ける恩恵の罪悪感を払拭し、トリムの精神的優位性を対等関係に引きずり下ろせる可能性がある。端的に言えば、恩を売りたい。
そう、今までは役割分担をしていただけなのである! そして今後のことを見据えて、決して私が馬鹿で弱いだけの足手まといではないことを証明しなければ、この優劣が確定してしまう!
そんな姑息なリアの内心など知らず、トリムは僅かに口を歪めた。
「……ふむ、そうだな、ならば武器を授けておこう。確か、剣の柄を持っていたな」
「柄だけなら」
鞘さえなくなった短剣の柄をバッグから取り出す。無駄に豪華な柄は、銀に精緻な葉の彫刻がしてあり、柄頭には青緑の宝石ともガラスとも分からない石が埋め込まれていた。多分イミテーションだろう。
これを一体どうするのかと不思議に思いながらにトリムの目の前に差し出した。
「刃を作る」
「刃」
「一時的なものだが、強力な氷を纏わせる。直接触れないように」
「は」
「念のため言っておくが、無謀なことはするなよ。調子に乗って命に関わることにならぬように」
「は、生存第一で」
「……馬鹿みたいに繰り返すな。……そして、おそらくこれが開始の合図になる。動ける準備をしておけ」
「がってん!」
溜息を吐いた後、トリムが何事か呟いた。リアは自分の名前が呼ばれた気がしたが、聞き返す前に、微細な輝く粒子が生まれ、柄の刃に繋がる部分へと集結していく。
同時に、グロイムが波打つように蠢いた。
リアは、柄の先に透明な刃が作られていく様子に感動しながら、グロイムの動きにも目をやり、頭を交互に動かす。
目など存在しないはずだが、すごく視線を感じる。
いつ動き出すのかとひやひやしながら、頭の七往復目くらいで、氷の剣が完成し、グロイムがのそりと距離を縮め始めた。
「き、き、来ましたよ!」
「そう速くはないな……リア、下層に繋がる扉に向かって、壁沿いに走れ」
「分かりました!」
左腕にトリムを抱え、右手に氷剣を握って、リアはフロアに入り走り出した。リアの移動に合わせてグロイムも徐々に動きを速めて追ってくる。
背後で甲高い音が聞こえた。ぱっと見ると扉は閉じられ、なんだか歪んでいるように見えた。下層への扉にも視線を凝らすと同じように扉が揺らいでいる。
「そうだった! 入ったら倒さないと開かないんだった! ど、ど、ど!」
「落ち着け、大丈夫だ」
早々に混乱したリアをトリムが宥める。もう入ってしまったものはどうしようもなく、とりあえず言われた通りにするしか選択肢はないと、リアは不安を振り切った。
走っていると突然、半円形だったグロイムがリアがいる位置に向かって細長く形を変える。
注視していたリアは「げ」という顔をし、グロイムの動向を息を呑んで観察する。
ターゲットとの距離を急速に縮めるための、見覚えのある形への変化。長時間戦ったグロイムの、この次に来る攻撃方法を予想はできたが、何処から来るかが分からない。
グロイムの右上部に丸い膨らみができたと思ったら、次の瞬間、先が鋭く尖ったグロイムの突き攻撃がリアの目前を通り、壁に突き刺さった。矢が放たれるようなスピードだったが、この距離であれば何度も見た攻撃なので、リアは咄嗟に止まり避けることができた。
リアの前髪が散り、多少ギリギリではあったが。
「ほう」
壁に突き刺さったグロイムの一部が氷結し、途中で折れる。
伸ばした突き攻撃から、凍っていない部分の自身を引っ込めて、グロイムは再び半円形に戻った。考える機能があるかは定かではないが、次の攻撃を考えているようにも見えた。
「悪くない動きだ」
「コーチですか!? てか私って恰好の的なのでは!?」
「喚くな。今ダミーを作っているから、ある程度は自分で対処できるな。五つ連続攻撃が来る、走れ」
壁に突き刺さったままの氷結棒をくぐって走り出すと、リアが居た場所を連続して三つの突き攻撃が追いかけた。続いてリアの脇腹に刺さる手前で一つの攻撃がトリムによって凍らされ、最後に胸の前に横切った突き攻撃をリアが氷剣で叩っ切った。
その氷剣はトリムの魔術と同じように凍らせる能力と、鋭利な刃を併せ持つ、一粒で二度おいしい魔術が施された剣だった。
凍りながら粉々に飛び散っていくグロイムのシャワーを駆け抜ける。
「ひぃぃぃ! 死と隣り合わせすぎるぅ! 結界をくださあぁぁぁい!」
「泣き言を、言う、な……早く、扉まで」
トリムが言葉に詰まった時を同じくして、グロイムがリアに近付いてくるのを止めた。
一体何をするのかとリアがびくびくしながら見ていると、フロアの天井近くに二つの小さい光が生まれた。それらは部屋の上をぐるぐると回るように飛び回り、親指程から徐々に握り拳大程に大きくなっていく。
その光に踊らされているように、グロイムは蠢きながら光が飛び回るフロアの中心へと戻り始めた。
「お? ……っひゃ!?」
リアがグロイムのターゲットから外れたと思い緊張を緩めた瞬間、目の前でグロイムの突き攻撃が、凍って、止まった。同じくして、光に向かって四本のグロイム棒がフロアの天井に突き刺さっていた。光はその間を縫うように、縦横無尽に動き回っている。
「気を抜くな」
「すいません!」
二つの光が囮だということは分かったが、グロイムの的は三つに増えただけで、リアが的から外れたわけではなかった。距離は少し離れたものの、光への突き攻撃の合間に思い出したように攻撃してくる。
その後、何本か避け、トリムが六本凍らせ、リアが氷剣で一本受け止めている内に扉の前まで辿り着いた。
「魔術の解除をする。集中するから、リアは盾の役目を果たせ」
「私の役目はいつから盾に!? ぐぅ、でも頑張る! 扉の解錠! 頼みます!」
トリムを扉の前に置き、リアは氷剣を構えて守るようにグロイムに向き直った。
リアは息を軽く吸い、心を落ち着ける。扉にかけられた魔術の解除ができると知って、きっちり自分の役目を果たせば助かる可能性は確実なものになる。
距離が大分空き、それでも宙に浮く光とリアを攻撃してくるために、グロイムは初めより平べったくなっていた。あのグロイム棒には長さの制限があるのだろう。そこから真上に突き攻撃を繰り出し、たまにリア目がけて飛んでくる。遠くて平たいおかげで攻撃の見極めはそれほど難しくなく、直線攻撃だけなので、リアは氷剣の腹で受け止めるだけでグロイムの体を凍らせては僅かに本体を減らしていく。
「昔やった、玉叩き落としゲームの、ようですね。これは、デスなゲームだけど」
飛んでくる攻撃を氷剣で叩くという、真剣ながらも楽しみを見出し始めた頃、リアははっと変化に気づいた。
「え、なんかちっさくなってない?」
氷剣を作ってもらった時はもう少し大きくなかっただろうか。と首を傾げると、突き攻撃がトリムを狙ってきたのですくい上げるように弾いた。
剣身を見るとやはり僅かに短く、細くなっている。
「もしかして消耗品!?」
切れ味どうこうではない。質量として減っている。さながら、氷が溶けだすように。
水が滴り落ちているわけでもない剣身の減量は、氷の魔術の行使によるものなのか、あるいは触れる度グロイムに魔力を吸われているものなのか分からない。だが確実に言えることは、回数制限があるということだ。
「トリムさん! あとどんくらいですか!」
右肩に伸びてきたグロイム棒を体を左にずらして避けると、下から氷剣で切り上げる。
トリムの返事はない。
ふと小さく割れる音がしたので上を見ると、天井を動き回っていた光の一つがグロイムの突き攻撃に捕らわれていた。得体の知れない光だと思っていたものは、粉々に砕け、キラキラとグロイムの上に降りかかって消えた。
「え……」
片方が消えたからといって一つになった光の動きに変化はないが、グロイムの的が二つになった。単純に1.5倍の攻撃量が、残った光とリアに襲いかかる。
グロイムは光の軌跡に沿って三連続で上に向かって突きあげたかと思えば、リアの頭部とトリムに向かって同時に突き攻撃がきた。
「だああああ! やばああああ!」
前に転ぶように頭部の攻撃を避けたリアは、その勢いのまま真下に氷剣を突き立てた。そこへトリムを狙った一撃がぶつかり、自らを凍らせていく。ついでに地面から冷気が立ち上ったのを感じたリアは慌てて氷剣を引き抜いた。足元がひんやりする。
眼前に掲げるとさらに剣身が縮んでいる。
「トリムさん!? まだなんですか!?」
リアの切羽詰まった声が裏返る。
トリムの返事はない。
上段、中断、下段と上から襲ってきた攻撃を、弾き、逸らし、振り払う。
リアは高速二度見をして、扉の魔術解除の状況を確認したが、歪みが最初より小さくなっている気はするものの、全く進捗状況が分からない。トリムからは何のアクションもないと、頼れるのは己の腕と、
「光二号くん! 頑張って!」
同じ的仲間の光だけだ。エールを送ると、心なしか光の動きが活発になったように思えた。
「君ならできるはずです! 君だけが頼りなんです!」
天井付近をぐるぐると回るだけだった光二号が、緩急つけつつ、ジェットコースターのように複雑怪奇な動き方を見せた。
「きゃー! かっこいい! そんな動き誰も真似できないですよ!」
褒めまくって、心臓を狙ってきた突き攻撃にこちらもまっすぐと氷剣を突き出す。すぐに引き戻すと、空中で凍ったグロイムの一部は自重に耐えられなくなって地面に落ちた。
どこからかパキンと割れる音がして思わず顔を上げると、視線の先には四本の突き攻撃から逃れられなかった光がその動きを止めていた。
「うそ……」
光は僅かに揺らぐと、ぱんっと弾けて、一つ目と同じようにグロイムに降り注いだ。
消えていく光に切なさを感じてリアが手を伸ばすと、砕けた光のひと欠片が風に乗るようにふわりとリアの近くまで流れてきた。
「に、二号くーん!」
「騒ぐな」
「トリムさん!!」
「叫ぶな」
「良かった! ずっと返事がないから心配しましたよ! 剣もちっちゃくなってくし、このまま串刺し死するかと思いました!」
トリムを抱え上げ、抱きしめる。そんなリアを無視したまま、トリムは襲ってくる突き攻撃を凍らし、部屋を見回した。
「ダミーはもたなかったか、まずいな」
「彼らは頑張ってくれましたよ!」
「彼ら? リア、扉を開けられるか」
「はい!」
リアは右手で扉を押す。びくともしない。
リアは体当たりをする。びくともしない。
リアは蹴りを入れる。びくともしない。リアは足を痛めてしまった。
「う、骨にきた」
「グロイムが来た、一旦離れるぞ」
「ぅあぃ」
リアは片足でけんけんして扉から離れると、予想外に近くまで来ていたグロイムが扉に体当たりした。背後での衝撃に、リアは「ひゃ」と小さく悲鳴を上げ後ろを振り返る。扉はびくともせず、グロイムは一旦止まったが、すぐにリアたちを追いかけてくる。
「解除したんじゃないんですか!?」
「そのはずだが、扉自体が重いのか、あるいは」
「待って、セオリーからいくと、引き戸」
「セオリーはどうでもいい。思い出せ、前この部屋に入った時、扉は」
「押して入りました!」
脱出方法、と言っても押し引きの違いだが、が分かったところで、グロイムを扉から引き離さないことにはどうしようもない。壁沿いにぐるりと部屋を一周するように避けて、再び扉の前まで辿り着ければいいのだが、いくら脳のないモンスターでも、ターゲットがひとつで限られた空間では、追いつかれるのも時間の問題だった。
「まずいですよ! 扉に辿り着く前に捕まっちゃいますよ! 出口の方が近いんですけど、一旦出ていいですか!?」
扉の魔術が解除されたのなら、中ボス部屋に入ってきた方の扉も解除されているはずである。目的の扉とは反対側にある目先の出口に飛びつきたいリアを、トリムは一蹴する。
「阿呆か。同じことを繰り返すつもりはない」
「そうは言ってもぉぉぉぉ!!」
「俺の言う通りに動くんだ、いいか?」
「それで助かるのなら、仰せのままに!」
出口まで辿り着いたリアに、トリムは止まってグロイムが近づいてくるのを待てと指示した。そこでもひと悶着騒いだリアだったが、とりあえずは指示通り足を止めた。その間、ひっきりなしに突き攻撃が襲ってくるのを、徐々に小さくなっていく氷剣とトリムの魔術でやり過ごした。
「近い近い近い近い!」
「煩い。……今だ、まっすぐ走れ」
「嘘でしょ!」
ちょうどで入口と出口の扉をまっすぐつないだ延長線上にグロイムが来ていた。つまりはグロイムにつっこんで行けという自殺行為な指示に、リアは叫びつつも従う。
近付くリアに放たれたグロイムの突き攻撃が、足元で凍った。
「踏み越えろ!」
言われた通りに思い切って右足で踏むと、先程までの強度とは異なり、リアの体重が乗っても砕けることはなかった。今までと何が違うのかと一瞬疑問に感じたが、今はそれどころではないと思考の片隅に追いやった。
踏んでも壊れない、その事実が大事。
すぐに反対の足を出そうとしたが、予想外に踏み込んだ右足が沈みグロイム棒がバネのようにしなる。
あっと息を呑む。その後の結果は容易に想像できた。トリムは、踏み越えろ、と言った。
力強く踏み込んだ分と、それ以上に別の力が加わって、リアの体は宙に放られた。
下向きの姿勢で視界いっぱいにグロイムの体が映る。ずっと余裕なんてなかったので、じっくり観察することもなかった姿を、何故かゆっくり動く景色のなかで見ることができた。
遠くからは分からなかった赤黒い粒が沢山蠢いている。それらは互いに避け、混ざり合い、渦を作っていた。何箇所か、渦の大きな部分がある。それは次第に膨らみ、その中心部で赤黒い粒がより激しくとぐろを巻いている。
リアは密集している膨らみのひとつを見て、右手に持っていた氷剣をその真ん中に放り投げた。破裂しそうな熟れた果実のようで、そこに投げるのが一番いいと思ったからだ。遅緩な動きの中で、元々投擲技術の高いリアには難しくないことだった。
蕾が開くように、細く赤い花びらが放射状に広がったのを視界の隅で捉えた。しかし内臓を持ち上げる浮遊感が遅れて襲ってきて、壁から天井へと目まぐるしく変わる景色に恐怖が勝り、思わずぎゅっと目を閉じた。
「リア!」
力強い声に暗闇から呼び戻されたリアの目に映ったのは、重厚な扉だった。
「……え?」
「しっかりしろ、さっさと立て」
「あ、はい」
リアはいつの間にか扉の前の地べたに座り込んでいた。どうやって着地したのか全く記憶がないけれど、後回しにして急いで立ち上がる。
「取っ手がない」
扉を引こうと意気込んだが、握るものや引っかけられるものが何もなかった。思えば、最初に押して開けようとしたのも引くための取っ手がないから無意識にしたものだった。
ダンジョンは基本的にボスへと向かう一方通行で、設計上、逆走は考えられていないためだ。
「今作る」
「なんと便利」
あっという間にコの字型の氷の取っ手ができた。
リアは掴んで力の限り思い切って引いたが、扉はその重厚さとは裏腹にあっけなく口を開き、さらには勝手に動いて全開した。
「やったぁ」
呆けた声が口から漏れた。