4.真実とは酷なものです
「ところで、まさかひとりでこの階層まで来たわけではあるまい。仲間に置いて行かれたのか」
「…………」
トリムを胸に抱えて階下へ繋がる通路を走る。
その道中でリアは問いかけられ、複雑な表情で考え込んだまま黙った。
「死んだのか」
「直球ですね……まあ、そうなんですけど。私だけ生き残っちゃってこんな感じです」
「この階層まで来れるのならば、そう弱くはないだろうに。リアのような者がひとり残るのが解せんな」
「ん? ちょっと表現がひっかかるんですが……ま、いいっす。私のパーティは強かったんですよ、ただ、村人に嵌められたり、肉を……うん、色々とあってですね、全部村人のせいです……――あの村まじ絶許」
「ほう、詳しく話してみろ」
「聞いてくれますか! もうね! はらわたが煮えくり返りますよ! このダンジョンの攻略者がいない原因ですよ!」
自分のパーティがそれなりに強かったこと、突然装備がゴミ化したこと、モンスターを食べたことだけは伏せてダンジョン内の経緯を伝え、憎しみを込めてトリムに村の陰謀を盛りに盛って話す。
「損耗が激しく耐久度を超えたというわけではないのか」
「そんなわけないです。だって、刃だけが崩れたんですよ」
そう言ってリアは柄だけになった短剣を取り出す。綺麗に刃だけがなくなっている。
使いすぎて刃こぼれしたとか、使用中に折れたとかではないのだ。戦闘後しばらくして、ほぼ同じように村で揃えた武器や防具が、使い物にならなくなった。明らかに異状だった。
「一定の時間か、術者の操作か……あるいは瘴気の濃度か。いずれにせよ残滓がなければ調べもできない。妄言ともとれるが」
「え、信じてくれないんですか」
「証明ができないというだけだ。嘘で利用するにしてもまだ信憑性のある作り話をすればいい。お前は魔術師ではないだろうから、専門外の虚言はリスクが高い」
「はあ、なんかよく分かんないんでどっちでもいいですけど……そんなことより私はあの村に復讐ができればいいです」
仲間が生きていれば別だったが、ひとりとなった今では、魔術のことは分からないしリアは自分の足りない頭では正当性ある主張ができるとも思っていなかったので、証明などこれっぽっちも考えてはいない。
リアが望むのは、公明正大な断罪ではなく、感情的な報復だ。
「……そんなこと、か、確かにな。……俺も随分と、煮え湯を飲まされた……証明など詮無いことか」
トリムの顔は前を向いているので、リアの位置からはどんな表情をしているかが分からない。だがぶつぶつと何事か呟くトリムからは剣呑な雰囲気が醸し出されていた。
もしかしたら、復讐に加担してくれるのでは、とリアは密かに期待。
そうこうしているうちに、勇者と最期に別れた通路まで戻ってきた。
王都の少し前からなのでそれほど長い付き合いではないものの、いい人たちだったので死んだ時はとても悲しかった、と思う。体調不良だったからか、詳細に彼らの死の淵を思い出せないことが今は逆に重苦しくならずに済み、生存への道筋だけに集中できた。
しかしその場へ近づくと、自ずと緊張が走りトリムを抱く腕が強張った。
看取った場所へ着くとボロボロになった見覚えのある服の切れ端が落ちていた。
死体はない。おそらくモンスターのエサになったか苗床になったかで持ち去られたのだろう。
ちゃんと弔ってあげられなくてごめんね勇者様。
せめてとボロ切れを拾い上げ大切にバックに詰める。
罪悪感を振り切るように走るスピードを上げたリアだったが、その気持ちはトリムによって止められる。
「止まれリア。モンスターだ、蹴散らす」
「わぁ頼もしい! 私はどうすれば!?」
「静かにしていろ」
急ブレーキをかけ通路の真ん中で勢いを殺していると、わらわらと蠢くものたちが這いだしてきた。ひび割れた壁の隙間から、天井から、床から姿を現したのは青や緑の半透明の体をもつスライムだ。それらは大小様々に丸くなり、うねうねと近寄ってくる。
動きは遅いが、囚われるとあっという間に呼吸を封じられ、水死ならぬスライム死をしてしまう地味に厄介なモンスターである。火には弱く、燃やすのが一番手っ取り早い。
リアはトリムを片手で支え、もう片方の手をバッグにのばして火石を探る。
「うえーどこにでもいるなあこいつら。地味に火石減るからやなんですよぉ」
「必要ない。雑魚だ」
トリムが言い終わる前にリアの周囲に薄氷色の微細な光が生まれた。それらは瞬時に集結し、いくつかの流線形の結晶となる。身近で突然発生した魔力の奔流にぎょっとしていると、目にもとまらぬ速さでスライムの蠢く通路へ着弾する。パキパキと冷たい音を立て、スライム達はそれだけ見れば鮮やかな氷像と化した。
「お、おぉぉ」
ゴーレムの時は気を失っており倒す瞬間を見ていなかったリアは、トリムがあからさまな魔術を使う場面を見るのは初めてである。
前パーティで何度も見た魔術は、詠唱文を唱え自身の魔力を固定化し、術名を唱え展開するといった流れだったはずだ。
それが、ない、とはいかに。
確かにリアの体を見えない力で拘束した時も詠唱なんてなかったが、あれは本当に魔術だったのかも怪しいと思っていたくらいだ。
「トリムさんまじパネェっすね! 瞬殺! 超しびれた! 私のソウルに轟いた!」
「…………さっさと行け」
「はぁい」
眼前で繰り広げられた鮮やかな手並みに、リアは感情の高ぶりのあまり、口調が変になる。
トリムはもはやツッコミさえしない。
凍った通路を転ばないよう滑り、勢いに乗ってターンし方向転換、無事な床を蹴り再び走り出す。
「今のって魔術ですよね。トリムさんてすごい魔術師なんですね。最初の動けなくしたのも魔術なんですか」
「ああ」
「ふーん、魔術に詳しくはないんですけど詠唱とかしないんですね。呪いみたい」
「ああ」
「え、じゃあさっき呪われたんですか私。冗談きついっすよ」
「ああ」
「ん!? もしや、適当に言ってません? あしらわれてますか私。さっきのは感嘆称賛の褒め言葉じゃないですかぁ。これから長い付き合いになるんですから親睦しましょうよ」
「…………多少、後悔している」
「うそ!?」
言い出したのはそっちなのに、と頬を膨らませ不満を表すリア。
その後は軽口を挟みつつ、現れるモンスターを同様に凍らせながらひたすら階下へ突き進んでいく。それなりに多い遭遇率だったが、その都度無詠唱で魔術を展開し殲滅するトリムの魔力は留まるところを知らない。出会っては滅し出会っては滅しをひたすら繰り返す。無尽蔵か。
どちらかというと、出発してから走り続けるリアの体力が尽きそうだった。
「はぁっあのっそろそろっやすみたい!」
「体力がないな、たいして進んでいないぞ。それでダンジョン攻略しようとしていたとは片腹痛い」
「こんなっハイペースでっ進まないし! 抱えっられてるだけのっ人にっ言われたくっない!」
先程までとは違い広がっていく通路をしばらく進むと、見覚えのある開けた空間に出た。
洞窟のように薄暗く、凸凹している土肌を晒す大部屋には、底が深く透き通った貯水湖が存在していた。明かりの無いこの場所には湖の中に泳ぐ発光魚が光源になり、神秘的な光が漂う部屋はまるで部屋自体が揺らいているようだった。
リアは体力の無さをなじられながらも、休憩をもぎとり、湖の傍に膝をつき汗ばんた顔を洗う。そして、両手で僅かに輝く水をすくい上げ口元へ。
「待て。それは飲めるものではないぞ」
「へ?」
傍らに置いたトリムが小さく驚いた面持ちで止める。
「でも、前は飲みましたよ」
「……よく、生きているな……発光魚のフンが溶け込んだ水は、人には毒なはずだが」
「フンかよ! うえぁ! ぺっぺっ」
件の肉を食べ、体調不良のまま前パーティでここに辿り着いた時は、みんなこの水を飲んだ。透き通っているし綺麗で少し甘くて、後味の悪い腔内と再び襲っていた空腹を優しく紛らわせてくれた恵みの水だと、ごくごくと。
確かにこの後から人数が減っていったかもしれない。
まさか。そんな。食あたりも嫌だけど。
死因:フン。
「………………知りたくなかった」
衝撃に打ち震えているリアを呆れた様子で見、しかしすぐに考える素振りを見せるトリム。そして半泣きのリアに冷たく言い放つ。
「リア、お前のその遅い足だといつになったら出られるか分からん」
「泣いている乙女にかける言葉がそれですか」
「だからショートカットをする」
「しょーとかっと」
帰路の短縮。
そんな効率的なことができればリアだって願ったり叶ったりだが、どうもトリムの含みある笑顔に嫌な予感しかしない。そしてリアの嫌な方の予感は大体当たる。
それでも、指示通りトリムを再び抱え上げると、生首は顎で目の前の貯水湖を指す。
「そこへ飛び込め」
「いやですよ! 飲んじゃったらどうするんですか!」
「今さらだろう。お前は毒に対する耐性があるのかもしれない。今度どの毒性度まで耐えられるか試しておくことが必要だな」
「そんな必要あるかあ! あと私実は泳げな」
言い切る前に二度目の見えない力に今度は背中から押し出された。予測もしていない重心移動に対処できるはずもなく、あっけなく淡く光るフンの中へ着水。
リアはまだ弟が一人だった頃、両親に川遊びに連れてきてもらったことがあった。その時テンションが上限突破してしまい、止める弟を振り切り何故かできると思い込んだ泳ぎを両親に披露しようとした。結果は100mほど流され、父が持参していた老来魚一本釣りのための釣り竿で一本釣りされたことがトラウマとして残っている。
以来、足のつかない深さの水辺には頑なに入ろうとはしていない。
それなのに、この生首め、実は私を殺そうとしているんじゃないのか。
体を纏う緩やかな抵抗感になんだか抗おうとする気概すらなく、このまま沈んでおぼれ死んでしまうのかと恨みを胸の生首へ伝える。
「死んだら枕元で安眠妨害してやる」
「ゴースト程度祓えるが? それより移動するぞ」
「移動?」と疑問を口にしつつやけにトリムの声が明瞭に聞こえる不思議に目を開ける。
見ると水中ではあるのだがリアの周囲を球体状に避けた水が取り囲んでいた。
濡れていない。呼吸もできる。これは一体。
水深が深くなるほど発光魚の数は増し、すぐ目の前を美しい輝きが通り過ぎていく。球体状の何かに包まれていること以外はおそらく水中にいるのと同じようにゆっくりと沈み、特定の場所へと吸い寄せられていくのが分かる。
美しい景色と体験したことのない感覚にリアはただただ感動して言葉を発することができず、ついには貯水湖の底に足をつけた。
「このあたりか」
「……はっ、なんかよく分かんないけどすごい。きれい。トリムさんすごい」
素直に称賛を伝えたのだが、それに対しトリムは無反応である。無視されたことに頬を膨らますも、すぐに何度も感じた魔力の集束に気付きこれから何やら始める前の集中だと納得する。
ん、待って、こんな水の中で何をするつもりなの。
巨大な氷塊が生まれたことに気づいたのは、眼前で微動だにしなくなった発光魚のおかげであった。同質のもの同士は状態変化をしてすらその透明性を失わず、凍結させられた微細な生命の数々が非常に広範囲に及んだことから、その巨大さにリアは言葉を発せないでいた。
凍った発光魚たちとともに氷塊は移動し、貯水湖の底へと突き刺さる。突き刺さったと分かったのは粉塵を上げながら底が徐々に抉れていったからであった。太い錐のようなもので逆円錐状に生まれる穴をただ見ていた。
「まさかとは思うけど、ショートカットの意味が分かりました。まじですか」
「察しが良いようでよろしい。リアは、せいぜい静かにしておけ」
ごりごりという音が聞こえてきそうなほどの勢いで穴が広がっていく。
氷塊が貯水湖の床へ全て飲み込まれ、穴の開始が全く見えなくなってからしばらくして、ビシッという不安を煽る音が伝わってきた。
生まれる巨大な水流は渦を巻き、周囲のものを巻き込んで出口を大きくしていく。
リアは湖の底で足を踏ん張ってみるが、全く意味をなさず逆らえない流れに引っ張られた。
排水口のようにみるみる貯水の意味を失っていく湖。
「ひょわあわあぁぁぁぁ」
穴から吹き出す水は階下の通路へリア達を流し出した。猛スピードの勢いで階下へ流れて進み、途中現れるモンスターもリアと共に水流の一部となった。
「ひぃ! ふぇ! ぐぁ! わぁわわわわ! 待って待って!」
「騒がしい。痛くもなんともないだろう」
「この流される感じめっちゃトラウマなんですよ! トリムさんトリムさん! ゴブリンがこっちに泳いできてますよ! ゴブリンのくせになんで泳げるの!? 許せない!」
無言でゴブリンを凍結させながら、トリムは頭上の嵐が収まるのをただひたすら静かに待つことにしたのだった。