25.つめたくあたたかな前夜です
人の声と体を小刻みに揺すられる感覚にふっと目が覚めた。
「起きた? もうすぐ着くよ」
寝ぼけた頭で辺りを見回すと、薄暗い中に焚火がぽつぽつとあった。その微かな灯りに照らされて、白亜の巨大な建造物がうっすらと存在を示している。
ついに、到着のようだった。ただ、ついに、と言えるほど記憶がない。
リアは口元のよだれを拭った。
「……ごめんなさい、いつの間にか寝てしまっていたようです」
デザートスコーピオンの一件の後、再出発したリアは再酔いを起こしていた。メルに貰った葉っぱは一枚だけだったので逃れる術もなく、そんな時にアーサから体を預けていいよと提案を受ける。
最初は気恥ずかしかったものの、試しにしてみると随分楽になり、そのまま深い眠りへと落ちた。
「いいよ。トリムさんからリアの色んな話を聞けて楽しかったから」
「えー、もう、何話したんですかぁ」
コンコンと拳骨で兜をノックしてみたが、返事がない。黙った時は、良くない時だ。
「ちょっと! 何話したんですか! ねえ!」
「うるさい」
「ひどい!」
「リア、あんまりトリムさんを困らせたらダメだよ?」
今まで弟み溢れていたアーサに、優しく諭される状況に戸惑う。困らせられることはあっても困らせたことはない、いやどっこいどっこいだ。悩ませたことは多いかもしれない。
結局何も口を割ってくれなかったので、今度トリムのいない時にアーサに告げ口をすることで諦めた。それなりに酷い扱いを受けているので話は長くなりそうだ。
焚火に近付くと、男ばかり二十人程が待ち構えていた。ラクダ班を加えて五十人近く、中々の大所帯で臨むようだ。
多ければ多いほどいいとは思うが、これほど普段から不遇な扱いを受けている者が多いとも言える。
リアは砂漠に静かに佇むダンジョン、ミリオリアを見上げる。
アーチ状の柱に囲まれた白い宮殿は、人や植物を模した彫刻が僅かな明かり火に照らされ、神聖な雰囲気を醸し出していた。
高さはそれほどなく三階建ての冒険者ギルドほど。薄暗いので全貌ははっきりしないが、広さが桁違いなのは分かる。奥行きが見えない。
こんな芸術的な建造物、どう考えても自然にできたものではない。誰かが何らかの意図をもって作ったとしか思えない。
ふと以前のトリムの言葉を思い出した。ダンジョンはモンスターのハイブリッド種とか言っていた。
瘴気を吐き出し、人を食らい、モンスターを生み出す。例えでもあるような表現だったが、あながち間違いではないのだろう。
見境なく人を襲うモンスターに思考があるようには思えない。よほど野生動物の方が考える頭を持っている気がする。
いや――
ゼスティーヴァで見たボスモンスターも人を襲っていたが、あれは思考力があった。となると芸術を理解するボスがダンジョンを作った可能性もある。自分の快適な住まいを作り、忍び込む冒険者に備えてモンスターを作る。私達は泥棒である。
そこまで考えて、虚しくなった。これからダンジョンに臨むというのに、意味のないことを考えている。
どうせなら、芸術好きな神様が娯楽のために作ってみた、とかでいい。ゼスティーヴァも冒険者でない者が見れば観光のメインになるほど綺麗だったのだし。
「交代で見張りをして休んだら、明日朝一番にミリオリアに入るんだって。疲れてるなら僕がずっと起きているけど」
くだらない妄想に自分でふふっと笑ったら、アーサに呼びかけられて慌てて表情を作る。一人で笑い出したらいよいよ危ない人だ。
「いやあ、下手したら一晩分くらい寝たのでむしろ私がずっと起きているべきでは」
「一晩くらい寝なくても僕は全然大丈夫だよ?」
そうだ。この人、十日間飲まず食わず立ちっぱなしで平気な体力馬鹿だった。
体力は人並み以下のリアとバランスをとって、当初のとおり交代で見張りをすることに決まった。
砂漠の夜は寒い。
吹きすさぶ風にフードを目深に被り、ボタンを一番上まで留める。焚火の近くで暖をとりながら周囲に目を凝らし、たまに現れるモンスターに備える。
やはり同じトゥレーリオの冒険者達なので気の置けない仲のようである。談笑する声があちこちからする。
今は見張りのターンなのだから真面目にしてほしいものだ。ぼっちだからって悲しくなんてない。
「お、同じ見張りだったんだね。ちょうどあんたに聞きたいことあるんだ」
昼に聞いた声で話しかけられたので見ると、よ、と片手を上げて近付く女性がいた。ターバンは巻いたままで、隣に来ると水色の瞳が、焚火の灯りに浮かび上がって綺麗だった。
「メルさん。私もですよ。何故私のことを吹聴するような真似をしたんですか」
ジト目で責めると、メルは片手を顔の前に縦に立てて小さく肩を竦めた。
「やーごめんごめん。けど言ったのはナノンだけだよ? ナノンとは付き合い長くてさ、あの堅い子が一目惚れして次の瞬間には告白してたもんだからどうしても応援したかったんだ」
「? 応援することと私の個人情報に何の関係が?」
リアが首を傾けると、メルは瞬きを繰り返した。
「うっそ、あんた分かってないの? ライバルとして相手の情報掴むのは当然のことだろ。というか、あれほど見せつけといて、ほんとに恋人じゃないんだよね? 略奪愛はナノンにはハードル高そうなんだ」
今度はリアが瞬きを繰り返す。
そして、恥ずかしい二人乗りのことを思い出し、そういう風に見られていたと気付いた。馴れない感覚に、顔に熱がこもる。
「み、みせつけてなんて……不可抗力ですし……あの笑顔はそう簡単に拒めない顔面破壊力を持ってるんですよ……」
言い訳がましく視線を逸らしてもこもごする。
その態度に疑わしそうな目を強めたメルに気付き、はっきり否定せねばと、きりっと向き直った。
「確かに、誤解を招く行動ではありました。ですが、彼と私は仲間であってそれ以上でも以下でもないです。なのでナノンさんにはそう伝えてください」
「ほんと? あんた自身は好きじゃないの?」
「好きですよ、優しくて強くて素直すぎるところはありますが良い人だと思います。でも仲間以上の関係にはなり得ませんので安心してください」
下手に誤魔化すよりは、とありのままの感情を告げた。ちゃんと信じてもらえれば、今後無粋に関係を疑われることもないと思ったからだ。
そのリアの真摯な口調に、メルはふーんと一考し、にやりと笑った。
「はぁ~ん、別に好きな人がいんだね?」
「っ」
息が詰まって、言葉が紡げなかった。
察しが良すぎる。
リアの想い出を優しく抉る問いに、咄嗟に誤魔化すこともふざけてやり過ごすこともできない。メルの気軽な態度に気を抜いていた。
リアは自分がどんな表情をしているのか不安になり、下を向いた。
「…………ええ……もう、いませんが」
そう小さく呟くのがやっとだった。
「~~ああ、もう! ごめん! 悪かった! そういうことなんだね!」
突然叫んで謝ったメルに驚いて顔を上げた。
メルは後頭部をかきながら、ばつが悪そうに目を逸らす。リアの視線に気付くと、じっと瞳を見つめて、兜を一度だけ見て、真面目な表情で口を開く。
「ずけずけと悪かったよ、ナノンにはさっきのだけ伝えておくから。……リア、あんたけっこう難儀な子なんだね。なんか、困ったことあったら言いな? ここではそれなりに顔は広いからさ。……だからーそんな泣きそうな声すんなよー」
「…………べつに、泣きそうになんて、なってませんし」
「わぁーるかったってぇ、よしよし、ほらこれあげる。帰りに使いな?」
「……ありがとう……ございます」
酔い止めの葉っぱが入った小袋を渡され、ぐりぐりと雑に頭を回される。駄々をこねる子供をあやすような対応だが、今のちょっとだけ不意を突かれたリアにとっては救いでもあった。
手をリアの頭に置いたまま、指だけでてしてしと軽く叩きながら「そうそう」とメルは話を替える。
「あんた結構強い人だったんだね。なったばかりって言うからさ、ほんとーの新人かと思ったわ。たまにハンターから冒険者に鞍替えする人もいるから、リアはそっちの人ってことなのね」
「……信じてくれるんですね」
「ああ、昼間の? まあ疑ってもしょうがないしさ、強いに越したことないから。私が危ない時はナノンの時みたく助けてな?」
あの時のメルの神妙な表情は疑っていたものではなかったようだ。さっぱりとした彼女の言い分に、表裏も何も感じ取れず、リアも相好を崩した。
「一考の余地はあります」
「そこは考える前に助けようよ! ま、そうは言ってもミリオリアだ。気を張りすぎるのも疲れるってもんだ。……あ、攻略すんだったけな」
「やる気のない言い方ですね」
適当に付け加えたメルの言葉に笑いながら指摘すると、メルは腕を組んで胸を張った。
「いやいや、あたいだってやるときゃやるんだからね? 明日、長ーい銅歴に終止符を打つのさ」
「はい。よろしくお願いします、銅先輩」
「嬉しくない呼び名だなあ。なんだ、仕返しか」
指でぐりぐりとリアの頭頂部を押す。
明るくなる景色と共に感情は持ち直し、静かな夜は終わりを告げていく。
砂漠の先に人影が見えたのは、ミリオリアに入る直前のことだった。




