とある騎士の追随記録5
激しい閃光は夜空を昼のように照らし、ゼスティーヴァを中心とした旋風は厚い雲を凪ぎ払う。遅れて空気を引き裂く高い音と、地の底から響くような低い轟音が、大気を震わせ、大地を揺らした。
「は?」
レイラが明るくなった空と爆音に気をとられた瞬間、ジルニアは風を纏い、地面を強く踏み込んだ。
すぐに気づいたレイラが光の矢を放つが、目測を見誤ったのか僅かに身をそらすだけでジルニアの脇を通り過ぎて行く。
魔術が間に合わないと顔を歪めたレイラは、ナイフに力を込めようと聖女を見る。
しかし、視線の先にあるはずの腕がない。
「あ?」
レイラの肩から先は、滑らかな切断面を見せ、腕自体は後方へと切り飛ばされていた。
それはジルニアの遥か後ろから高速で投げられた黒刀。
突然腕を失ったことが理解できず、レイラは不思議そうな顔でジルニアを見た。その瞳には炎に照らされた美しい漆黒の弧線が映った。
ジルニアは駆けた勢いそのままに、黒刀で横薙ぎに振り払う。
その一閃は光のように速く、気付いたところで避けることなど不可能だった。
一瞬の静寂が占めた。全てが止まり、そして終わる。
驚愕の表情で固まるレイラの頭が、天を仰ぎ見るようにずり落ちた。
だが血が噴き出すことはなく、ごと、と転がり落ちただけだった。
その堅い音に、ジルニアはふっと息を吐き、膝をついた。魔力が底をついた凄まじい虚脱感に襲われ、レティアナを抱いていた腕の力が抜ける。
強い風が吹いた。土埃と瘴気を含んだその濁った風は、ゼスティーヴァの閃光に附随するものだろう。
ジルニアはその風を感じ、ゼスティーヴァの爆発という思考の外に追いやっていた状況を考えようとして、順序を見直す。まずはジルニア達の任務である聖女の保護。彼女の状態を確認しなければならない。
レイラの足元に倒れている聖女システィアは弱っているものの、瞳はジルニアを見つめ返し、小さく頷いたので意識ははっきりしているようだった。
安堵の息を吐いたが、そこでジルニアはハッと顔を上げる。
首を失ったレイラの体は、いつまでも倒れず、未だ地に落ちない。
その体は残った片腕を僅かに動かし――――そして、止まる。
その手を止めたのはレティアナだった。
何度も繋いだ手を、いつものようにぎゅっと握り、それからゆっくりレイラの体を抱き締める。
「はじめから、殺しておけば良かった……」
地面に落ちたレイラの頭部がそれだけ呟いて、目を閉じた。同時に立つ力を失ったレイラの体が崩れ落ち、レティアナもその軽くなった少女と一緒に地面に座り込んだ。
「ジルニア! 大丈夫か!」
黒刀を支えに立ち上がり振り返ると、鎧を着たリードが走り寄ってくる。
どうやらレイラの腕をかっさらっていった黒刀を投げたのは、彼のようだった。辺りは既に暗く、相当離れていただろうに、正確に一点を狙って投げた身体能力の高さに絶句する。
「どうした。敵はもういないんだろう?」
「はい……助かりました、ありがとうございます。先輩だけですか? よくあの少女が……敵だと分かりましたね」
「む。俺もちょうど展望台へ行こうと思っていたら副団長からジルニアの援護指示が入ってな、一番近かったんだろう。そうしたらお前が剣を抜いていたのが見えたから、援護をしただけだ。あの爆発には多少驚いたが、あれは何だ?」
状況が分からないままで信じてくれたことについては純粋に有り難かったが、判断を丸投げされた猪突猛進な攻撃方法にほんの少しだけ末恐ろしさを感じた。
ジルニアは「分かりません」と言って振返り、座り込むレティアナの背に触れる。
レティアナはレイラの死体を丁寧に寝かせ、感情を殺した無表情でジルニアの首に両手を回した。涙を流すことのない少女の背を、優しく撫で続けた。
やがて他の騎士達が合流し、現場の対処については任せることになる。
レイラの切り離された頭部と腕、体はそれぞれ結界で保存され、運んで行かれた。血液が流れていない彼女の体の断面はどす黒く、人の形をしたモンスターだと呟く声が聞こえた。
治癒班も来ており、聖女への治癒がその場で始められる。怪我はないが消耗が激しく、リアクタという、魔力を無属性に分離転換し人体に同化させる高位魔術を二人がかりで行っていた。
レティアナに「システィアさんのそばにいてもいいよ」と勧めたが、「邪魔になるから」と頑なに断り、ジルニアの手を離さなかった。
想像以上に早く身を起こせるまでに回復したシスティアは、ディーテリンダルレイクへ連れて行ってほしいと騎士に頼んだ。瘴気の渦巻く危険な地に聖女を連れて行くわけにはいかないと騎士は断ったが、では副団長と直接話しができるようにと頼む。するとすぐに了承され通信術具が渡された。
「ナダロー、わたくしを湖へ連れて行くよう命じてくださいませ」
副団長を呼び捨てにし、突然そう言ったシスティアに、通信術具を渡した騎士が手を上げたまま固まる。
「そのようなことはどうだって良いのです。時間がないのですよ。このままでは村は瘴気に沈められてしまいます。早く対処しなければなりません。わたくしが最も適役です」
システィアの口にした内容にジルニアは息を呑む。レイラが話していたことと酷似していたからだ。副団長にその報告は伝わっているのだろうか、再度自分から聖女の言葉の信憑性を伝えようかと口を開きかけた。
「あなたにお話しする時間が惜しいのです。わたくしの言うことが信じられないのですか!…………ええ、構いません」
副団長に対しての強い口調にジルニアまでもが固まる。この凛々しい女性は本当に先程と同一人物だろうかと疑ってしまう。
システィアは「了承がとれました」と微笑み、通信術具を返された騎士は恐る恐る耳にあてて話し始めた。そしてあっと言う間に数人の騎士と馬に乗り去っていった。
再び轟音がしたので振り返ると、黄金塔がその半身を崩し始めていた。
ダンジョンの中で一体何が起こっているのか。ざわめく騎士達の中で、あのタイミングに助けられたこともあってかジルニアは不思議と心穏やかだった。
星々が輝く夜空を背景にゆっくりと落ちていく黄金塔を眺めて、ふう、と深く息を吐いた。治癒は後で構わないと断ったジルニアだったが、魔力枯渇と満身創痍で既に限界であったため、気を抜いた瞬間に意識は途切れてしまった。
*****
翌朝、治癒班に散々どやされて全身を治癒してもらったジルニアは、ディーテ村で一日の休養を与えられていた。
魔力は回復し、怪我は治してもらったのだが、一昨日指で挟んで試した崩潰の魔術の名残だけは、これ以上の治癒は無理だという。黒子みたいなもので気にしないと笑ったら、安易なことをするなと最も怒られた。
レティアナは騎士団の聴取を受けている。酷い経験をして、すぐさま根掘り葉掘り聞かれ話さなくてはならないことに心が痛んだが、核心に近いところにいたのだからこればかりは仕方がない。
一度顔を見せるとレティアナは駆け寄り抱き付いてきたので、困っていることはないかと聞けば首を左右に振った。母親とはまだゆっくり会えていないらしいが「いいの、たくさんありがとう」と俯いて言った。
その母親である聖女システィア・カランは、昨夜ディーテリンダルレイクに向かうと溢れだした赤い水を極大魔術であるシュプリントで浄化し“赤い日”の原因であった巨大な核を取り出すことに成功した。
浄化の光は多くの人が目撃し、輝きが満ち溢れる空間に女神が降り立ったと、同行した騎士が感涙してその様子を語ってくれた。
そして今は眠りについている。衰弱した状態で極大魔術を使用したので当然だが、それでも随分と規格外の魔術師のようである。
ディーテ村代表サルカ・カランは応接室の出来事から未だ目を覚ましていない。
従者への聴取が今日も続けられているが、話せる従者は知らないまま命じられており、口を閉ざす従者は恐怖に染めた表情で首を振り続ける。今朝判明したことだが、何らかの呪いがかけられているようで現在解明中だ。路地で死んでいた代表夫人がその被害者と思われ、操作魔術で無理に口を割らせることも難しい。
黄金塔ゼスティーヴァに関連する、ディーテ村一連の事件について未だはっきりしていないことの方が多い。瘴気を生み出すという実験・技術、ユーグスと思わしき黒幕との関係、聖女の役割、サルカ・カランの思惑、そしてレイラという少女。徐々に明らかになっていくのかもしれないが、全貌がジルニアに知らされることはないのだろう。
一先ず、ジルニアの任務は終わった。
木製のドアをノックすると「どうぞ」と返答がある。簡易の医務室になっている部屋には四つのベッドがあり、唯一患者が残されたベッドで、ジルニアの友人が憮然とした表情で手を振っている。
「おはよう。お姫様がお目覚めだと聞いて。体調はどう?」
「もぉー! 皆同じこと言うね? 気持ち悪くて吐きそうだよ」
両手で顔を押さえて珍しく声を荒げるルーイに、ジルニアは目を丸くした。部屋の片隅にあった丸椅子を引っ張ってきて腰かける。
「随分と荒れてるな。大丈夫か?」
「……うん。ごめん、不甲斐ない自分に憤ってたんだ。今回僕何も役に立ってないから」
「そんなことないだろ。代表はまだ目覚めないし従者も話せない理由があるみたいだから、貴重な生きた情報だよ。俺こそごめんな、すぐに助けてやれなくって」
「それは君が謝ること? 色んな人からジルニアの活躍を聞いたら僕の証言なんて微々たるものすぎて泣きたくなってくるから。慰めはいいよ……」
「繊細だな。偶々だろうに。まあ俺の方が先輩だから、ルーイより活躍の場はあって然るべきと諦めなさい」
未だ顔色の悪い友人との雑談はそこそこに医務室を出た。ルーイにはまだ知らされていないが、冒険者役だった騎士の一人があの血の炎で亡くなっている。あの場では息のあった従者も治癒術の甲斐虚しく全身が黒く染まり、やがて息を引き取った。外傷について、欠損さえなければほとんど治ると言っていい治癒術が効かないのだ。それだけでも今回の事件の不気味さが窺える。
ジルニアは会話ができるまで回復した友人に安堵しながら溜息を吐く。考えても詮無いことだが、あの時、仲間の方を優先していれば助かった命があるのではないかと。
『ジルニア・ラウカヴォフ。副団長がお呼びだ』
新しく与えられた通信術具からゼロの声が聞こえた。その初めての通信がこれほど心臓に悪いこともないだろうと慌てて黒衣に着替えに行こうとすると『そのままでいいとのことだ』と言われる。十秒ほど悩んで諦めて指定の部屋へ走る。
ノックの後部屋に入り、ドアを閉めると報告書に囲まれたナダロー・ニードラグ副団長が顔を上げ「早かったな」と立ち上がった。
「休養中に呼び立ててすまない」
「問題ありません。我が身の優先は常に弌刻にあります」
副団長は頷き、ドアを背に立ったままのジルニアに、向かいのソファを勧める。
「ジルニア。此度の任、君は十分すぎる働きをした。被害を最小限に抑えられたのも君の働きがあってこそだ。聖女のことも、感謝している」
「勿体ないお言葉です。私は与えられた任務を全うしたまでです」
「謙遜するな。君の噂はかねがね聞いていたが、それが今回証明されただけだ。今後君には個別に頼みたい件がいくつかある。ともかく、差し当たって明日、他団の者とゼスティーヴァの調査に加わってもらうことになるだろう。今行っている先行隊の報告をもって最終連絡を入れる。ディーテ村の件に加えゼスティーヴァの爆発という予期せぬ事態で人手が足りないのだ、十分な休養を与えられなくて悪いな」
「いえ、問題ありません。了解しました」
さらっと流されたが、看過できない内容が含まれていた。自分のどんな噂が入っているというのか。いや、そんなことより副団長から個別に頼みたい件とは一体何なのか。けれどそれを聞けるはずもなく、胸に重いものを抱えたまま、ジルニアは翌日を迎えることになる。
*****
抜けるような蒼い空には澄んだ風が吹いている。
清々しい空気はこの辺りに来て初めて吸うと言っていい。
大地を瘴気で染めるダンジョンが崩れたことにより、荒れた地も赤い湖も徐々に自浄されていくのだろう。願わくば、生きている内に藍緑のディーテリンダルレイクを見ることができれば、なんて思う。
黒い鎧に身を包んだジルニアは、半分の高さになったゼスティーヴァを仰ぎ見る。多少低くなったとはいえ、黄金の輝きは衰えず堂々たる佇まいだ。
黄金塔以外は何もない更地。そこにジルニアは仲間達と一定間隔を空けて立っている。
二つの騎士団が入り交じるゼスティーヴァの調査任務は、崩れ落ちた上層部班、残った下層部班、そして近付く者がいないか等監視する待機班に別れている。未だ瘴気は漂うものの、時間経過と共に薄くなっているダンジョンには、間近に一般人が来ても問題ないほど禍々しさを消していた。
ジルニアは負傷の経緯もあって待機班である。正直なところ、昨日の時点で全く問題なく動けるほど回復しているので、少しだけ残念だった。ダンジョンに入る機会などほとんどないからだ。
「……あ、あの」
監視する範囲は広いが、何もない土地である。待機班は十五人と少数だが、黒の鎧はジルニア達が何者か一目で知らしめ、実際のところこれほど目立つ場所に飛び込んでくる猛者はいないだろう。
「あのぉ! ……ジ、ジルニア先輩」
「……? 何ですか?」
離れた位置からの叫び声が自分に向けられたものとは思わず、反応が遅れる。
任務中ではあるが、待機、というより居残り組である。比較的経験の浅い騎士達ばかりで、大分、かなり緩い雰囲気で、雑談していても咎める者はいない。
暖かい気候も相まって、ジルニアも兜の裏で何度も欠伸を噛み殺していた。
「あの、挨拶が遅れ申し訳ありません! 自分は弐刻所属のダッダタール……レイドス、と申します!」
叫ぶ小柄な騎士は突然名乗りを上げた。
ジルニアは首を傾げる。顔も見えず、名前も知らない騎士だ。弐刻ともなると見知らぬ騎士は多く、所属も違うので彼がわざわざ挨拶が遅かったことを詫びる理由が分からない。
「私は、弌刻ジルニア・ラウカヴォフです。我々に挨拶は必須ではないですよ?」
「ぞっ存じ上げております! 自分は未熟な後輩ゆえ、どうぞ敬語はおやめください! 昨日は緊張のあまり失礼な態度をとったと、とても後悔しておりまして……このような機会を得りゃ、……得られたのは、……は、……忙しいところ申し訳ありませんが、お話をさせていただければと……思い……まして……」
「忙しくは……ないけど……あ、ダタール? 結界術が得意な?」
声量がどんどん小さくなったので最後は聞き取れなかったが、兜の中の聞き覚えのある声は、昨日応接室で呼ばれていたダタールという騎士だと記憶が甦る。
「はい! 覚えていただいてるなんて光栄です!」
「あ、うん。昨日は……ありがとう?」
今までにいないタイプに戸惑う。若手の域を出ないジルニアが弐刻の騎士に知られていることに疑問を感じつつ、雑談に応じることにする。このままだと立ったまま寝てしまいそうだったからだ。
「! とんでもないです! こちらこそジルニア先輩の魔術を間近で拝見させていただいてありがとうございます! とても……美しかった、です!」
「……それは、どうも」
「学院で先輩の残されていった研究結果を拝読いたしまして! 自分も研鑽を積んでいるのですが、先輩ほど精密さも正確さも思うようにいかず……ずっと、お会いできればと!」
「え、それは……俺かな? 残した覚えないんだけど……」
「はい! あ、すみません、講師が持っていらしたものを勝手に見ただけなのですが……ですが、昨日拝謁した魔術は無駄なものが一切なく、より精緻に洗練されたものでした! 弐刻まで轟くジルニア先輩のお噂からも絶対間違いないです!」
ジルニアは焦った。昨日の件もだが自分の知らないところで自分の知らない噂が流れている。内容を確認して噂の元を断たねば今後心穏やかに過ごすことなどできそうもない。
しかし、
「全員結界を展開! 塔上層から離れろ!」
ゼスティーヴァ最上部から肌が粟立つ殺気を感じ、ジルニアは叫んだ。
息が詰まりそうな凄まじいまでの威圧感が周囲一帯を満たす。
ジルニアの指示に訳が分からず結界を展開させた若い騎士も、空気の変化を感じとり身構えた。
何かが、現れようとしている。
倒れた黄金塔の上部が、中からどろりと溶けた。溶解する金のように、その範囲は広がっていく。
崩れた穴を騎士達は緊張した面持ちで見上げる。やがて、ぼこぼこと粘性のある何かが湧き溢れ、流れ出した。
「ゼロさん、応援か、ゼスティーヴァに入った騎士を至急呼び戻してくれ。おそらく、ボスが現れた。時間を稼ぐ」
ジルニアは通信術具に呼び掛ける。自分を含めた若い十五人の騎士では、ダンジョンボスの討伐は難しいだろう。けれど応援もすぐには来ない。ディーテ村からは遠く、ゼスティーヴァへの調査班も入ってから相当時間が経っている。
騎士達は黒刀を抜き、序説を唱え魔術を即座に発現できる準備をする。経験は浅くとも、いつでも巨獣やモンスターの討伐任務に対処できるよう訓練は積んでいる。全貌を現していないものの、溢れ出る何かがほんの一部分だけということは容易に想像でき、巨大な敵に相対した場合の陣形をとった。
所々にアオカビが生えたような半透明な流動体は、ぎこちない動きで塔から這い出し、その体の最後には深紅の球体が姿を見せた。巨大な宝石のように輝くそれは、目玉のように、ぎょろりとこちらを捉えた。
「フレイ!」
睨まれた瞬間、緊張感に耐え切れなかった騎士の一人が、火魔術を使った。集束させた炎を一気に破裂させるフレイという魔術は、深紅の球体――核を狙って放たれたが、分厚い体に阻まれ届かなかった。その爆発を合図として、戦いは始まった。
塔から這い出してきた愚鈍な動きがまるで偽りだったように、その流動体は爆発の煙を掻き分け、ジルニアを襲う。後ろへと跳んだジルニアがいた地面には、泡立つ湯気が沸き立っていた。強力な溶解力のある液体を吐き出すようだ。
ジルニアの横を通り過ぎていく流動体は、見た目は巨大なスライムのようであるのに、反応速度、移動速度、思考力のある動きがまるで違った。
こちらの戦力が心許ない時、巨大で素早い敵には近寄らず力を削っていくのが一番である。他の騎士もそれは把握できており、付かず離れずの位置から火魔術を繰り出しボスモンスターの体を徐々に削っていく。
ジルニアは結界で前面を守り、黒刀に火属性に変換した魔力を流し炎を纏わせると風魔術で包んだ。サイファを使い真上を飛び越えた瞬間に、核を狙って降り下ろす。
黒刀の一閃は分厚い表皮を切り開き、放たれた炎が内部で燃え上がった。だがすぐに大量の蒸気を上げてジルニアから離れると、酸の液体を撒き散らしつつ傷口を閉じ、また核の位置が下部に動いていた。
くそ! 厄介な!
半透明の分厚い表皮で守られ、体内は強力な溶解液で魔術さえ溶かし、さらには体だけでなく核の位置まで素早く移動させられる。でたらめなモンスターはダンジョンの頂上に相応しい風格を見せる。
やはり、地道に力を削っていくしかジルニア達の勝機は見えない。今はまだ安定しているが、底知れぬモンスターとの戦いだ。状況の変化に対応できない騎士達は、小さなことで戦況が覆される危うさを持っていた。
素早く逃げ回るボスモンスターは突然ぎこちなく動きを止めることがあった。その違和感はどの騎士達も感じとり、それが弱っていると思うのも当然のことだった。戦局はこちらが有利で、多少の疲労は感じつつも距離をとった戦いで負傷者は出ていない。
応戦が来る前に倒してしまえるかもしれないと、多くの若い騎士達は思っていただろう。
そして、その時は来た。
明らかに動きが鈍く、遅くなり、あちらこちらで地面から上がる蒸気の量だけ、敵の力を削いだ事実があった。体内で動き回っていた核が、僅かに左右に揺れ、そしてゆっくりと浮上する。
その、与えられた隙を見逃す騎士は、少なくなかった。
「待っ」
それは、ジルニアが思う以上に一瞬だった。
仲間の背に呼び掛け、眼前に迫った斑な緑色に反応が遅れる。半透明の表皮が裂け、口を開けたのだと思った。
壁に打ち付けられたような衝撃が正面から襲う。脳が揺らされる感覚に現状把握が追い付かない。しかし次の瞬間焼けるような熱さが体中にまとわりついた。混乱と焦燥で何に対処すべきなのか頭が回らないまま、左腕に皮膚が引き剥がされるような激痛を覚えた。思考を塗りつぶす激しい痛みに叫んだが、自分の声が耳に届くことはなかった。
そこでやっと死に包まれていることを理解した。チリチリとした脳の奥の痛みと体中に蠢く異様な熱を感じ、視界が真っ白に染まる。内外から襲うこの苦痛から逃れる術が、一筋の光となって道筋を指し示す。この全てを引きずり出してしまわなければと手を伸ばした。
と、今度は背中から衝撃が打ち付けられ、ジルニアは苦悶の吐息を漏らした。無意識に乱暴に兜を取り外し、新鮮な空気を吸うと、少しだけ冷静さが戻り体勢を立て直した。同時に左腕の激痛を思い出し確認すると、ずるりと固いものが落ちた。
「大丈夫ですか!」
「う、ぐっ…………あり、がとう」
モンスターの体内から助け出してくれただろうダタールに礼を言い、腕を見ると騎士団の鎧が一部分だけだが溶け落ちていた。溶解液が触れた肌はじゅくじゅくと音をたて煙を上げている。
あれほどの激痛だったためか、手には黒刀が握り締められたままだ。痛みを無視し、再び結界を展開したジルニアはボスモンスターに対峙する。
仲間達が風魔術でなんとか動きを抑えようとするが、驚くほど素早い動きで形を変え、逃げ回っていた。
ダタールはモンスターの体内に残された仲間を救おうと何度も結界術を繰り出すが、空を切ってばかりだ。
先程と全く違う攻撃を避けるためだけの蛇行にジルニアは舌打ちし、サイファを使い跳び、逃走先に回り込む。
「くっそ!」
炎を纏わせた黒刀は、蛇のような形で逃げるモンスターの端しか捉えられない。横への移動にサイファを使い疾走し、ギリギリまで近寄って斬り込むが、真横に方向転換した表皮に傷をつけただけだった。
モンスターの体内に浮いていた黒い鎧が、その激しい移動に散り散りになっていく様子を見て、ジルニアは強く歯を軋ませた。手遅れなことは、歴然としていた。
ジルニアは再び足元に風魔術を練り、仲間の命を奪った敵を睨む。
しかし、そこで何故かひやりとした冷気を感じた。火魔術は使っても、冷気を感じる理由などない。
兜を取り払ったからこそ、その上空の輝きに気づけたのかもしれない。見上げた空は見渡すばかりの青空で雨が降るはずもなく、何も見えない。だが何かが来ると本能的に感じ、咄嗟に結界を上に向けて防いだ。
霧雨よりも静かで、粉雪よりも凍てついた、それは、驚くほど広範囲の何もかもの動きを奪い、静寂へと押しやった。
その一瞬の現象にジルニアは言葉を失い、吐息だけが漏れた。それすらも凍っていくように真っ白な水蒸気が視界に映る。雪原にいるような静けさだが視界に白はなく、動けなくなった仲間とボスモンスターがいるだけである。
魔術、なのか? 何が――――誰が!?
息を呑んで周囲を見回す。何者かの意図が絡んでいるのならば、これだけで終わるはずはなく、次の攻撃が来るはずだ。
あちこちに散らばっている動けない仲間達を守ることはジルニアには不可能だった。ならばこの異常な魔術で一瞬の内にこの場を支配した第三者からの攻撃に対処するしか、仲間達を救う方法は残されていない。
しかしいくら見渡しても誰の姿も確認できない。万が一、ソロウホロウを使っているのなら発見するのは困難を極める。ジルニアはぎり、と奥歯を噛んだ。
……いやっ、上か!?
仰ぎ見ると、そびえ立つゼスティーヴァ下層の半ばあたりに人影を確認できた。そしてその人影が腕を振る動作をしたかと思えば、光の中から槍が現れる。
ジルニアはサイファで駆ける。光の槍は視認でき、辛うじて間に合うはずだ。黒刀に魔力を流し、跳ぶ。
その先に、深紅の核があったことに気づいたのは、全て終わった後だった。
槍は文字通り光になり、ジルニアの一閃は空を切った。
可哀想なボスの登場とリアチラ見せです。
語る場がなかったので騎士団の通信について補足。受信は常時触れている部分から魔力を吸いとりいつでも入ります。発信だけが別の部分に触れて魔力を流さないと声を飛ばせないという仕様。一般に売ってるのと同じではありますが、馬鹿みたいに遠くまで明瞭な音を届けられるのが騎士団屈指。
ちなみにゼロさんは潜入員の統括と電話交換手のような役割です。名前はお分かりの通りコードネームです。




