2.景色が霞みます
期待と驚きの差が激しすぎて、リアは思考が真っ白になる。
見つめ合っていた生首の目が揺らぎ、何かを発そうとする口が開きかけたのを視界に入れた瞬間、開けた時以上の勢いで蓋を閉めた。
「いやいやいやいやいやいや! 力を求めて生首って意味分かんない!」
『……おい! 閉めるな! 力が欲しいのだろう! 貸してやる、開けろ!』
「いいえぇ! 結構ですぅ! 間に合ってますから!」
今までの厳かな雰囲気を崩して生首が発した言葉に、リアは反射的に返事をする。間違いなく厄介事な空気を肌で感じ、これ以上追い詰められたくないリアは絶対に開けるもんかと宝箱の上に座って両手で蓋を固定する。
『くそ、仕方ない』
――ガコンッ
「あぎゃっうごっ」
異常な力で内側から宝箱の蓋が開く。その上に乗っていたリアは、反動で体を壁に打ち付けさらには体勢を崩し床に落ちた。
「やっと人が現れたかと思えば、話も聞かず無礼な輩だ。だが、封印が解かれているな……お前が解いてくれたのだろう。その点は礼を言う。…………なんだそのふざけた態度は、馬鹿にしているのか」
「…………どっちが無礼だ。感謝が感じられないし、なんなんですかそのふざけた姿は、馬鹿にしてるんですか」
宝箱の中でふんぞり返る生首に対し、視界が逆転したまま思わずリアは言い返した。
堅い石壁に打ち付けられた肩と背中が痛い。
「ふん、小娘のわりに随分と不遜な物言いだな。心臓に毛でも生えているのか、悲鳴ひとつあげんとは」
見える限り頭部しかない生首が蓋を開けるなんて魔術か何かを用いたとしか思えない。下手に動いてこの偉そうな生首に攻撃でもされれば、無防備なリアは防ぎようがない。
落ち着いて相手の目的を見定めてからこちらの態度を改めるべきだろう、と考えつつ、しかし理不尽な痛みへの怒りでどうにも棘のある言い方になってしまったのは否めない。
「今の私には可愛く悲鳴を上げる女子力は不要なんです。存在がホラーの人ぐらいじゃ動じませんよ。たかだか生首がしゃべってるだけですもん」
大したことないと見栄を張り、起き上がって前髪を流す動作をする。
「――ふう。なんだか知りませんがあなたの封印? が解けたとのことで、良かったですね。…………では私はこれで」
そして、そそくさと部屋を出ていこうとした。もう少し休みたかったところだが、それ以上にこの場にいたら非常に疲れそうな予感がする。逃げるが勝ちだ。
「待て」
負けてたまるか。
リアは聞こえないふりをして逃げ去ろうと片足を上げる。
「ふぐっ」
しかし下ろすことはできなかった。待てと言われたから待ったわけではない。
これは、何? 魔術?
突然つんとした冷気を感じたと思えば、何故か動けなくなったのだ。見えない力で体をがんじがらめにされているように、骨が軋む感覚。
詠唱もなく他人の体の自由を支配するとは、対策の取りようがないと冷や汗をかく。
こいつぁやばい。首だけのくせに。
「聞こえていたのだろう? 待て、と言っている。話を聞いてもらおうか」
「…………どんな、御用でしょうか」
無視は諦めてぶっきらぼうに返事をすると、拘束されていた見えない力はまるで初めからなかったかのように霧散した。
リアはその訳の分からない力に内心驚きつつ、自由になった体で嫌々振り返り、改めてその姿をよく見る。頭部から首、ちょうど鎖骨の上あたりまでが宝箱の中に見えた。
宝箱の下から地面にかけて穴が空いて、体が埋まって見えないだけとも考えられるので、生首という表現はもしかしたら早計だったかもしれない。
髪はリアより長い漆黒で、瞳は緋色、目鼻立ちは整っており男前な顔とも言えなくもない。ただ首しか(見えてい)ないのでひたすら滑稽だなと思う。
「……不躾に見るものだな……まあ、いい。単刀直入に言うと、取引をしたい」
じろじろと見すぎたことに気付き、おっとと視線を逸らしてちらっとだけ見る。
「取引……ですか」
「そうだ。その粗末ななりで力を求める口振り。非力な自分に絶望していると見た。力を貸してやろう」
「粗末とか非力とかあなたこそ不躾な。こんなんで絶望なんてしてませんし、ちょっと落ち込んでるだけですし、見ず知らずの力に頼るほど落ちぶれてはいませんし、そもそもあなた、なんか胡散くさ……不し…………初対面ですし」
勢いであまりにあまりな口振りを無理矢理訂正。失礼過ぎて怒らせてしまったら、得体の知れない相手だからどうなるか分かったものじゃない。
手遅れな気がしないでもないが。
「よく口の回る女だ。ならば何故強くありたいと願った。お前の願いを言ってみろ、それを叶えてやる」
……お?
「いや、願いっちゅーか見るからに怪しい人……人? ……首に、そんな弱みのようなことを言うわけないじゃないですか。あなたが取引をしたいんでしょ、そちらから話すのが筋ではないですか。私は別にあなたと取引なんてしたくないですけど、話くらいなら聞いてあげますから」
リアは言い返していたわりに、生首が得体の知れない力でねじ伏せてくるかと、内心身構えていた。
ところが意外と話の通じる相手であったようで、そうなればこちらが下手に出ると下手なまま話が進んでしまいそうなので精一杯張り合ってみる。
それに対し生首はふむ、と考えるような素振りを示し口を開いた。
「確かに道理ではある。――俺は理由あって自力では動けない。しかしながら動かねばならぬ理由もある。お前にはそれに協力してもらいたい」
動けない、と言われると理由はひとつしか浮かばない。
「生首だからですかね。というか……人、ですか?」
「ああ。切り離され、封じられているだけで、当然人間だ。ただ移動することさえままならぬ。よって供に来てもらいたい。――それで、お前の望みはなんだ?」
運んでもらいたいということだろうなと、無茶ぶりな取引ではないことに、ひそかに胸を撫で下ろす。首から下を寄越せとか言われる可能性も一応考えてびびってはいた。
「その協力っていう部分もだいぶ曖昧で怖い気がしますが……とりあえずいいでしょう。望みと言うか、私は今からちょっとダンジョンを逆走でもしてみようかなと思っているだけです」
「やはりそんなところか。俺が手引きをしてやろう、それで取引成立だ」
「ちょ、まだ受けるなんて言ってませんよ!」
「ほう?」と言って生首はリアを頭から足元まで見定めるように一瞥する。
生傷があちこちにあり、服もボロボロ、顔は鏡を見なくても疲弊が表れていることだろう。そんな視線を遮るべく、リアは両手で胸と太腿を隠し威嚇するが、生首は全く意に介さず口の端を上げた。
「その様態で、ひとりで、この階層から戻るのか? 見たところ、生きて帰れる可能性は皆無のようだが? この階層まで来ておいて引き返す理由が、上層には進めない弱さがあるのだろう?」
「うぐ」
図星を突かれて漏れた声に「決まりだな」と言って生首は再びドヤ顔をした。
確かに、強くもない自分が、こんな上層から一人で戦って勝つどころか、モンスターを避けて帰れるほどの運はもう残っていないだろうとは思う。先程の生首の力を思い出すと、モンスターと遭遇した際にリアよりは遥かに戦力になると思われ、生存戦略でいうと魅力的な提案であった。
だからこそ確かめなければならないことがある。
「その、協力してほしい内容、理由というのをはっきりさせてもらえますか。話はそれからです」
生首はちっと舌打ちした。不利なことを聞かれたと思ったのだろう。
「……切り離されたと言ったろう、簡単だ、俺の体を集めるのに協力してもらいたい」
馬鹿みたいな内容だが予想はできていた。だがまだ不十分だ。
それは質、あるいは量。リアの短期的な脱出の望みより、生首の体集めの望みの方が時間がかかることだけでも容易に想像できる。
これは平等な取引なのか。そこに関しては慎重にいかなければならない。特にさっき自覚したばかりだもの。
「……ちなみにあなたの他の部位は、このダンジョン内に?」
リアはその点――この取引がダンジョン内で完結するか否か、を確認するまで首を縦に振ることなどできない。
「………………いいや」
長い間を置いて、生首が否定する。
リアは半生を振り返る。目先の利益に囚われてはならない。息を吸い、
「それって絶対私のほうが貧乏くじ引く感じじゃないですか! いやです!」
「無駄に小賢しい女だな! よく考えてもみろ、脱出が叶えば俺は命の恩人にも等しくなる! それに比べれば安いものだろう!」
「無駄にって! 小賢しいって!! うまい話に乗ると後悔するって最近身をもって知ったんですう! ただでさえめんどくさそうなのに絶対脱出するだけより苦労しますよそれ! 一縷の望みでも私はそれに賭けます! さようなら!」
待てと生首が叫ぶのを背後に聞きながら、今度は脱兎のごとく走り出すリア。
だがそれは阻まれる。
生首の見えない力によって、ではなく。
「ふぁ」
逃げるため扉へと向かったリアの前には、動く巨大な灰色。
倒れた扉を乗り越えて現れたのは、狭い通路に大きすぎる巨体で歩くゴーレムであった。
それも三体。
階下へ繋がる道の方に二体、反対側から一体。そのごつごつした体を屈ませ、決して広くない部屋へ入ってくる。
押し戻されるようにリアは後ずさる。
元々生物ではないゴーレムの気配は気づきにくいものがあるが、生首とのやりとりで騒ぎ立てている間、索敵に関して頭の片隅にもなかった。
なんで今まで遭遇しなかったのにここにきて! くそぅ、生首のせいだ!
「ゴーレムか。たいしたモンスターでもないが……どれ、お前の実力のほどを見せてみろ」
「うっさいなあ! あなたのせいじゃん! ばかぁ!」
リアの罵倒に言いがかりだと声を漏らすも、その表情はにやにやして値踏みしているようである。
むかつく。
リアは腰に差している短剣へと手を伸ばす。ちなみに村で貰ったもので、刃の部分は某企みによって既に無く、鞘と柄のみが残っている。ピックツール等の便利道具が少しと、王都で購入していた少量の火石が今のリアの全装備である。
よくこれで帰れると思ったものだと、自分でも呆れる絶望的な装備であった。しかし、
「諦めるかあ!」
まともな武器も魔術もないのでは、どうにかしてゴーレムの隙を見て逃げるしかない。
逃げの一手に思考をフル回転させる。
三体のゴーレムは部屋に入り、一番大きいものが先頭に立ち、残り二体が左右についてきている三角形のような陣形である。
右後方のゴーレムが一番小さいことを確認し、そこを狙うと決める。
じりじりと後ずさりながらいくつかの火石を、装飾だけが無駄に豪華な短剣の鞘に詰めていく。
先頭のゴーレムをぎりぎりまで引きつけると、鞘の穴を向けて槍のように頭部めがけて力いっぱいぶん投げる。鞘の中の火石が擦れ合う熱と着弾の衝撃に鞘は熱膨張を起こし、ゴーレムの頭が僅かにのけぞって一瞬の隙ができた。その間リアは筒から手探りでひときわ大きな火石を取り出し、右後方にいるゴーレムが片足を床に下ろす隙間に正確に投げ込んだ。
火石はそのゴーレムの重さでもってすり潰され爆発。片足立ちで体勢を崩されたゴーレムはよろめき、できた空間を姿勢をぎりぎりまで低くしたリアが駆け抜ける。
生首がおおと感嘆の声をあげ、リアがやった、抜けた! と思ったのは同時であった。
リアはそのままの勢いで階下に降りようと通路に飛び出し――ふっ飛ばされた。
「あがっ!?」
左後方にいたゴーレムが、逃げようとしていたリアを後ろから振り払ったのだ。
ゴーレムはその質量から素早い動きはできないとされている。
リアは広くないこの部屋では、逃げる方向のゴーレム以外は無視しても問題ないだろうとスルーしたが、ここはボス間近の強モンスターが蔓延るダンジョン上層だ。上に行けば行くほど予想外のものもいるということだろうか。
近寄って来る時はのっそりしてたくせに!
背後から襲った硬い衝撃に一瞬意識を失いかけるが、骨に鋭く入る痛みで我に返り、目の前に迫る通路の壁面には体を捻ってなんとか受け身をとることができた。しかし脳は揺らされ、全身は軋み、さらには潰された肺で呼吸がままならない。思うように動かない体を自覚し、朦朧とする意識で警鐘が鳴る。
すでに平常を取り戻した三体のゴーレムがゆっくりとこちらへ近づいてくる。
その怪力でもって四肢を引きちぎられるのだろうか。その重量でもって徐々に潰されていくのだろうか。そんな苦痛の中死ぬのならば、いっそのこと自分で……そんな思いが浮かぶ。
――――絶対に、嫌だ。
そして即座に否定した。それだけは絶対に選んではならない。
あとはこの通路を走り抜けてやつらを撒けばいいだけだったのに。動けない。悔しい。死にたくない。でも。
滲む視界、諦めきれない絶望の中、再び声がした。
『――力が欲しいか』
「………ほしい」咳き込み吐血する。
『――では取引だ』
「………わかった」選択肢なんてないじゃんと、赤く濡れた唇が歪む。
『――任せておけ』
リアからは見えないはずなのに、あの高慢な生首が笑ったのが分かった。