15.せめて死は安らかでありたいです
グロ注意です!
良かった点をまとめておこう。
まずは、情報の出所が判明したことだ。
リアひとりで行動していた際に、大金所持者であるということが掴まれたのでトリム関連の情報漏えいはなさそうである。
街中をこれまたひとりでウロウロしひとりで安宿に帰って行ったもんだから、そりゃいいカモと表現されるのも頷ける。だってこんな大金持ったことないんだもの!
次に、どうやらカウロの単独犯であること。
カウロを衛士だとか、名前を勝手に使われたギルド長だとかに突き出せばこの問題は終結する。
教会全部がグルだったならば、正直すごく面倒そうだったし、色々と事後対応に時間がとられる可能性があった。明日の出発を妨げる要因になるのならば、このまま見て見ぬふりをすることも考えていた。リアは正義の味方でも何でもないので、もやもやを引きずるだけで、さっさと去ればいい話だったからだ。
悪かった点をまとめておこう。
自分が気を付けていれば、そもそもこんな事態に陥ることなどなかった事実が判明。
それも良かった点を全て塗り潰す勢いで。
以上。
「……あなたに頼み、あなたを動かしたのは、ギルド長ではないのですか?」
カウロの声に、現実へと引き戻される。
知りたいことは得たので、もう目の前のハゲに用はない。気絶でもさせて、いや重そうなので、脅して連れて行くのがいいだろう。
「あんな失礼な人、頼まれたって動いてやりませんよ。私は自分が狙われた原因を突き止めに来たんです。泥棒さんらも無事生きてる……はずですので、あなたも一緒に行きましょうか?」
短剣を抜き、リアはカウロと同時に立ち上がった。
同時、だった。
カウロは刃物を突き付けられて怯えて立ち上がったのではない。何故なら顔には余裕たっぷりの笑みを浮かべていたからだ。
リアが眉を潜めカウロを見ていると、彼は自分から語りだした。
「いやはや、お馬鹿さんなんですねあなたは。後ろ盾が何もないことを自分で明かすとは、吹き出しちゃいそうでしたよ。あなたと彼らとついでに情報を売った彼女をやっつければ、それで事足りるんですから。ギルドに刺客を差し向ける必要すらないのは、楽ちんですねぇ」
……はあー、そういうこと。
カウロの豹変ぶりに納得がいった。
あのわざとらしすぎる懺悔にイラっときたのは、本当に意図的なものでしかないからだった。殊勝な態度で同情でも誘ってリアの口を滑らせようとしたのか。もう少し演技力磨いてこい大根役者め。
ギルド長の名前を出した時点で、彼らは応戦する気満々だったというわけだ。刺客云々言っていたし、端からリアはただの情報源としか見られていなかった。
普通に考えて馬鹿げているが、それほどのこと、つまり、懺悔室の取引は小遣い稼ぎのちゃちなものではなく、ギルドと敵対しても良いほどの何かをしていた。
サライドに来たばかりのリアには想像もできないが、巨悪のお仕事の一端だったのだろう。
リアはそれに巻き込まれただけ。危機管理が杜撰だったのもあるが、不運だ。
「後ろ盾なんてなくても、あなたくらいは倒せちゃいますよ?」
教会ぐるみかもしれないし、下手するとそれより大事の“何か”がある。予想以上の厄介事に、情報元も判明したし、今はカウロのドヤ顔をぶちのめし、この場から去る方を優先すべきだ。
「ええ、ええ、あなたは冒険者なんですものね、強いんでしょう。ですが、その前に死んでしまいます」
切り札があるかのような口振りにカウロを睨み、動きに注視する。カウロが暗器を忍ばせそうな袖に手を突っ込んだので、即座にリアはクロスボウを構え、その右手に向け射出する。「ぐっ」と呻き声を上げたカウロの袖から零れ落ちたのは、手の平大の、血のように赤黒い球体。
宝石のように深い赤を反射する球体は、しかし床に叩きつけられガラスの如く簡単にひび割れた。
だが。
「はははは! やはりお馬鹿さんだ! 自ら墓穴を掘るとは!」
意味の分からないことを口走るカウロに、怪訝な視線を彼と球体とに送る。
その球体のひびからは、煙のような赤いものが漏れ出し、炎のように揺らめき始めた。
「ん?」
ふと、リアは自分の体が丸い球体に包まれていることに気づいた。それはダンジョンで貯水湖に突き落とされた時の空気の膜だった。自分はまだ把握できていないのにトリムは仕事が早い。
リアは慌てて右手をそれっぽくかざしてみた。少し恥ずかしい。
「おやおや君は無詠唱の使い手ですか! これは予想外! なんせ、時間がかかっちゃいますから! ですがそれだけですよ! これは特別製! 結界で防ぐのにも限界があるんですよ! はははは!」
テンション高いなぁ。
燃え始めたあの球体が切り札なのは分かるが、いまいち効能が分からない。毒っぽいということだけ。
そもそも、何故あんなに余裕たっぷりなんだろうか。自分も吸っているのに対策を何もしていないことも疑問だ。
それに毒ガス的なものであっても、この部屋から出てしまえばいい。そう思い、ドアに向かうと再び「はははは!」と煩い高ら笑いをあげる。
「残念ながら、この部屋には結界が張られているんですよ! 中からは出ることはできません!」
「ほんとですか?」
「嘘と思うなら」
「そのようだ」
返事をしかけたカウロと、本来問いかけたトリムの声が重なり、分かり易くカウロが狼狽えだした。
「なっ!? 誰の声ですか!? 通信術具を持っているのですか!?」
そうしておこう。
「開けられます?」
「多少時間はかかるが、できなくはない」
「?」
無視して会話を続けると珍しく歯切れが悪い。何か引っかかることがあるのだろうか。
「まずはその煩いのを片付けろ」
確かに煩いのでもう気絶の方向でいいやと、リアは素早く動き出す。
椅子を飛び越えテーブルを踏み、反応が遅れたカウロの下顎を蹴り上げる。カウロの顔は天井を見上げ、きれいに背中から床に着地、鈍い音を喉の奥から吐き出した。
この動きの素人っぷりであの自信、謎だ。
テーブルから降りて、カウロの側で立ったまま見下す。まだ意識はあるようだ。
呻いていたかと思えば矢が刺さっていない方の手を向けられたので、咄嗟にその腕を蹴り飛ばす。するとリアの後方で何かが弾けた音がした。蹴り飛ばした腕を、しゃがんで膝で押さえ、カウロの首に短剣を押し当てる。
「なにあなた、も魔術師だったんですか。大人しくしてないと切れちゃいますよ」
「……は、ははっ! そんな劣等なものと一緒にしないでください! 私は高尚、な…………っあ?」
この劣勢でも騒ぎ続けるカウロを訝し気に見ていたら、彼は突然両目を見開いた。そして喉に物を詰まらせたように呼吸が途切れ途切れになる。
短剣で切ってしまったかとリアは思わず離し、短剣の刃をちらと見たが血はついていない。
「ば、かな……私、は……王に、選ばれた……使徒…………っぐうぅるるるるるるるるるるぅぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁ」
苦しそうに紡いだ言葉の後、カウロは獣のように喚きながら喉元を掻きむしった。力の限り爪を立てているのか、皮膚が剥げ、血が滲み出す。
「ひぇっ、な、なに?」
その尋常ならざる様子に恐怖が勝ったリアは、短剣を構え、びびりつつ距離を取った。
人のものとは思えない聞くに耐えない声だった。
何か手を施すべきなのだろうかと対応を決めかねていると、カウロの陽に焼けていない白い肌に、ぽつりと黒い染みができた。初めは見間違いかと思うほどに小さく薄いものが、一瞬にして顔や両手のあちこちに生まれ、数と範囲を増やしていく。
「ちょ、だ、大丈夫…………っ!?」
突然、カウロの絶叫はなりを潜める。
叫ぶのを止めたのではない。声が出せなくなったのだ――――発声器官の甚大な損傷によって。
リアの視界は赤に占領された。
喉元から大量に噴き出す血液。
自身で爪を突き立てた部分ではない。
血の噴き出す範囲は広く、下顎からまっすぐ下、胸の中心に向けて一直線に。
ぶちぶちと、じわじわと、ゆっくり裂け。
まるで、見えない何かが体から這い出しているように、人の形が崩れていく。
カウロは全身を仰け反らせ、がくがくと震える。
それは人でなく、獣ですらないような、別の生き物の様だ。
その、人が終わっていく時間は、とても長く感じた。
血液で自分と自分の回りを赤黒く染め、カウロはやがて動かなくなった。
自死を選んだ方が遥かに安らかだと思わせる、激痛と恐怖に悶絶した長い長い苦痛の時間だっただろう。
こんな死に様は、ない。
「っ……はっ……」
その絶望に染まった表情から目が離せずに、リアは背中に固いものを感じた。
知らず、後ずさっていた体が壁に止められたのだ。
「落ち着け」
呼吸が覚束ない。衝撃的な光景に動転しているから。
本当に、そうだろうか。
この苦しさは目の前の死者と同じように、やがて止まるのではないのか。
「……は、あっ……あぁ……」
胸がひどく痛い。心臓が激しく波打っているから。
本当に、そうだろうか。
この痛みは目の前の死者と同じように、何かが這い出す前兆ではないのか。
「は…………っあ?」
次は己の身に降りかかる。
目の前の死者と同じように。
――――息が。
「リア!!」
大声にびくっと体が竦んだ。
「目を閉じて、息を吐くんだ」
トリムの低い声は穏やかで、リアの心の荒波を鎮めるように、意識にするりと入っていった。
瞼をぎゅっと閉じ、視界を真っ黒にする。そうすると、ゆっくりと息を吐くことができ、自然と次の呼吸に繋がった。
力が抜け、壁に背を預けたままずるずると床に座り込んだ。
目を瞑ったまま膝を立て、短剣は手放し両腕でトリムを抱き込む。
深呼吸を意識的に繰り返し、心を落ち着けていく。自分で震えているのが分かる。
「はあ…………なんっ、それは、何なんですか……」
「呪術の類いだろうが……お前は考えなくていい。それが勝手に死んだだけだ」
「でも……その、火で……」
顔を上げずリアが指差した先には、揺らめき続ける球体が落ちている。
「違う」
その言葉と共に、燃える姿のまま球体は瞬時にその身を固めた。ちらと見た芸術的な形状と深い色合いは美しいものだったが、リアは嫌悪感しか感じない。
「この男の呪いとその奇妙な核には関係性はない。それも封じ、リアを脅かすものはここにはない。それだけでいい」
そうトリムは断言する。
その自信は何が根拠なのか。王とか、使徒とか、不穏な単語もあった。まさか、この国の王が、こんな、それとも、別の――
あー、だめだ、考えるのはよそう。
トリムの言葉だけ今は信じていよう。でないと、少し落ち着いてきた気持ちがまたさざめく。
「……はい」
「分かったならば立て。思いの外、良くない状況だ」




