29.舞台裏レポです
浮遊感を感じてわりとすぐ、穴の暗闇が濃くなったかと思えば足下に向けて青い光が駆け抜けて行った。トリムが何か魔術を使ったのだろう。
光は地面にぶつかり、広く粉々に弾けた。
中々の深さにひやりと焦りを感じたのも束の間、紫色の大きな影が映し出される。今まさに穴を登っている途中の舞台俳優と目があった、気がした。
「ちょぉ!?」
「踏め」
簡潔に、選択肢のない指示が飛ぶ。
大蜘蛛は自分達のテリトリーの侵入者に即座に対応し大口を開けた。口の中は真っ黒で剣山のような棘がたくさん生えている。
だがリアの足がその剣山の餌食になる前に、トリムの氷魔術によって塞がれた。頭部が丸々氷に包まれ、リアの一時着地地点となる。
屈伸を利用し落下の勢いを殺したが、着地場は耐えきれなかったようで、大蜘蛛の脚は白壁をガガッと僅かに削っただけで支えを失ってしまう。
リアの足に踏まれたまま宙へと、仲良く落ちていく。
「ちょ、脚! 暴れっ、危ない!」
大蜘蛛は頭部の凍結にもがき、また、壁に掴まり直そうと空中で脚をじたばたさせている。乗っかったままのリアにも振り回される脚の被害が及び、不安定な落下途中で身をよじらせてなんとか避けた。
「!?」
そして、急激に体が重くなり膝をついた。
水がぶちまけられるにしては低い音が大きく響く。
トリムの魔術で薄明かるかったはずの景色が一瞬にして真っ黒になる。光が消えたのかと思ったが、黒い何かがリアの視界を埋めただけであった。
「……っへぁ?」
気付けば、リアの足下には地面があった。
黒い何かは千々になった塊で、すぐに重力に従ってボトボトと落ちた。
薄明かりに、リアは自分のまわりに広がったそれを見る。
下にいたはずのモンスターがどこにもいない。正確に言うなら、跡形もない。紫の毛がふわりと流れ行く。
「これは……」
「それなりの緩衝材だな」
そう使われた大蜘蛛の、悲惨な末路にしてこの感想。
「……可哀想な大蜘蛛」
「目障りなだけのものも、多少は役に立つこともある」
リアの体が受けるべき衝撃を全て肩代わりしてくれた不幸なモンスターは、確かにモンスターとしても存在していたのに残念な評価である。
「それにしても、想像以上に深かったですね」
リアは立ちあがり、頭上を見上げた。
飛び込んだ穴からほんの小さな明かりが差し込んでいる。
ちょっと降りてみろとトリムが軽く言うものだから、ちょっとだけ飛び降りるつもりで穴に入ったのは、さすがに考えなしだった。まあ考えたところで結果は変わらなかった気もする。
穴の壁に張り付く大蜘蛛に上書きされたが、実は結構ひやっとしていた。
リアの落ちた空間は、高さはリアの身長二つ分くらいだが広さがとんでもない場所であり、トリムの光魔術が届かない先は暗闇しかない。壁際は遥か向こうだろう。
そしてリアが落ちてきたような穴がたくさん上に延びている。そこがモンスターの出入り口になっているようだった。
「舞台裏は分かりましたけど穴が開く仕組みが謎です」
「このダンジョンが動く仕組みと同じだ。内部を構成する一つ一つのブロックに魔導陣が組み込まれ、それが同じ導線上を動き続けているだけの単純なもの。この上の部屋のブロックはそれより幾分か緻密で導線も枝分かれしているようだが、基本的なものは変わらん」
リアのなんとなしの呟きに、トリムは丁寧な回答をくれた。一コマずつ動く向きが決まってしまったスライドパズルのようなものと想像する。
「分かるような分からないような……」
「期待はしていない」
何に期待していないというのだろう。
「……それって私が理解できるかということについてです?」
「わずかでも可能性は否定できないからな」
「くっ……それでも解説してくれるあたりとっても優しいですね! てかこんな仕組みについても魔術師って知ってるものなんですか。私のような一般人には想像の及ばない世界です」
「知らずとも視れば大体のことは分かる……が、さすがにあの先は視えん。筐体があることは間違いないようだが」
なんだかすごい発言が聞こえた気がしたがスルーする。見たら分かるって何だ自慢か。
そんなことより“あの先”についてが重要だ。
「えーっと、そのきょーたいって心臓ってことですよね? やっぱり、私もそう思いました。あの扉、トリムさんがいたとこのと同じでしたもん」
「筐体は俺の体が入っている箱のことだ。…………そういえば、お前はどうやって筐体を……いや、扉を開けたんだ?」
ふと気付いたようにトリムは問う。その声音は本当に不思議そうだった。このミリオリアの仕組みについてご高説を垂れていたトリムが、まるで分からないというふうに。
リアはそれにとても優越感を感じた。
あの黒扉に彫られていた結界陣は非常に複雑で、非常に解除が難しいものなのだろう。ゼスティーヴァにあった扉は少し小さかったから比較すればまだ簡単なのかもしれないが、結界陣は結構似たもののようである。
このミリオリアの攻略者がいない理由になるほどの(似た)ものを、魔術を使えない自分が解いて(こじ開けて)しまったのだ。自慢げにもなるというものだ。
なのでリアは腰に片手をあて自信満々に答える。
「創意工夫を凝らした物理です」
「……意味が分からん。まあいい、後で見せてみろ。まずはここを一掃してからだ。そうすればしばらくは煩わされることもない」
トリムから矢継ぎ早に繰り出されるはずの質問を見越してドヤったら空ぶってしまった。サラッと流されて少し恥ずかしい気持ちを拭い去るようにリアは自分の武器を叩いた。
「おし、頑張りましょう!」
「魔術が施された短剣は持っているな? 出せ」
「え、ああ地味に邪魔だったこれですね」
サライドで言われるがままに購入したお高めの短剣であり魔剣である。普通の短剣も持っているので、今のところ全く出番のないまま帯剣ベルトにぶら下がっている。
さらには自分の魔力を剣に送るといった行為ができないリアにとって、何の効能も発揮できないただの短剣である。予備くらいにしか考えていなかった。
腰の後ろから抜き出し、トリムの前に刃を掲げた。
片刃の刀身は、短剣にしては長く、薄く、薄っすらと模様が見える。白銀のシンプルな柄と鞘にも同様の模様が刻み込まれ、これらが何かしらの魔術を発現させるのだろう。お高いだけあってとても綺麗だ。
綺麗だったのに。
ささやかな高音を響かせて、柄元から折れた。
「ああ!?」
いや、これは折られたのだ。粒子を纏わせたまま、刀身は地面にポトリと落ちた。
「た……高かったのに……」
「刃は不要だ。そのまま動かすなよ」
「刃のない剣に存在意味はあるのでしょうか」
トリムが小さく唱えると、煙と言うには幻想的過ぎる白い光がふわりと舞った。トリムを中心に生まれたそれらは近くの光同士で集まり、何度か見た細かな粒へと成長する。かと思えば、一瞬にしてリアの掲げる魔剣の柄元に集結し、折られる前の状態へと形を成した。足元に落ちている刃と寸分違わぬ形状であるが、唯一材質のみが異なっていた。鋼ではないそれは、魔力の塊である。
リアの手に握られていたのは、透き通る刃を持つ、氷の剣。
「これは……いつぞやの」
ゼスティーヴァの中ボス、リア呼称グロイムの時に大活躍したそれであった。
「……使えば使うほど小さくなる使用制限制の氷の剣ですね」
「制限があったのは、あれが、サーライトの剣を己以外に使用できるようした試作品で、効果を優先した限定的なものだからだ。触れたものを全て凍らすような使い勝手の悪さは調整してある。柄に固着させたから俺の傍にいれば小さくなることもない。そのための魔剣だ」
「よく分かりませんがあれがずっと使えるというわけですね、やったあ素晴らしい武器です」
現金ではあるが、それで有能な武器を否定する理由にはならない。使えるものは遠慮せず使う。
そしてふと、リアは多くの気配を感じた。
タイミングを見計らったように、というよりは氷剣・改の作成過程で発生した魔力のうねりが周囲のモンスターを呼び寄せたようだった。
大蜘蛛だけでなく、スコーピオンの影もうっすら映し出されている。大集結だ。
「ひ、ひえぇ」
さすがにこれだけの数に囲まれると恐ろしさが勝つ。リアは早鐘を打つ胸を一度押さえ、氷剣を構え直した。
「さあ、始めるか」
トリムの言葉を皮切りにモンスター達が間際まで迫ってくる。
リアは自身を中心として、鋭い輝きを放つ平らな輪が生まれたことに気付く。
音もなく静かに回る輪は八分割に別れ、さらにそれが半分ずつに何度も別れていく。幾度となく分割された元はひとつながりの輪は、最終的には指ほどの細さで輪の状態を保っていた。
リアを囲む輪はゆっくりとぐるぐる回っている。氷剣を構えたままその様子を見ていたリアだったが、動いていいのか分からず切先でその輪にちょいと触れてみた。
触れた先から、細くなった輪は青白く強く光り、その輝きは全体へと連動した。
刹那、細かく分かれた各々の輪は放射状に同時に消えていく。それはまるで矢を放ったようだった。




