38.不可抗力ってところです
しばらくして、リアのジト目に気付いたジルは、咳払いをして姿勢を正した。今さら誤魔化されたところで意味はない。
「満足されましたか」
「満足……いや、悪かったよ、笑ってしまって」
「いいえ? 私には何一つ面白くなかったですが、きっとジルさんは人とは違う笑いのツボをお持ちなのでしょう、仕方がありません」
「手厳しいな。でもまあ……そうだね、リアちゃんは聞いてた以上に面白い人のようだ」
「勝手に面白くしないでください。誰から聞いたか知りませんが濡れ衣です。私は悪くありません」
リアのことを話した誰かも、目の前の自称冒険者も、良い意味では話してなさそうなその言葉に言い返す。ナノン、いやメルあたりだろう。
それにどこかばつが悪そうな顔をしてジルは苦笑した。
「あーうん、ごめん、悪いのは俺だった。やっぱり直接話せて良かったよ。見た目だけじゃあ分からな……そういえば、兜をずっと持っていたよね? あれは?」
ふと思い出したように聞かれた。
リアはなんとなく左腕に抱く核を見下した。今は無き兜の位置に核があるのは慣れていて持ちやすいからだ。重さ的にもサイズ的にも近いものがあるが、何かコレジャナイ感はある。
アーサに押し付けたまま、自分の手元に返って来なかったら、と少し不安だ。
「……はぐれてしまって」
リアが憂いを持って呟くと、一瞬の間の後、ジルは勢いよく顔を背けた。漏れる声から、何故かまた彼のツボにヒットしたようで笑いの波に耐えているのが分かる。
「何ですか! 大切なものなんです!」
「そういう、ことじゃなかっ……うん、はぐれたんだね。……確かに、大切なものなら代替品があっても駄目、だよね」
「はぁ……?」
何なんだこの人、箸が転んでもおかしい年頃なのか?
リアは肩を震わすジルに憐みの目を向ける。こんな笑い上戸じゃ人との会話がままならないだろう。可哀想に。
持っているボスの核はリアにとってただの金目のものである。兜とは例えサイズ感が似てても同じ位置にあろうとも同一視するものではなく、替わりなどという意識は微塵もない。
理解できないまま、リアは溜息をついて、怒るのを諦めた。
「それで、リアちゃんはどこから、どうして落ちてきたのかな? 勇者さんは?」
ひとしきり笑った後、ジルはさらっと本題に切り込んできた。
もう普通に会話をしてしまっているし、現状くらいは話してしまってもいいだろう。
ジルが実は騎士であることは知っているのでアドバンテージはこちらにある。但し、その情報の使い道は思い浮かばず、この小型ムカデを殲滅したと思われるジルの強さは除外している。本当に優位だろうか。
「この上はボスの間の端っこで、私はそこからちょっと足を踏み外したようなものです。アーサは上にいると思いますし、一応は倒したのでもうこのダンジョンに危険はないはずです…………多分」
モンスターは多分大丈夫。モンスターは。
「そっか、本当なんだね。……どうやってそれを? あ、どんな」
「上に実物があるのでそれ見てください」
そこまで話してやる義理はないと、仏頂面のまま突っぱねるとジルは残念そうな表情である。
それにほんの少しだけ気が晴れたので、笑われたことは流してやろう。
二人して上を見上げた。
強くなった篝石でさえも光量は足りないようで、四角い穴の入口だけを照らすだけだ。
この穴をリア一人で登るのは不可能である。登った先でトリムと出くわす可能性があるのも問題と言えば問題だが、それで合流できなければ本末転倒なので、ここは協力を仰ぐことにする。不本意ではあるので、許してほしい。
「ジルさんて空を飛べるんですよね?」
「空ではないけど、そういう魔術は一応使えるよ」
「上まで飛べますか?」
「ああ」
頷いたジルが両手を開いて一歩近付いたので、リアも一歩離れた。そのまま動かないジルから困った顔で見つめられ、リアは場所は空けたぞと首を傾げた。
「一緒に、ではなく?」
「え?」
……一緒に飛ぶと言うのか。
もはや、自称冒険者騎士に対しての話すな目を合わすなは守れていない。近付くなは微妙なラインであるが、接触した状態で合流してしまえば完全にアウトだ。そうなれば確実にお説教コースである。
「それは……やだな」
「っ……そ、そう」
「えーと、上に出れたらアーサを呼んでもらえればいいです」
「……分かったよ」
ジルは短く吐息をつくと、瞳を一度瞑り「サイファ」と唱えると風を纏った。
撫でる空気に不思議なものを感じた。目の前で、浮かぶという夢のような魔術に期待が募る。
ジルは軽く屈伸し、勢いよく飛び上がった。浮くわけではないのだなと少しだけ残念に思いながら見ていると、減速した体が滞空し、続けてさらに上へと距離をのばす。
「お、おぉー」
真っ暗な穴だが、ジルが篝石を持っていったので状況は分かりやすい。何度と高く舞い上がっていく様子に、やっぱり体験してみたかったかもしれないと思った。
「ん?」
変なところで、ジルが持つ明かりが止まった。
リアが落ちた体感的にまだまだ上の方だと思うのだが、ジルの姿は黙視できるくらいに近い距離だ。
首がきついなと手を添えながら眺めていたら、細長く青白い光が走る。一体何だと思えば、ジルは徐々に体を大きくした。つまり、落ちてきた。
咄嗟に下がったリアの前に、地面に激突しそうな速さのジルが現れ、直前にふわりと勢いが消えて降り立った。
「君は本当にこの穴から……ん、何かあった?」
「びっ……くりした……死ぬかと思った……なんで急に降りてきたんですか」
リアは胸を押さえながらにじり寄る。
心配に気付いたジルは軽く笑い、リアの肩をぽんぽん叩いた。
「はは、死なないよ。それより、リアちゃんが落ちてきたところはここで間違いない? 一番上まで行ったけど、どこにも繋がってなかったよ」
「……間違いないです」
明らかに声音が落ちたリアだったが、内心安堵していた。
トリム達から助けどころか声がかからなかったのは、やはり断絶されたからだとはっきりしたからだ。
かといって出口に続く道が分からないので、現状問題ではある。どうしたもんかと核を眺めて思案し、ひとまずこの騎士さんが元々何処から舞台裏に来たのか尋ねようと顔をあげた。
それと同時に、リアの頭に大きな手が乗せられた。そのまま手は後ろにずらされ、一緒にフードが持っていかれた。
リアの顔が露になり、間近に、濃紺の双眸がある。
思わず、顎に掌底打ちを食らわしていた。
「なに!?」
変な声を漏らして顔を押さえるジルから飛び退き、リアはいそいそとフードを被り直す。
「ごめん、落ち込んでるのかと思って……あのさ、それを被るのには理由があるの?」
顎をさすりながらジルは問う。
パーティメンバーにはすでに顔を晒してしまっているが、一応不特定多数に顔を覚えられないようにとの意図はある。リアの身体的特徴はそれといってないので、おそらく服装でも変えれば一般人に紛れることも可能であろう。
まあ最も覚えられたくない人物は目の前にいるのだが。
思いっきり見られてしまった、なんという不覚。
「……アーサといると周囲の視線が痛いんですよ」
これは本当。
「ああなるほど……なら今は要らないよね」
再び手がリアの頭部に伸びてきたので「触らないでください」と言って叩いた。なんだか馴れ馴れしくなってきている気がする。
「別にいいでしょう。それより、ジルさんはどこからここに入ってきたんですか? この上が無理なら、そっちから出るほかなさそうです」
「……そうだね。向こうへ行くとドイラーバイルが出たフロアの地下に繋がる。ひとまずそこまで行こうか」
ひとまず?
気になる言い方だが、頷いたリアはその方角へと歩き始める。あちこちに小型ムカデが死んでいるので、歩き辛い。これほどの強さがあるのはさすが騎士というべきか、あまり敵に回さない態度をとらねばならないとは思う。つい素直に反発心を向けてしまったので、今後感情をどこまで律せるかは自分との勝負だ。
ジルのおかげでだいぶ楽にはなったが、まだ足の裏の痛みはあるのでひょこひょこ進む。
それを見ていたジルが手を差し出してくれる。スマートだなと思いながら礼を言って断る。
「あー不躾に触って悪かったよ。もう俺からは触らないから腕に掴まらない?」
「大丈夫です」
「うーん、そうだな、君のペースに合わせていると日が暮れちゃいそうだ」
事実だが失礼な野郎だなとじろりと睨むと、言った内容のわりに笑顔で返された。
「なら置いて行って結構です。アーサに私のことだけ伝えてもらえれば」
「……リアちゃん結構頑固だね。ここで押し問答するつもりはないんだけどな。……そんなに嫌だった?」
「嫌というか」
トリム達と合流した時のことを考えてだ。申し出自体はありがたいものではある。
騎士だからか、弱者を捨て置けない職業病だろうかと、ジルをの眉尻の下がった顔を見る。
地下の間は大丈夫、かな?
「じゃあ、お借りします」
ジルは嬉しそうに「うん」と言ってリアの右側に立った。一瞬の躊躇いの後、ジルの腕に掴まると、がっしりした太さで体重をかけてもびくともしない。さすがは鍛えている騎士だ。
何かが当たる感触がして見ると、ローブの下に丸みを帯びた細剣があった。




