3.これからよろしくお願いしますね
「この願い、心臓に誓って果たしてもらうぞ」
視界はぼやけ、自分のひゅーひゅーという呼吸音がうるさい中、やけにその声だけははっきり聞こえた。
と、肌が粟立つ。魔力がないはずのリアが感じた異様な力の収束。
もはや、死を待つだけの完全なる敗北者であるリアは無視され、ゴーレム達は自分らを害するであろう声の主に対峙する。
「――邪魔者は、消えろ」
耐えられない重さの瞼の隙間からかろうじて見えたのは、眩しい光に佇む長身の人影。
*****
「んむぅ……それ、はもう何があっても二度と食べないって……決め……やめろぉ!」
あの不利益しかない臭い肉をまた食べるくらいなら、私は餓死を選ぶ!
そんな葛藤と戦いながら、目の前に盛られた肉の塊を無理矢理食べさせようとしてくる生首を手で振り払ったつもりが、空を切った。
肩透かしに目を開けると、見えるのはオレンジ色に照らされた石造りの天井。
あれ、肉は? ……そもそも生首なのにどうやって私に食べさせようとしたんだ。
「………………夢か」
しばし天井を眺めた後、脳の記憶整理が起こした現象だと把握した。
何故夢の中ですら苦しめられなけらばならない。ご馳走を食べる夢くらい見せてくれたっていいじゃないか。神様の意地悪。
「はぁ……えーと、何があったんだっけ。体痛い。ベッドで寝たい」
ぼーっとする頭でぶつくさ独り言ちながらあたりを見回すと、すぐ横に生首が置いてありぎょっとする。
驚きをきっかけに、ゴーレムのこと、そして取引――この生首のことを思い出した。
「あー……私死んでない……治してくれたの、か」
骨にひびが入ったような痛みもつぶれた気がした肺も吐血で汚れた口元も、全て消え去り綺麗な状態になっていた。それどころか生傷やここ最近感じ続けていた疲労感もなくなった気がする。何日間も寝ていたのでなければ、治癒術で治されたのだろう。それもきっと高技能の。
生首はリアの隣で目を瞑り、安定した静かな呼吸をして眠っているようである。
ふと、このまま逃げてしまえるのではないかと思った。死にそうなあの状態で承諾した取引は、よく考えてみれば選択肢のない脅迫に近いものがあり、口約束でしかない。まだリアの脱出が叶っていない現状、逃げ出して反故にしてしまっても問題はないと思われる。
「……ってそんなわけないじゃん、ばか。命助けてもらって何考えてんの、ばーか」
だが、そんな恩義も義理もないような人間になるつもりはない。両親に知られればこっぴどく怒られるだろうし、弟妹達に顔向けができない。
いや、そんなことよりも諦めの悪いリアが、正直もう駄目だろうと絶望しかけたところを救ってくれたのだ。
ひとりだけになって、こんなところで死んでたまるかと言い続け、意地でも村人に復讐してやろうと思った。折れそうになる心を何度も立て直し、少ない運で命からがら逃げ続けて、最後まで希望を捨てないと決めていた。
それが、ほんの一瞬だけれど、絶望に染まったのだ。
生首の胡散臭さを天秤にかけても、どこに潜んでいたのかというくらい感謝の気持ちが勝っていた。
意地ではあったけれど、実はあんなにも生きたかったのだと気づかされた。
「ま、まあ、ここで逃げちゃって追いかけられるのも困るし。超ホラーだしぃ」
とはいえあれほど不信感を露わにし、否定しまくったのだ。助けられたからといって手のひら返しが甚だしい。気恥ずかしさで誰にでもなく言い訳じみたことを口にする。
歪んでしまった感情はそうそう素直に戻らない。
生首はすうすうと眠ったままでそれだけ見るとまるで彫刻のような美しさである。本当に生首しかないようで、実は宝箱の下に穴、といった期待は裏切られたようだ。
あの人影は見間違いかな? 走馬燈?
自信のない景色に首をひねりつつ、生首を見つめる。
ゴーレムを倒しリアを治癒して魔力が尽きたのだろうか。
元パーティの魔術師は、失った魔力は体力と同じで眠って回復するのが効率が良い、と言っていたのを思い出す。
この生首が、……――感謝を込めて生首さんと呼ぼう。
生首さんが起きたらとりあえずありがとうを言って、意識を手放す前に耳に入った心臓に誓ってとやらに言及しないと、正直不安でいっぱい。
そういえばどうやって宝箱から出て私を移動させたんだろう。首だけなのに。
まさか、人とは言っていたけど、首の下から何か生えて? 触手?
それは……モンスターではないのか。……人になりたいモンスターなのか?
リアは好奇心に負けて、生首を両手で優しく包み込み、持ち上げた。肌は温かく見た目そのままのずっしりした重さを感じた。ちゃんと生きているようだ。
そして生首を傾けて、片目をつぶり恐る恐る首の下を覗き込む。
「ぅぁ……めっちゃ断面図」
首の下は触手が生えているというリアの予想は裏切られ、そこにはおよそ人の首を切り取ったような骨と血管と筋肉等の断面があった。モザイクものである。
「これで人? ……ほんと何者」
先程まで生首はこの断面を下に地面に密着していた。置いてあった床を見ても、なんかその、血液的で体液的な染み等はなく、リアが持っている首の下から何かしらが滴り落ちることもない。すると何かここに魔術的な保護がかけられているのだろう、と魔術に関しほとんど知識のないリアでも見当はつく。知識がないからこそ、魔術はすごいなー世の中は広いなーと呑気に構えていられた。
ごくり、と唾を飲み込む。
触ってみてもいいかな。
ダンジョンのこんな上層までパーティと戦ってきたのだ、リア自身も当初より死体も断面もそれなりに見慣れていた。しかしこんな状態になった本体は皆死んでいる。それなのに、この生首は生きている。この断面に何か秘密が――――
「おい」
「わきゃぁ!?」
「ぃ、う、痛っ」
「あ、わわわわごめんなさい!」
突然呼びかけられ、思わず放り出してしまった生首は、リアの手から転げ落ち頬を打ったようだ。じろりと睨まれ慌てて近寄り膝に置いて、床で打った生首の頬を撫でる。
「撫でるな」
「おっと、すいまっせん。落としたのは不可抗力です。許して?」
リアは手を即座に離し、膝の上の生首に両手を顔の前で合わせ小首をかしげて謝る。生首は軽く溜息をつき睨んでいたおこな表情を収めた。
「まあ、いい。それより体はもう大丈夫だろう。他に何か気になるところはあるか」
「いえ大丈夫です。本当にありがとうございました。たいへん元気です」
「だろうな。……近い」
深々と頭を下げると、結果的に膝の上にいる生首と額がつきそうな程近い位置になっており、慌てて背筋を正す。
「いやあ、目覚めたら生首さんが横に落ち、いらっしゃってびっくりしましたよ。ついに私も殺人に手を染めてしまったのかと一瞬思いました」
思っていたよりきちんとお礼を言えたので胸をひと撫でしつつ、気恥ずかしさを誤魔化す軽口を叩く。生首は一瞬怪訝な顔をし、
「俺の名はトリムだ。治癒術は不得手でな、小石如きどうでもないが、お前には骨が折れたぞ」
そう名乗った。
よく分からなかったリアは「そっすか、さーせん」と小者っぽく謝る。そして殺されかけたにもかかわらず忘れていたゴーレムのことを思い出す。
追い払ったのかな。
「ところで生首さん、ゴーレムってどうなったんです」
「……トリムだ。そこの小石の山がそれだ」
「ほあぁ……あ、リアと申します」
不満気に眉間に皺を寄せ、生首—―トリムは視線でゴーレムの末路を指す。リアもその視線の先を辿ると、ゴーレムだったと思われる三つの山は、ころころとした小石程の大きさになり積み上げられていた。
別の階層で出会ったゴーレムは、倒した時、関節ごとに落ちてこと切れていたものだが、いったい何をしたらあんな風になるのか。首だけだとこっそり見くびっていたが、かなりヤバい奴だと思った。
「ではリア、正式に取引の契約を交わすぞ」
「ほ……契約?」
「俺の進退に関わることだ。口約束だけのわけがなかろう。まさか、反故にしてしまおうなどとは考えてはいまい?」
「ぇあ、あはは、まさかそんなこと考えるわけないじゃないですかあ。心臓でも何にでも誓いますよ!」
一瞬でも逃げ出すことを考えてしまった後ろめたさから、思わず目が泳いでしまう。
「……まあその考えも今のうちだけだ。契約が完了すれば問題ない。俺は俺の体を集めることにリアの協力を受ける。リアはこのダンジョンを引き返す際に俺の協力を受ける。相違ないな?」
「はいっ」
「うむ、返事はいいな。今から――」
トリムの悪徳業者のような口ぶりを聞き、リアは別に口約束だけでも協力するのにと思ったが、信用の無さには自信があるのでそこは大人しく契約とやらに従うことにする。
ふと、人生で二度目の契約だなと思い返す。
親友だろうと保証人には絶対になるなという家訓があるので契約に対し慎重に生きてきたが、すごく最近に魔王討伐の為に国と契約を交わした。こんなハイペースで大丈夫だろうかと人生への不安が過る。
初めてのそれは、書面に自署と血印を押して結ばれたことを思い出しながら、ここには紙も羊皮紙もペンだってないと疑問が湧いてくる。リアは持っていないが宝箱の中にあったんだろうかと、そうだったら口で書くのかと、トリムの姿を想像する。
そういえば国との契約は長ったらしい文書が事細かく記載されており、旅の費用や報奨についてだけでなく履行できなかった場合、つまり死亡や行方不明時の補償についても書いてあった。あとはそう、期間とか。
「あ」
「……なんだ」
話を遮ったことにじろりと視線が刺さる。
「え、いえ、その、生首さんの体集めってどのくらいかかるのかなって」
「ト、リ、ム、だ!」
あ、そうそう名乗られてたんだった。
「おっと、失礼しました。それでですねトリムさん、期間の見通しとかちょっと気になったりしてて、いえね、私の人生かけてとかだと……命救ってもらったからそこは、まあいいんですけど……勿論協力はしますけど、もしですよ? 万が一ですけど、そのぉ、集めきらない時はどうなるのかとか……えっと、現実問題、その、主に資金面で不安がないこともごにょごにょ」
「…………お前は、中々神経が図太いな」
どんどんトリムの顔が呆れたものになっていくので、ちょっとだけ焦って言葉尻を濁した。
「まあ、いいだろう。時間はかけるつもりなどない。そうだな……半年が限界か……今から六か月を期限として、その間に全身を取り戻したら成功報酬として俺の資産をやろう。おそらく都に家を買えるぐらいはあるはずだ。早急に終わらせるが、万が一全てが集まらず半年経過した時点でリアとは取引を終える。報酬もなしだ。道中の資金は、俺がいればモンスター狩りのクエストをこなせばどうにかなるだろう」
「え、えーそんなあ、そこまでしてもらうわけには」
ちょっとした不安を口にしてみれば予想外の成功報酬を提示されて、下心なんてなかったもののうっかり顔がにやけてしまった。
意外とこれはリアにとってメリットの多い取引だったのかもしれない。魔王討伐も頓挫してしまったし、現時点無職のリアにとって半年間の生活が保障されたにも等しい。
それを見てトリムはさらに呆れた顔をする。
「いらないのなら」
「いります!」
先程返事を褒められたようなのでまた勢いよく答えると、非常に長い溜息をつかれた。
「俺もようやく得たチャンスなんだ。せめて……この時だけでも真面目にしてくれ」
「ふざけてるつもりはないですが、そう思わせてしまったのならごめんなさい」
少しだけ悪い気がして謝った。
そう、ふざけるつもりなんて毛頭ないのだ。相手は命の恩人でおそらく高度な魔術の使い手で、びびりつつも結構敬意を持っている。持っているだけだが。
リアは調子の良いところはあるものの、TPOはそれなりに弁えていると自負している。だが現状を一歩引いたところでよく見ると、取引相手は首だけでリアの膝の上に偉そうに鎮座し、さらには契約内容は体を集めるという、現実味のない、第三者が聞けば笑われそうな内容だ。なので、ついつい真剣みが疎かになってしまう自分がいるのも事実であった。
トリムは、殊勝に謝るリアを訝し気に見てまた溜息をつく。
ひど、謝ってるのに溜息とか。
「いい、さっさと終わらせる。……もうないな?」
「はいっ」
「では」
トリムは聞いたこともない言葉を一節口にした後、目を閉じた。この国の言語ではなさそうな言葉に首を傾げ、リアもなんとなく目を閉じてみた。
そして、トリムは音吐朗々と読み上げる。それはリアの瞼にも映る光る文字だった。言葉と同様に知らない文字だったが、何故だか読むことができた。
リアは言葉に続いて輝く文字に目を滑らせていく。
――老来の白紙に血命をもって綴るは真なり。
我と彼は双方望みを交わさんと欲す。
我は彼の四柱の盾となり、引き換えに彼は我に綻びの四柱を求む。
星は土の精霊の眠り、暁に我の富を彼に与えん。
排するは精霊目覚めの時。
以上を命楔の契りとし、偽するまで誓わん――
「我、トリム・アストロイズ」
「…………」
「名乗れ」
「えぁ、か、彼? リア・レイエル」
リアが自身の名を口にした途端、胸を細い何かで刺された気がした。痛みは僅かで死に至るものではないと理解できたが、明らかに重い何かがリアを捉えたことが分かる。
紙もペンも署名も血印もない契約。
これは、契約魔術とかいうものなのでは。何かちょっとはやまったかもしれない気もする。
リアの一抹の不安など気にせず、トリムは僅かに笑みを浮かべた。
「――心臓の在処が分かった。すぐにここを出るぞ、リア」