20.こそこそと出発です
「お風呂は何日ぶりですかねえ。ふっふっふ、テンションも上がるってもんです」
「待て、止まれ、冗談なのだろうが質が悪いぞ」
「冗談じゃないですよぉ。ダンジョンに入る前ぶりだから相当です」
「違う、そんな話はしていな、待っ、一度止まれ!」
「はい?」と言いながら脱衣所のドアを閉める瞬間、レティアナが珍しく騒いでいる声が聞こえた。なんだ明るいじゃないか。
止まれと言われたがすでに歩みは止めているので、まあいいかと思いトリムの顔を壁に向けて足元に置いた。そして衣服を手早く脱ぎ始める。
「おい、何を、している」
「え? 服を脱いでますけど」
トリムの声が固いような気もしつつ、お風呂に入るのだから脱ぐのは当然だろうにと疑問に思う。答えた後、聞いていたのかいないのか分からない程トリムは長く黙る。
「…………そう、か……手早く済ませてこいよ」
「えーせっかくだからゆっくり入りましょうよ。シャンプーしたげますから。絶妙な腕前だって旦那様にはよく褒められたんです」
「待て! ……勘違いならそう言ってくれ……俺も、入るのか? ……今?」
「今以外にいつ入るっていうんですか。さ、入りますよ」
小さい布だけ一枚持ってトリムを抱き上げると再びストップがかかる。
「触るな。俺は、不要だ」
「触るなってひどいですね。しかも不要って、またこのやり取りするんですか? 昨日拭いた時は納得してたじゃないですか」
「……あれと、同じつもりなのか……お前の貞操観念はどうなっているんだ」
「はあ」
トリムの様子がおかしいのは、一緒にお風呂に入ることについて抵抗感があるからだったようだ。男女というのは間違いないことだが、リアは相変わらず介護の意識しかなく、トリムは首しかないのに何が起きるというのだ。
あるいは、動けないからこそ目のやり場に困るということかもしれない。
そっちっぽい。確かに見たくもないのを見せられるのはやだよね。
「なるほど、それ気にしてるんですね。勿論ちゃんと見えない向きにしときますし、それでも気になるんだったらトリムさんも目瞑っとけば、ちゃちゃっと洗っちゃうので問題ないですよぉ」
「…………嘘だろう?」
トリムの擦れた声はドアの閉まる音にかき消された。
*****
リアよりほんの少しだけ艶やかな黒髪は、手触りはサラサラで指通りも良く、それだけでは所謂魔術コーティングされている感じは全く分からなかった。
しかしそれは濡れていたはずの髪をタオルでひと拭きした後でなければの話。
汚れも濡れもせず、ついでに手間もかからずこのキューティクルが維持されるのかと恨めしく見ながら「はい、終わりですよ」と告げると、トリムは静かに目を開けた。
入浴中は恐ろしいほどに静かだった。一応呼びかけたら返事はしてくれるのだが必要最小限で、向こうからは一切話は振って来なかった。
そんなに嫌だったかなとショックを受けつつ、少し反省。
「でも、シャンプーは気持ちよくなかったですか? 結構自信あったんですけど」
「……そうだな」
「ほんとですか、良かった」
ほかほかしていい気分で台所に戻ると、システィアはリア達に気づいてにこりと笑い、レティアナはテーブルの上で手を組んで暗い表情で顔を上げた。お風呂前に賑やかな声が聞こえた気がしたのに、真逆の陰鬱っぷりで目を見張る。
「湯加減はどうだったかしら」
「ん、ちょうど良かったですよ。さっぱりしました。冷えない内に行った方がいいですよ」
「トリムさまも?」
「…………」
声までも暗いレティアナの問いに、トリムは答えるつもりはないようで、目を瞑り押し黙る。
おかしな質問でもないのに無視したことに不思議に思いつつリアはレティアナの向かいに座った。レティアナは深刻な面持ちで口を開く。
「リア、私ね、いくら親しくても未婚の男女には一定の距離が必要だと思うの」
「はあ……? そうですね?」
自分より一回りも下だろう少女に、突然そんな古き時代の父親のようなことを言われて、面食らいながらも特に否定もなく頷く。
「リアとトリムさまは将来を誓い合った仲なの?」
「は?」
「違うのね。では、今現在お付き合いしているのかしら?」
「何の話ですか? そんなわけないでしょ」
生首ですよ、と続けそうになった言葉はなんとか飲み込んだ。
「なら尚更だわ!」
「な、何が」
「リアがトリムさまをとても信頼しているのは分かるわ。命の恩人だもの、当然だと思う。けれどね、それとこれは別に考えるべきよ。リアは女の子なのだから、自分の体を大切にしないといけないわ。今後どこの馬の骨とも分からない人が現れたら、リアは純粋だから騙されないかって、私、心配なの」
じっと見つめられてあまりにも切実な表情で説くものだから、リアは勢いに押されてこくこくと頷く。
何を言い出すかと思えば、変な男に騙されないか心配されているらしい。年下に。レティアナの中の私は一体どんな人物像になっているのか、と疑問しか湧かない。
レティアナが珍しく冷静じゃない原因は、トリムをお風呂に一緒に連れて行ったことのようだ。トリムもだが、それほど気にすることだろうか。二人が神経質すぎなのではないだろうか。
そう思ってちらっとシスティアを見ると、何故かにこにこと楽しそうだった。システィアはリアと同じ感覚のようだが、助け船を出してくれる気配はない。
とくとくと説かれた後、湯が冷えるからとシスティアが娘をお風呂へ引っ張っていったチャンスに、寝室へと逃げ込んで早々に眠りについたのだった。
*****
そして、翌日。
早く寝たせいで、早く起きた。今日は寝すぎたということもない。
薄暗い早朝はまだ空気が冷たく、活動的でない時間帯は、静音が辺りを占める。
ドアの向こうに聞き耳を立ててみると、二人とも眠っているようで動く気配がない。
「トリムさん、起きてますか」
「ああ、どうした?」
「すごく目が覚めています」
「…………で?」
「ちょっと思ったんですが、今のうちに出た方が人目もないなぁと」
「それは分かるが……何故そういつも突然なんだ」
「今そう思ったからです」
きりっとした表情で答えると、もう何も言ってくれなかった。
寝具を畳み、昨日繕っておいた服に着替え身支度を整える。ダンジョンのせいで大分ぼろが来ているから、サライドの街で服も新調しようと思った。
音が立たないように移動し、こそっとドアを開ける。家の造り上、リアの部屋はシスティア母娘が寝ている部屋を通らなければ外に出られない。
トリムを抱え、忍び足で部屋に入ると、大きめのベッドで二人とも気持ちよさそうに眠っている横を通り過ぎる。レティアナの表情は穏やかで、年相応の安心しきった幼さが窺える。
ぎし、と床が軋む音に、リアはぴたりと足を止めて息を潜めた。
「泥棒のようだな」
「しっ! 起きちゃうでしょ」
「黙って行く理由が分からん」
「だって、気持ちよさそうに寝てるのに起こしたら悪いじゃないですか」
「……お前の気の遣い方が理解できない」
台所のテーブルにつき、バックの中から金貨を取り出す。文字を書くものを持っていないが、置いておけばまあ一宿一飯の礼だと分かるだろう。
「リアさん」
「ひょっ」
静かな、だがよく通る声が背後から呼びかけられて、リアは息を吸いながら小さい悲鳴を上げた。右手で口元を押さえてギギギと振り返ると、上体を起こしたシスティアがリアの変な声にころころと笑っていた。
「ふふ……つれない方ですね。そのようなことをされずとも、ひとこと言ってくださるだけで結構ですのに」
システィアは優雅に起き上がり、薄暗い部屋だというのに陽光が差し込むように柔らかな光を纏ってリアに近付いてきた。
視線を金貨に移してリアはたじたじと答える。
「や、でも、これから二人で暮らしていくなら、少しでもお金はあった方がいいでしょ」
「旅をなさるリアさんの方が、必要になると思いますの。それに、わたくし達はリアさんにお礼として泊まっていただいたのですから、こんなことをされると悲しくなってしまいますわ」
テーブルの上の金貨を取り、リアの手の上に返す。システィアの家に招かれた時のあの笑顔で言われると、有無を言えない威圧感に襲われる。
「……はい」
そう俯いて言って、大人しくバックの中に戻した。
システィアは後ろ髪を上げる動作をしたかと思うと、首の後ろでごそごそとして、その後リアを抱き込むように両手を伸ばした。
リアは思わずぎゅっと目を瞑ったが、落ち着く匂いと僅かな体温が空気を挟んで伝わってくるだけで、いつまでも抱きしめられるような気配はなく、やがて離れて行った。ちょっとした勘違いに密かに恥ずかしくなりながら目を開けると、相変わらずシスティアは微笑んでいるだけだ。
何だったのかと首を傾げたら、システィアがリアの胸元に手を伸ばして、いつの間にか首にかけられていたペンダントを触る。
おう、今のはこれだったか。
「わたくしの魔力を込めた魔術具ですわ。わたくしのファーレと同等に、きちんと治癒術として発現しますので、リアさんのお体も拒絶することはありません。旅には危険がつきものですから」
「……高そう」
ペンダントトップを見つめながら最初に思った感想がそれだった。
小指大の透明な球体の中には極小の金の模様が見え、その球体を銀の茨が網目状に取り囲んでいる。宝石なのか分からないが、緻密な造りの綺麗なペンダントだ。それを繋ぐ紐は材質が不明な細く黒いもので、触った感じすごく丈夫そうだった。
リアの呟きに一瞬目を丸くしたシスティアがくすくすと笑い出す。
「わたくしにとってはそれほど価値のあるものではございません。わたくしが聖職者として巡業している最中に作った些細なものですけれど、御守りだとでも思って受け取ってくださらないかしら」
「でしたら、ありがたくいただきます」
手作りならばそれほど高価なものでもないのだろうと、素直に受け取ることにした。
確かに、トリム談、存在そのものが癒しをばら撒くという生まれながらの聖者なのだから、魔術具を使うまでもないのだろう。治癒術は得意としないと自称するトリムしかいないので、正直いざという時のための保険としてはとても助かる。だが、
「魔力ないけど使えるんでしょうか」
「リアさんは魔力がないわけではありませんが……傷を負った部位、治癒が必要なところへ触れれば自然と発現いたします。魔術の心得がある方が共にいればなおさらですので、トリム様と離れないようにしてくださいませ」
システィアは、今度はトリムへ視線を向けて可笑しそうに笑う。
リアはちらっと覗き込んで見るとなんだかむすっとした表情だったので珍しく、知らないところでシスティアと仲良くなってたんだなと頬が緩んだ。
「それと、もしテリューレ渓谷に行くことがございましたら、サフバ様という方を訪ねてみてくださいませ。わたくしのお師匠様にあたる方でして、リアさんの魔力のことが分かるかもしれませんわ。こちらのペンダントを見せていただいたらわたくしの友人だと分かるはずです」
「はい」
と返事をしたが、どこにあるのか全く分からない。行くことがあれば、とのことだし自分の魔力については消極的だからあんまり覚える気もなかったりする。システィアの気持ちだけ受け取った感じだ。
「もう……行くの……?」
震える声が耳に入り、リアは内心あちゃーと思いながらベットから起き上がった少女に「はい」と笑顔で答えた。
レティアナは急いでリアの元まで駆けてきて、目の前で止まる。俯いた少女の両手は自分の着ている服を掴んで皺を作っていた。
「まだ……お礼ができていないわ」
「もういいですよ、私の言ったことは忘れてください」
「……嫌よ」
「嫌と言われましても。もう行かないといけませんし」
レティアナは縋るように母親を振り返ったが、システィアはゆっくりと首を左右に振って「駄目です」とだけ言った。
無言の静けさに耐えられなくなった頃、リアは思い出したように提案した。
「そうだ、魔術学校の話はしたんですか」
「……まだ」
「なんだ、じゃあ全然私の言ったこと覚えてないじゃないですか。まずはそこからですよ。ちゃんと将来の見通しがたってから出直してください」
レティアナは顔を上げ、揺れる紺色の瞳でリアを見つめた。
そして一度ゆっくり瞬きをすると、何か決まったような表情をしていた。
一瞬の躊躇いの後、リアの胸に飛び込む。
リアはシスティアの目がある手前、その抱擁を受け入れることしかできず、けれど抱き返すことはせず、少女が満足するまでつむじを眺めながら放っておいた。
やがてレティアナは離れ、純真無垢な笑顔で誓った。
「私は、母さまのような魔術師になるわ。リアが遠くにいても見つけられるくらいの、立派な人になる。そうしたら、また来てくれる?」
「あなたの頑張り次第ですね、ま、励んでください」
リアはこの村に再び訪れるつもりはなく、多分二度と会うことはないだろう。気まずい空気を払拭したくて、ヤル気を出させておけば真面目なレティアナはそっちに集中してくれるはずだ。
案の定、和やかな雰囲気に変わったところで出発の気配を見せると、携帯して食べれる食事を包んでくれ、トリムを隠せる大きさの布を貰い、おやつと言って飴玉をころころと渡された。
システィアが目を逸らすためにと護衛の騎士の元へ出て行き、その隙に家を後にした。
最後にレティアナが「リアのこと大事にして」とトリムに言っていたので、とても良いことを言うなと思った。
なんせ扱いが雑だから。
返事を結構長い間待ち、包まれた布の中からくぐもった「ああ」という声が聞こえてきたので、今後鬼畜な扱いを受けたらこれをネタに強請ろう。
そうして、リアは折れた黄金塔を背に、目的の街へと向かう。
村を出る頃には透き通った水色の空に朝日が顔を出し、旅のはじまりを見守るように景色を明るく照らし始めていた。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
こんな感じで一章完です。
あとおまけと補足的な話を上げます。
二章はまだ執筆中ですので、投稿頻度は落ちます。改稿も増えるかと思います。
今後ともリアの旅路にお付き合いいただければ嬉しい限りです。




