5.恨みは復讐で晴らす予定です
ひび割れた壁の隙間や枝分かれする通路で水量もだいぶ減り、謎の球体に包まれたままのリアは自身の下に半球程の窪みを作って水の上に乗っているような状態だった。
「私なんだかトラウマ克服できた気がしますよ。今なら泳げるはずです」
「そうか」
「あ、やっと私の声聞こえるようになりました? 水の音うるさかったですもんね」
「水の音だけか?」
騒ぎ立てる頭上をひたすら黙殺し、やっと口を開いたトリムにリアは勘違いを披露する。疑問符を浮かべるリアは、あれで相当テンパっていたので騒いだ内容なんて覚えていなかった。
水流に混ざっていたモンスターもいつの間にか姿が見えなくなっていた。もう少しで流れに乗れなくなる程の水かさになるだろうと予測できる。
「今何階層くらいですかね。結構もう下の方なんじゃないですかね」
「まだ半ば程だろう」
「ま、まじですか。え、相当降りてきましたけど、もしかして私最上層まであと一歩だったりしたんです? トリムさんいたの何階ですか?」
「確か……八十階層と言っていたな」
「言って? ……え待って、それって、もしかしてですけど、上ってった方が早かったんじゃ……トリムさん強いし、ボスなんてちょちょちょいだったり」
「知らんが、そう変わらんだろう。ゴーレムの強さからみるとたいしたことはなさそうだが」
「えぇ!?」
ついには流されるほどの水量ではなくなり、リアは通路の真ん中で止まる。無言で立ち上がると、リアを包んでいた球体はぱちんと割れた。
リアはトリムの顔を自分の方に向け、口を尖らせる。
「ひどい……なんで言ってくれなかったんですか。ダンジョン攻略できるならそれに越したことないのに……わざと黙ってたんじゃないですか」
不満気に、自分勝手な言い分で非難した。
それに対し、トリムは眉間に皺を刻み目を細め、口を閉ざした。
静寂の間、これはまずいやつだと焦りと後悔がリアの胸中を占めていく。徐々に気温が下がるようにぞくりと背筋に悪寒が走り、やがて低く冷たい声がリアに刺さる。
「…………お前は、何を言っているんだ? 望みは、このダンジョンを逆走すると、引き返すことだと言っただろう。俺はそれを叶えるために、今こうしている。ボスを倒せるか否かなど、俺には関係ないし興味もない。そして契約の前に確認もした、二回もだ。それを今さら非難される覚えはない、違うか?」
「そ……ち、違いません」
攻略への可能性を聞いてつい口を滑らせてしまったことに、トリムは静かに正論で返す。
確かに、リアは一度もボスを倒したい、攻略したいなどと口にしていない。生き延びたいという気持ちから、無意識に選択肢から排除してしまったのはリアの落ち度だ。
容易いことのように言うものだから、それを言ってほしかったと責めたい気持ちも理解してほしい、というのを現在進行形で助けてもらっているトリムに求めるのはお門違いというものだろう。
リアに対する今までの呆れた声音とは違う冷えた物言いに、言い返すことはできず口を噤んだ。言われたことは間違っていない、それがまた居心地の悪さを感じさせた。
「取引内容について、俺はできる限りリアの望みにかなうよう融通を利かせ、配慮もしたつもりだ。だが取引と関係のないお前の望みを何もかも叶えるつもりなどないし、そう思っているのならおこがまし過ぎはしないか? 俺は親切で手助けをしているのではない」
「……おっしゃる通りです」
やっべ、お怒り。
ちょっと逃げることに固執しすぎてうっかりしてたというか、トリムさんがこんなに強い人とは思わなかったというか。生首なめてたというか。
リアは目を泳がせてトリムを正面に抱きなおす。冷たい声のトリムが怖かったので、「ごめんなさい」と小声でリアが謝ると、フンと鼻をならしたものの追従はなかった。
「何を止まっている。さっさと走れ」
「……だって、元々攻略のためにダンジョンに入ったんだし、攻略できればこの塔なくなるし、ボスの首ひっさげて村人に目にモノ見せてやろうと思って頑張ってたんだもん……勇者様死んで、諦めてたけどさ……」
廊下に立たされている心境のリアはぶつぶつと言い訳を独り言ちつつ走る。
パーティのみんなは最後まで村のことを考えてダンジョン攻略を目指していた。
だが、もしかしたら村人が謀ったことを恨んでいたのではないか。勇者一行という面子に囚われ、本心が言えなかっただけなのではないか、と今では知る術のない気持ちに思いを馳せる。
こんなひん曲がった感情は私だけかもしれないけれど。
「何だ、文句があるなら聞こえるように言え」
「いえ……トリムさんにじゃなくて、村人への恨み節なので気にしないでください……」
自嘲気味に静かになるリアに、トリムはふむと思案する。
「何故そうも攻略に固執するのかが分からんな。得られるものなどないだろうに」
挑戦者、全否定!
「少なくとも、富と名声は得られるのでは……」
「ああ、そういうシステムがあるのか。だが所詮その程度。命を賭してまで臨む必要性がどこにある」
「お金は大事ですけど……それだけが目的じゃない人達もいるんです」
「ほう、例えば?」
「…………世のため人のため」
「意味が分からんな。リア以外ひとりとしてここへ辿り着いてさえいないのに、他者のためどころか? 己の力量も知らず、愚かなことだ」
でも誰も攻略に来ないんじゃ、トリムさんずっと封印されたままじゃん。そんなこと言っちゃってていいの?
とつっこみたかったがまた怒られるのも嫌なのでそんなことは言えず、しばらくはリアの吐息だけが通路に響く。モンスターも出現せず、会話もなく、静かなものであった。
静かすぎて息が詰まりそうだった。
気まずい……!
一度機嫌を損ねてしまった生首のことはなるべく考えないように、現実逃避のために壁のひびを目でなぞる作業に没頭する。
ダンジョン内壁を縦横無尽に走るひびは、細い血管が幾多に広がっているように思えて巨大な生き物の体内にいる錯覚に襲われる。
外から見たダンジョンの塔は金色に輝いて人の手では作れない美しさがあった。
だからこそ忌々しい金の亡者たちに利用されているのだが、外観の良さと比べて中の様相は薄汚い。蜘蛛の巣のようなものが張り、赤茶けた苔が生え、所々崩れた内壁だ。
つるつるぴかぴかの外側と違い、ダンジョンと言われたら想像するイメージ通りのダンジョンの姿がそこにあった。
それはなんだか、見せ掛けばかり親切そうに取り繕い、内心はどろどろに汚い金の亡者達のようで、そのギャップに不快感が湧き上がる。
現実逃避を始めると、現実のおかげで逃避し続けてきた感情が、布に包んで見えないようにしていた黒い感情が、滲みだして滴り落ちてくる。
村人達の張り付いた笑顔は一様に同じだった気がして、なんだか気持ちが悪くなる。
彼らは内心で馬鹿にしていたのだろう。偽善を押し付ける攻略者を見て、死にに行く愚か者だと嘲っていたのだろう。そんな汚濁にまみれた内側を隠し持つ者達のために、命を懸けた仲間のなんと惨めなことか。
ああ気持ち悪い。やめやめ。
あんな奴らの顔なんて思い出したくもない。うすら寒い笑顔に騙されていたが、よく見たら意地汚い考えが滲みだした顔をしていただろう。彼らの考えに思いを馳せるだけ無駄。どうせ自己中心的な考えしかないのだから。
自分達のために他人を陥れる下劣な人達なのだから、と。
自分達の利益のために。自分達の豊かな生活のために。
――――私たちの方が、ただの邪魔者だった?
ふと、そんな考えが過る。
豊穣を吸い上げると言っても、それと同等か、もしくはそれ以上の富をこのダンジョンは村々にもたらしている。彼らは生活の為に実利をとっただけなのかもしれない。
モンスターは人類の敵だ。ダンジョンは魔王の手先が住まう場所だ。その共通認識に、国の方針に、誰が逆らえる? 攻略するのはやめてくれと、誰が言える?
困っているはずだという思い込みに、国のため村人のためにと、偽善で乗り込んだ余所者が私だったのだろうか。富や名声が目的であったなら、こんな――――
「…………ぃ」
ああ駄目駄目。どうでもいいんだった。ダンジョンから出たら燃やしてやるんだから。
恨みの裏側で見えない本心に考えを巡らすと、頭がかき回される感覚がする。
脳内アラートが鳴り響いて、思考がシャットダウンされた。
真実を知ったところで何になる。静かすぎるからこんなにも馬鹿馬鹿しい方に考えが行くのだ。
くだらないことを考え続けると坩堝にはまって目的を見失いかねない。
目的、即ち報復だ!
防衛本能で意識を戻し、再び壁を眺める作業に戻る。
見覚えがあるようなでっぱりを通り過ぎ、前あんなとこで一休みしたなと思い出す。
「ほぐぁ」
その既視感に気を取られ、リアは自分の足に躓く。なんとか転ばずには止まれたが、視線は壁から離すことができない。非常に疲れた戦闘の後、休んだ場所だ。
「……驚かせるな。走ることすらままならないのか」
リアはついつい嫌なことばかり考えてしまったせいで、同じような嫌な記憶が呼び起されて嫌な予感が過る。走り続けていたせいなのか、心臓の鼓動が聞こえるくらい脈打ち、荒くなった呼吸が落ち着かない。
「リア? どうした」
「あーっと、いえいえ……ここ見覚えがあってですね。中ボス的なフロアが近くにあった気がするんです。ちと感傷に耽ってました。うねうねして赤黒い……切っても切っても動き続ける厄介なやつでした……懐かしい」
相当苦労して皆で倒したなあ、と討伐後に抱き合って喜んだ思い出に浸り気を静めていく。だが耳に入った一言で固まった。
「ああ、ちょうどこの先にいるな」
「え」
この先にいる? ちょうど? 何が?
リアは現実を見たくなくて、分かり切った問いを繰り返して心を落ち着かせる。
スライムと遭遇した時、トリムはスライムが現れる前にモンスターがいることを把握していたので、索敵系の魔術を常に行使しているのだろう。それは、分かる。だからこの先に何がいるかなど探知できて当然。嘘のはずも、ましてやトリムが冗談を言うはずもない。
緩やかなカーブの通路の先へ進むと、きっと大きなフロアへと続く扉がある。
懐かしいとのたまった自分を殴りつけたい衝動に駆られながら、一握の可能性にかけて足音を殺しつつ記憶通りの道を忍び足で進む。
見えた扉は閉じられているのに、視界に入った時からすでに嫌な臭いが漂い、嫌な音が聞こえ、嫌な予感MAXで確信以外の何ものも持てなかったが、確認はしなければならいと自分を奮い立たせる。震える手で重厚な扉を一ミリだけ開けた。
広いフロアの中央には、もぞもぞと蠢く赤黒い巨大な肉塊、のようなものがあった。
主人公、ちょいちょい怒られます。