37.最悪の出会いです
これは、かなりまずい。
深淵にまっ逆さまに落ちている状態で、リアは予想外に自分が冷静であることに驚いた。鍛えられたのかもしれないと思う。
ただこの状態から逃れる術を持ち合わせていないので、逆に混乱で意識を失ってしまった方が死ぬ時は楽だったかもしれない。
なんてったって、墜落死は嫌な死に方ランキングの上位なのだ。どこ調べか知らないが。
それはともかく、意識がある以上は生き残るために全力を尽くさねばならない。
邪魔な核を放り捨てると、すぐ近くで跳ね返される高い音が響いた。リアは氷剣を腰から抜き両手で掴むと、その音の箇所、壁があると思われる位置に突き立てた。
青白い火花を散らせて剣は壁を削る。僅かにスピードが緩み、またその減速に足が壁に付いたのでさらに落下速度を落とすことができた。片足は裸足だったので非常に痛かったが、それどころではない。
このまま止まれるか、と期待したのも束の間、剣先は無惨にも壁から離れ、リアの体は再び宙に浮く。運の悪いことに、より体重のかかった柄を掴み続けるだけの握力が残っていなかった。
「あ……」
火花が消えた氷剣が闇に飲まれていくのが見えた。
仰向けの状態で落ちるリアは、馬鹿なことをしたなあと後悔する。さすがに死に方が間抜け過ぎる。
と、
「うぶぁ!?」
「ぐぅっ」
背中に衝撃が駆け抜け、肺が潰された。
重い痛みが内臓を震い、中身が噴き出しそうな感覚がした。
「っはかぁ」
変な声で息を吸うと、全身の鈍痛とともに死んでいないことを自覚した。
荒い呼吸を繰り返し、氷剣を手放してから底までに距離がそれほどなかった幸運に感謝した。日頃の行いだろう。
「……あぁ……よかっ……」
そこで、地面とは違う絶妙に柔らかいものを背に寝そべっていることに気付いた。
安堵が一瞬にして焦りに変わる。
こんな地下にいるとなれば、モンスター以外にいないはずだ。クッションになってくれたことはありがたいが、襲ってきやしないかと、そろっと手を伸ばす。武器はもうない。
細長い何かに触れる。あたたかい。あたたかい?
薄い何かに触れる。まるで服のようだ。
後頭部にひゅーという生温い風が吹いた。微かな……吐息?
「…………ぅ」
「人だ!? ……っうあぅ」
驚いて起き上がったら、全身に痛みが走った。ゆっくり動かなければ辛い。リアも満身創痍なのだ。
無理のない範囲でそろりとどいて、暗闇で見えないので両手でクッションになってくれた方を確認。ぬるりとした感触。
うそ、潰しちゃった……?
ぞっとした。不可抗力とはいえ圧殺してしまうなんて。
見えないことにはどうしようもないと、リアはバッグから篝石を取りだし地面へと打ち付けた。
淡い光の中で見ると、下敷きになった人物、おそらく男性はリア以上にぼろぼろだった。全身傷だらけで、圧殺前に何かと戦っていたのが見てとれる。ダンジョンなのだからモンスターだろう。
原因は自分じゃないことにに安心しかけたが、とどめを刺そうとしたことは間違いなさそうなので、延命措置を探す。
傷薬や包帯はあるにはあるが、彼の身には手遅れだろう。正直、治癒術の使えないリアは遺言を聞くくらいしかできない。
治癒術?
はっと思い出して胸元からシスティアに貰ったペンダントを引っ張り出す。完全に忘れていた。
篝石の僅かな光に神秘的な輝きを返す球体を、そっと男性の胸元に当てた。
静かな闇に温もりが灯る。
無音かと思えば、極小なじくじくという音が聞こえる。他に何もないからこそ聞こえたこの音は、治癒の音だろうか。あんまり見えなくて良かった。想像できそうで。
男性の呼吸から変な音が消え、穏やかなものに変わった。リアに潰された内臓もきっと修復してくれているはずだ。彼はきっと助かる。
……もう少し早く気づけばな。アーサの痛そうな顔の傷も治してあげれたのに。
今回はさすがに死ぬだろうと思ったが、生き残れてしまった。
あんな馬鹿みたいな最後で死んでしまわなくて良かったが、再会した時に相当怒られそうだなと憂鬱である。
生きてると思ってくれてるだろうか。
リアは上を見上げた。真っ暗で何も見えない。落ちてきた穴さえも。
「とぉーーりぃーーむぅーーさぁーーん!!」
咳が出て、内臓に響く。
リアの声が反響して何度も彼の名を呼んだ。だが上からは何も返ってこない。返事も、音も、光も。
はぁ、と溜め息をついた。
トリムは暗闇を照らす魔術を使える。今は魔力切れを起こしているのかもしれないが、それならそれで、せめて呼び掛けるくらいしてくれるはずだ。
上から何もアクションがないとなると、分断されてしまったのかもしれない。
リアが最初に触れた時に黒い壁は存在していたのだ。それは結界だったようで、自分の謎能力のせいで開いてしまい、もしかしたら再び閉じてしまったと、考えられる。そう、考えたい。
そんな理由がないと、見捨てられてしまったなんて怖い考えしか浮かばないからだ。そんなはずはないと思うけれど。
「…………ん」
死にかけから舞い戻ってきた男性が身動ぎをした。
システィアさん手作りの魔術具はすごいなあと球体を覗くと、金の模様の端が黒くなっていた。使用制限はありそうなので、アーサのためにとっておかなければなと、首にかけ直した。
「大丈夫ですか?」
弱くなってきていた篝石をもう一度叩きつけ、男性の顔に近付けて置いた。うっすら開いた瞼の先に黒い、いや濃い青の瞳があった。その焦点はゆっくりさ迷い、最後にリアに合う。よく見れば、男性の髪も同じ色だ。
「あ」
リアは思わず後ずさった。
まずい、この人は。
「君は……」
男性は起き上がり、自身の怪我の状態を確認してリアを見つめた。
フードの中を覗き込もうとする視線から逃げるように、リアは立ち上がる。足の裏が痛い。男性の重症と思われる部分は治癒されているので、もう一人で放っておいても問題ないだろう。
「待って」
篝石をかっさらうように掴むと、方向も分からないまま走り出そうとして、
「びゃっ」
転んだ。
「…………大丈夫?」
突っ伏したリアの肩に手が触れた。回復直後だというのにこの男、素早い。
何に躓いたかと篝石をかざしてみると、そこには淡い色の、多足モンスター。光の届く範囲に、限りなく、死骸が落ちていた。
「ひとまずこの辺りにはいないようだが、まだ出るかもしれない。良ければ、一緒に出口を目指そう」
そう手を差し出したのは、要注意人物、自称冒険者の騎士だった。
*****
「ええと、何か気に障ることしたかな?」
「…………」
治癒の礼を言われ、名乗られている間、リアは終始無言で俯いていた。ついでに起き上がる時も手を借りなかったし、近付かないように一定の距離を保っている。
トリムの話すな、目を合わすな、近付くなの言を守っているのだが、されたほうは感じ悪い。当然の質問であるよなとは思う。
この騎士、ジルといい、自分は冒険者だと名乗った。銅ランクらしく、昔とった杵柄で、商人の下働きをしていたが生活が厳しくなったので冒険者に返り咲いたという。
騎士、なんだよね?
逃げ損ねたリアは、薬と包帯を取り出し、ずくずくと痛む足の裏の応急処置だけでもしておこうと胡座をかいた。やりづらい、そしてなかなかひどい見た目になっている。
「治癒術は使わないの?」
「…………」
このぐらいの傷で使うなんてもったいないことはしない。アーサを治したら、後はいざという時のためにとっておきたい。そんなに何回も死にそうになりたくはないけれど、念のためである。
それに、この騎士の前で自分のものではない治癒をするわけにはいかない。
「もしかして、使えない?」
図星を突かれて手が止まってしまった。まさかもう魔術師でないことを見抜いたのか。さすが騎士、こわい。
ジルは答えないリアに何故かもう一度「そうか、ありがとう」と言って距離を詰めると、一瞬の隙に薬類をさらっていった。
「自分でするのはつらいでしょ? 足のばしてくれるかな」
「…………」
追及してこないところを見ると、魔力切れの意味で使えないと聞いたのか。どちらにせよあまり引きずりたい話題ではないので、盗られてしまった傷薬を睨みながら、リアはしぶしぶ足を差し出した。
ジルは自分の荷物から水袋を出すとリアの足の裏を水で流し、薬を塗っていく。馴れた手つきだが、遠慮がない。
「っ」
「しみると思うけど、少しだけ我慢してね」
痛みが刺すが、足首を掴まれ逃れられない。
よく考えてみれば今までは治癒術を使える人が近くにいたのであまり手番のなかった薬類だ。恵まれていたよなあと思う。
ジルは視線を下に向けたまま口を開く。
「君はリアちゃん、だよね? 勇者さんの恋人の」
「違う!」
名前が知られていることもだが、後半部分に驚いて思わず否定の言葉を発してしまった。
それにジルは目をぱちくりさせて、リアが口をきいたことににこりと笑った。胡散くさい笑顔だ。
リアは歯噛みして唸ると、目を逸らしたまま言葉を続ける。
「違います、アーサは仲間です。どうして私の名前を知ってるんですか」
簡潔に言い、最低限のことは確認しておかなければと問う。
薬を塗り終えたジルは拳大の布のようなものを二枚取り出し、リアの足裏に貼り付けた。じんわりと温かくなった気がする。その上から包帯をくるくると巻いていく。
「名前はナノンちゃんに聞いたんだ……勇者さんのこ…仲間だというのは今回のクエスト受けた人は全員知っていると思うよ。それに、優秀な魔術師というのも。地下のもだけど、ボスの間の結界、解いたのはリアちゃんなんだよね?」
「…………」
正しい認識のされ具合に黙るしかなかった。肯定しても否定しても何かしらの墓穴を掘りそうだった。
これは自分だけのせいではないはずだ。結構トリムもやっちゃってたと思うが、そういえば彼はもうトゥレーリオ冒険者に会うつもりはないと言っていた。この状況は想定外だよなあと、リアは溜め息をついた。
話をかえよう。気になっていることがある。
「……皆さんは、無事なんですか」
「おそらくね。ムカデを数匹もらしたけど、人数があるんだ、彼らもどうにかできるよ。ナノンちゃんが最後まで残ろうとしていた、勇者さんと、君のことが心配だからと」
「そうですか」
一応は大丈夫そうで良かった。ナノンには最後あんな扱いをしてしまったのにいい子でリアの良心が痛む。
きっとみんなちゃんと逃げれてるはずだよね……みんな?
「あなたは、何故ここに?」
何故この騎士の人は、ひとりこんな地下にいるのか。
包帯を巻き終えたジルは苦笑しつつ答える。
「好奇心に抗えなかったというのが本音だね。愚かなことをしたと思う」
なるほど、未開拓の先に興味があったということか。気持ちは理解できるが、それで死にそうになってちゃ確かに馬鹿だと、自分を棚上げにしてくすりと笑う。
処置を終えた足は傷薬のおかげか、ジルの貼ってくれた布のおかげか、痛みが幾分か和らいでいた。包帯の巻き方も自分でするより遥かに綺麗だ。さらに、最初から靴のないリアのために自身のローブの端を破って靴の代わりにしてくれた。ありがたい。
ただ、終わったのに、ジルは足を離してくれない。
「だが、結果的に間違いではなかった。対価は痛いものだったけど、こうして直接話すことができたからね。あの結界が跡形もなく消えていたのはリアちゃんが解除したからだろう? 君は今まで誰もなし得なかったことをしたんだ。その魔術のこと、力のこと、聞きたいと思っていた」
ん?
「……なんで」
「興味があるからだよ。リアちゃんのこと、教えてくれるかな?」
優しく手当てをされて、甘い笑顔を向けられる。そこらのお嬢さんならコロッといきかねないが、リアの目には腹黒いものが見えた気がした。先入観のせいだろうか。
悪い人ではなさそうだけど……ダメだよね。
「…………ありがとうございました」
足は掴まれたままだったが、無理矢理立ち上がろうとすると、ジルは簡単に手放してくれた。裏があるのか、本当に好奇心からなのか、読み取れない笑顔のままだ。
下手なことは喋らない、それが一番である。だがいい人オーラがあふれ出ているので、早くトリム達と合流しなければ、ぽろっとこぼしてしまいそうだ。
リアは怪我の足に体重はかけないように立ちつつ、篝石を高く掲げて周囲を見回した。
くっ、ムカデ以外何も見えん。
「ちょっと借りるね」
そういってジルは篝石を奪うと、しばらく眺め、何か唱えたと思えば篝石が強く輝き始めた。突然の強い光源に目を細め、驚いた面持ちでジルを見上げた。
「何したんですか」
「うん、反響の路を狭めただけだよ。寿命は短くなってしまうけど」
……分からん。
「へえ、すごいですね」
リアは明るくなった地下を確かめる。光は強いものだったが、壁の端が見えないとは相当広大な空間だ。もしかしたら中ボス部屋の地下とも繋がっているのかもしれない。
「あ」
暗闇で見えなかったが、意外とすぐそばにボスの核と氷剣が落ちていた。ひょこひょこと歩きながら氷剣を回収、そして落下時に一度は捨ててしまった核を持ち上げる。落下地点に小型ムカデがいたようでぺしゃんこになっていた。
「それ…………え、リアちゃんが……? あ、だから……か」
背後で驚愕の声が聞こえて振り返ると、声のまんま驚愕の表情のジルが何か納得したようなことを言っていた。
見ればこれは核だというのが分かるし、この巨大さの持ち主は考えれば分かることだから、リアはあえて何も言わない。
「……それは、どうするの?」
ジルが今までの穏やかな顔から表情を固くして聞いてきたので、リアも真剣な表情で答える。
「そりゃ、売ります……………………あっ、いや、も、もちろん、分け前はちゃんとしますよ? ええ、ギルドにね、ちゃんと持っていきますよ、はい。皆さんと、ちゃんと報酬は分けますから、安心してください」
しまった、一応攻略は合同パーティで来ているから分けないといけないのか。でもギルドに持っていくと私の取り分がゼロになってしまう。というかギルドに私たち行かない……今ならこの騎士さんだけ……他に目撃者はいない。
リアがそんな不穏な思考に跳びそうになったところで、ジルが突然吹き出した。隠しているつもりなのか俯いているが肩が震えているので丸分かりである。リアの慌てようが面白かったのか失礼だなと頬を膨らました。
「ご、ごめん……変なこと聞いたね。うん、攻略報酬は巨額だからね、それにあやかれるなんて幸いなことだよ」
笑いながらそんなことを言われても馬鹿にされている気しかしない。
リアはジルをひと睨みし、ふんと顔を逸らして上を見上げた。
やっと接触させれました。




