33.とぼけるのも限界です
半透明の壁といっても厚さはかなりあるようで、向こう側の様子はぼやけて見えない。氷の壁のすぐそばで尻もちをついていたナノンが立ち上がったことだけは分かったので、向こうからは離れているリア達のことなど全く把握できないだろう。
「さて」
「さて、じゃない! なんてことするんですか!」
「騒がしいな……あれらとはこれ以上共にいる必要性を感じない。またいちいち説明だの何だのに手間をかけるつもりはないし、排除するにも面倒だからな、手っ取り早く断絶したまでだ」
「お、横暴ー!」
「壁に刻んでから繋げるんだ、おもしろいね」
楽しそうに感想を述べるアーサをジト目で睨む。
「おもしろくないですし、どうするんですか! トゥレーリオに戻った時、何て説明したらいいんですか!?」
ちょっと離れていてとお願いして早々、こんな物理的な壁を作っては心の壁も同時に建設しているようなものだ。心証はかなり悪い。
納得できる相当な理由がない限り、トゥレーリオ冒険者達の今生まれたであろう不信感は拭えないだろう。そんな理由、リアでは思いつけない。
「必要ない」
つむじに責める視線を送っていたリアは「は?」と首を傾げた。
「必要ないこたないでしょう。そりゃ長居はしないでしょうが、だからって責められないとは思いません。冷たい視線に耐えるのは私なんですよ!」
「責められんさ。おそらく二度と会うことはない」
「…………は?」
ミリオリアではダンジョン内が動くまでの制限時間があるだろうから、リア達が戻らずともトゥレーリオ冒険者達は我が街へと帰ってしまうだろう。こちらの用件がすぐに終わるとも知れないし、勝手に単独行動を起こしたリア達が置いてきぼりになっても文句は言えない。
そうなるとミリオリアで会うことはもうないのかもしれない。
だがダンジョン内で責められずとも、トゥレーリオに戻れば五十人近くいた冒険者達が生活しているのである。完全に避けることなど不可能でどこかで絶対出会い、目立つ勇者付きのフード女はさすがに覚えられているはずだ。
それなのにトリムのこの断言。
それは、二度と会わないと言い切れる手段をとるということ。つまり、
「街には、戻らない……?」
「ああ」
即答。にべもなく答えたトリムに肩透かしを食らう。
「え……いや、それは、無謀では……今後についてとか決めてなくない?」
「策はある。どうやらあまり時間もないようだからな、トゥレーリオに戻らねばならぬ理由もない」
まあ、トリムさんが考えていないわけがないか。なら、絶対に戻らないといけないわけでも――
「ん!? ちょ、ちょっと待って、ここのボスは? トリムさんの心臓この先にあるんですよね? てことはボスと戦うてことですよね? ……まさかボス放置?」
必要なものだけかっさらって、逃げ帰るという新たな選択肢。
「邪魔をするならば排除するまでだ」
違った。戦う気満々だ。
「そりゃ邪魔するでしょうよ。それでもしボスを倒せたらどうするんですか……? 倒したら……核をギルドに持ってかなきゃ…………え」
リアは既視感を覚える。似たようなことが以前にもあり、結果は容易に想像できる。
持っていかなければ証明できない。報告しなければ報酬は貰えない。逆に言えば、報酬が要らなければ報告もトゥレーリオに戻る必要もない。トリムの言ったとおりになる。
「今さらギルドに行くとでも?」
一瞬の間。
「アーサ! アーサもギルド報告は必要だと思いますよね!?」
このままではまずいと思ったリアは咄嗟にアーサに詰め寄った。胸倉掴む勢いに、アーサがたじろぐ。
「う、うん、そうだね、結果報告は大切だよね」
「ほら! やっぱり戻らないと! 言い訳はみんなで考えましょ!?」
自分一人では勝機のない舌戦も、仲間を得たならば勝利が見えてくるというものだ。リアは多数決の暴力で押し返す幻影を見た。
「ほう、勇者も金や名誉が欲しいか。それらを求めるのならばそれで構わんが、俺の目的にはそぐわない。どちらか一方を選ぶといい」
「え……えっと、トリムさんの言うことに反対してまで欲しいものではないかな。報告は大切だけど、必要ないならいいんじゃない?」
拮抗した多数決原理は、あっさり傾く諸刃の剣であった。
「もっと主体性持って!」
立ちどころに勝敗は決した。
ゆるいお坊ちゃんがリアのように金にがつがつするはずもなく、敗因はアーサではなくそれに縋ったリア自身である。
しかしだ、以前トゥレーリオのギルドにて、アーサが代わりにクエストを受けることで納得させられたリアとしては含むところがあるのは当然。この現状ではどうすることもできないと分かっていても恨み言を言わずにはおれなかった。
「……トリムさん分かってて言ったんでしょ。詐欺師め!!」
「さあ、何のことだ。騒ぐのもいい加減にして、さっさと解除に移るぞ。シューツェルの盾を壊せる者はあの中にはいないと思うが、早いに越したことはない」
唸るリアの肩をぽんぽんと叩いて宥めていたアーサが、トリムの言葉に反応する。
「シューツェルの盾っていうんだ? それはオリジナルなの?」
「……違う」
「そっか、じゃあ」
「後にしろ」
「……分かった。じゃあ急がなくちゃね。リア、おいで」
リアには何のことか分からないが、期待に輝く笑顔で呼びかけるアーサに、リアっは歯噛みしながら近寄って行く。
再び黒扉の前に来たリアの前に、急こう配の氷の階段がパキパキと作られた。
ぶすっとした表情のままそれを登ると、魔石が手に届く高さまできた。目と鼻の先で、手を上げれば簡単に触れられる位置にある。分断されたおかげでとっても手っ取り早かった。
トンッという足音と共に背後に気配が生まれた。首だけ振り返るとアーサの笑顔が返ってきたので、一瞬驚いた。
「僕のことは気にしないで」
そう言って好奇心のこもった視線を魔石に移す。近くで見たいらしい。
この存在感を気にしないことなどできないが、あえて無視する。裏切り者め。
「……ですって」
「早く触れろ」
促すようにトリムに言うと、当初の通り丸投げされた。
ナノンとのやりとりは聞いていたはずで、触ることができないという話ではないのだろうか。
「結局私なんすか……大丈夫? 触ったら手が爆発したりとかしない?」
「リアは魔術が使えないだろう。加えられる力がなければ反発しようがない。大丈夫だ」
「はあ」
リアは恐る恐る右手を青黒く輝く魔石に伸ばした。
触れる直前、今まで何度か感じた押し返されるような感触がする。扉と同じくガラスが間に挟まっているような、しかし弾力があるような、不思議な触り心地だ。
「へぇ」
後頭部からアーサの感心する声がする。
今までのものよりいくらか押し返す力が強い。ぐぐっと右手に力を入れてみても反発が強くて、何かが変わっているような気もしない。右手に熱がこもってきているのは力を入れているせいなのか、無意識下に右手に秘められた力が解放されているのかが分からない。
やっぱり違うんじゃないのかと思った瞬間、それは突然変化を起こした。
リアの指が魔石に触れたのだ。
それは、結界が力を失ったことを意味し、体現するように魔石はどす黒く変色する。同時に扉の紋様も色を失った。
長く冒険者達を退けてきていた鉄壁の結界は、明らかに、リアが魔石に触れたことで消えてしまった。
…………まじかよ。
「……本当に、それだけなのだな。結界が融解するなど、馬鹿げている……が、信じるしかあるまい」
「触ったら崩れたね。それだけ?」
「結界だけに作用するのか? ……随分と都合の良い。何をしたかの自覚はあるか……リア? おい、リア」
「……うぅー……」
リアは頭を抱えて呻いた。崩れ落ちそうな体勢をアーサが支えてくれた。
「リアー? 大丈夫?」
「せ……精神的ダメージが。何したってただちょっと押しただけですよ……何もしてないし、やだなぁ、ワケわからん特殊能力じゃなくて、せめて普通に魔術とかであれば、いやそれも無理なんですけど……もしや私これ重要施設に泥棒入り放題じゃないっすか、あはは盗賊に返り咲こうかしら……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、アーサの手を逃れて階段を後ろ向きで降りていく。
どう見ても自分が触れたせいで異様な結果が引き起こされたことが、予想以上にショックであった。どこかしらで、まぐれが重なったなどと思い込んでいたかったからだ。
トリムと出会った時の黒扉が開けられたのも、システィアに死んでいる状態だと言われたのも、トリムの氷の壁を壊したのも、全て自分の体がどこか異常であることが原因だとはっきり自覚してしまった。
認めたくないなぁ。
例えば、常識だと思っていたものが非常識だったとか。
例えば、自覚症状ないまま風邪と診断された時とか。
そういう地味に受け入れ難い感情が渦巻き、気持ちが沈んでいく。
アーサも飛び降りたところで、氷の階段は粒子になって消えた。
「何だ、どこか体が悪いのか」
「……いいえ、健康体なんですよ私は。どこも悪いところなんてないはずの、いたって普通の人間なんです。普通なんです」
リアは自分に言い聞かせるように答えた。
「そんな曖昧なものに拘らなくてもいいだろうに。普通だという証明に何の意味もない……が、気にするのならば、まあ今は無理だが、いずれ調べてやる。特異な部分が明確になれば安心するだろう?」
特異って。
「…………うん」
「怒ったり落ち込んだり忙しないやつだな」
「別に、落ち込んでないです」
その強がりに、トリムは溜め息ともいえない吐息だけもらした。
「ならばその煮え切らない態度をやめろ。有効な手段なのだから今後も活用させてもらうぞ」
「はいはぁーい」
リアのヤル気のない返事が終わらぬ内に、凍てついた疾風が横を通り抜けた。
ふわと浮いた毛先が落ちる。
あまりにも適当な態度だったから怒らせたのかと一瞬ひやっとしたが、すぐに違うことに気付く。
二人のやりとりを苦笑して眺めていたアーサが、ふと表情を消して音もなく剣を抜いたからだ。
リアを追い越し黒扉に向かったのを見て、いよいよボス戦に臨むのかと心の準備をした。
アーサは歩みを緩めることなく近付き、剣を持っていない方の手で軽く扉に触れる。すーっと紋様に添うように切れ目が入り、黒扉の一部分は簡単に向こう側に落ちた。
ちょうど人ひとり分が通れそうなスペースに、アーサは何の躊躇いもなく足を踏み入れた。
「あれ、いよいよだ的なのはナシ?」
「リアも入れ」
「……様式美は無視する方向なんですね」
トリムの放った疾風によって生み出された入口は、滑らかな切断面を晒す。それをチラ見しつつ、前人未踏だったはずのその場にあっさり入ってしまった。
冒険者でもあるリアだが、ついに初めて(まともに)ダンジョンボスへと対峙するのに、あまりにも軽すぎて感慨も何もあったもんじゃない。
「おぉ」
ボスの間は広く、長い空間だった。
それなりに広かった中ボス部屋を、ひたすら直列に繋げたような長方形のフロアは、反対側までが遠く、目的のものがあるのかどうかはっきりしない。走っていけば、たどり着くまでにリアの息は切れそうである。
だが、反対側に行く前に無視できないモノが在る。
当然ながらこのボスの間の主、どころかこのダンジョンそのものの主。
それはちょうどフロアの真ん中にいた。
朱色と黒が混ざった、見上げるほど大きな光沢ある塊。凸凹した円錐状にとぐろを巻いていたそれは、眠っていたのだろうか、その身を、その長い身の頭部だけを起こしてリアを見た。
自らの危険性を主張してくるその毒々しい色合い。人の身ほどある橙色の触角を左右でバラバラに動かし、同じような左右に沢山生えている多足を蠢かす。黒光りする胴体は多くの節に別れており、ぐねぐねととぐろをほどいていった。
その様子に、リアの全身を鳥肌が襲う。
ダンジョンの主。否、ダンジョンの害虫である。
端的に言えば、それは巨大なムカデであった。
画像検索ってなかなか危険ですね。ボスの参考にと思ったんですが直視できず。
あと今さら感半端ないですが、一章最後にひっそりと登場人物紹介追加しました。何日か前に。




