9.ひとりでできるもん
東の空が白み始めた頃。
ベッドの足元に小さく丸まった状態でリアは目が覚めた。
「……さ、寒い」
昨日は結局時間切れで買い物ができなかったので、ボロボロスタイルのままだ。一応繕ってはいるものの、短くなっていたり摩りきれていたりする。じっとしていれば体温を保つ役割はあまり果たしてくれない。
ダンジョン内は気候がちょうど良かったし、システィア宅も過ごすうえで申し分なかった。だがこの宿屋はすきま風が酷い。シーツも薄い。非常に寒い。
一度寒さをはっきり自覚してしまえば、再び眠りにつくのは至難の技だ。眠気を引きずりつつ、リアは身を起こした。
「早いな。また忍び出るのか?」
「違いますよ、寒くて眠れないんです」
そうか、とトリムはいつもと変わらぬご様子。おそらく魔術コーティングで寒さからも守られているのだろう。ずるい。
休めないのに丸まっていても時間の無駄に感じて、リアは身支度を始める。いい加減破れていない服を着たいと思った。
街の中心街の方が品は充実しているはずで、長旅に耐えうるちゃんとしたものを揃えるならばそちらで探すべきだろう。まだ店も馬車も動き始めてはいない時刻なので、時間を稼ぎ、体を暖めるために歩いて行こうと思う。着いた頃に市場で朝食をとろうとプランニングする。
武器や防具だけでなく旅に必要なものも買わなければならず、南の方角にあるらしいダンジョンの調査とそこへ行く方法を調べる必要もあるし、この街でやることは結構ある。準備と下調べに手を抜いたらいけないのである。
まずは最低限でも服を買ってお店の情報収集を、と考えているとトリムと目が合った。連れていくつもりだったが、内容的にどうなんだろうと疑問を呈す。
「トリムさんどうします? 一緒に行きます?」
「……正直行きたくはないが、ギルドだろう? 行かねば何をしでかすか分からんからな」
「ええ、まあそこにも来いとは言われてますが、そんな何回もしでかしたりしませんよ。というかまずは朝ごはんと、とりあえず服を買いに街の中心部に行こうかと思ってます」
宿なし服なしで早く帰らせろと主張したのに、昨日と同じ服でギルドに現れるのは多分駄目だろう。買って、着替えて、できれば公衆浴場で綺麗にしておきたい。
トリムは渋い顔になる。
「……服、か」
あ、あんまり興味なさそう。そりゃそうか。
「ここで待っててもいいですよ? ギルドは後でいきますので、お昼くらいには帰って来るつもりですから。装備品売ってるところとかも調べてきますね」
トリムを連れてまごまごするわけにはいかない。買い物と調査の計画を練ってスムーズにエスコートしなければ、との考えに提案すると、トリムは「ああ」と頷きかけ、
「……いや……大丈夫か?」
うわーお、完全に信用を失っている。これはいけない。おつかいもできないと思われている。
「またまたぁ、買い物に行くだけじゃあ何にも巻き込まれようがないですよぉ。大丈夫です!」
胸をどんと叩いて、びしっと親指を立てた。だがトリムの疑いの視線が痛い。嘘だ、さすがに疑いすぎだろう。
視線に負けないようにこっと笑顔を返して、やっと諦めてもらう。
「まあ、それもそうか。何があっても下手に首を突っ込むなよ」
「なんか誤解してません? 私は元来トラブルは避けて通る人間なんですが、まるで私が自分から起こしに行っているみたいじゃないですか。……そう言うトリムさんも、私が遅いからって引きこもらないでくださいよー?」
ちょっと冗談めかして言い返したら、トリムは予想外に真剣な顔で眉を潜めた。
「遅くなるのか? ……やはり」
「いやいや、万が一の場合ですよ!」
続く言葉が予想できたので、慌てて遮った。
失った信用を取り戻さなくてはならない。遅くなるつもりはなく、すでに一人で行く気満々なのだ。装備品はともかく、たかだか服で付き合わせるのは悪い気がするし。
それを聞いたトリムは口を閉じ、分かっているというように小さく頷いた。
リアはとても驚く。トリムも冗談を言うのかと思えば、
「そうだな、俺も行こう」
「行ってきまーす!」
真剣な話しだったので逃げ出した。
何か言っているのは聞こえない振りをして鍵を閉め、バタバタと宿屋を出る。当然、カウンター等には人の気配はなく、おばちゃんは寝ていることは間違いないだろう。なのに、リアが借りた部屋のドア以外には、玄関どころか何処にも鍵がかかるようなところはない。その部屋の鍵もあってないが如しなので、この宿屋はやろうと思えば、泥棒入り放題なのではないだろうか。
選択肢がなかったとはいえ、恐ろしいところに泊まってしまった。もう一泊必要な場合は街の中心部で探そう。
朝焼けに目を細めながら、清々しい空気に深呼吸をして歩き出した。まだ多少肌寒いが、すぐに体は暖まってくるだろう。
石畳が敷かれた大通りに出て、街並みを眺めつつのびのびと歩く。街の端の方は自由気ままに家屋が建てられていたが、大通りは外壁と同じ材質の堅牢な建物が多い。
ほとんどなかった人通りが、時間が経つにつれ、中心部に近付くにつれ、すれ違う数が増えていく。きびきびと元気そうな老人がいたり、眠そうにのろのろと動く若者がいたりして、多様な生活感が垣間見えて面白い。
燦々と眩しい陽光が我が物顔で街の全体を照らす頃、リアは市場に到着した。
可愛らしいフリルを揺らした女子が働くおしゃれな食事処は、この格好では気後れしてしまう。この街から出る前には一度寄ってみたいなあ、と流し見ながら、安い、早い、旨いを全面に押し出した屋台で挟みパンを購入。サンドイッチではない。肉と野菜を豪快に挟んだごついパンだ。
店の少し横に移動してあー、と大口を開けてみたら、口より多少パンが大きい。まあ、気を使う相手もいないだろうと無理矢理詰め込んで噛みちぎった。
パサついた味気ないパンのすぐ後に甘辛い味付けの肉汁が口の中に広がってきて、噛むほど美味しさが染み込んでいく感じ。リアの好みの味で、幸先の良い出だしに満足である。ただ水が欲しい。
そんなところでなんとなく視線を感じたので振り向いてみれば、屋台のおっちゃんが大きい体に小さい目を丸くしてリアを見ていた。
「なんへふふぁ?」
もぐもぐ。
「いやあ、ちっせえ口に頬張るなと思ってな」
やだ、見られてたなんて恥ずかしい。
コツを掴んだリアは縦にパンを潰してもう一口。おっちゃんの感想に何と言えばいいのか分からず、もぐもぐしながら見つめ合った。
ちょうど客の途切れだったようで、おっちゃんもひと休みに屋台の柱に背を預けている。何かを思い付き、ごそごそしたかと思えば、リアに向けてちょいちょいと手招きした。
「?」
もぐもぐ。
「ラデ茶だ。売りもんじゃねえから気にせず飲んでいいぞ」
受け取ったコップの中にはふんわりと甘い香りのする茶色の液体が入っていた。知らないお茶だが、水の欲しかったリアはとりあえず一口飲む。香りのわりに全く甘くなかった。
「んぐ、ありがとうございます」
普通にミルクなんかも売っているので、売りものじゃないお茶を貧しそうな見た目のリアに施しをしてくれたんだろう。いい人だが、お金にはまだ困っていないし買えば良かったな。
「服を買いたいんですが、どこがいいですかね?」
コップを返しに屋台の裏まで持っていったら、時同じくして怒濤の客の波がやってきた。お礼を言うにも忙しそうで佇んでいると、短気そうな冒険者と思しき毛髪どころか眉もない男性に「おい! 勘定!」と叫ばれて怯んだリアは店頭へ。波が引くまで、流されるがままにお手伝いを続ける羽目に。
二杯目のラデ茶でほうっと息をついたところで、おっちゃんに尋ねてみた。
「服か、嫁さんのお古でいいならやるぞ?」
リアの全身を見て、そう体格が違わないのだろう、服の無償提供の提案をされる。手伝ったお礼もあるのだろうが、明らかに生活を心配している目だ。
「……私、こう見えて冒険者なんですよ。長旅用の丈夫なものを探してまして」
「冒険者ぁ!? だ、大丈夫か嬢ちゃん……冒険者は一攫千金の夢はあるが、命の危険もある職業だぞ? 悪いことは言わねえから、金のために命を捨てるような真似はやめた方がいい。仕事探してんなら、紹介すっから」
確かに武器も防具もまだ身に付けてはいないが、仰天されるほどそんなに小者感が漂っているのだろうか。ちょっと傷つく。
「駆け出しではありますが、ダンジョンに挑んだこともあるんですよ。そのせいで格好はこんなんですが、弱くは、ないんです!」
おっちゃんは「人は見かけによらねえなぁ」としみじみと呟き、品質が良いと噂の冒険者御用達の服屋と、手頃な古着屋を教えて貰った。
冒険者向け服屋はまだ開店してなかったのでまずは古着屋へ。
街の住人向けのふっつーの服屋だった。夫婦でやっている良心的なお店で、古着とは思えないぴったりのサイズを持ってきてくれたのでそれを購入した。その場で着替えさせてくれ、着ていたボロ服とついにおさらばする。薄くなりながら今まで守ってくれてありがとう。
冒険者向け服屋へ行ったのにまだ開いてなかったので、古着屋で教えてもらった公衆浴場へ。休みじゃないよね?
中々に大金が入っているバッグを、預り所で補償金をかけて金庫へと入れる。最初は不審な目で見られたが、補償対象のお金を見せると驚かれた後にこにこと対応が変わった。怖い。
そそくさと身を清め、早々に公衆浴場を後にする。
見上げれば陽は頭上に。
三度目の正直に冒険者向け服屋の前に来ると、傭兵が入口で牽制していた。暴れた者も押さえつけられそうな強面のムキムキである。安心感。
やっと開いたかーと、中を覗くと客はほとんどいない。こんな時間に開店なのだし、メイン客は遅い時間に来るんだろう。ゆっくり見れそうで良かった。




