36.やっちゃいました
まだ膜が張ったような音しか聞こえないけれど、多分、自分は汚い悲鳴をあげたんだと思う。
勢いで飛び出してしまったから、距離感を誤ってしまったのだ。まさかちょうど真上に落ちるとは。
茶色の胴部を踏もうとする直前に、いやに柔らかいものを足の裏に感じた。見えないそれにずらされて、リアはボスの脚と脚の間に滑り落ちる。
予期せぬ体重移動に着地を失敗し、尻で止まった。固い地面はとても痛かった。
心の準備なく害虫に触れてしまいそうになった恐怖と、えたいの知れない結界を身をもって感じてしまったことに、心臓がばくばくしている。
ちなみに結界の抵抗感を表現するなら、アーサの言葉通り確かにぽよぽよしていた。
リアが間近に来たというのに、ボスは自殺継続中である。
メキメキと音を立てているであろう部分は見ないようにしながら、床が落ちる前に確認した核がある位置の近くまで移動する。頭部でも真ん中辺りでもなく、核は尾に近い部分に潜んでいたようだ。
横から這い上ってどうにか核まで辿り着かなければならない。
尾の先には二本の針があり、うっすら毛が生えていてそれにまた鳥肌が立った。嫌悪感を抑え、氷剣を降り下ろした。
剣先はするりと滑り、その意図しない動きに分かっていても驚いた。氷剣に蓄えられた魔力がパチパチと弾けながら広がり、消えていく。
磁石の同極を向き合わせて押さえ付ける滑り様に似ている。氷剣に勢いをつけると反発は強く、逆にゆっくりしてみてもそれほど変わらなかった。
やはり、素手か。
ボスを左手で掴もうと手を伸ばす。予想通り手のひらは滑ることはなく、見えない結界の奥へと突き進んでいく。
う、気持ち悪い。
僅かなピリピリした刺激とぬるま湯に浸かっているような熱。腕を動かそうにも、もったりとした抵抗感が邪魔をする。
今度は、氷剣は握ったまま右手でぐーを作って結界の中に侵入させた。
ボスの体の表面に到達すると、両手で剣の柄を握り、高めの位置に刃を突き刺した。
予想外に柄元まで容易く入った氷剣は、瞬時に氷の膜を広げていく。
次にリアは、氷剣に体重をかけて裸足の方の片足をボスの体躯にかけて登ろうとする。
だが、さすがに刺されて無視できなくなったのか、ボスは暴れ始めた。
どうせ死ぬつもりなら大人しくしていてほしいものである。
脚が激しく動き、縦に半分になった頭部を持ち上げ、リアを見た。目が合った気がする。
ボスはぐにゃりと身を反らせ、死に際と思えない素早さで頭部を振るう。片顎肢が鎌となってリアに襲いかかった。
リアは氷剣を横に滑らせるように引き抜くと、目の前に迫った片顎肢を受け止めようとした。
捕食時は(食べようとしてたかは別として)結界を解くと聞いていたのでそれは有効な手だと思ったのだが、物理的な重量とスピードとは関係なく、リアの身を軽々と吹き飛ばす。
「――ゃあ!?」
衝撃に意識が飛びかけたが、地面を転がる痛みにそれを取り戻す。
重い痛みを堪えすぐに起き上がると、あの一瞬でも氷剣は役割を果たしてくれていて、ボスの体はリアに襲いかかった姿のまま頭部を凍らせていた。
よし! と拳を握ったが、胴部と多足が動きを激しくしたのを見て慌てて駆け戻る。早くとどめをささなければならない。
まるで核まで辿り着きやすくしてくれたように、Y字状に体を曲げて固まっている。
リアは意を決して二またに開いたボスの真ん中に飛び込んだ。
手のひらを前にかざしていたからなのか、とぷんと何かに全身が包まれた。肌を撫でる抵抗感は複雑な流れで渦巻いていて、全身に熱を持つのが分かる。水の中にいるように服が重い。
方向性が定まらない氷剣を両手で抑え、赤黒い球体に剣先を叩き込んだ。
一瞬、目の前が強く光り、思わず顔を背けると、すぐに濁流に流されるような衝撃が体の前面を覆う。
また吹っ飛ばされるのかと身を強張らせ、痛みに耐える準備をする。天地の逆転は感じたが、固い白壁にぶつかる感触はない。
恐る恐る目を開けると、半透明な三角形がリアを囲んでいる。正四面体の氷の結界は、トリムの作ってくれたものだろう。最後の最後に守ってくれたようで、千々になったボスの身と衝撃がリアを襲うことはなかった。
遅れて、上空から黒い球体がリアの眼前に落下した。
それは割れることも、跳ね返ることもなく地面にめり込む。人の頭部ほどの大きさの核は、僅かに赤みを残していた。
気づけば床の下降も止まっている、ということは。
「終わった……?」
いまいち実感が湧かないが、倒したということでいいんだろうか。自信がない。
正四面体の氷は頂点からボロッと崩れ、リアの体や地面に触れる前に粒子になって消えていく。
視界が良好になったところで振り返ると、膝立ちのアーサが兜を外したトリムを抱えて見下ろしていた。
まだ苦しそうで顔の傷は残ったままだが、破れた服の先の胸部からは先程見えたえげつない怪我が消えていた。きっとトリムが命にかかわる傷だけでも治癒してくれたんだろう。
ほっと、表情を崩そうとしたところでそれに気付く。
兜に遮られていない緋色の瞳は、冷えた視線でリアを射抜いていた。
その眼光の鋭さに冷や汗がじわりと滲む。
「どういうつもりだ」
わぁー、はっきり聞こえる。非常に機嫌が悪そうなお声で。
完全に持ち直した聴力を恨めし気に思いながら、リアは散らばったボスを一瞥し、トリムに向き直る。
いつの間にか静かなフロア内は、小型ムカデたちもどうにかしたのか、ボスと同様に弾け飛んだのか。リアのいる位置からは見えないが、アーサも全く注意を払っていない様子なので大丈夫なのだろう。
今はそれよりも、青筋を立ててらっしゃる生首様に弁明をしなければならない。
「すいません……でも、私しか動けなかったし、できるかなって思ったんです」
結果的に上手くいったから情状酌量の余地はあるはずだ。
リアは両手をもじもじさせて、トリムを見上げる。気まずさがあるので表情は小悪党が長いものに巻かれようとするそれに似ている。
トリムは長い溜息を吐いた。
「そうではない。勝手な行動は慎めと言ったが……まだ、お前が動いた理由は理解できる。……俺が聞きたいのは、何故俺を置いて、ひとりで飛び出した?」
……トリムさんをアーサに押し付けた理由、か。
リアは自分の足元を見た。ブーツを脱いだせいで片足が裸足である。
止める行為を振り切った理由は、止められると思ったからで、無謀だとは分かっていたが、自分しか動けず、時間もなかったので後悔はしていない。
ひとりで飛び出した理由は――――最悪のことも頭の片隅にあったから。
もし全くの見当違いだった場合、最悪、自分だけの犠牲で済むと思った。でも、試さないという選択肢はあの時の自分にはなかった。それに巻き込みたくなかったんだろうなと、今思えばそういうことだった。
あとは、――負けたくなかった?………いやいやいやいや何によ。
あまり直視したくない感情に気づきかけて、振り払う。
「……片手が塞がるから」
なんとなく言いたくなかったので、咄嗟に浮かんだ言い訳を舌に乗せた。
「俺はお前の片手以下か」
「あ、いや、そういうわけでは」
やば、言い訳間違えた。
だが、責めるような視線は僅かに色を変え、トリムは目を伏せた。
「話をせねばならんようだな。……まずは上がってこい」
「は、はいい」
下がった床によりできた壁に、小さい氷がぽつぽつと生み出された。いつもの階段ではない、ボルダリングのような小さな出っ張りだけだ。
怒っているからってこんな嫌がらせ、と頬を膨らましかけ、ふと気付いた。
「もしかして、結構きつかったりします?」
「…………早く上がれ」
「はい」
眉間の皺が深くなったので、そのようだった。魔力を使いすぎたということだろう。
トリムは態度に出さないし、ミリオリアで使用した魔術は到底普通のレベルじゃないので、リアとしてはどの程度がきついラインに入るのか分からない。その中でアーサの治癒をしてくれたので、結構ギリギリだったのかなと考えながら、出っ張りに手を伸ばし、かすった。
こんな近距離なのに距離感を間違えたのだろうかと思ったが、すぐに違うことに気付く。
ボスの間だけだろうか、ミリオリア全体だろうか、地震のようにダンジョン自体が揺れ動いていた。そして、一度は止まった床が変動し始める。元の位置へと、上へと。
「ぉわ、なに」
「崩壊が始まる。おそらく瘴気が霧散する前に元の形に戻ろうとしているのだろう」
「え、やばくないですか! いいいい急がないと!」
「崩壊といってもそうすぐ崩れるものではない。核から断たれて徐々に朽ち始めるだけだ。若いダンジョンだが、消え去るまで数年はかかるさ」
「あ、そういうもんなんですか。良かった。みんなちゃんと逃げたかなぁ」
「それどういぅ……っ」
軽く流したリアに対して、アーサは興味を持ったらしい。胸の傷はとりあえず治癒してもらっていたが顔はまだそのままなので口を開いて傷が痛かったんだろう。トリムは「後でな」と言っていた。
床が上がってくれるおかげでクライミングは回避できた。せっかく作ってくれたが、体力温存のために大人しく上がりきるまで待つことにする。
それはそうと。
リアは足元にめり込んでいる核のそばにしゃがみこみ、両手で取り出すことに取り組み始めた。
「リア……」
抑止するほどではない呆れた声がかかる。無視する。
攻略報酬は諦めても、売れば金になるのだ、きっと。何も言われず買ってもらえるかは考えたくないけれど、この際正規のギルドではなく裏の業界の人なんかでもいい。
倒したのは間違いないのだから、正当な報酬であるはずだ。
めり込み具合が半端なくて、氷剣を抜いてガリガリと地面を削る。使われ方が不満なのか氷が邪魔をする。
しばらく削るとリアが刺した剣の穴が見えたので、そこに引っ掻けるようにして取り出すことかできた。
「ふふふ」
一仕事終えた達成感。それはボスを倒した時よりも。
いい笑顔で獲物を見せると、トリムはいつものことだが、アーサまでもなんとも言えない微妙な表情で見つめていたので少し傷ついた。
そろっと笑顔を引き結ぶ。
核を片手に抱き、氷剣を戻すと、リアは逃げるように彼らから離れた。
トリム達から反対側、ボスの間の最奥、つまり黒い染みがある方へと近付いて行く。
「ちょろちょろ動くな」
「はいはい」
おそらく、目的のもの。トリムの心臓が入っているもの。
見上げた四角い染みは、黒扉と同じ材質のようだが模様などはなくつるつるしている。トリムが入っていたのは宝箱の形状で、青黒い宝石――魔石がついていたが、これはどうやって開けるのか。そもそも中に入っていると考えていいのだろうか。
床の上昇はもうすぐ終わる。リアは届く範囲にきた黒い部分を指先で撫でてみた。
「?」
何か変な感じがする。
それは、僅かに押し返される感覚。
なるほどこれも結界なのかと、リアは手のひらで黒い染みを思いっきり押してみた。その勢いのまま、手の抵抗を失ったリアは前のめりになる。
「は」
目の前の黒い染みが消失したことを理解できないまま、体が落ちた。背後で自分を呼ぶ声を聞きながら、またやってしまったななんて思った。




