34.決戦!を遠くから眺めます
「う、うぁ、気持ち悪」
リアは二の腕をさすりながら、薄目を開けて視界を細めた。気持ちの問題であまり意味はない。
ムカデというものは、どうしてこうも人の忌避感を最大限に引き出せる外見をしているのだろうか。
ミリオリアのボスは、その巨体に見合わぬ滑らかな動きで全身を伸ばし、頭部を持ち上げた。並列の脚をうごうごと交互に蠢かして、金属が軋むような耳障りな音を広い空間に響かせる。
ボスは二人(三人)の侵入者に向けて、一対の鎌のような顎肢を開き、赤黒い口内を見せた。発声器官を持たないその動作は、威嚇か、あるいは食事に対する挨拶か。
アーサは、下に向けていた剣先を軽く浮かし、短く振る動作をする。それだけで、銀の剣は光源のように自らを発光させた。
ボスの威嚇に歩みを止めることなく、アーサは地を蹴り走る。
急速に縮まる距離に、先に手を出したのはボスの方だった。アーサに向けて口から何かを吐き出す。それを軽いステップで避けると、地面にべちゃっと広がったものは茶色い粘液だった。
粘液を全く見ることもなく、アーサは跳躍する。虫特有のどこを見ているのか分からない虚ろな瞳に、強い光が映った。
ボスは長大な体を持っているが、一太刀で最も効果のありそうなところ、つまりアーサは単純に頭を切り落とそうとしていた。
アーサの戦いに無駄はない。リアのように迷いは持たず弱点と思われるところは容赦なく突く。
「あ」
だが、光を纏った剣身は、ボスの体に触れる直前で、ずれた。
表面を撫でるように滑っていく切っ先は、その勢いに止まることができず最後にはフロアの天井に向いた。
格好の隙を見逃すほどボスは甘くも遅くもなく、鋭い顎肢を大きく開き、アーサの身を砕こうと挟みにかかる。
そこに、空中で避けることもできないアーサを追い越して、勢いよく氷の礫がボスの顎に命中した。頭部が僅かに後退したおかげで顎肢は空を切り、アーサはその顎を蹴り飛び退く。
ほぼ同時、アーサの届かなかった光の初撃はフロアの壁と天井にぶつかり、浅い刻みを残した。長剣は再び銀色へと戻っていた。
「なっ、だっ」
あっという間の攻防にリアは反応することができないでいた。
地面に背中から激突しそうな姿に、心臓がきゅっと握られる。そんなリアの焦りをよそに、アーサはくるんと体を回転させ難なく着地した。
「ありがとー!」
遠くでアーサが片手を上げてお礼を叫んでいる。食われそうになっていたわりに全く気にしていない軽さに気が抜ける。
すでに持ち直していたボスは、再び茶色い粘液を吐いた。見えていないはずのアーサだったが、横に跳んでそれを避ける。
次にボスは頭部を地面に下ろし向きを変えると、異様な素早さで壁を登っていった。天井と一部壁に張り付いたまま、口から粘液を吐いてべちゃべちゃと地面を汚していく。
当たらないよう避け続けたアーサは、リア達の近くまで後退させられていた。
自身から離れたアーサを見てやっとボスは吐くのをやめ、その高いところから動かぬまま長い胴部を下から波打たせた。準備運動でもしているのか分からないが、その様子はより嫌悪感を際立たせる。
「うぇ……なに」
「近付けなくなっちゃった。リア、あれ踏んじゃだめだよ」
「問題ない」
トリムは拳大の氷を生み出し、ボスの下辺りの地面へと次々撃っていく。
真っ白なミリオリアの内部を茶色く汚した吐瀉物へと被弾し、色を奪っていった。
その結果薄茶色の凸凹になった地面は、人に踏まれ時間が経った街路に落ちたガムに似ている。
「あの粘液で捕らえるのだろうが、大した脅威ではない」
「わー、助かる、ありがとう」
どうやら粘液は敵を足留めさせる粘着性を持っているようだ。蜘蛛の糸に近いものだがどうにも見た目汚ないので、問題ないと言われてもできれば踏みたくない。
「固い表皮に、物理も魔術も滑らせる奇妙な結界に身を包んでいるな。常に脈打ち、解除も無意味だが、補食の際に口元だけ消えるようだ。そこを狙うか」
「そうそう、さっきのと似ててもちもちして……違うかな、ぽよぽよしてて、刃が通らないんだ」
「その差は何なんですか……えと、じゃあ、私は何をすれば」
「何もするな」
「離れててくれるかな」
二人の言葉がきれいに重なり聞きづらかった。なんとなく聞こえた気もしたが、思い込みで反応してはいけないと思い、聞き返す。
「……何しろって?」
「自分の身だけ守れ」
「何もしなくていいよ?」
リアは無言でクロスボウに火石の矢をセットした。
「リア」
「いざという時のためです」
困ったように笑うアーサは、ふと何かに気付き、ボスへと向き直る。見たところ変化はなさそうだが、長剣に再び光を纏わせた。
「……何もするなよ」
トリムが念を押すように言う。
「はいはい、大人しくしてますよ」
ぶすくれた表情のリアは、ボスを睨み付ける。クロスボウは自己防衛の為に準備しているだけだ。
二人して、役立たずは大人しくしておけと言っている。
役目を与えられれば全うするつもりだったが、何もしないことがリアの現状の立ち位置。ほんのちょっとのサポートでさえも、二人の邪魔でしかない。
事実、そうである。事実であるから非常に不服でも、そうするしかない。
地下での雑魚モンスターに囲まれた時のように、さすがにボス戦において我を通すわけにはいかない。
だからリアは黙った。
これ以上トリムの足手まといになりたくなかったから。
アーサという心強い仲間を得て、自分はもう要らないと言われたくなかったから。
突然、ボスは波打っていた体を止めた。そして自身の重量など無視した素早い動きで、天井を伝い、リア達に迫ってくる。
アーサはチラッと一度、振り返ってリアを見た。その視線はトリムのように念押しの香りがする。
けれど何も言わず、アーサはボスの真下へと駆けて行った。踏み固められたガムのような地面を踏み、通り過ぎて入口の反対へと走る。
無視されたボスは、アーサを追って引き返した。
ボスはリアから離されたのだ。弱者が間違っても戦いの余波を受けないように。
フロアの真ん中辺りで、アーサは振り返ると同時に光の斬撃を放った。追いかけて来ていたボスの胴部を両断するように直撃、しかし斬撃は二つに別れ、先程と同じよう天井に傷跡を残すだけだった。左右の壁を抉られたボスの体自体には傷ひとつ付いていない。
逆さまの状態でボスは頭部を天井から離し、アーサ目がけて何かを続けて吐いた。
横に飛び退きながら逃げるアーサの後には、真っ白な粘液が転々と追いかける。ミリオリアの内壁とほぼ同色の真っ白な粘液だ。
「え、さっきのと別?」
「新鮮なだけで同じだ……見づらいな」
誰も来訪者がいなかったからか、さっきまでのは溜め込んでいた粘液が痛んでいたものらしい。
トリムは氷の弾をいくつも撃ち、アーサの足場の確保に努めているが、同色のせいかやりずらそうである。
天井でうごうごしていた時に大量生産していたらしく、パッと見は分からない粘着性地面の範囲があちこちに広がり、その上を氷が覆っていくいたちごっこが繰り広げられていた。
そしてついにアーサはホイホイされる。
粘液を踏んだことに気付いたアーサは片足を持ち上げようとするが、その粘着力は靴裏を白い糸で繋げて離さない。
動けない獲物を確実なものにしようと、ボスは粘液を二回続けて吐いた。アーサがいた場所には、白い小さな塊ができあがっていた。
捕食のために天井から壁を伝って降りてきたボスは、白い塊の前で頭部を持ち上げる。毒々しい色合いの顎肢を大きく開き、止まった。いや、顎を固められたのだった。
凍った粘液をぶち抜いて、光は虚ろな頭部を真っ二つに割った。
口内から侵入したとてつもない熱量に、ボスは体をのたうち回らせ、激しく苦しんだ。二つに別れた頭部をぐらぐらと揺らしながら、両側の歩脚を激しく動かして後ずさる。そして後ろ向きのまま壁を伝い、天井へと逃げていく。
「ちょ、ちょっとひやっとしました」
捕食時を狙うと言っていたので大丈夫だとは思っていたが、打ち合わせも何もしていない流れであまりにも自然に捕らえられていたものだから肝を冷やすのも仕方がない。見ていて心臓に悪い戦い方だ。
アーサは自分の前の凍った粘液を剣で崩し、トリムに見えるように指を下に向けた。そこへ氷弾が撃たれ、ブーツごと凍った片足を無理矢理剥がしていた。
天井で痛みに苦しんでいる様子のボスは、意外としぶとく動きが衰えない。頭部に核はなかったようだ。
アーサは試しに光の斬撃を放っていたが、ぽよぽよの結界は健在らしく、未だ頭部以上の傷をつけることができない。
そして突然、ボスは異様な動きをとり始める。
八の字状だった体躯をぴんと直線状に伸ばしたのだ。
リアが首を傾げて見ていると、脚をぐぐっと動かし何やら強く踏ん張っているようである。
「なん……ひぇ」
やがて、ボスはその身を、自身で引き裂き始めた。
アーサに別けられた頭部からぶちぶちと、自分の身を容易く縦に割いていく。まるで、元々切れ目でも入っていたように。
見るに堪えない気持ち悪さに思わずリアは顔を背けた。
「へ?」
背けたはずの視界にまだボスが映っていたことが疑問だった。だが答えが出る前に、尻に衝撃。
「ほぁぅ!?」
地面が浮き、がくんと下がった。大きな縦揺れ。
何度か似たものを感じたが、これは今までで最も大きな変動だろうと予測できる。ボスに大打撃を加えたせいなのか、規則正しかったミリオリアは初めて、ダンジョンとして主のために動き出した。




