16.結局燃えちゃいました
「やだぁ……何なんですか?」
良くない状況などこれっぽっちも聞きたくはないが、トリムがわざわざ言うほどのことなのだから、聞かねばなるまい。
「外が騒がしい」
「……具体的に言うと?」
「結界に阻まれて分からない。だがこの時刻ではあり得ないほど人が多く動き回っている。外で何かあったようだ」
「なら逃げなきゃ、ですね」
こんな場面を見られたならば、殺人犯だと思われかねない。後々違うと判明しても取り調べに時間を食われるのは必至。
最後に大きく深呼吸をして、カウロの死体は見ないように顔を上げた。震えの収まった膝に力を入れ立ち上がり、武器を回収してドアの前にトリムを掲げた。
「お願いします」
「……とりあえず、結界に触れてみろ」
結界の解除を始める様子もなく、何故か煮え切らない態度のトリム。
リアを促すように空気の膜もぱちんと割れた。カウロの傍の燃える球体は封じたようなので、守るための膜は必要なくなったのだろう。
「はい? 私がですか? 触って大丈夫なものなんですか?」
「おそらくはな」
「おそらくって…………あの、もしかして、いや、そんなことないとは思うんですが……何か、試そうとしてません?」
こんな場面でまさかとは思いつつ、今までの行いから嫌な疑いが脳裏をかすめたので、念のためマッドな科学者が顔を見せていないか確認した。
しばらく無言の時間が続き、求めているものではない回答をいただく。
「人体にはそう悪影響はない……はずだ」
「おい」
断言すらしやがらない。
トリムが否定しないということは、肯定しているということだ。こんな状況で一体何を試したいのか。
「俺の結界を破っただろう。リアにそういった特殊な能力があるのなら、この部屋からの脱出は容易なはずだ。試すくらい、いいだろうが」
「そんなのできるわけないでしょ!」
と開き直ったトリムに見せつけるように、右手の平で不満のままにバンッとドアを叩く。同時に手の平全体に静電気が走ったような痛みが走り、咄嗟に離した。
「痛ぁ!? 悪影響ないって嘘じゃん!」
「揺らいだ、か? 短いな。リア、もう少し長く触」
「絶対嫌!」
ビリビリした右手を振りながら即刻拒否する。良くない状況であると自分で言ってるのに何を悠長にしているのだ。
トリムは舌打ちし、何か言い募るかと思えば、それを待っている間には終えたのか、甲高い音が響いた。結界を破った音だ。
「すぐ開けられるんじゃないですか!」
「多少、かかっただろう?」
“多少”の認識相違を盾に悪びれる様子もなく言ってのける。リアの痛がり損である。
言いたいことは山ほどあるものの、ここで時間を潰してもしょうがないと耐え、リアはノブに手を伸ばす。
「ぅわちっ」
そしてすぐに離した。
火傷しそうなほど、ドアノブは熱を持っていたのだ。
さっきから可哀想なことになっている右手にふーふーと息を吹きかけていると、やがて室温の上昇を感じた。
異常な暑さと、そして焦げ臭さ。
「これは……」
「燃えているな」
「なんで!?」
「元々切り捨てられる囮だったか」
礼拝堂は石造りだ。明らかな意図と何かしらの手段をもって燃やそうとしなければ、これほどの熱を持つほど燃焼し続けるはずがない。
リアがここに来た事が原因かは定かではないが、そうであるならば。
あのローブの女性が燃やした?
今まで結界に閉じ込められていたので熱からも守られていたが、解除した今、あとは燃えるだけだ。
その間にも部屋の中はどんどん熱に侵されていく。
焦りが募る。
「……トリムさぁん」
「あまり証拠は残したくなかったんだがな」
溜め息と共にドアが吹き飛び、堂内で燃え盛っていた炎が空気を求めてリアの居る部屋へと飛び込んできた。
真っ赤な熱気に思わず目を閉じてしゃがみこむと、次に感じたのはひんやりした冷気。
リアは真夏から真冬の体感の変化についていけず、混乱した頭で様子を窺うと、周囲は真っ暗だった。
「な、な」
「なんだ」
「暗いよお……なんでぇ」
「消しただけだ。それにしても随分と徹底した火魔術だな」
「……魔術? さっきの女の人が?」
「さあな」
暗闇に目が慣れると、鉄格子の嵌められた窓の外にゆらゆらとオレンジ色が見えた。
踵を返したリアは、静かになった堂内に足を踏み入れる。しんとした堂内に声を潜ませると、確かに人の、それも甲高い声が多く聞こえてきた。
それはまるで悲鳴のような。
リアは先ほど案内された堂内を速足で遡り、両開きの扉の前に来て手を掛けた。
外の混乱が僅かな隙間から漏れだしている。
アンティーク調な縦のノブを掴み、後ろに倒れるように体重をかけて扉を引き開いた。
「うっ」
炎が襲ってくることはなかったが、長時間触れているだけで全身が爛れそうな熱気が逃げ道を見つけたように入り込んできた。さすがに空気までは防げないコートなので、息を吸うと肺が焼けてしまいそうだと扉に身を隠す。
と、思うとすぐに呼吸が楽になる。
リアは、再び自分が守られていることに気づいた。トリムの結界である。
「はぁ……ふぅ……どうもです」
扉の隙間から外の様子を覗く。
聞こえてくるのは、重く弾く燃え盛る音と、やはり悲鳴だった。
「………………」
炎の草原の先には人影が見え隠れする。
強風に、熱風に、靡く炎はすでに色々なものを飲み込んでいた。
燃えるはずのない石畳も、いつも通りの住まいも、密かに生きていたであろう花壇も、逃げ遅れた小さな影も。
「…………なんで」
先程の妄想が現実になっている。リアの思考と現実には何の繋がりもないことは分かっているが、後ろめたさが顔を見せる。
加えて、きっかけはリアがここに来たことだろう。
火事の原因なんてどれも元々は小さく、勝手に大きくなっていくが、そもそもその火種がなければ起きるはずもない。
その火種を自分が起こしてしまったことに、多少なりとも罪悪感を感じるのは仕方がないのだ。
「でも……あんなの、いつかは誰かにばれちゃうと思うんですよ」
「突然何だ。……まさかとは思うが、これの原因がお前にあるとでも考えているのか?」
「ちょっとだけ、責任感じちゃうなあって」
「何故他人の行為の責任を感じる。馬鹿馬鹿しい」
私もそうは思うんだけどね。
思うんだけど、どうにかできそうな手段があると、ついすがっちゃうんですよ。
「……トリムさんの魔術、私の動きに合わせてくれるんですよね? さっき、少し遅れちゃったから、練習したいなあ。あの、氷の針を降らせるやつとか使ってみたいなあ」
「馬鹿か」
「練習ですよ?」
「……馬鹿か」
リアは、炎の中で唯一静かな礼拝堂を見上げた。
教会の敷地内で最も高い位置は、礼拝堂の尖った屋根の先に伸びるオブジェがあるところだ。火に照らされた地獄のような状況でも、微笑みを崩さない女神がいる。
やっぱり人々に救いを与えるのは神様ってことかなあ。
リアは礼拝堂の壁に手を付き、ぱしぱしと叩く。
数秒の間があったが、無事氷の板、即席階段が取り付けられた。
トリムは例え無視しても、リアがいつまでもこの場に留まり続けていれば、結局はより面倒なことになると分かっているのだろう。何も言わず階段を作ってくれた。
ただ、無理強いしていることに申し訳ない気持ちはあるので、階段を地味に上りづらくするのはやめてほしい。遠くて跳ばないと届かない。
結構な高さがあるので何度も跳び、息を切らせて屋根の上に辿り着いた。ぜえぜえしてるけど、文句は言わないぞ。
屋根は瓦造りなので、気を付けていれば滑り落ちることはない。円柱状の尖った部分に飛び移り、女神様にこんばんはする。
女神の隣に足場を作ってもらって、教会全体を見渡した。
柵に断絶された内側だけが炎に包まれている。炎には波があり、その間から抜け出せた者が柵の手前で外に手を伸ばしていた。
門が開かないのか、街の住人が柵を登る手助けになりそうな椅子等を持ってきて投げ入れている。
魔術師もいたのか、風や水を生み出し退けようとしていたり、住人が自宅から持ってきた水を柵の中の人に浴びせていたりした。
リアは思い出しながら右手を空に伸ばす。
「サー……」
あの時は、何と言ったけか。
「サーヅァカ」
以心伝心ですね。ありがとうございます。
「サーヅァカ」
頭上に広範囲な薄氷が形成される。見上げたそれはきっちり教会の敷地内に収まり、トリムの神経質な性格が表れているなと思った。
透き通った薄氷の先には夜の闇が柔らかく映し出されている。下から反射する炎のオレンジ色が空に変化を与え、見飽きない景色があった。
「レイ」
軽く手を降り下ろすと、薄氷に青い光が駆け巡る。それは流れ星のように綺麗だった。
氷の針は、音もなく静かに落ちていく。
一つ一つが極小の魔力の塊は、霧雨のように降り続け、確実に炎を覆い鎮火する。
炎の草原はやがて雪原へと、今度は冷たく染め上げていった。
逃げ惑っていた者も、熱に苦しみ悶えていた者も、柵を登りきった者も、誰一人として動ける者はいない。
教会の中は、リア以外全てが凍りつき、氷像へと軒を連ねた。
「降らせ過ぎでは……」
消すだけで良かったんだけど。
「何か言ったか」
「いいえ」
その内動けるようになるだろうと、リアは踵を返し、即座にこの場を去る動きを始める。ヒットアンドアウェイだ。
何人かには目撃されているだろうが、火は消え、未だ朝陽は顔を見せない。この暗さでは個人の判別はつかないはずで、今逃げてしまえばリアがここにいたことなど、誰にも知られることはない。多分。
礼拝堂の屋根を走り、降りる箇所を探していると、空中に氷の円盤が生み出された。
なるほどまた遠くへ飛べということですね。
ダンジョンの高さに比べれば大体のものは大したことない。だが、やはり前より遠慮がない距離になっている。地味な嫌がらせはやめてほしい。
落ちたら洒落にならないので全神経を集中して跳んだ。
その視界の端に片腕を上げている人を確認。腕はこちらを向いていたが、自分を指しているとは思わない。気のせいである。
「あれ!」と叫んでいる声が耳に入った。声の主は遠くに何か見つけたんだろう。リアが居る方角というのもたまたまである。
少し目撃されたところで、リア個人の判別などできない。きっと!
「……馬鹿め」
ばかばか言い過ぎ!
高度は下がらず、跳び続けて息が切れそうだ。
悪い妄想が現実になると罪悪感ありますよね。




